第12話 不死身の兵隊

「もともと海軍軍令部が持ってきた話でした」

 と、生姜湯を一口飲む。

「彼らは研究をしていたんです。何度も回天に乗れる兵隊、何度でも敵艦隊へ特攻することができるパイロット──つまりは、不死身の兵隊を作ること」

 死なない兵隊。

 倉田が、船の上で言っていたことだ。

「────」

「瀕死の兵隊を野戦病院から連れてきては、いろんな方法を試したと軍令部から聞きました。戦の終わったいまの世では理解し得ないことでしょうね──なんて言いましたが」

 詳しいことは知りません、と彼は薄いくちびるを歪めてわらった。

「僕は陸軍の、参謀本部の人間でしたから。かくいう陸軍では、真珠湾攻撃の前後でとある島に注目していた。それが南硫黄島です」

「例の島ですね」

 倉田が身を乗り出す。

 ロイはむっと口を閉じた。

(南硫黄島、か)

 すべての始まりの地──船上でたしか彼はそう言った。ここで起きた『なにか』が、いまのクソみたいな現状を作り上げたのだったか。

 首をかしげる。

「陸軍も不死の研究を?」

「いやいや、陸軍は堅実なもんですよ。調査は一次大戦のころから行われていて、島の岩滴が人間の血中濃度に極めて近いことがわかっていたんです。やむを得ない場合は、使用することも検討していたので──目を光らせていました」

 ほう、と倉田がつぶやく一方で、ロイは合点がいかずに無言でふたりを見る。岩の滴がケッチュウノウドに近いからなんなのだ、と言いたげに。

 倉田はキミ、と吹き出した。

「すぐ顔に出るのな」

「うるさいな。それをどう使用するってんです」

「──戦時中、多くの軍人が怪我をしたろ。当然輸血をするんだけども、その血が足りなかった。だからやむを得ないときは血の代わりに食塩水が使われたことがあったらしい。そのことですよね」

 と、倉田は得意げに成増を見る。彼はうなずいた。

「普通の蒸留水を血管に投与すると、血中濃度に比べて濃度が薄いため溶血を起こします。ちょうど一パーセントに少し満たない程度の塩分、それを含んだ生理食塩水が、血の代わりにもなった」

「へえ」

「さて、ここからが重要事項です」

 成増の顔がわずかに暗くなる。


「──終戦年の三月、南硫黄島で二人の日本兵が発見された」


 一人はすでに死体でもう一人は生存していた、と何故か浮かない顔をした彼に、倉田と顔を見合わせる。

「生存者はマリアナ沖海戦時、大鳳の艦上機パイロットを務めていた者で、話によれば一か月前に不時着したようでした。なんとか魚や木の実を食いつないで生きていたそうです。対して死亡者は──持ち物から判明したのですが、その年の三月に破られた硫黄島の守備隊員のようでした」

「硫黄島──」

 現在でも戦跡として有名な激戦区である。

 いまでは自衛隊が基地を張り、民間人は入島できないようになっている。

「先に不時着した艦上機パイロットが言うには、その守備隊員は硫黄島から命からがら脱出して四十カイリをひたすら泳ぎ続けた末、南硫黄島へとたどり着いたんだと聞いたそうです」

「四十カイリってどのくらい」

「およそ六十キロだな」

 と、倉田は少し青ざめた顔で答えた。六十キロを泳ぐ様子を想像したらしい。しかし当時の二人の心境を思えば、どれほど心強かったことだろう。倉田は声を弾ませる。

「嬉しかったでしょうね、お互いに思わぬところで日本兵に会えて」

「────」

 しかし、成増は渋い顔をして一瞬黙った。どうやら問題はその先にあるようだ。

 ロイが身を乗り出した。

「守備隊員はどうして死んでいたんです」

「問題はそこです」

「死因?」

「ええ……────」

 渋面を隠すように、手のひらで顔を覆った成増がぽつりとつぶやくように言う。

「発見時、死体の状態は最悪でした」

「…………」


「身体中が腐っていた。眼球は溶け出て、皮膚は壊疽とただれが生じて、まるで……化け物だった」


 壊疽えそとは、壊死した細胞組織が腐敗して黒く変色、腐臭を放つ状態になったもののことである。

 いったいなぜ、と言いかけたロイは、質問を変えた。

「パイロットはその、仲間が腐ってゆく様を見ていたのか」

「とうぜん見ていました。聴取に応じた彼が言うには、上陸してからしばらくは普通だったのに数日経っていきなり様子がおかしくなった、と。──奇妙だったのは、それについて語ったパイロットの態度」

「どういうこと?」ロイが問う。

「彼は泣いていたんです」成増は天井をあおぐ。

「そりゃあ、泣くでしょう。俺がそんなもん見たら一週間は泣き続けます、怖くて」倉田がふるえる。

「いいやちがう」

 と、彼はゾッとするような笑みを浮かべた。

「死体を見たから泣いたんじゃない。彼の涙は──憐れみだったんですよ」


 とにかく、と成増はつづけた。

「発見者は軍令部でしたが、守備隊員が死亡していたこともあって、参謀本部はここから本格的に研究へ参入することになります」

「ちょっと待て。そんな不審死、感染症の危険は考慮されなかったのか?」

 ロイが厳しい口調で問う。

 したよ、と成増は疲れたように答えた。

「現に細菌による感染症だったし被害も出た。しかし当時、研究の筆頭であった一文字正蔵は『この細菌兵器を使えば国も家族も守れるぞ』と、みなの士気を鼓舞していたんだ」

「な……」

「研究者たちは冷静なものでね、敗戦色が濃厚であることなどとうに分かってたよ。それでも、戦地で身体を張る仲間がいる。母国で帰りを待つ家族がいる。彼らを守るために、たったひとつでもアメリカを脅かすものが作れたら──世紀の大逆転劇を生み出せたら、と本気で願ってもいた」

