第11章 航空母艦ブルーデイジー①

 翌朝、輝く朝陽に照らされて水面みなもが白銀に反射する。

 鱗状に波打つ海原に漂う鉛色の艦体、伊一四一型潜水艦。


「ガチャン」

 ハッチが閉まるのを確認すると、伝声管を通して艦長の声が行き届く。


「全員おるか?」

「はいっ」

「錨鎖詰め方!」

「出航用意っ! 錨を上げぇーー! 両舷前進微速、伊一四一出航っ」

「零度ヨーソロー」


 艦長である辻岡の声に続き、副長であり航海長の日比野がいつものようにそれを復唱する。

「航海長操艦」

「頂きました、航海長。両舷前進微速」

 日比野の声と共に伊一四一潜は、補給物資を積んだ輸送船の予定航路付近へと針路を取る。


 輸送船を発見次第トラック諸島まで単艦護衛し、無事物資を送り届けるのが今回の任務である。

 と言っても、辻岡自身が勝手に決めた自由行動なのだが……



 夏島を出航し、かれこれ数日が経とうとしていた。


「風が全くありませんね、艦長」


「あぁ。こんな日は嫌な予感しかせんな。あんまり昼間からウロウロして見付かるんも敵わん。そろそろ潜ろうか? もっちゃん、よう耳澄ましとけ」


「はい、わかりました」

 元田は再びヘッドホンを両手で押さえ、集中モードに入る。


「メインタンク注水」

 その指示と共に、ゆっくりと艦体は潜航を始める。



 海中に姿を消してから数時間――


 相変わらず潜水艦の中は、暗いうえに湿度も高く環境は劣悪。慣れた筈の乗組員たちも、不快な顔で額に滲み出た汗を拭いとる。

 そんなジメッとして重苦しい操舵室に、元田のゆっくりと低く押し殺した声が届く。

「スクリュー音です。敵、感知……」


 通信長である元田の神業とも言える能力。

 それはスクリュー音だけで複数の艦艇との距離や、艦種までをも判断する事が出来る。


 しかし、そのスクリュー音から導き出した艦種名に、驚愕の声を隠せなかったのは元田自身であった。

「こ、これは米軍航空母艦……ブルーデイジーです」


「なんやと? もっちゃん、今なんて言うた」


 辻岡自身もその艦種名に耳を疑ったが、誰より冷静に聞いていた筈の日比野が興奮気味に反応した。


「何故こんなところにブルデが? ブルーデイジーと言ったらアメリカが誇る最大級空母ですよ! 全長二六〇メートル、排水量二七〇〇〇トン……化け物並の装甲と高い攻撃力、それに速力……まさに世界最強空母です」


 さすが戦艦マニアの日比野、知識量は毎度ながら感服する。


「まずいですね、ブルデがこのままの進路を取ればトラック諸島沖の艦隊が発見され、一三〇機もの航空攻撃に晒されます」


「先手必勝! 今なら仕留めれます。空母一隻ごとき此処で足止めましょう」

 伝声管から戦闘を推奨する横井水雷長の声が聞こえる。


「危険です! 周りに巡洋艦や駆逐艦もいる筈です。それに日本の空母とアメリカの空母は、基本的に構造が違うんです。しかも化け物級のブルデが相手となると、潜水艦一隻で太刀打ちなど到底……幾ら艦長とて勝ち目はありません! ここは撤退を進言します」


