5-2.
私はニイナと手をつないで広間に行くとギリギリ始まる時間で、お母様に遅いと怒鳴られた。
名残惜しいけどニイナには給仕の仕事があるので手を離す。
私とお母様以外に会場にはお祖父様とお父様とアイリスがいた。
お祖父様とお父様は手慣れたように会場にいらしたお客様と会話をし、アイリスはテーブルの上の食べ物を既に食べ始めていた。
アイリスは服を交換したことがバレてしまい、私のせいで大目玉を食らってしまったので、さっきからずっと私を睨みながら食べてる。ハハッごめんね。
お母様と私は来てくれたお客様に挨拶をするのだが・・・。
「アンタどういうつもりなのよッ!?」
「・・・・・。」
挨拶のやり方とかマナーが吹っ飛んでいた。
60年ぶりの貴族のマナーなんて忘れるに決まっている。
「(だって必要なかったし、忘れるに決まってるわよ。)」
書庫の中でお淑やかに過ごせる訳がない。
汚い床にあぐらをかいて片手に本を読みながらもう片手でパンをかじるなんて、貴族の令嬢なら有り得ない行儀の悪さで書庫で過ごしていたんだから。
それに書庫にマナー本なんてなかったことが、尚更私からお淑やかさを奪っていった。
だから、お母様が熱が出るまでは完璧だったのになんで今出来ないのよ!と怒鳴られてもどうしようもない。
お母様には3週間前は完璧令嬢の私だったかもしれないけど、私には60年ぶりの貴族の御令嬢なのだ。
そりゃあ忘れるわ。
ちなみに汚い言葉とか口の悪さは主に書庫のドア越しに城の使用人達に罵倒されて覚えた。
多分王妃教育で学んだことも吹っ飛んでると思う。
「なんでお客様の前でただ突っ立てるだけなのよ!」
私はカーテシーをし忘れて突っ立ていたら「ローズ!あいさつ!」と言われて数秒経った後に、朧げに思い出して、60年間ぶりのカーテシーをしたらなんか違ったらしい。
お母様もお客様もえ?って顔になってた。
「あれ?こんな感じじゃなかったっけ?」
カーテシーってスカートの裾持ってちょこんと挨拶すればよくない?
「アンタ治ってないじゃない!パーティーが終わったら覚悟して起きなさい!」
お母様はまだ熱の影響で頭がおかしくなっていると思っているみたい・・・そう思ってくれた方が都合が良いけど。
パーティー終わった後が怖いんですけど。
「ここはもういいから隅っこで大人しくしていなさい!」
「わーい!」
私は食べ物のあるテーブルに走っていった。
後ろからお母様の怒鳴り声が聞こえるけど知らない。
だけどお母様と一緒にする大人の貴族への挨拶はしなくてよくなったのに、子どもの貴族がたくさん寄ってきた。
「ローズ様!お誕生日おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございますわ。」
お友達だった御令嬢達が私を取り囲んでプレゼントをくれた。
令嬢達のカーテシーをマネしてそれとなくやってみるけど、どこかぎこちない。
令嬢達は私が病み上がりだというのを聞いていたので、無理をしているから動きがぎこちないと思ってるようだ。
そしてお友達だった令嬢達は、私が断罪された時に笑って助けてくれなかったので、無理矢理作った笑顔がぎこちなくなっていた。
あの男の側近の令息達何人かと挨拶すると、もうすぐあの男が現れると思うと身体に力が入る。
《キャ~!》
令嬢達が黄色い歓声を上げた。
「(来たっ!)」
あの男が会場に現れた。
「ローズ・ボアルネ嬢、やっと君に会うことが出来たよ。」
ゆっくり振り返るとそこには、私の人生を奪い不幸にした男。
ルイス・ヴェルフェルムがいた。
「はじめましてボアルネ嬢。貴女に会える今日という日を心待ちにしていました。」
好意的な笑顔で話しかけてくるルイス様。
「(あれ?前世とは違う?)」
前世の時と違う様子に拍子抜けしたが、慌てて挨拶をした。
