第11章 航空母艦ブルーデイジー②
攻撃の手段は何も残されておらず、踵を返し限界の深度まで急速潜航し最大戦速で逃げるしか助かる術は無いと考えていた矢先に、後方より新たな敵。
「くっ、更に戦艦二隻ですか。こんだけ派手にドンパチしたら、嫌でも目立ちますよね。ここにいますよと知らせてるようなものです」
そう苦笑いをして見せるが、日比野の目は微塵も笑っていなかった。
「ここにきて挟み打ちか。図体のでかいブルデの次は、いったい何処ぞの戦艦のお出ましや? ダヴィンチか? レイズか?」
――絶体絶命、危急存亡。
圧倒的危機に珍しく辻岡も苛立ちを隠せない。起死回生の策をなにひとつ講じられないでいる自分に、唇を噛んで腹を立てていた。
「不味いですよ! 本当に不味いですよ! こんな強力な米軍艦隊が南下してたなんて……。ブルデが搭載してる百機余りの航空機と、この戦艦二隻の砲撃だけで、燃料の枯渇したトラック諸島の聯合艦隊なんて、簡単に殲滅されてしまいますよ」
聯合艦体の全滅。それは残された日本の戦力に於いて致命的とも言える大打撃であり、何としても阻止しなくてはならなかった。
最後の策と思われた退却の道は、新たに現れた戦艦二隻によって完全に塞がれた。しかし日比野は、冷静に潜望鏡から見る戦況を報告し、艦長である辻岡の指示を待つ。
「不明艦、高速で接近してきます、距離一〇〇〇。もはや、退路を完全に遮断されました」
すると、魚雷発射管室から興奮した声が届く。
「艦長! 坐して死を待つより玉砕覚悟! 皆、靖国で会いましょう」
横井は既に冷静さを欠いていた。この窮地は魚雷攻撃の失敗が招いたものだと自分自身を責めていた。
「アホ。横井、しょうもないこと言うな。自爆でもせぇ言うんか? 俺らは死ぬ為に戦争をしてるんやない。生きる為に戦ってるんや」
「しかしこのまま、一矢報いる事なく死んだとなれば、仲間に合わせる顔がありません」
その横井の……いや、その場にいた乗組員全員が感じたであろう心中を汲んだのか、辻岡は一拍間を置くと諭すよう穏やかに話し始めた。
「えぇか、死ぬ者はぎょうさんおる。今は生きる者が必要なんや、生きる者がおらんと……死んだ甲斐がないやろ?」
万策尽きた絶体絶命の状況で死を覚悟した者たちに、辻岡の発した「生きる者」という言葉はどのように届いたのだろうか?
ただ冷静に潜望鏡を覗いていた日比野が何かに気付いたようだ。スコープを覗いたまま何か規則的に指先でリズムを取る。
「艦長、不明艦から発光信号です」
カチ、カチ……カチカチ……カチカチ……
こちらに向かって幾度と規則的にライトで発光が送られる。
「発光? 克平、読み上げぇ」
「はい。ワレ、キカ……ンノ……キュウ……シュツニ……ムカウ。繰り返す! 我れ、貴艦の救出に向う」
次第に距離を縮め、急接近する戦艦二隻の姿を潜望鏡から確認すると、日比野は興奮の声をあげる。
「艦影捕捉っ! 艦橋形状から武蔵、榛名と思われます」
照れくさそうに、笑いながら目を潤ませる辻岡。
「一郎……徹……あいつら――」
その二隻の勇姿を手に汗握りながら潜望鏡から眺める日比野が、ボソッと漏らした。
「艦長、無風の洋上に風が吹きましたね……希望の風が……」
高い位置に設けられた武蔵の艦橋から、白い海軍服を纏い軍帽を深くかぶり、双眼鏡を覗く三宅の姿がそこにあった。
「これより我々は、伊一四一の救出作戦に入る! 戦闘っ、主砲戦よーーい。目標、左三〇度のブルーデイジー。主砲、撃ちーかたよーい」
三宅の号令の後に、谷少佐が伝声管を通じ砲撃の指示を告げる。
「方位角良し。撃ちーかたよーい」
谷は三宅の方をチラッと向くと、砲撃の用意が出来た旨を視線で知らせる。
「てーーーーーーーーーっ!」
三宅の号令と共に、帝國海軍が誇る武蔵四六センチ主砲が次々と火を噴く。
内臓が飛び出る程の轟音のあと、まるで大地震に遭ったかのように大きく艦船が揺れる。主砲から出る煙だけで一〇〇メートルにも及び、爆風による衝撃波で一五〇メートル先まで海面が波打つ程の威力であった。
「克平、状況はどないや?」
そわそわして、戦闘の様子が気になって仕方ない。
潜望鏡を覗きたがる辻岡を尻目に、ハンドルをしっかり握っては離さない日比野が状況を逐一実況する。
「艦長、武蔵の四六センチ主砲弾ブルデに着弾! 艦上の航空機が次々に引火してます」
ブルーデイジーの甲板に停めてある無数の航空機が炎上し、その爆発が燃料や弾薬に引火し更なる爆発を引き起こすと、たちまち火の海と化していった。
一方、榛名艦内では――
「おぅ徹、ワシや辻岡や。よっしゃ白石、とっとと終わらせるで」
そう言って、辻岡のモノマネをしてみせる中井艦長が同じく司令室にて指揮を執っていた。
「中井艦長、モノマネ似てますねぇ。そっくりじゃないですか」
「そやろ、白石。まぁ、そういうこっちゃ」
お得意の悪ふざけを終えると、中井は真顔に戻り号令をかける。
「第四戦速、面舵いっぱいヨーソロー」
「面舵いっぱいヨーソロー」
艦長である中井の指示を、副長の宮路が復唱する。
「全艦砲射撃よーい! ブルーデイジーの右舷艦尾を狙えっ」
榛名の主砲が軋むような音をたてながら、ゆっくりと旋回する。
「てーーーーーーーーっ!」
豪快な爆音と共に、砲の先端から視界を遮るほどの煙を巻き上げる。
それから数えること数秒。砲弾はブルーデイジーの艦尾に着弾し轟々と黒煙を撒き散らす。爆発により米軍の兵士は身体ごと飛び散り、誰がだれの腕かすらわからない遺体が溢れ、血と混じったドス黒い油に引火して劫火となり甲板は地獄と化した。
伊一四一潜では、日比野の戦況報告が続く。
「榛名より発射されし砲弾、ブルデの右舷に全弾着弾。ブルデ速力低下、後部艦橋より火災。目標、ブルーデイジーの完全停止を確認」
日比野のその声と同時に、潜水艦内で一斉に拍手が起こる。
航空母艦ブルーデイジーは、黒煙を巻き上げ船体を維持出来ずゆっくりと傾き始めた。
「いたたたた……」
着弾の際に強打した腰を思い出したように擦ると、辻岡は帽子を被り直し高々と声を上げる。
「これより当艦は武蔵、榛名と合流。味方輸送船を発見次第、護衛任務を終え呉海軍工廠へと帰港する」
風ひとつ無い凪。まるで何事も無かったような穏やかな海。
その水平線の彼方、洋上に並んで浮かぶ三つの黒点が次第に小さく小さく消えて行くのであった。
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