男女の友情は紙より薄い
月波結
第1話 友情は恋に昇華できるのか!?
スクランブル交差点を見下ろすマクドナルドの二階席。窓際の席には二十代のまだ学生に見える男女が座っている。
◇ ◇ ◇
「あのさァ」
「うん」
話を聞いている彼の大きな口はバクリと食べたビッグマックで満たされて、その返事はくぐもって聞こえた。しかし、彼女はそんなことは気にせずにいつも通り、話を続ける。
「あのさァ、今さら言い出しにくいんだけどね」
彼女は窓の外の人波に目を向けた。いまは信号が青に変わって、みんな、早足で横断歩道を渡っていた。
天気は薄曇り。パッとしない。
「言い出しにくいことは別に言わなくてもいいよ。気にするなよ」
「そういうわけにはいかないよ」
「そう? じゃあ聞くからどうぞ」
どうぞって言われたってね······と彼女はまた目線を外に向ける。手に持つコーラ0のカップはすっかり結露していて手がびしょ濡れになる。紙ナプキンを畳んでコースター代わりに使う。
「あのね、――わたしたち、付き合ったらどうかなと思ったの」
彼の耳には最初、彼女の言葉が右から左に通り過ぎていくように感じた。そうしてその言葉たちはもう一度耳の中に帰ってきて、今度は一言ひと言分解されて脳に吸収されていった。
マックフライポテトに伸ばした指はとりあえずしまった。
「どうしたの、急に。これは僕が
「違うの。そういうわけじゃないの。確かにいきなりわたしが
「······付き合いたいの? よりによって僕と?」
「付き合いたいっていうかさ、だって······」
ふたりとも口をつぐんでしまった。お互いに半開きのままの口は次の言葉が上手く出そうにない。『途方に暮れる』という言葉が似合っていた。
「付き合いたいっていうかさ、そのー。だってわたしたち、ずっと長くいるじゃない? 二年前に彼と別れた時に相談してからずーっと一緒だったでしょう?」
「そうだね。僕が一年半前、歯科衛生士だった彼女と別れた時には知花との浮気を疑われたしね」
嘘、と彼女は口を押さえた。その時まで知らなかった事実を突きつけられて、動揺したからだ。
反対に彼はふっと余裕のある顔をした。どうやらそんなことはもう吹っ切れてしまったらしい。
彼女は下を向いてペーパーで口の端を丹念に拭うと、ぽつり、と言葉を落とした。
「そうなんだ。知らなかった、ごめん」
「いいんだよ、もう。その時は疑われたってことにムカついたけど、確かに知花と話してた時間はあの子と話してた時間より長かったし、そういうのが段々、彼女との関係を悪くしていったとは思うよ。でもさ、知ってると思うけど別れた原因は別にあるから」
「あー」
それはわざわざ口に出さなくてもお互いよく知った話だった。
友成の彼女だった歯科衛生士は、収入のない学生の彼を見限った上で、知花との浮気を疑ったふりをして、まるで「わたしがフラれたのよ」という顔で信じられないくらい泣いた。
友成の部屋だったからいいものの、屋外だったら彼に非難の目が集まったことだろう。彼はそこで彼女を諦めた。高校時代から好きだった女の子だった。
友成がまだ学生で収入がないことが原因だったというのは高校の友だち内から回ってきた話だ。確かに社会人の彼女には、学生の彼は子供に見えたかもしれない。遊びに行っても刺激的なところには行けなかったかもしれない。そして同じ歯科に勤める歯科医と付き合い始めたと。
好き・嫌いだけでは付き合うのは難しいことを学んだ。
「でもさ、
「それはそうよ。爆死した友成になにが言えるのよ。わたしが『じゃあ付き合おう』って言ったら簡単に陥落したわけ? 違うでしょう? わたしは友成がそうしてくれたように、友成のグチグチした話を聞くべきだと思ったし、隣で男なのに泣いてくれても全然構わなかった。それは友成が男でも女でも変わらないよ。友だちだからだよ。してくれたことを返したかった」
「ほら、『好き』とかなかったんじゃん」
友成はすっかり氷だけになったコーラの入った紙コップをガラガラ揺すった。ちょっとつまらない、という顔をしたような気がした。雫が垂れて、トレイに敷かれた紙が滲む······。
「うーん、わかんないな。奢ってるわけじゃないけど、いつから友情が『好き』に変わっちゃったわけ?」
知花はあわててマックナゲットをトレイに落とした。友成がペーパーを取って、バカだな、と笑う。知花はしっかりして見えて、実は動揺しやすい。友成から見ればわかりやすいタイプだった。
「『好き』だなんて言ったっけ? ううん、もちろん友だちとして『好き』だよ」
「『好き』じゃないのに付き合うのかよ?」
「······そういうのもありかなぁって思ったんだよ」
「ないだろう、ない。ないよりのない。『好き』じゃないのに付き合おうとか正気? 俺の知らないところで失恋でもしてきたの?」
再び、今度は慎重にマックナゲットを持った知花がバーベキューソースにそれを浸す。バーベキューを食べて、マスタードを食べる。そしてバーベキューに戻る、というのが彼女のやり方だった。
「失恋なんかしてない」
「じゃあどうして?」
「······わたしたちって不自然だなって思って。もう付き合った方がいっそ早いんじゃないかなって」
「そんな理由?」
「いけない? だって性的なことがない他はリア充と変わりないじゃない? クリスマスも誕生日も一緒に過ごしてさ、どうせならわたしは誰かと手を繋ぎたい」
はぁっと友成はため息をつく。
店内の喧騒はガヤガヤした高校生が増えていっそう大きくなった。何人もの高校生が束になって同一規格のトレイを持って階段を上ってくる。
「いいよ、手は繋ごう。お互いほかに好きな人ができるまでな」
「そういうことじゃないよ。いままでだってわたしたちが並んで歩く距離感はただの友だちより近かったじゃない?」
「でも繋がなかった。いや、急いでる時とか、たまに繋いだかもしれない。でも日常的ではなかった」
なにが楽しいのか高校生たちは何の変哲もない、いつも通りのマックのセットを写真に撮り始める。SNSにあとでアップするんだろう。
しかし彼らはとうにそういう時期は過ぎて、場所がこれだけ騒がしくても自分たちだけの静けさを保っていた。
「じゃあ知花さ、俺とセックスできるの?」
知花の目は大きく見開き、口を半開きにして次に出すべき言葉が喉の奥につかえて出てこないようだ。唇が微かに震えている。
「と、友成は?」
「たぶんできる。今日試そうって話になってもやれると思う」
「友だちって言ったじゃない?」
「付き合おうって言ったのはそっちじゃん?」
確かに。確かに付き合うというのはそういうことだ。
知花の中ではただふたりの仲をもうひとつランクアップしてもいいんじゃないか、と思っていたのだけど、付き合うというのはそういうことだ。便宜上『付き合う』のはおかしいことだろう。
「······するの? これから」
「したいの?」
うーん、と唸るしかなかった。なぜなら友成とそういうことをすることになるとは考えてなかったからだ。この二年の間、彼は非常に紳士的だったし、付き合ったとしてもそういう流れがやってくるまでは今まで通りだと踏んでいた。
友成はどうやら男だったらしい。そう思うと急に、彼が野生の獣のように思えてきた。
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