第8章 回天出撃

 回天開発時より西森たっての嘆願であった、伊一四一潜での出撃。


 武蔵艦長である三宅少将の本国からトラック諸島への護送という秘匿任務に一四一潜が使用され、西森の要望が叶う形とはならなかった。

 西森が乗り込む回天は、森山とは別ルートを目指す、伊五六型潜水艦に固定し搭載されていた。 


 敵艦を攻撃する予定地は沖縄より遥か南、激戦地であるフィリピン沖に位置するレイテ島。日中は潜航し、暗くなると浮上を繰り返し目的地付近に向かっていた。


 その間、西森は魚雷発射管室に設けられた非常に狭い寝台で、ただひたすら目を閉じ出撃の出番を待つ。

 南国の海水の温度とボイラーの熱気で高温多湿の艦内は、じっとしているだけでも汗が噴き出して来る程、劣悪で堪え難い環境だった。


 いつもは冷静に振る舞う西森であったが、いつ戦闘が始まるやも知れぬ緊張感と、本懐を遂げる高揚感とが相まって平静を保てず殺気立っていた。


「レイテ島東方海面で、敵輸送船団を発見。直ちに戦闘準備に入る……魚雷戦よーい」


「いよいよだな……」


 艦内に響き渡るその声で、狭い魚雷発射管室も急に慌ただしくなる。


 興奮を抑えることの出来ない西森の目は血走り、両拳をワナワナと震えさせ一点を見つめたり、ときおり大声を出したり、落ち着かない様子で何度も立ったり座ったりを繰り返す。


「回天戦よーい」

 伊五六潜艦長である、谷平雅軌少佐の声が艦内に響く。


「やっぱり、しんがりは俺だろ」

 そう言って立ち上がりニヤッと笑うと、西森は颯爽と最後の六号艇に乗艇し自らハッチを閉める。エアーが抜かれると回天は徐々に海水で満たされ、いつでも発射出来る状態となる。


「遅くなったな……お前たち。待ってろ、今そっちに行くぞ」

 西森は暗い操縦室の中でひとり、目をカッと見開き呟いた。

 その鋭い眼光にはまるで悲愴感の欠片もなく、むしろ死を待ち焦がれていた期待感に満ちていたかのように見えた。


 操縦室と言えど直径一メートル程の空間に操縦桿やレバーが何本も配置され、足もろくに伸ばせないような狭さだ。そもそも魚雷に人が乗る様になど、最初から設計されていない。何度も研究し、何度も失敗する。

 その度に改良に改良を重ね、起死回生の特攻兵器『回天』を作り上げた。


 天を回らしめようと、自らの命を賭けて日本の防波堤にならんと志願した者たち。


 事実、アメリカ海軍が最も恐れた兵器が、この日本海軍の魚雷であった。

 従来の魚雷は圧縮空気を動力源としていたが、各国は酸素を燃焼させる魚雷の製造に着目した。

 しかし度重なる事故と失敗から、結果的にどの国も断念するのだが日本だけは諦めなかった。

 日本が誇る技術力の高さで、世界で唯一『酸素魚雷』の製造に成功したのだ。


 航続距離は二〇キロから二五キロとされ、後に海外では長槍ロングランスと称された。

 酸素を燃焼した際に発生する二酸化炭素は水にすぐ溶けるため、今までクッキリ見えていた魚雷の走跡が視認され難く、攻撃を回避する事が非常に困難だった。そして、この回天も酸素魚雷と言われる『九三式魚雷』の構造を用いて作られた物だった。


 次々と、谷平艦長の号令が聞こえる。

「五号艇発進」


 五号艇の発射される音が聞こえた後、回天内に設けられた電話機を通じて目標敵艦船の進路と速度、そして距離が知らされる。

 そのデータをジャイロコンパスに設定して六号艇の進行方向を決定し、目標の近くまで潜行して進むのだ。予測した距離まで近付いたら一度浮上し、目視により目標を瞬時に確認する。

 そこから垂直距離を推測し、その深さに合わせ再度潜行して……あとは全速力で突っ込む。


「続いて、六号艇発進」

 谷平艦長の号令が届くと、西森もスイッチを入れる。


「六号艇、発進用意よし」


 その声と同時にスクリューが回りだし、エンジンの排気音が聞こえてくる。

 無意識に操縦桿を握る手に力が入り汗ばむ。大量のアドレナリンが放出され、脳内は一種の興奮状態へと移行する。


 が、どうやら機械音の調子がおかしい。


「キュィーーーーーーン」


 と今まで聞くことの無い、甲高い機械音を上げたかと思うと「カタカタ」という異音を発し、みるみるエンジン音の勢いが弱まる。最後には「ガシャーン」と言う音と共にスクリューがロックされ、回天内に振動が伝わる。


「なんだ! いったい何が起こった?」


 操縦桿をガシガシと乱暴に動かすが、六号艇は再始動する気配を見せない。


「動けっ……動けっ! 動くんだ! 頼むから逝かせてくれっ……」


 とうとうエンジンが駆動する音も消え、回天は発射される事なく発射菅内に留まったのだった。


 しばらくして谷平艦長の声が聞こえる。

「六号艇、西森少佐……応答せよ」


 西森はまるでその声が聞こえないように呆然と脱力する。

 返答する気力も、その答えも持ち合わせていなかった。


「用具収め」

「搭乗員の安否を確認せよ」

 谷平艦長の号令で、再びエアーが充填され海水が排出される。


 気がつくと外側からハッチが開けられていた。無気力で放心状態となった西森だが、回天の操縦桿を離そうとせず、ふたりがかりで無理やり引き摺り出されるように、伊五六潜内へと連れ戻された。


 ひとり魚雷発射管室の寝台で、うわ言のように何度も何度もひとり言を延々と繰り返す西森。


「生き残ってしまった。逝かせてくれ……生き残ってしまった……すまない。逝かせてくれ――」


 先に伊五六潜より発射した回天三号艇、四号艇の功績で米駆逐艦「アンタレス」と貨物船「スターチス号」が轟沈。

 両艦は爆発により真っ二つに割れ海に沈み、敵艦長含め乗組員二八二名が戦死したと言う。


 その後、伊五六潜は任務を終えた大津島の回天訓練所へ帰って来ていた。


 生きて戻って来た西森を責める者は誰ひとりとしていなかったが、森山の戦死を知った西森の自責の念は、次第に死そのものに執着するよう形を変え、心の闇を黒く黒く侵蝕していった。

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