「は、はじめまして殿下!今日はこのような場に来て頂きありがとうございます!」
下手くそなカーテシーをして頭を下げる。
彼と目を合わせたくなくて、下を向いてギュッと目をつむった。
「そんなかしこまらないでくれ。君と私は今日から婚約者となり、いずれは夫婦として一緒にこの国を支えて行くのだ。だから気軽に僕のことはルイスと呼んで欲しい。愛しい婚約者の君のことはローズと呼ばせてもらうよ。ローズ、君のことを一生大事にするよ。何よりも誰よりも。」
「(は?)」
私はまさかの信じられない言葉に固まった。
金髪に碧眼の目の前の少年は美しい笑みを浮かべている。
「(聞き間違い?嫌すぎて幻聴でも聞こえているのかしら?)」
令嬢達から黄色い声が上がる。
私は口を開けて固まっていた。
まるでプロポーズ紛いの言葉に思考がついていかない。
てっきり私を傷付ける言葉を吐くかと思って身構えていたのに、予想外の意外な言葉に混乱した。
「ローズ?どうしたのだ?」
「ッ!!」
突然顔を覗き込まれて、視界いっぱいにルイス様の顔があったので、びっくりして後ろに倒れてしまった。
「大丈夫かローズ!!?」
「だ、大丈夫、です・・・。」
ルイス様が床に尻をついている私を起こそうと手を掴んだ。
その瞬間。
私の体温が一気に下がり、心臓は早鐘を打ち、ガンガンと耳鳴りは激しく、全身の毛穴から汗が吹き出した。
『あはっ!身体が拒否してる!』
無邪気な女性の声が聞こえた。
そして目の前に薄汚れた紅〈アカ〉が映る。
『もしかして好きになっちゃった?』
汚い紅が私の耳元で囁く。
『違うわよねぇ。1回目の人生と違う出会いだからびっくりしちゃっただけよねぇ?』
汚い紅は私の手を掴んでいるルイス様の首に手をかざす。
『早くこの男を殺すの!じゃないとまた同じように書庫に閉じ込められるわよ!』
汚い紅は、床につく程の真紅の長い髪。
ボロボロで所々破れたりほつれたりしている真紅のドレス。
そして真っ赤に燃えるようにギラギラ光る真紅の瞳。
頭から爪先まで埃と垢に塗れたガリガリの恐い顔の女。
その汚い紅は、書庫の幽霊王妃だった。
『アンタに耐えられる?2回目の人生も書庫で送るなんて?へへっ、へへへへへ。』
壊れたように笑う書庫の幽霊王妃の姿は、私にしかみえない脳内が映し出す幻だった。
私にしか見えない彼女の幻は私とルイス様の周りをスカートを翻してくるくる回る。
ルイス様に手を掴まれた一瞬。
私の世界は止まり彼女が語りかけてきた。
「ローズ顔色が悪いが大丈夫か?」
ルイス様は私を心配そうに見つめる。
「申し訳、ございません。殿下にお会いしたら緊張や、驚きで、胸がいっぱいで・・・。」
「ルイスでよい。初対面の女性に口説くような事を言って、驚かせてしまった僕が悪いのだ。すまない。」
「い、いいえ・・・。」
「そうだローズ。君に喜んでもらいたくて君の為にプレゼントを選んだのだ!受け取ってくれないか?」
ルイス様は私の目の前にプレゼントを差し出した。
そのプレゼントは前世と違う色のプレゼントの赤の箱にキラキラした真っ赤なリボンがついていた。
私はプレゼントを受け取ろうとした。
『2回目の人生の王太子は優しいわねぇ。初対面のアンタを罵倒もしないし、プレゼントも投げない。プレゼントはアンタの為に選んだとか言っているし、2回目は素敵な人生が送れそうね!』
プレゼントを受け取ろうとした瞬間に、またしても私の中で時が止まった。
彼女は後ろから私を抱きしめて、耳元に黒く汚れたガサガサの唇を近づけた。
『本当にそう思ってる?』
彼女は愉快そうに笑う。
『思ってないわよねぇッ!出会いが良くてもあいつはあいつなのよ!無理よねぇッ!出会いは良くてもこの後の人生何が起こるのやら・・・今度は処刑されるかも!キャハハ!』
