期日と答え(2)
―――他人なんてどうでもいい。
それが私、橘茉梨奈という人間の考え。
昔から他人が私と会話をする時は、私自身ではなく後ろに見える父の影を見ている。大人も、同世代の人間でさえもが媚び諂う。それにうんざりしたのはいつからだったのか、もう覚えてもいない。明確な出来事があったわけでもなく、ただ嫌気がさした。
父の事は嫌いではない。むしろ尊敬をしているし、育ててもらっていることに感謝もしている。
中学は私立ではなく、公立を選んだ。私立よりも、うっとおしい人種がいないだろうと考えたから。結果から言えば、思ったほどいなかったけど、いるにはいた。
こんなものかと思って1年生を過ごし、2年生になった。
そんなある日―――、彼を見つけた。
私は廊下を歩いていた。少し先で、男子生徒3人が立ち止まって会話をしている。それを目にしたのは、たまたまだった。会話を終えた男子生徒の1人が2人と離れた瞬間、表情から色が無くなる。私の心が大きく揺さぶられた。
初めて他人に興味を持った。彼の眼にどこか自分と同じ匂いを感じたから。どうして私と同じ匂いを感じるのに、彼は他人とあんなに笑顔を作って接しているのか。他人を切り捨てる私とは真逆の生き方をしている理由を知りたくなった。
それから、彼の名前が「水本悠斗」ということ、学年や部活のことや、どうやら普通ならこの中学には入らない小学校の出身であることを知った。知れば知るほど、興味が湧いた。
だから、彼を私の傍に置くことに決めた。
その後、少し強引だったけれど、彼を生徒会に入れることに成功した。彼は最初、「役に立ちませんよ」なんて言ったけれど、中学の生徒会の仕事なんてたかが知れているのもあって、仕事は問題なくこなせていた。
彼と関わりを持ち始めて数ヶ月。彼が私の事を、他の生徒と同じように“先輩”と呼ぶことに不満を感じるようになった。
「ねぇ、私を先輩と呼ぶのをやめにしない?」
「はい?じゃあ橘さんですか?」
「それでは距離が開くでしょう…。特別に下の名前で呼ばせてあげる」
「…それはちょっと」
今日まで彼と過ごしてみてわかったことが1つ。意外と押しに弱い。
「代わりにあなたのことも悠斗君と呼んであげる。どう?」
「交換条件になってません」
「いいじゃない。私の申し出を受け入れた仲でしょう?」
「微妙に誤解を生みそうな言い方をしないでください。あと、“受け入れた”じゃなくて、“受け入れさせられた”ですよ…」
「で?ダメなの?それでも私は勝手に悠斗君と呼ぶけど」
「…わかりました、茉梨奈さん」
彼との時間は心地良かった。彼は私自身を見て話してくれる。話していくうちに、考え方を知り、彼を理解していくのが楽しい。
私達の学年が1つ上がり、生徒会の任期が終わる頃。私はずっと気になっていたことを悠斗君に尋ねる。
「ねぇ、悠斗君」
「なんですか?」
「どうして、この中学を選んだの?」
「………」
彼の表情が曇る。きっと、彼にとって大きな出来事があったことは予想が出来ていた。それでも、知りたかった。もう私にとって、彼は『特別』だったから。
「悠斗君にとって、私はまだ信頼出来ない人間?」
「それは…」
「私は、悠斗君のことを信頼してるわ。唯一と言ってもいいかもしれないくらい」
少し誤魔化してしまった。間違いなく、唯一の存在。
それから彼は、過去にあったことをポツポツと語り始めた。彼の取った行動を、否定も肯定もせず、ただ聞くことだけしかできなかった。わかったのは、醜悪な人間がいたこと、彼の家族が味方だったこと、そして大切な人がいたこと。
いや、“いた”という言い方は間違っている。彼の中で、まだ大切なままだと察した。それを押さえつけているだけで…。
それに気付いた時、胸が痛かった。また初めての感覚。これが嫉妬だと理解するのに、そう時間はかからなかった。
でも、諦めたり、離れたりする選択肢なんて私には無い。彼が進学するつもりの高校を受験し、合格した。来年、もしかしたら彼がこの高校を選ばない事があるかもしれないと考えもしたけれど、その時また考えれば良いと思った。
1年後。彼は無事に彩天高校へ入学してきた。
しかし、入学式が終わって私の下に来たのは、彼の友人である久木君と槙野さんの2人だけ。この2人とは悠斗君の紹介で知り合ったけど、彼の友人というだけであって良い子達だと思っている。でも、彼がいないことに私は苛立ちを覚えていた。
「で、悠斗君は?」
「えっとー、悠斗は…」
「クラスの女の子と、どっかに行っちゃいました」
「香菜!?」
「…へぇ」
槙野さんの言葉を聞いた瞬間に苛立ちが最高潮に達したのを自覚する。
次の日も挨拶に来なかった。メッセージでいつ来るのか聞いてみても『あー、少し立て込んでまして』だとか曖昧な返事しか返ってこない。
こちらから彼に会いに行くという考えは真っ先に浮かんだけれど、なんだか負けの気がしたので、それは嫌だった。だから、嫌でも私を意識させるために、絶対に私が目に入るようにすることにした。
普段なら絶対にしない、行事の司会進行役を請け負うことにした。
