第117話 ルシファーの結婚(1) ~イザベルの助太刀~

 ペートラはグレゴールことルシファー付きの侍女となって時間が経つうちに世話焼き女房と化していた。


 部屋の片づけ、着替えの手伝いから髪のお手入れまでどんどんエスカレートしていく。

 当のルシファーは仮にも地獄のあるじである。身の回りのことくらいは一通り自分でもできるのだが、不思議とペートラには逆らえず、次第に彼女任せとなっていった。


 この日もルシファーは床に入ろうと服を着替えていた。

 脱いだシャツを洗濯物のかごに入れようとしてふと手を止めた。そしてそれをポイっと投げてしまった。


 翌朝。

「もう。グレゴール様ったらだらしないんだから…」


 ペートラが文句を言いながら脱ぎっぱなしのシャツを片付けていく。だが、顔は怒っていない。


 それを何気ない顔で見守るルシファー。


 ──俺が全部やってしまってはペートラのやることがなくなってしまうからな…


 それでペートラが満足するならば、多少はだらしないふりもした方が万事円満に片付く。そう思うルシファーだった。


    ◆


 グレゴールことルシファーには使い魔的ポジションの悪魔が3人いる。パイモン、バティン、バルマの3人である。

 使い魔といっても、地獄のあるじのそれであるから、皆が高位の悪魔であった。


 人間界では悪魔の名前は使いがたいので、パイモンはアポロニウス・グリューネヴァルト、バティンはクンツ・バガー、バルマはマルセロ・リューベックとそれぞれ名乗っている。


 パイモンは、王冠を被り女性の顔をした男性で、ひとこぶ駱駝に乗っている姿が本性である。人族化しても女性と見まごうようなハンサムな優男やさおとこで城の女使用人たちからは人気がある。


 バティンは、青ざめたウマに乗りヘビの尾を持つ屈強な男の姿が本性である。人族化しても屈強な男の姿をしており、これはこれで一部のマッチョ趣味の女使用人たちからは人気があった。


 残るバルマもハンサムな部類なのであるが、他の2人が目立つためにどこか影が薄かった。


 3人は常にルシファーに従っているが故に、ペートラとの接点も多かった。

 だが、3人はペートラがルシファーにベタベタすることが気に入らない。


 ついには、衝突してしまう。

 3人はペートラを強引に密室に連れ込むと一番に強面こわもてのバティンが苦情を言う。

「おまえ! グレゴール様に付きまとうのもたいがいにしろ!」

「そんなことを言われても私はグレゴール様付きの侍女ですから」


「それにしても限度というものがあるだろう。ベタベタとくっつくんじゃない!」

「でも、グレゴール様はあれで結構だらしないところがあるから放っておけないんですよぅ」


「グレゴール様は何でもできる完璧なお方だ。そもそもおまえなど不用なのだ」

「そんなことないですぅ」


「しつこいやつだ。俺たちのいうことがきけないのか!」

「だって…」


「つべこべ言うと犯すぞ!」

 そう言うとバティンはペートラの腕を強引につかんだ。


 自分が3人に乱暴される姿が脳裏をかすめ、ペートラは血の気が引いていく感覚を覚えた。


 ──助けて! グレゴール様!


