第12章 昭和天皇崩御②

 横井の持っていた箸が一旦止まり、食べ物を口に含んだまま上目遣いの視線が少年を捉える。


「そう。何故なら、この世界に君を連れて来たのは他でもない僕たちだからね」


 その少年の発した言葉に喉を詰まらせそうになった横井は、一度箸を置くとコップに入った水で口の中のモノを流し込んだ。


 この子供は、なにを言ってるのだろう? 冗談なのか、それともまさか真実なのか?

 仮にそれが真実なら一九四五年の日本から、時を超えて一九八九年に来た事になる。そんなおとぎ話が信じられるか?

 そう、これは冗談に違いない。この説明のつかない事象を、横井はそう信じ込ませる事にした。


 では夢か? 否! 頬をつねってみた所で感じる痛みは現実であり、肌を刺すような寒さだって現実のものだった。見た事もない景色、それに目の前の食事は経験した事がないほど美味い。

 それら含め自分の目の前に広がる現状は、まるで未来へ訪れたような世界が広がっている。


 自分たちが『一億玉砕』と叫び死と隣り合わせに戦い敗れ、戦後の焼け野原でまた死に物狂いで生きようとしたあの日本、あの時代では無かった。

 横井は自分の置かれた現実、その答えを見い出せず困惑していた。


 ただひとつ確かな事といえば、今この場所に自分自身の素性を知っているのは、この子供たちしかいない。ならばこの子供たちから出来る限りの情報を引き出そう。


 長い沈黙を破り、開口したのは横井だった。

「もう少しわかるように説明してもらえないかな」


 散々待たされた挙句、結局そんな程度の質問か……と言わんばかりに、少女はつまらなそうに小さな溜息を一つ漏らした。


「貴方、この新聞頂くわね」


 突然、少女は隣のテーブルに座る会社員風の男が読んでいた新聞を取り上げる。同時に何処からか「壱萬円」と書かれた茶色の紙幣を取り出すと、黙って男のテーブルに置いた。

(お金か? それにしても見た事ない紙幣だ)


 子供の取った行動とは言え、咄嗟の非礼に会社員風の男はムッと表情を顕にする。

 しかし顔を横に向け、眼前に飛び込んだ少女の庶民離れした容姿に驚くとポカンと口を開ける。テーブルに置かれた壱萬円札と少女を交互に見較べ目をまん丸くすると、その金をそそくさとポケットへとしまい込み、何事もなかったように黙って支払いを済ませ店を出て行った。