 頑なに撤退を進言する日比野は、米軍空母の強度を知り尽しており、彼我戦力比が圧倒的に不利である事を熟知していた。


「ドーーーーーーーーーーーーン!」

 突然、艦内が激しく揺れる。


「敵、爆雷投下っ! 既にこちらの存在に気付いてます」

 元田の緊迫した声に緊張が走る。


「砲力と装甲は向こうの方が遥かに上、でも機動力なら我々にも僅かに勝てる見込みがあります! 今からでも遅くありません! 逃げましょう!」


 終始、腕を組んだまま黙って聞いていた辻岡が口を開いた。

「恐らく一四一の脚なら逃げ切れるかも知らん。せやけど黙って見過ごす訳にもいかん」


 その辻岡の一声に、日比野は全てを察知して溜息を漏らす。

「あぁ、もう……はいはい。わかりました、わかりましたよ! どうなっても知りませんからねっ!」


「チャンスは一回。一か八か水面まで急浮上して敵船尾に回り込む。撃沈出来へんかっても魚雷でペラ止めたら速攻で海域を離脱や! 逃げるでっ――」


「はい! 了解しましたっ!」

 乗組員全員が声を上げる。


「戦闘用意! とーり舵いっぱーい」


「とーり舵いっぱーい」

 日比野が半ばヤケクソ気味に、辻岡の指示を復唱する。


「メンタンブロー……一気に海面まで急浮上っ」


 船体から気泡が海水と混じって、ブクブクと勢いよく排出される。


「浮上します! 三〇……二〇……一〇……」


 潜望鏡を覗いていた日比野がグルリと視界を回し、いち早く洋上の敵を発見し位置を知らせる。

「ブルーデイジーを左三〇度前方に目視!」


 同時に辻岡の号令が操舵室に響き渡る。

「魚雷全門発射! てーーーーーっ!」


 伊一四一潜攻撃の要、魚雷戦スペシャリスト横井水雷長。

 浮上した瞬時に絶妙の発射角度とタイミングを割り出すと、それに合わせ魚雷を発射させる。


「一番発射!」「二番発射!」「三番発射!」


 次々と発射レバーが倒されていく中、何故か最後の四番発射管だけ反応がなく違和感を感じた。

「四番……」

 もう一度レバーを戻し、倒してみるも反応がない。


 発射管から静かに水面下を走る三本の魚雷は、ブルーデージーの艦尾をめがけ音を立てず静かに迫る。


 しかし大きな船体でありながら、一瞬早く艦尾を振ったブルーデイジーのギリギリをかすめ、魚雷は宛てなく何処までも直進を続ける。


 水面に現れた伊一四一潜をまるで待ち伏せていたかのように、ブルーデイジーの機関砲が続けざまに火を噴いた。


「ブルデ発砲っ! こちらの浮上先読みされてました」


「総員、衝撃に備えろっ!」


 日比野の声が早いか、辻岡の声が早いか「ドーーーーーーーーーーン」という激しい衝撃音に全員が吹き飛ばされる。辻岡は身体を強く殴打しながらも四つん這いになりながらも伝声管に向かう。


「状況を報告せぇ」

 その辻岡の声に、次々と艦内の至る所から声があがる。


「艦長、着弾です」

「負傷者若干名、状況確認中」

「無線機損傷っ」

「第二倉庫火災発生、消火作業に入ります」

「左舷機関室に浸水」

「さ、先程の魚雷全弾かわされました!」


 悲壮感と自信を喪失した横井のか細い声。しかし、真っ暗な海中から浮上した瞬間に海上の敵めがけ発射した魚雷を的中させるなど神業に近い芸当。

 それをほぼ正確に発射させた横井の腕前は、これまた神業に匹敵する技術でありながら、攻撃を先読みして艦尾を逸らし魚雷を避けた敵も、これまた天晴れであった。


 更に横井の悲痛な叫びが、操舵室に伝わる。

「魚雷残弾あと一発、四番発射管異常を確認……作動しません」


 最初に受けた爆雷攻撃で、四番魚雷発射管に歪みが生じ発射する事が出来ない。艦はまだ辛うじて動けるものの、伊一四一潜には攻撃出来る術がもう残されていなかった。


 潜望鏡を覗く日比野の顔面が蒼白になり、一度スコープから視界を外す。

 右腕で目を擦り再度確かめるように潜望鏡を覗くと、恐る恐る声を上げる。


「艦長、後方より艦影! 艦ふた、戦艦級です」


 それは辻岡たちにとって最悪の知らせであり、一番恐れていた事が現実となった瞬間であった。


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