第110話 ドイツ騎士団(1) ~仮面の女騎士~

 オトマイアー家は代々ザクセン公国に使える男爵家で武門の家柄だった。

 その当主であるレーブレヒト・フォン・オトマイアーは子供に恵まれず、高齢となったため、なかば家の断絶も覚悟していたが、側室の一人が待望の子宝に恵まれた。これにレーブレヒトは歓喜した。


 しかし、生まれてみると女児だったのだ。レーブレヒトは落胆した。そこでよからぬ考えが浮かんでしまう。


 ──この子を男児として育てて後継者にしよう…


 生まれた子はレオポルトと命名され、男児として育てられた。

 レオポルトに直接使える侍女とメイドを除き、オトマイアー家の使用人もそれを疑う者はなかった。

 当然、本人も自分を男児と信じて疑わなかった。


 実際、レオポルトは腕白な子供だったし、剣を教えてみるとあっという間に上達し、同年代の子供は誰もかなう者がいなかった。


 レオポルトが7歳となった時、レオポルトの母が男児を産んだ。

 今度こそ正真正銘の男児の誕生に当主のレーブレヒトは喜びに沸いた。


 そうなってくるとレオポルトの存在が微妙になった。

 7歳と言えば見習いを始めるのにちょうど良い年頃だ。


 レオポルトは厄介払いとばかりに、近年勢力を拡大しているドイツ騎士団に見習いへと出された。


「レオポルト。良いか。しっかりと武術を学んで一人前になって帰ってくるのだぞ」

「承知いたしました。父上。」


 レーブレヒトはあくまでも武術修行として本人を送りだしたし、レオポルトもこれを疑うことはなかった。


    ◆


 ドイツ騎士団の屯所へと向かう旅の途中、あることを実行に移すことにする。


 レオポルトは以前から行ってみたいところがあった。それは公衆浴場である。

 父のレーブレヒトは、公衆浴場は下賎の者が行くところだといって行くことを許してくれなかった。だが、友人などの話を聞くと浴槽も大きくてたまに行く分には気持ちがいいらしい。


 それをレーブレヒト付きのメイドのイーナがあわてて止めた。

「レオポルト様。公衆浴場には行ってはなりません。ご当主様も言っておられたではないですか」

「やっとうるさい父上から解放されたのだ。そのくらい羽をのばしてもばちは当たるまい」


 とうとうレオポルトは公衆浴場へと言ってしまった。

 イーナの顔は真っ青である。


 喜び勇んで公衆浴場へ行ったレオポルトは脱衣所で服を脱ぎ、浴室へと向かう。そこで奇妙なことに気づいた。


 他の者の股間に奇妙な物がぶら下がっているではないか。


 ──あれは何だ? 俺には付いていないぞ。


 途端に恥ずかしくなり、股間を隠すレオポルト。そのまま、そそくさと公衆浴場を後にした。

 今度はレオポルトの顔が真っ青になった。


 落ち込んだ気持ちで宿に戻ったレオポルトは、意を決してイーナに聞いてみた。


「男の股間にぶら下がっているあの奇妙なものは何だ?」

「それを女の私の口から言わせるのですか?」


「そうだ。知っているなら教えてくれ」

「あれは××××です」とイーナは顔を赤らめながら答える。


「その××××は、男なら皆付いているものなのか?」

「当たり前じゃないですか」


「俺には付いていないのだが…俺は出来損ないなのか?」

「……………」


 イーナは答えにきゅうした。

 そこで答えとばかりに服を脱ぎ始めた。


「イーナ。何を…」


 それを無視してイーナは全裸になった。


「さあ見てみてください」


 レオポルトはこれまで女の裸というものを見たことがなかった。

 胸の膨らみ、腰のくびれ、丸みを帯びた腰つき、すべてが美しいと思った。


 肝心の股間をみるとあの奇妙な物は付いていなかった。


「これが女の体です」


 とうことは…

 いくら鈍いレオポルトでも理解した。


「俺は女なのか…」

「そうです」


「しかし、周りの者は皆、俺のことを男だと…」

「それはご当主様がレオポルト様に男子としてオトマイアー家を継いで欲しいと思ったからです」


 その瞬間、レオポルトは全てを理解した。


 弟が生まれた今となっては、男児として育てられた自分など邪魔者でしかない。

 ドイツ騎士団で修行しろというていの厄介払いだったのだ。


 それからドイツ騎士団の屯所までの道中、ずっと悩んでいた。


 どうしたらいい? 女騎士というのもいないではない。

 しかし、男尊女卑の考えが厳しいこの時代、女騎士では出世は望めない。


 それに、今更女らしい言葉使いやしぐさを身に付けるといっても無理がある。


 レオポルトは、このまま男として生きていくことを決めた。


    ◆


 ドイツ騎士団は、ローマ・カトリック教会の公認した騎士修道会の一つで、正式名称は「ドイツ人の聖母マリア騎士修道会」という。

 テンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団とともに、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つに数えられる。


