6-2.


「だから貴方もプライドは捨てなさい。公爵という地位にしがみつきたいなら。」


 

 マーガレットは無表情で冷たくロイドに言い放つ。

 

 マーガレットに言われても尚、ロイドはプライドを捨てきれずとても渋い顔をしていた。



「その・・・どうやって、聖女様の様に笑う事ができるのですか?」


「簡単よ。」



 マリーベルはロイドの顔に手を伸ばし、両手の人差し指をロイドの唇の両端に指を置いて広角をぐいっと上に少しあげた。



「口の形をそのままキープする事。」



マリーベルの指で無理矢理上げられた口角で口だけは笑っているように見えるロイド。


 ロイドはマリーベルのまさかの行動に顔を真っ赤にした。



「ふふ、愛想が良い笑顔ではないけれど仏頂面の氷の貴公子ではなくなったわね。とりあえず今日はそのぎこちない笑顔で許してあげる。」



 慣れない笑顔に引き攣っているロイドにマリーベルは可笑しくてクスクスと笑う。



「か、からかわないでください!」


「ごめんなさい、だって可笑しくって。」



 マリーベルに遊ばれていると分かったロイドは真っ赤な顔で怒り、それを見てマリーベルは更にクスクスと笑う。


 そうこうしているうちに馬車は王宮の近くまで来ていた。



「あと一つ、2人にはお願いしたい事があるの。」



 友好関係を広める為に媚びを売る以外にやって欲しい事とは何だと、ロイドとマーガレットは息を飲んだ。



「これからは私の事は聖女ではなく名前で呼ぶようにお願いね。」



 意外なマリーベルからのお願いに2人は肩透かしを喰らったがその内容に徐々に困惑していった。



「聖女様ではなくマリーベル様と?」


「様もいらないわ、ロイドもお義母様も私の事をマリーベルと呼んでほしいの。今からパーティーが終わった後も屋敷でもずっとね。」


「私にはとても聖女様を呼び捨てには・・・。」


「わたくしも、いきなり聖女様を呼び捨てになどできません。」



 困ったようにマリーベルを見るロイドとマーガレット。



「あら何故?リズさんの名前は呼べるのに私の名前は呼べないの?私は将来家族になるのに。」



 リズの名前が突然出てきてロイドとマーガレットの心臓が跳ね上がった。


 それは2人が以前リズの事を想った故にマリーベルに酷い仕打ちをしてしまったからだ。

 だからマリーベルに申し訳なく思いリズの名前を聞くと後ろめたい気持ちから心臓が大きく動いた。



「一緒に暮らしてるのにいつまでも婚約者を他人行儀に聖女様なんて呼ぶのは可笑しいでしょ?他の貴族の皆様の前でそんな呼び方をされてしまうと明らかに王命で嫌々婚約させられて不仲だと思われてしまうわ。皆様のいい噂のネタにはなりたくはないでしょう?だから今から私をマリーベルと名前で呼びなさい。ついでに敬語も辞めてくれると嬉しいわ。」


「「・・・・・。」」


 

 ロイドとマーガレットは困惑していた。


 2人はマリーベルに対して償いの気持ちと聖女迫害の罪による弱味から服従の気持ちはあっても、親しい間柄のようにマリーベルの名前を呼び捨てで呼ぶには抵抗があるのと心の余裕がなかった。


 将来家族という間柄になるのは分かってはいるが、服従は誓っても心の奥底にあるマリーベルに抵抗する気持ちから、無意識に出る心の壁がマリーベルを親しく呼び捨てで呼ぶのを拒否していた。



「あら?私を呼び捨てで呼ぶ事がそんなに困る事?」


「「・・・・・。」」



 マリーベルは無言でいる2人を不思議そうに見つめた。


 そしてマリーベルは微笑みを消して2人を冷たい目で見据えた。



「無茶な要求をしているつもりではないと思うのだけれど。」


「「・・・・・。」」



 何も答えず困っている2人にマリーベルは内心イラついてきた。



「ねぇ。」



 空気が冷たく張り詰める。



「少しは私に媚びる努力をしたらどうなの?」



 2人はマリーベルの言葉に固まった。



「貴方達は弱味を握られている癖にいちいち説得しないとダメなのかしら?わがままを言って私を困らせないでくれる?」



 2人の心に冷たい風が吹いた。


『少しは努力をして食べたらどうですか?』『とにかくわがままを言って使用人達を困らせないでくれ。』『わがままを言うのは辞めなさい。』


 マリーベルのその言葉はいつかの夜にロイドとマーガレットがマリーベルに言った言葉が入っていた。


 その言葉をたった今マリーベルに言い返されたのだ。


 ロイドとマーガレットはその言葉を言われて怒りが沸いたが、その怒りを直ぐに抑えた。

 そして自分達がいかにマリーベルに酷い言葉を言っていたかを思い知らされた。


 唇を噛んで押し黙るロイドと目を伏せるマーガレットにマリーベルはため息をついた。



「とにかく私の言う通りにしなさい、これは命令よ。」


「「・・・・・。」」



 2人は反応する事なく無言でいる。

 


