二人の母

 実家のリビングに聡美さとみさんがいるというこの光景は、俺――というより我が家にとってはよくあることだった。

 ――しかし、それも俺が小学生の頃の話だ。懐かしさと驚きが混ざり合って混乱している。


「……あ……あの、ご無沙汰してます」


 どうにか巡らせた思考で出てきた言葉は、挨拶だった。


「もう、ゆうくんもすっかり大人だねぇ。そんなに畏まらなくていいのよ?」


 そうは言われても相手は倖楓さちかのお母さんで、こうして面と向かって話すのは四年近くも前になる。畏まるなという方が難しい。


「そんな所に突っ立ってないで、ちょっと座りなさい」


 キッチンから出てきた母さんが、テーブルを指差す。

 これがたまたま実家に戻ってきてた時だったなら喜んで席に着くのだが、そんな場合じゃない。


「いや、俺行かないと……」

「私とお話しするの、イヤかな……?」


 なんだか既視感がすごいやりとりだ。……血筋って恐ろしい。


「そういうわけじゃ……。というか、倖楓が……」

「それも含めてわかってるから、一度座りなさいって言ってるの」


 母さんの言葉を確認するように聡美さんへ顔を向けると、頷きで返された。

 そこまで言われてしまったら、今は従う他はない。




 母さんが俺の分の飲み物を持ってきて、ようやく話す場が整った。俺が聡美さんと向かい合い、その側面に母さんが座るという配置だ。


 ――話を始めたのは、聡美さんからだった。


「まずは安心してね。あの子がどこにいるかは、ちゃんとわかってるから」

「……はい」


 一番の不安が、他ならぬ聡美さんから聞くことが出来てひとまず安心する。

 そして、聡美さんの視線は俺の吊ってある左腕に向けられる。


「倖楓のこと、守ってくれてありがとう」

「いえ……結局、今日はこんなことになって……」

「ううん。昨日のことだけじゃなくてね? 昔のことも――」


 言葉が出てこなかった。

 あの時のことを、倖楓がいつ誰から知ったのかはわからない。

 でも、聡美さんが知っているとなると、話したのは一人しか思いつかなかった。確かめるような俺の視線に、母さんは頷く。

 昔の俺が、あの時のことを言わないようにお願いしたのは倖楓に対してだけだ。

 実際、中学の間に一度も倖楓と顔を合わせることが無かったのは、倖楓の両親の協力もあったからなのだと思う。

 だから、母さんが話したことを責めるような気は全く起こらなかった。


「ねぇ、ゆうくん」

「はい」

「倖楓のこと、好き?」


 茶化されているわけではないと、雰囲気でわかる。

 聡美さんにとって、これは必要な問いなのだ。――そして、俺にとっても。


「――好きです。……でも、まだ伝えられてない。伝えないといけないんです」


 目を合わせること数秒、聡美さんが微笑む。


「なら、ゆうくんに知っておいて欲しいことがあるの。聞いてくれる?」

「はい」




 聡美さんから語られたのは、俺の知らない倖楓。

 どうしてあの時のことを知っていたのか。

 俺ともう一度会うまでにどれだけ努力を重ねてきたのか。

 その全てに、うちの家族も協力していたことも。

 同じマンションに住むことになった経緯を聞いた時は、笑わずにはいられなかった。


 聡美さんが全て話し終えると、母さんが困ったように笑う。


「ほんとはね、倖楓ちゃんには悠斗を行かせないように頼まれてたのよ」

「え?」

「朝早くうちに来てね。悠斗の顔を見てからすぐ出て行っちゃったけど」


 ――ああ、やっぱりあの声は夢じゃなかったんだ……。


「でも、それならどうして……?」

「ん? だって悔しいじゃない。悠斗ゆうとはもちろん大事な息子だけど、同じくらい倖楓ちゃんはあたしにとっては娘同然だもの。子供の幸せを願わない親がいてたまるもんですか」


 母さんらしい考え方だ。


「私も、二人には幸せでいてほしい。だから、本当は倖楓から聞いた方が良いと思うこともゆうくんに話したの」


 聡美さんからそんな風に言ってもらえることはありがたいし、素直に嬉しいと思う。

 二人の母からここまで言われたら、揺らいでいた自信なんてすぐに取り戻せる。


「俺、行きます」


 ゆっくりと席を立つ俺を、聡美さんが引き留める。


「あの子がどこにいるか、わかってるの?」

「はい――」


 俺は迷わず答える。

 そんな場所は、一つしかないと思ったから。

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