 ペートラは心の中で叫ぶ


 そこで突然密室の扉が空き、ルシファーが現れた。

「騒々しい。静かにせよ!」


 パッと見では、ルシファーの顔は怒ってはいるが、激怒というほどではない。


 しかし、ルシファーとの付き合いが長い3人はその裏に潜む地獄の業火を垣間見て、恐怖に悪寒を覚えた。


 これは本気で怒っている。まさかルシファー様がこの人族にそれほどまでにご執心しゅうしんとは…


 あの言葉は文字どおりの意味ではない。

『俺の女に手を出したらタダでは済ませない』という含意があるに違いない。ペートラがあの場にいたから明確に言わなかったに過ぎない。


 ルシファーが去ったあと、3人はペートラに土下座して謝った。


「ペートラ殿。数々のご無礼。何卒お許しください。まさか、グレゴール様があれほどまでにお怒りとは…」

「えっ? 怒ってはいたけど『静かにせよ』って言っただけですよね?」


 3人の態度の突然の急変に戸惑いを隠せないペートラであった。


    ◆


 フリードリヒの妻となったイザベルは今日も厨房に出入りしていた。

 イザベルは、人見知りしないし、活発な性格の彼女は身分にも頓着とんちゃくせず、厨房に務める平民の使用人とも友人のように会話していた。


 また、ペートラももともと厨房で働いていた手前、頻繁に厨房を訪れていた。

 ある意味性格の似通ったイザベルとペートラはすぐに意気投合した。


 厨房の使用人がペートラを冷やかした。

「ペートラぁ。グレゴール様とはどうなのよ?」

「どうっていっても…私は侍女としての仕事をしているだけだから…」


「またまたとぼけちゃって…あんたがグレゴール様のことを話すときの口調でバレバレなのよ」

「そ、そんな…」


 ペートラは顔を真っ赤にして固まってしまった。


 イザベルの目がキラリと光った。何しろ愛だの恋だのが大好きなお年頃だ。


「ペートラはグレゴール様のことが好きなの?」


 観念したペートラはコクコクと首を縦に振った。


「じゃあグレゴール様に告白したらどうなの?」

「とんでもないです。私のようなおかちめんこがグレゴール様と釣り合わないことはわかっているつもりですから…」


 物怖じしない性格のペートラが持っている唯一のコンプレックスが自分の容姿だった。客観的には10人並みといったところなのだが、本人にはそう思えないらしい。また、少しだけあるそばかすも本人は大嫌いだった。


「そうかなあ。私はペートラがおかちめんこなんかじゃないと思うけど…」

「別に慰めていただかなくても結構です」


 ペートラはすこし意固地になってしまった。


    ◆


 イザベルは考えた挙句、ヴィオランテに相談してみることにした。やはり妻たちの中で一番頼りがいがあると思ったのだ。

 ヴィオランテは歳の割には落ち着いた女の印象があり、イザベルは母親のようにも思っていた。


 歳の割に落ち着いていると言えば大公フリードリヒもそうだ。

 夫婦というのは似るものなのだろうか…


 イザベルはヴィオランテにペートラの事情を話した。


「フェヒナー卿の方はペートラのことをどう思っているのかしら?」

「う~ん。私が見るところ憎からず思っているとは思いますが…」


「じゃあ私からも聞いてみるわ」

「えっ! ヴィオランテ様が自らですか?」


「もちろん直接聞いたりはしないわよ。ちょっと探るだけよ」

「そうですか…」


    ◆


 翌日。

 ルシファーはヴィオランテに呼ばれた。


「フェヒナー卿。わざわざ呼び立ててすみませんね」

「いえ。そのようなことはございません」


「ところであなたも中隊長になって受爵したことだし、同時期に中隊長になったバルベ卿と同様に身を固めたらいいと思うの」

「はい。お心遣いありがとうございます」


 ガブリエル・フォン・バルベこと、大天使ガブリエルはミカエル付の侍女だったエリノル・フォン・テーアと早々に結婚していた。


「あなたさえよければ良い人を紹介してもいいのだけれど、どうかしら?」

「自分の伴侶くらいは何とかしますので、大丈夫でございます」


「それはもう心に決めた人がいるということなのかしら?」

「ええ。いちおうは…」


「それにしてはあなたのところに女性が出入りしているという話を聞いたことがないのだけれど、もしかして身近にいる人なの?」

「そ、それは…」


 ルシファーは答えに詰まってしまった。

 が、答えに詰まるというのはほとんどイエスと言っているに等しい。


「もういいわ。余計なおせっかいだったわね」

「いえ。とんでもございません。」


    ◆


 ヴィオランテはイザベルを呼んだ。


「フェヒナー卿に聞いてみたわ。彼には心に決めた人がいるそうよ。それも身近にね」

「ということは…」


「ほぼ間違いなくペートラのことね」

「やったあ!」


「喜ぶのはまだ早いわ。2人にはゴールインしてもらわないと」

「でも、どうすれば?」


「ペートラは告白をする自信がないのよね。まずは自信をもたせるところから始めましょう」

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