「やっぱり、嫌いだわ。」



 呆れたようにそう呟やいたマリーベルの言葉にロイドの肩がビクリと揺れた。


 重い空気のまま馬車は王宮に到着した。

 

 マリーベル達3人は馬車を降りて豪華な王宮に入っていく。


 そしてマリーベルはロイドの腕に手を回してエスコートされながら、久しぶりの王宮の長い廊下を歩く。



「ロイド顔。さっき言ったばかりなのにもう忘れたのかしら?」



 落ち込んで険しい表情になっていたロイドはマリーベルの言葉にハッとして無理矢理口角を上げて下手くそな笑みを浮かべた。



「(ロイドに新しいお友達は期待しない方が良さそうね。)」



 引き攣った笑みのロイドを冷めた目で見るマリーベル。

 マリーベルはそれ以上何も言わず前を見ていつもの様に美しい微笑みを貼り付けた。


 廊下の奥へ進んで行くとパーティー会場である玉座の間の扉の前に来た。

 扉の前にいる2人の男性の使用人がマリーベル達を見てゆっくりと扉を開けた。

 

 そしてマリーベルとロイドは同じ歩幅でゆっくりと扉を潜った。







 話はマリーベル達が会場に着く少し前になる。


 スミレ色のシンプルだが美しいデザインのドレスを纏ったリズ・アージェントは会場内でキョロキョロとロイドを探していた。


 リズ・アージェントは焦茶色のストレートロングの髪と、髪と同じ色の瞳を持つ素朴な可愛さのある少女だ。


 ロイドの華やかな容姿と比べると地味に見えるが、リズは清楚な可愛さのある少女でロイドがプレゼントしたスミレ色のドレスはとても彼女に似合っていた。


 まだ王宮に到着していないロイドを探すリズ。

 今のリズの頭の中は愛しいロイドの事でいっぱいだった。



「(ロイド、ロイド、ロイド。)」



 ある日突然愛する人との婚約を白紙にされたリズ。

 王命だからと言えど、到底納得できるものではなかった。



 2ヶ月前のあの日からリズ・アージェントの悲劇は始まった。


 あの日、リズは部屋で大好きな読書をして過ごしていると暗い顔をした父である伯爵が部屋にやって来た。


 話があると暗い顔で言う父にどんな話だろうかと疑問を抱きながら父の後ろを付いていき、客間に連れて行かれるリズ。


 客間には母である伯爵夫人と婚約者のロイドと見知らぬ貴族の細身の中年男性がいた。

 リズはソファに座っているロイドの姿を見て、最近領地の事で忙しくて会えていなかったロイドに久しぶりに会えた事で喜びの声を上げそうになったが、客間の重苦しい空気を察したリズは喜びを抑えた。


 そして細身の中年男性はリズを見ると、持っている巻き物を開いてその内容を読み上げた。



「え?」



 細身の中年男性は大臣の1人であるガロン伯爵でガロン伯爵が読み上げた内容にリズは耳を疑った。

 そして自分の聞き間違いであって欲しいと思った。


 巻き物の内容は『王命によりハーレン公爵は聖女マリーベルの婚約者となり学園を卒業後は婚姻を結ぶものとする。尚、ハーレン公爵とアージェント伯爵令嬢との婚約は白紙のものとする。』というリズには信じられない内容となっていた。



「という事で公爵と伯爵令嬢の婚約関係が白紙になったのでお2人には婚約していたという事実が記録上は無くなっております。今後は国から多額の慰謝料と令嬢がお気に召す新しい婚約者探しに私共が協力させて頂きますので。」


「なんでですか?これは夢ですか?本当ですか?」



 リズの中で何かがガラガラと音を立てて崩れていく。

 リズは足元がふわふわとして地にしっかりと足が着いていない感覚がした。

 