壇上に上がって新入生の列から彼を見つける。一番前なんてわかりやすいところにいてくれて助かった。しかし、彼はちっともこっちを見ようとしない。さすがに我慢の限界だった。
その日の放課後。彼の教室の前で、彼を待つ。上級生がいるのが珍しいか、周りが騒がしい。でも、今そんなことはどうでもよかった。
すると、彼が出てきた。すぐに目が合う。
「げっ」
よりにもよって第一声が「げっ」とはいい度胸をしている、と私はイラッした。
私は今までの鬱憤を晴らすように彼に言葉を浴びせる。生徒会室でのやりとりを思いだして、少し懐かしく感じていた。
しかし、それはすぐに遮られた。
「あ、あの!」
突然の横入れに、不快感が表に出る。
その女子生徒を黙らせるように会話を続けると、彼が助けるように割って入って来た。ものすごく違和感を覚えた。でも、すぐに理解した。彼女こそが、彼の“大切な人”なのだと、今になって再び彼の前に現れたのだと気付いてしまった。
今更どうしてと、思わずにはいられなかった。
遊佐倖楓と名乗った彼女は、私に対して一歩も引かない。それもまた、初めての経験だった。
お互い譲らずに、3人で話すことで妥協した。
彼女と話をしてみると、益々苛立ちが募った。私の知らない彼を知っている彼女に。そして、そんな彼女を見る彼の眼に。
思わず言うべきでないことまで口走りそうになり、彼を怒らせてしまった。
認めたくなかった。私では彼女に勝てないなんて…。
2人を見ているうちにわかってしまった。彼の隣にいるべきなのは誰なのか、本当は彼が誰の傍にいたいのか。
彼を生徒会にもう1度誘ったのは、悪あがきだった。心のどこかで、またあの時間を求めていた。私を選んでほしかった。
―――でも、彼は選んではくれなかった。
それなのに、彼が隣にいること、優しさを向けてくれることに我慢が出来なくなってしまった。心には逆らえなかった。
「好きよ」
―――心からの告白だった。諦めでもあり、祈るような告白。ただ私が伝えたくなっただけの、独りよがりな告白
私の告白を聞いた悠斗君は、どう受け止めるべきかわかっていないような顔だった。
でも、彼の気持ちはわかってる。だから、答えはいらないと思った。
「返事はいいわ。私が言いたかっただけだから…」
これが私の精一杯の強がり。
それなのに、彼は首を振った。
「いえ、ちゃんと俺も言います。というか、言わせてください」
聞きたくないような、聞きたいような、不思議な気持ち。でも、私に真剣に向き合ってくれていることに嬉しさを感じてしまっている。単純だと自分で思う。
「…俺、好きな人がいるんです。まだ、その子とどうなりたいのか、自分でもハッキリしてないんですけど」
彼が心からの言葉を絞り出しているのが伝わってくる。
「でも、大切に想ってます。だから、先輩の気持ちには応えられません」
彼が私の眼を見つめる。私が好きになった彼の眼。
ああ、私の恋は終わったのだと、心が理解する。
「…そう。同じ人に1日で2度もフラれるなんてね」
「それは…、すみません」
「…ごめんなさい、今のは意地が悪かったわね」
「いえ、そんなこと…」
少し気まずい。でも、きっと悠斗君となら大丈夫。そんな自身がある。
拍手が聞こえてきた。ステージでのパフォーマンスが終わったようだった。
もうすぐ2人きりは終わり。
だから、最後にこれだけは――
「悠斗君」
「はい」
「これからもよろしくね」
「もちろんです」
今までと変わらない笑顔で、私達は言葉を交わした。
「橘先輩、大丈夫ですか!?」
「すみません、俺も気が付かなくて…」
観覧スペースから戻ってきた槙野さんと久木君が私を心配してくれる。
「ええ、平気よ」
ふと、遊佐さんを見ると、少し暗い顔をしていた。原因が何か、私は気付いている。
私達は、電車が混み過ぎる前に帰ることになった。
今は改札に向かって5人で歩いている途中。まとまって歩いてはいるものの、遊佐さんだけ1歩後ろを歩いている。
私は少し歩くペースを落とし、遊佐さんに並ぶ。すると遊佐さんは少し驚いたような顔をした。
私は、遊佐さんにだけ聞こえるように話しはじめる。
「私、彼に告白したの」
「………」
遊佐さんは何も言わない。
「それでね、フラれたわ」
「…え」
ようやく表情だけでなく、声にも驚きが現れた。
私と悠斗君が話をしている時、観覧の人混みから遊佐さんが出てきたのが、私には見えていた。
遠くからだったから、話の内容まではわからなかったのだと思う。雰囲気で言えば良い風に見えたのだろう。合流してその表情を見た時、きっと遊佐さんはショックを受けたのかもしれないと思った。そんなことで、悠斗君と気まずくなってほしくない。
「私じゃダメだから、あなたに任せるわ」
私からの精一杯のエール。悠斗君が幸せになるために、彼女の存在が必要だとわかっているから。
遊佐さんの顔に、力強さが戻ってきた。これできっと大丈夫。
「はい!任せてください、茉梨奈先輩!」
突然名前で呼ばれて驚いてしまう。でも、不思議と不快ではなかった。
だから―――、
「ええ、お願いね。倖楓」
ただ、大切な人が幸せになれることを願って―――。
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