第2話 ベルの寿命

 ドンドン


 ベルの家に着くとすぐに扉を叩いたが返事がなかった。俺はイライラしながら、

 ズボンのポケットから鍵を取り出すとドアを開けた。


「ベル」


 部屋に入りすぐに呼びかけたが一切返事がなかった。「ベル」と呼びながら寝室へ向かった。


 ベルに自宅には恋仲になってから毎晩通っていた。

 そのたびに、優しい笑顔で出迎えてくれたベルを思い出すと涙がでそうになった。


「ベル」


 ノックもせずに扉を開けるとそこにはベッドに横たわるベルとその側にこの村の医者の息子とベルの妹のマチが目を大きくして俺を見ていた。


「あ、カナタ……さん……?」


 戸惑うマチに気付き俺は仮面を取り、ローブを脱ぎ床に落とした。

 トンボおじさんは俺がローブを脱ぐ時だけ飛び上がり、それ以外は俺の肩に座った。

 いつもなら自分で飛べというのだが、今の俺にそんな心の余裕はなかった。


「あぁ、俺だ。カナタだ。ベルは?」

「今は眠っている。でも……もう長くは……」


 マチは悲しそうに首をふった。彼女とあうのは久しぶりだ。

 ずいぶん小さくなったように感じた。

 俺はすぐにベッドの側に行きしゃがむとベルの顔をみた。ベルは穏やかな顔をしていた。


「マチさんこれを……」


 医者の息子はマチに薬を渡すと彼女は頭を下げて受け取った。それから医者の息子は俺の真横に腰を下ろした。


「おい。医者の息子、ベルは治るのか」

「カナタさん。僕はもう医者の息子ではなく医者になりました。それにそろそろ名前を憶えてもらってもいいですか。30年以上の付き合いじゃないですか」

「覚えている。エド。それで、治るのかと聞いている」

「治りません」


 その言葉に俺は大きく目を開き、エドの胸グラをつかんだ。それにエドは驚くことなく目を細めて首をふった。


「なんでだ? お前もお前のオヤジも今までベルの病気治してきたじゃねぇか」

「……」

「カナタさん」


 マチがエドの胸グラをつかむ俺の手の上にそっと自分の手を置いた。そのしわがたくさん刻まれた手はとても温かく優しさを感じた。


「マチ……」


 俺はエドの服から手を離した。マチは俺の手をやさしく握るとそのまま自分の頬へ持っていった。


 俺の手がマチの頬に触れた。


「カナタさん……私の顔も手もシワだらけでしょ。だけど……カナタさんの手は出会った時のままね」

「……」


 マチは俺の手を離すと今度は俺の頬に触れた。

 その様子をエドは床に座り静かに見ていた。


「顔も出会った時と何一つ変わっていないわね。でも、私も姉さんもシワが増えてしまった。目もあまり見えないし耳も遠くなってしまった。身長ちいさくなったでしょ。そこにいるエドも今はもうおじさんになってしまった」

「おじさんって……まぁ今年10歳になる息子がいるから……そうかもしれませんね」


 認めたくなかった。

 少女の頃からずっと一緒であったベル。

 人間の寿命が自分より短いことは知っていたが認めなくなかった。


 マチの目に涙が浮かんでいた。


 俺は彼女の手をそっとつかみ自分の頬から離すとベッドの方を向いた。そして、身を乗り出し、ベルの顔を見た。


 会った時よりはずいぶんシワが増え、金色であった髪は白くなっていたがしまったが美しさはかわらない。


「ベル」


 名前を呼ぶとピクリとまぶたが動いた。そのまぶたが開かなくなる時がくるのかと思うと心が痛んだ。


 ベルの美しい青い瞳

 ベルの美しい髪

 ベルの愛らしい赤い唇


 自分の目じりがあつくなるのを感じ、視界がぼやけた。

 目から涙が落ちてベルの頬を濡らすと、更にまぶたが動いた。


「……」


 ゆっくりとベルのまぶたが開き、青い瞳が現れた。


「カナタ……?」

「そうだよ。俺だ」


 ベルは俺を見るとニコリとほほ笑んだ。

 それがとても愛らしく思えた。それと同時にけして失いたくないとも思った。


「ベル。愛している」

「私も」

「ベルと別れたくねぇ」

「……」


 ベルは自分の死期が近いことを知っているようで、俺の言葉に困った顔で笑っている。

 俺の涙は止まらなかった。その涙をベルはそっと手でぬぐってくれた。どこまでも優しいベル。


「ニャルラトホテプ」


 肩にいたトンボおじさんが突然発した言葉に誰しもが目を大きくした。


 ニャルラトホテプ


 それはこの村の者ならば誰でも知っている狂気と混乱をもたらす神の名である。

 村の者は近づかないが外部の者が会いにいくが戻ってきたものはいない。


「彼ならなんとかなるかもしれぬ」

「そうかもしれねぇけど……」


 寿命を変えるなど神でなければできない。だが、ニャルラトホテプに頼むのは不安であった。

 エドもマチも不安そうに俺を見ていた。


「ウフフ……カナタは私ことが好きすぎるわ。こんなおばあちゃんになっても愛してくれるなんて」


 ベルは俺の頬触れた。その手の上から俺は自分の手を重ね彼女の手で自分の頬をさすった。


 ベルが愛しくてたまらない。


「当たり前じゃねぇか」

「なら、あの方お願いしてもいいわ」

「ちょ……姉さん」

「いいの」


 マチが強く否定しようとしたが、ベルはそれをとめた。


「カナタは私を好きというだけで、村を外部からずっと守ってくれたわ。彼のおかけでこの村があるの」

「それは、先にベルが……村の人が俺を助けてくれたからじゃねぇか」

「それ以上にモノを貰ったわ」

「でも、姉さん。あの方に頼んだら死より苦しい結果が待っているかもしれないわ」

「そうね。カナタ」


 ベルは俺をじっとみた。その美しい瞳に吸い込まれそうになる。


「私はカナタといられるなら苦しいのは構わないの。ただ、他者に迷惑をかけたり傷つけたりする状態になったら責任とってくれるのよね」


 彼女の有無を言わせないその表情に俺は息を飲んだ。彼女の覚悟が俺にいたいほど伝わってきた。

 俺は頷くとニコリとほほ笑んだ。


「あぁ、その時はベルを抱きしめて太陽の下に行こう」

「いいわね」


 太陽の下に長時間いれば俺の身体は自然と燃える。その炎はどんなものでも焼き尽くす。そのため武器として扱われた歴史ある。


「姉さんがそれでいいのなら」


 マチは渋々納得したようである。エドの方は何も言わずに頷いている。


 しばらくするとベルはまた寝てしまった。マチとエドはそれぞれ帰宅した。トンボおじさんはいつのまのか消えていた。

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