 ガロン伯爵は現実を受け止めきれないリズを同情の目で見つめた。



「アージェント伯爵令嬢、貴女に同情しますがこれは現実です。貴女の元婚約者であるハーレン公爵・・・否、ハーレン公爵の元婚約者という事実も王命によって消えたのです。ギルフォード殿下が新しい婚約者をお決めになった事で今まで婚約者だった聖女様を哀れに思い、自身の代わりにハーレン公爵を聖女様の婚約者にして差し上げたのです。」



 言っている言葉は分かるのに内容が到底理解出来ないリズは唖然としていた。



「婚約者にして差し上げたって・・・ロイドは私と婚約しているのですよ?なんでロイドが聖女様の婚約者になる必要があるんですか!話が可笑しいです!身勝手です!理不尽です!」


「それはギルフォード殿下がハーレン公爵を1番信頼しているからでしょう。だからこそ大切にしていた聖女様をハーレン公爵の婚約者にしたのです。」


「いくら信頼しているからって、そんな馬鹿な話がありますかっ!」


 

 リズの言う事は最もである。


 苦しそうに顔を歪めるリズにガロン伯爵はため息をついた。



「知りませんよ、尊き御方達の考えは私共にはね。そして王命とはそういう物なのです。貴女が理不尽とお考えなのは仕方ない事ですが、これ以上の王命に対する不敬な発言は王族への侮辱罪に当たりますよ。」



 ガロン伯爵の言葉にリズは悔しそうに言葉を飲んだ。



「私はただ王命をアージェント伯爵令嬢に伝える為だけに仰せ使わされただけですが、大臣の1人として先程からの貴女の王命を受け入れられないという言動は無視できません。ですが、今回は貴女への同情心で見なかった事にします。」



 遠回しにそれ以上は余計な言葉を口にするなとガロン伯爵に釘を刺されたリズ。

 そしてリズは先程から黙ってソファに座っているロイドに縋るような視線を送った。



「ロイド・・・(何か言って!このままでいいの?私は貴方と離れたくない!貴方が私以外の誰かと結ばれるなんてイヤ!このままだと私もロイドも別の人と結婚させられるのよ?私はロイドとずっと一緒にいたいのに!)」



 王命に逆らうような言葉を口に出す事はできないので、視線でロイドに想いを訴えるリズ。



「リズ。」



 ロイドはソファから立ち上がりリズの肩に優しく手を置いた。



「(お願い!殿下を説得するから大丈夫だと言って!プロポーズ通りに1年後には結婚式を挙げて家族になれるから大丈夫だよって!)」



 リズは泣きそうな顔でロイドを見上げた。



「すまない。王命には逆らえないんだ。」



 ロイドの目はスカイブルーの綺麗な青の筈なのに、リズには暗く澱んだ色に見えた。


 リズは絶望してその場にへたり込んだ。

 リズの見開いた目から一筋の涙が頬を伝う。



「そんな・・・・・。」



 ガロン伯爵はゴホンと咳をし部屋にいる者達を一括した。



「では、これにて私は失礼させて頂きます。くれぐれも王命に不満がある様な言動は控えください。そして駆け落ちなどという馬鹿な考えも辞めてくださいね。王命に逆らったら死刑になる事さえあるのですから。」



 ガロン伯爵が部屋を出て行くとその後ろをロイドも付いて行く。

 ロイドが部屋を出る瞬間、横目でチラリとへたり込んでいるリズを見た。



「すまない。今までありがとう。」



 ロイドが扉を閉めると扉の向こうからリズが大きな声を上げて泣いている声が聞こえた。


 ロイドは直ぐにでも抱きしめて慰めてあげたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢してその場から離れた。



 それからリズは2ヶ月間をほとんど泣いて過ごしていた。


 悲しみのあまり食事は喉を通らず、寝るとロイドと婚約白紙にされたあの日を何度も夢に見てうなされて真夜中に飛び起きては、泣き疲れて眠るまで声を上げて泣くのだ。


 学園へ行く気もおきず、リズはずっと泣いていた。

 家族や屋敷の者達が心配する程にリズはロイドを想いながらずっと泣いていた。



「生きている事がこんなに苦しいなら死んだ方がマシかもね・・・。」



 それ程までにリズは深くロイドを愛していた。

 ロイドが他の人と幸せになる未来なんてイヤだった。



「貴方が側にいない人生なんて・・・。」



 毎日が悲しくて悲しくてリズは胸が押し潰されそうだった。

 

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