下品な笑い声の書庫の幽霊王妃は床の上で腹を抱えて笑っている。
『あー・・・面白い。ニイナに絆されて甘ちゃんになったアンタには、もう一度思い出させてやるわよ。アレを見て。』
彼女が指を差した方向にいたのは、1人のみすぼらしい格好の老女だった。
晩年の私だった。
『見てアレ。17歳の頃に着ていたお気に入りの真っ赤なドレスに破れた所を古いカーテンを継ぎ足して、穴が空いた所には別のカーテンの布で模様みたいにしてずっと60年間私物のドレス3枚と汚いカーテンで作ったドレスを着回していたのよ!かっわいそー!涙が出てくるわね!』
穏やかに笑みを浮かべる晩年の私は、つぎはぎだらけの汚れたドレスを身に纏っていた。
『しかも晩年のアンタは心が壊れていたんだから笑っちゃうわ!だから死ぬ1ヶ月前の貴重な1ヶ月をあの男と過ごしたのよ!アハハおっかしー!死ぬ前の1ヶ月間すらあの男のいいようにされるなんて!』
私は長年の監禁生活と歳を取った影響で心はすり減り、晩年は何も感じなくなっていた。
『そうなっても仕方ないわよね!アンがいたとしてもあんな場所で暮らしてずっと正気を保つなんて無理だもの!だってあの膨大な数の本を5巡する程に膨大に暇な時間があったんですもの!あんな所でアンタは自分を保っていた方よ!褒めてあげるっ!』
晩年は喜びも悲しみも怒りも感じることなく、アンに話かけられたら話を返し、アンが渡してくた私のお気に入りの本をゆっくり読んで心は常に一定で何も感じることなく穏やかに過ごしていた。
『馬鹿なアンタは書庫のドアの鍵が開いていて、折角60年ぶりに書庫から出れたのに。外に出て自由の空気を感じる事なく、たまたま見つけたあの男の部屋で、床に伏しているあの男に物語っ!完全に壊れてるじゃない!あんな事した相手に異常よ!アーハッハッハッ!』
私だって。
今考えてもあり得ないと思っている。
あの時の私は頭が正常に働かず、目の前の憎い男を
【この国で1番偉い人。だから下の身分の私は王様を敬わなければならない。】
と、下の身分として王様を見舞いしようと、あの男の部屋に1ヶ月間も通った。
そして死んだ。
私は壊れていた。
目の前の男が憎い男だとわからないぐらいに。
穏やかに壊れていた。
『まっ、死ぬ寸前に正気に戻って自分の不幸な人生を振り返れたみたいだけど・・・思い出した?アンタの恨み。どんなに今の王太子が優しくたって無理よね?だってあの男だから・・・。』
忘れる訳がない。
忘れる訳がないじゃない。
『ねぇ、私を見て。』
床に横たわり、凄く伸びた長い髪が一面に散らばり、汚れた紅の書庫の幽霊王妃は死にかけていた。
『アンタもこうなりたい?』
痩せこけたギョロりとした紅い目で私を見た。
「イヤァアアアアアアア!!!」
私は頭を抱えて絶叫した。
頭がガンガンうるさい。
ギリギリと頭が痛い。
息が苦しい。
「ローズどうしたんだ!!?」
「イヤァ!!」
私は伸ばされたルイス様の手を払いのけてその場から逃げ出した。
どこ逃げればいいか分からず、どこにも逃げられない。
私は屋敷の外の茂みに隠れた。
「憎い!悔しい!なんで、なんで、私がこんな目に!」
前世の出会いの様に嫌な事をルイス様にされなかったのに、書庫の幽霊王妃の幻が見えて書庫に監禁されていた恐怖が一気に蘇った。
汗でドレスはくっついて気持ちが悪い。
涙と鼻水で顔はベタベタで呼吸がしにくい。
「大丈夫なんかじゃないじゃない・・・アン、アン、助けて・・。」
私は地面が土であることを気にせずうずくまった。
「こんな所にいたのか。」
声がして顔を上げるとお父様がいた。
「お父様・・・なんで助けてくれなかったの?」
私は気を失った。
next→6.再会の代償
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