雨、あめ、アメ
カミレ
例の一日
何気ないいつもの会話のあと、思いついたように付け足される。返事をしかけて、飛びのいた。
刃物のような風が吹いて、髪が乱れる。
「なっ」
驚きよりも戸惑いが先に訪れた。
すっかり暗くなってしまった空と同じく、彼女の表情は読めない。
どうしてそんなことを言うのか。どうして今なのか。どうしてこの場所なのか。どうしてその相手が自分なのか。
わからないーー何もかも。
理解も納得もなにもできなくて、目の前がチカチカする。
どうしてか、今なら捕食される寸前の被食者の気持ちがよくわかる。
それからは一歩も動けぬまま、どこかぼうっと、彼女の唇が形を変える様子を見つめた。吐き出されるようにして棒の付いたそれの香りが広がる。しっとりとしたバニラの香りが近づいてくるのを見届けてしまった。彼女の髪がさらりと頬に当たる。
唇同士がくっついて、離れる。ただそれだけなのに、頬が熱い。水音も立たないおままごとのような行為だというのに、唇間の接触によって自分の心を吸い取られたような心地だった。かすかに唇の表面に残った余韻をなめとり、ねだるように彼女を見上げた。
彼女は「あまい」と興味を失ったようにそれを咥えなおし、数歩後ろへ下がる。夜空の下、それを口の中で転がす姿はとても様になっていた。
熱っぽい吐息のあと、体を壁に預ける。眠気が少しずつ、ゆっくりとやってくる。
「あめちゃん」
「うん」
「おやすみ」
「うん」
長時間雨に当たっていたことによって身体の感覚がよくわからない。ゆっくりと閉じていく目蓋。その隙間に彼女と雨雲がうつる。なんてきれいなんだろう。
「おやすみ」
周波数の合わないラジオのような雨音に彼女の挨拶がかき消されたあと、目を閉じた。
雨、あめ、アメ カミレ @kamile_cha
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