第6章 トラック諸島④

「キャーーーーー! 助けてーーーーーっ!」

 外から女性の悲鳴が聞こえた!


 この軍施設内にいる筈のない女性の声に、室内は一瞬静まり返ったが、しばらくするとバタバタと声の方へ人が集まり出す。


「なんや、なんや。どないしたんや」


 辻岡も野次馬根性で遅れながらも部屋を飛び出し、人集りを掻き分け野次馬たちの最前列へと出る。


 そこには着衣の乱れた現地の民間人女性に、馬乗りで覆い被さる野本の姿があった。

「あ……あいつ、ほんまにやりよった」


 その現場に誰よりも早く到着し、野本と女性を引き離しに向かったのは、なんと道端であった。

 女に重なり倒れ込む野本をそのまま引き摺り起こすや否や、立て続けに顔面、腹部と休む間もなく鉄拳を撃ち込む。


「貴様ーーっ! 帝国軍人ともあろう者が、このような場で民間人を陵辱するとは何事だーーーーっ!」


 もう既に腫れ上がった顔面や裂傷した唇から大量の血を流しながらも野本は必死に訴える。


「違うんです……違うんです……これは、この女が……」

「違うものかっ! ならば内通のもと軍施設内に女を招き入れ、堂々とやってたとでも言うのか! 尚更、言語道断! 恥を知れーーーっ!」


 すると倒れ込んでいた民間人の女性が、乱れた服を直しながら野本を指差し片言の日本語で話す。


「こ、この男に金をやると呼ばれてやって来たら、いきなり乱暴され……」


 その言葉を聞き確信を得た道端は怒り狂う。持っていた短刀の鞘で更に殴り付けようと振り上げた刹那、何者かがその腕を掴んだ。


 その手は道端の腕を掴んだまま微動だにしない。


「こらっ! 離せっ!」

 鬼の形相で振り返る道端。


 そこには三宅の姿があった。その細身の身体からは想像も出来ない剛力で道端の腕を完全にロックし、息を切らすことなく冷静に諭す。


「もういいでしょう、止めなさい」


 道端も遥か上官の少将である三宅の命令とあっては、これ以上続ける訳にいかない。渋々と振り上げた腕を降ろす。


「あの道端とかいうクソガキ、俺より一郎の方が偉いと思っとるんちゃうか? 舐めとんな、同じ少将やっちゅうねん」


 三宅に掴まれた腕を擦りながら、道端は持っていた短刀を野本に向かって放り投げた。

「同じ摩耶の搭乗員として恥ずかしいわっ! ただの腰抜けかと思えば、とんだ外道ではないか! せめて最期は帝國軍人らしく此処で腹を切れ」


 短刀がカランと音を立てて床に落ちた拍子に、鞘から覗いた刀身が鈍く光り野本自身の顔を映し出す。 


 激しく殴打され身体が拒否反応を起こし痙攣を始める。更に鬼気迫る道端に恐怖し野本の身体が大きくブルブルと震え出す。


「切らんかーーーーーっ! 野本ぉぉぉーっ」


 そのどさくさの動乱に紛れ後退りしながら、そっと現場を離れようとする現地人の女性の両肩を中井が優しく掴む。


「大丈夫ですよ、貴女は軍が責任を持って保護します」

 そう女性の背後から耳元に甘い声で囁く。


「あっ! 徹の奴、またえぇとこ持っていきやがって」


「もういいだろう、君は下がり給え。ここは指揮官である私が預かる。女性をひとまず安全な場所へ。問題のこの新兵は早急に治療を施し、処分が下るまで監視しておけ」


 三宅は腰を屈め短刀を拾い上げると、それを道端に手渡す。

「何か不服があるかね?」


「い、いえ……ありません」

 悔しそうにそう言い残して、道端は去って行った。


 集まった野次馬たちも事の顛末を勝手に予想し始め、それを肴に飲み直す為ゾロゾロと建物内に戻って行く。


 若い同僚の兵員たちは心配な面持ちで、傷だらけで運ばれる野本の様子を陰から見守ることしか出来なかった。


 現場に駆け付け事件の処理を行う赤い腕章の憲兵たち。

 その憲兵とは別に直属の部下数名に指示を出す三宅の元に、申し訳なさそうな顔をして手を合わせ歩み寄る辻岡の姿があった。


「一郎、ほんまにすまん。これは俺が悪いんや、俺の責任や。あの酒屋に女でも抱け言うて、けしかけたんがアカンかったんや。アイツ……ごっつ溜まってたんやな、しとうて堪らんかったんや……そんな事も気付かんと――」


「えっ? なんの事ですか?」

「えっ? なんや違うんか?」


 なんの事を言ってるのか、さっぱり理解出来ず首を傾げる三宅だった。


「ともかく女性を武蔵の管轄で保護しろ! 誰も出入り出来ぬ様に厳重に警備を徹底せよ」


「はっ!」


 そう言って手際よく指示を出すと、機敏に仕事を熟す有能な三宅の部下たち。


 被害にあった女性は、そのまま数名の兵員に両脇を抱えられ力なく連れられて行った。

 その後ろ姿が次第に小さくなるのを確認すると、顔を見合わせ頷く三宅と中井。


「あれが、問題の女性かね?」


「はい。おそらくは……それに、あの男……どうやら、間違いなさそうですね」

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