 少女は取り上げたその新聞を、ぶっきらぼうに横井の目の前に放り投げる。

 号外と書かれた新聞に、大きく書かれた見出し。


『天皇陛下 崩御。激動の昭和終わる』


 そして、その日付に横井は目を疑い、新聞に喰らいついた。


 一九八九年(昭和六四年)一月七日


「なに! て、天皇陛下が! し、信じられない。しかも、この日付は――」


 まさか先程の男も仕込みで、この新聞さえも自分を騙す為の巧妙な小道具であるとは信じ難い。

 とすれば、この情報は偽り無いもの。であるなら、今まで見て来た眼前にあるもの全て辻褄が合う。


「天皇陛下万歳!」

 そう言って死んでいった沢山の仲間たち、その天皇陛下の崩御により終わりを迎えた昭和。

 万感胸に迫り静かに目を閉じると、得も言えぬ感情が湧き溢れて来るのを抑える事が出来ない。

 周りに悟られぬ様に声こそは押し殺すものの、何処からともなく流れ出る涙が横井の頬を伝う。


「君が涙を流す理由はよくわからないけど……どうやら、やっと信じてくれたみたいだね」

 その横井の姿を、少年が不思議そうに見つめていた。


 全てを飲み込むと、涙をさっとひと拭いして深呼吸。横井は冷静さを取り戻すと、少女に問いかけた。


「どうやら本当らしい。では何故、私をこの時代に連れて来た? 確か私はあの時……はっ!」


 何かを思い出した横井は、腰に付けたポーチを再び開けると慌てて中を確認する。

「あ、あった」

 余程大切な何かだろうか、安堵の声を漏らすと再び少女に問いかけた。


「私はあの時、この手紙を渡すため呉に来ていた筈、そして彼女と一緒に郊外の森に……」


「あら忘れたの? あの時あの森で貴方がそう望んだのよ。そして私たちにはそれを成し得る力がある。戦争の当事者である貴方に、今の変わり果てた日本を見て欲しかった……きっとそうすれば、私たちが成し遂げたい目的もわかってもらえると思うわ」


「今の変わり果てた……日本を?」


「そうよ、今の日本は本当に貴方たちが命を賭けて救うべき価値があるものなのか……貴方自身の目で確かめてみると良いわ」


「今の日本に価値がある……どういう事だ。日本はあの夏、戦争に負けた。国体が維持出来ず植民地にでもなったのか? なるほど英語の看板や街を流れる歌はそういう事か。いや、待てよ……天皇陛下は今日までご存命であったと言う事は、戦後の日本に一体なにがあったんだ? それに君たちの目的とはいったいなんだ?」


「困ったなぁ……質問は一つにしてくれないと」

 そう言って少年は、先ほど横井がして見せたように頭を掻いて見せた。しかし、その仕草とは反対に困っている表情はなく、普段の冷たい顔のままだった。


「時間はまだ幾らでもあるわ。それも全て貴方自身の目で確かめてみると良いわ。横井哲也、貴方にはそれを知る権利がある」


 そう言うと少し微笑んでいるようにも見えたが、少女もまた今一つ表情を汲み取れない。


「わ、わかった。自分のこの目で見ろ……と言うんだな」


 そう頷く横井の姿を少女は、上から下まで蔑んだ目で舐めるように見ると、微かに顔をしかめたように見えた。

「そうねぇ……その身なりじゃ誰も相手にしてくれないでしょうね。ここに行くと良いわ。きっと貴方の経験と知識は重宝される」


 少女は店にあった紙ナプキンを一枚取ると、その上をサラサラとなぞるように指を走らせ横井に手渡した。ペンを持たない筈のそのメモ書きには何故か不思議と、こう記されてあった。


『江田島 海上自衛隊幹部候補生学校』


「江田島……だと? 江田島と言えば、海軍兵学校ではないか? それに自衛隊とは何だ?」

 その横井の問いに答える訳でもなく、ふたりは立ち上がる。


 先程の茶色い紙幣を十数枚、横井の目の前に無造作に置くと小さく手を振り店の外へと向かう。


「持っておくと良いわ。また機をみて会いにくるわ……その時の貴方の変化が今から楽しみね? 行きましょう、知樹」


「はい、姉さま」


 少年は店の扉を開け少女を先に通すと、その後に従うよう続いて外に出る。

 ふたりが雑踏に消える間際、ハッとして立ち上がり手を伸ばし呼び止める。

「ちょっと待って! 君たちは一体――」


 しかし既にふたりの姿は無く、横井はその咄嗟に伸ばした手をゆっくり戻すと席に腰を下ろす。


 数秒後、誰もいる筈のない隣に不思議と人の気配を感じて振り向くと、確かに店の外へと消えて行った少女が何故か横井の真横にピタリと座っていた。

 氷のような表情を一つ変えず、彼女は人差し指の腹を横井の鼻っ柱にくっ付け揶揄からかうように嗤う。


「うふふふっ……今の貴方には教えてあげないわ。そうそう、知らない時代にひとりじゃ心細いでしょうから、お友達を連れて来てあげてるの。感動の再会を楽しみにしてると良いわ……あははっ、あはははははは」


 口元を手で隠しながらそう高笑いを残し店を出ると、再び賑やかな人混みの中へと姿を消していった。

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