第4章 人間魚雷回天

「人間魚雷などいかん! 儂は何回も言うとるんや、陛下よりお預かりしておる大切な国民の命をなんやと思っとるんや」


 作戦室奥の席に座り、目の前の机を強く叩き激昂しているのは、作戦司令部小林知義こばやしともよし中将。

 普段は丸い眼鏡から覗く優しい眼が印象的な男だが、今日に限っては鬼の形相で声を荒げる。


 その小林ら含め数名の軍人が同席する机を挟んだ向こう側に、眉一つ動かさず直立不動でしっかりと前を見据えるひとりの男がいる。

 小林からの激しい叱責は、この男に向けられていた。


 小林の激昂など何処吹く風、他の軍人参謀は座したまま一言も声を発しないどころか、どこか他所々しくその男とすら目を合わせようともせず、俯いては目を閉じている者が殆ど。

 責任逃れ……。そんな情けない軍上層部の体たらくに、小林の怒りは更にエスカレートし怒髪天を衝く。


「そんな作戦は、到底承認出来んっ!」


 戦局が次第に劣勢になるにつれ、海軍内に於いて生きて帰る事の出来ない兵器「人間魚雷」の開発が行われ、作戦の実行許可が採決されようとしていた。

 炸薬量は今までの三倍、魚雷に人が乗り込み、ひと度発射されると帰って来る事は不可能。必死必殺の一撃で戦艦や空母さえ沈められる其れは、空の神風特攻隊ならぬ海の特攻兵器。


 後に、天を回らし戦局を逆転させるという意味から「回天」と名付けられ、百名以上の若い命を失う事となる。

 しかし、その無謀な作戦は軍司令部からの指示ではなく、現場士官の発案と嘆願によるものだった。


「既に私自身が訓練として幾度となく搭乗し、作戦の有効性を立証しております。成功率は極めて高いものと思われます」

 直立不動だった男が、力強い声で進言する。

 この男が回天の発案者である、西森敏裕少佐だった。

「実戦に於いても私自身が搭乗し、華々しい戦果を挙げてご覧にいれます」


「ならんものはならんっ! 他の者も黙っとらんで何とか言ったらどうや」

 再び声を荒げる小林であった。しかし、他の者は変わらず目を閉じ賛成も反対も唱えようとしない。


 既に日本の防衛ラインは後退し、本土防衛すら危惧される帝國海軍の失態に継ぐ失態は、誰しも認めざるを得ない事実であった。かと言って前線で奮起する若者に、自ら死んで来いと言う無謀な作戦に上層部は強い躊躇いがあったのだが……


 結果、他に有効な作戦を見い出せず、西森の強い語気に押される形となった。


「では、脱出装置を設けるという前提で如何だろうか?」

 何処からともなく声が挙がる。賛成の為の妥協案。

 先程まで貝のように黙り返っていた全員が「それなら問題ない」と口を揃えて頷く。

「ギリギリで脱出すれば、命を落とさなくて済むだろう」


 人の命と引換えの、有ってはならない作戦。それを容易に受け入れてしまう程、軍上層部は既に憔悴しきっていた。


「小林中将、決まりですな。他に有効な手立てはありますまい」


 再び何処からともなく挙がった声に、小林は肩を落とし反論の言葉を失った。当然、この重苦しい部屋の中で、それに異を唱える者は皆無。


 その結果を予想していたかの様に、機会を伺っていた西森が沈黙の間を縫い開口した。


「私の命を以って必ずや戦局を打破し、敵国に一矢報いて参ります……そこでお願いがございます。どうか出撃の際は是非、伊一四一潜に搭乗させて下さい」


 意外な西森からの嘆願に、小林は驚いた。俯いていた顔を上げた拍子にズレたメガネを持ち上げながら聞き返した。


「ほう? 辻岡君の潜水艦かね? 真っ直ぐな君とはまるで水と油の様な性格じゃぞ。相性が合う様には思えんがな?」


「自分は高知、土佐生まれです。鰹のタタキとマヨネーズは美味い食い合わせって事です」


 西森は今まで無表情だった口元を緩ませ、してやったりの笑みを浮かべる。

 小林はその絶妙な比喩の本質を理解すべく言葉を咀嚼し少し考える。しばらくすると、したり顔の西森を見据え大きく頷いた。


「なるほど、それは上手いこと言うのぉ」


「あの男なら作ってくれますよ、最高の相手と最高の死に場所を。この日本の未来は、我々の死を以て何としても守る……先に靖國で待っている者の為にも」


 しかし、もうその言葉は小林の耳には届いていなかった。小林は大きな溜息をひとつ吐くと力なく席を立ち、フラフラと無言のまま部屋を後にした。


 しばらく廊下を歩くと窓の前で立ち止まり、眼鏡越しから憂う様な眼で空を見上げる。

 雲ひとつ無い五月晴れの呉の空。


 その空とは対照的に、日本の歩む戦局と小林の心の曇りは、この先一度も晴れる事は無かった。


 その後、回天の脱出装置の開発は技術的に断念され、ここに文字通り必死の特攻兵器が誕生する。


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