 12世紀後半のイェルサレム失陥後、リューベックやブレーメンの商人たちが、アッコの陥落の時期に設立した野戦病院が母体となっていたが、最近、神聖帝国皇帝フリードリヒⅡ世のリミニの金印勅書により、騎士団はクールラントとプロイセンラントの領邦主権者として法的地位を認められた。

 これは異教徒の先住プロイセン人の土地を征服、領有する権利を保証するものである。


 今、まさにプロイセンをキリスト教化するための長い軍事活動が始まろうとしていた。


    ◆


 ドイツ騎士団で、レオポルトの才能は群を抜いたものだった。

 見習いの頃から同世代の者は全く相手にならず、成人した現役騎士と対等に戦っていた。


 成人してからも次々と武功を上げ、伍長、小隊長と電光石火の勢いで出世していった。


 一方で、成人してからは女性の特徴も出て来ていた。胸も膨らみ、顔つきも女らしくなってきた。


 胸は布を巻いて締め付ければ何とか隠せる。

 声は幸いにしてアルトボイスだったので、テナーボイスの男の声に聞こえないこともない。


 たが、顔はどうしようもなかった。


 どうするか悩んでいたところ、白銀のアレクという冒険者のことを聞いた。

 アレクはとんでもない優男なため、その顔を隠すために白銀の仮面を着けているという。


 ──これは俺にも使える!


 それ以来レオポルトは戦闘時には黒い仮面を付け、その柔和な顔を隠すことにした。


 レオポルトは、いつしかドイツ騎士団で一番の腕前となっていた。


 そして第1騎士団の第1中隊長となると、先の第5次十字軍では獅子奮迅ししふんじんの活躍を見せた。これが評価され18歳にして第5騎士団長を任されることとなった。

 第1から第5まである中の末席ではあるが、騎士団長である。18歳の騎士団長というのはドイツ騎士団始まって以来の快挙だった。


 総長のヘルマン・フォン・ザルツァが言った。

「レオポルト。おまえを第5騎士団長に据える。ドイツ騎士団の名に恥じぬ活躍を期待しておるぞ」

「はっ」


 レオポルトはこの上ない幸福を感じていた。


 レオポルト付きのメイドのイーナがお祝いを言う。

「この度の第5騎士団長ご就任。おめでとうございます」

「ありがとう。これまでの人生で一番うれしいよ」


「今日は奮発してご馳走にしますね」

「ああ。頼む」


 だが、イーナは思うのだ。


 ──レオポルト様は本当にこのままでいいのかしら?


    ◆


 ドイツ騎士団第4代総長のヘルマン・フォン・ザルツァは、神聖ローマ帝国とローマ教皇の両方と繋がりを持つ優れた外交官である。

 困難をはねのけてプロイセンに拠点を築いた人物であり、後世の人間からは「13世紀のビスマルク」と評価されている。


 第4ラテラン公会議に出席した翌年、神聖帝国皇帝フリードリヒⅡ世の宮廷を初めて訪れ、以後ヘルマンはフリードリヒに近侍し、あるいは彼の使者として各地を飛び回った。

 ヘルマンは皇帝フリードリヒⅡ世の友人であり、また有能な参謀でもあった。


 リミニの金印勅書は、このような背景があってからこそのものだったのである。


 そんなヘルマンのもとへロートリンゲン公からの特使がやってきた。

 話を聞くとドイツ騎士団と自由貿易協定を締結したいという。


 ──話には聞いているが、ついにここまで触手を伸ばしてきたか…


 この地には毛皮などの輸出産品があり、これが関税なしで輸出できるとなるとメリットは大きいはずだ。


 ただ、申し入れに対して唯々諾々いいだくだくでは面白みがないな…


 こちらも騎士団の端くれ。先の第5回十字軍にもドイツ騎士団は参加し、ダミエッタ包囲戦ではかなりの勲功を上げていた。

 十字軍の際は、ロートリンゲン公とは顔を合わせていないが、暗黒騎士団ドンクレリッターの活躍は聞きしに勝るものだったという。


 そのロートリンゲン公に勝ったという実績が示せたらこれ以上の誉れはない。

 ヘルマンは、ロートリンゲン公に騎士団同士の練習試合を求めることにした。


 この話を聞いたフリードリヒは、はたと困ってしまった。

 先方はおそらく暗黒騎士団ドンクレリッターとの試合を臨んでいるのだろうが、ダークナイトや悪魔軍団に(練習試合だから手加減せよ)というのは難しい。


 ──ここは勝ちを譲っても良いから領軍の誰かを連れていくか…


 負けたとしても、相手は三大騎士団の一角だ、評判が地に落ちるということはないだろう。


 考えた末、いつもマルコルフを使うことが多いので、ヤン・フォン・シュヴェーグラーが団長を務める第6騎士団を連れていくことにした。

 せっかくの訓練なのだからこれを実のあるものにしなくては…

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