「…………」

「そんなときに、恐ろしい未知の生物が見つかった。細菌兵器たりうる力をもっている。そりゃあ、研究者としてやってきた以上見過ごす手はない。──この細菌がばらまかれた国がどうなるか興味もあったしさ」

 絶句した。

 彼の思いになにかを返せるほど、自分の人生経験は厚くない。いかにも波乱万丈な人生を歩んできたであろう倉田をちらと見る。

 彼もことばをなくした様子ではあったが、どこか複雑な表情でうつむいていた。

 非人道だとなじるかい、と成増が苦笑した。

「人道なんてもの、進めばこっちが殺られる」

「────」

「……あ、いや。もちろん、すべて肯定するわけじゃないけれどね」

 あわててフォローをいれる成増に、ロイは力なくうなずくしかできなかった。当時の世に満ちた狂気は彼にしかわからない。

 成増は力なく、己の身体を縮めて膝を抱える。

 沈黙を破ったのは明るい声で「まあまあ」と手を上げる倉田だった。

「自分も医学の心得はあるので、分からんでもないですよ。医学の進歩こそ、得てして人の犠牲の上に成り立つものですからね……ほら。戦後、人体実験を施したとかで戦犯扱いされた医者もいたらしいし。そういう──世の中の空気ってのも、あったんでしょうし」

「…………ありがとう」

「それより、理由は分かったんですか」

「うん?」

「憐れみの涙、ってやつ」

「ああ」

 そんな話でしたね、と成増は頭を掻いた。

 たしか守備隊員の身体が腐り落ちたのを、憐れんで泣いたということだったが──。

 おかしな話だな、とロイは珈琲を一口飲んだ。

「腐り落ちる身体を見て、それを恐がるでもなく憐れむなんざ。よほどの聖人君子だったのか?」

「いや。……パイロットの彼こそ、それはそれは奇妙な体質をもっていた。というのも、日光に当たっては腐敗し、日を置けば再生する身体だったんです」

「はぁ?」

 耳をうたがう。

 腐敗と再生を繰り返す身体、とは。いまさら現実的じゃないなどと無意味な反論は控えるが、それにしてもリアルの話とはおよそ思えぬ。

 おまけに、と成増は顎に手を当てた。

「再生能力が抜群に高かった。というのも、腐敗部分が再生されるだけじゃない。切り傷や打撲などの打ち身もすぐに治りました。どんな怪我でも」

「じゃあ、そのパイロットが泣いた理由って」

「うん。……なぜ彼の身体は腐り落ちるばかりで再生されぬのか、かわいそうに──という憐憫の情さ」

「…………」

 だから、憐れみの涙か。

 ロイはすっかり冷めた珈琲のカップに指をかける。指はかすかにふるえていた。

 パイロットの、と倉田が背筋を伸ばす。

「身体の状況はどんな感じだったんですか」

「ヒドイもんでしたよ」成増はわらった。

「彼の身体は、細菌が体内細胞に擬態した状態だった。つまり──彼の生命維持はその細菌が細胞の働きを真似することで成り立っていたんです」

「そ、そんなことが……起こりうるんですか!」

「どうやら起こり得たようですね。研究者たちは、早くなんとかせねばと思いました。ただね、研究をしようにも問題がふたつあった。ひとつは、彼が腐敗するたびに研究員が感染してしまう確率が高かったこと。腐敗が一体どのような間隔でいつ発生するのかが掴めないんです。そしてもうひとつは、パイロットが時折我を忘れたかのように誰彼構わず襲ってしまうこと──」

「襲うって」

「噛みついたり、時に強姦まがいの行動を取ったりしたこともある。それは相手の性別に関係なく、だ。普段は意思疎通だってできるしそんな風になるのは稀だったけれど……」

 襲われた人はどうなる、とロイが聞く。

 成増は「感染する」とつぶやいた。

「とにかく、細菌の含まれた体液──血や精液がこちらの体内に入っちまったら、もう終わりなんです。すぐに顔色が蒼くなって、かならずみな食欲旺盛の大食漢に変わる。どんなに食が細かった人でも、だ」

「ああ──…………」

 と、倉田はうめいた。

 なにかを思い出したようにくちびるを噛みしめ、「それから」とつぶやく。

「腐臭が漂って、言語能力もなくなって──いくんですね」

「え?」ロイは眉をしかめた。

「ええ」うなずいた成増は平静だった。

「太陽光を浴びれば皮膚がただれ、暗所におけば元の人間そのものに再生する。寒い空間に長時間いれば、細菌の動きはにぶくなり最低限の生命活動にとどまった。それでも、やがては再生能力が衰えて、いずれは腐敗したまま死んでいく。それが感染者──『腐敗兵』の末路です」

 腐敗兵。

 倉田は、うなだれた。

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