第106話 ユダヤ人の守護者 ~人造人間ゴーレム~

 ナンツィヒが国際都市として発展するにつれ、多様な民族の人間が集まってきた。その中にはユダヤ人も含まれていた。

 ユダヤ人と言えば後世の凄惨な迫害の歴史が頭をよぎるが、この時代にも、それ程ではないにせよ、ユダヤ人の差別や嫌がらせ行為は行われていた。


 原因を一言でいうのは難しいが、イエスをローマ帝国に告訴したのはユダヤ教徒で、さらに銀貨30枚でイエスを売ったユダもユダヤ人ということでキリスト教徒の悪感情が一つ。

 もう一つはユダヤ人には金融業で成功した者が多いが、世界共通に見られるように、貨幣はけがれたものという感覚があり、これを右から左に動かしてもうける金融業という者に対する悪感情もある。


 ナンツィヒに集まったユダヤ人は、自然とユダヤ人街を形成し、自警的活動を行うようになっていった。


 フリードリヒは、ユダヤ人に限らず、少数民族の迫害を禁止しており、大規模な虐殺などは起こりようもなかったが、中には嫌がらせ行為や果てには隠れて殺害行為を行う者もおり、これを根絶するのはなかなかに難しかった。


    ◆


 カバラの奥義を極めていたラビであるレーウェはユダヤ人の中では有名なラビの一人である。

 ナンツィヒのユダヤ人たちはレーウェをユダヤ人街における筆頭ラビとして招請しょうせいしていた。


 ある日。

 レーウェがユダヤ教の会堂で祈りを捧げていると(ナンツィヒのユダヤ人の守護者としてゴーレムを作り出すように)という神の声が聞こえた。


 レーウェは苦労の末ある場所からゴーレム作成用の粘土を採取すると弟子のイサーク・コーエンとヤコブ・ソッソンの2名を連れてナンツィヒを訪れた。


 ナンツィヒのユダヤ人たちは高名なラビが招請しょうせいに応じてくれたと歓喜した。

 このうわさはすぐに町に広がった。


    ◆


 タンバヤ情報部のアリーセがフリードリヒに報告した。

「ユダヤ人街の筆頭ラビとして招請しょうせいされたレーウェという者がユダヤ人の守護者としてゴーレムを作りだすと行っているそうです」


 もう長い間フリードリヒに使えているアリーセは、フリードリヒがどういう情報に喰いつくか熟知していた。

 案の定、フリードリヒはこの情報に興味を示した。


「ほう…」


 以前にアウグストゥス・マグヌスの邸宅で見かけたゴーレムはいかにも泥人形という感じの出来損ないだったが、レーウェは高名なラビだという。

 その彼がカバラの奥義を尽くして作るゴーレムとはどんなものだろうか?


 フリードリヒは知的好奇心でワクワクした。


 だが、ゴーレム作りはカバラの秘儀だ。

 真正面から尋ねたところで教えてはもらえないだろう。


 ──悪いがのぞかせてもらおうかな…


「わかった。情報をありがとう」


 フリードリヒの満足そうな顔を見てアリーセは幸せを感じた。

 アリーセもまたフリードリヒに好意を寄せている女性の一人なのだ。


    ◆


 レーウェは祈祷きとうをしてから断食し、身を清めた後、自分のために用意された家の屋根裏部屋で泥をこねて人型作りを開始した。


 4時間後、人型が完成するとレーウェと2人の弟子は、人型の足元に整列した。


 レーウェが手を挙げて合図すると、まずはコーエンが祈りながら人型の周りを時計と逆方向に7回回った。

 レーウェが呪文を唱える。


「メム・コフ、メム・ザーイェン…」


 すると人型は真っ赤な炎を吹いて燃え始めた。


 レーウェが再び手を挙げて合図すると、今度はソッソンが祈りながら同様に人型の周りを7回回った。

 そしてレーウェが呪文を唱えると人型から真っ白な湯煙が立ち上り炎は消えた。


 そこには頭に髪が、指に爪が生えた人型が横たわっていた。表面は人の肌と変わりがない。


 最後にレーウェ自信が人型の周りを7回回り、創世記の一節を唱える。


「神である主は、土地の塵で人を形作り、その鼻に生命を吹き込まれた。そして人は生き物となった」


 そして最後の仕上げに聖なる神の名を書いた護符を人型の唇に置くと、護符は人型に吸い込まれていく。

 その途端、人型は目を見開くと立ち上がった。


 こうしてゴーレムは完成したのだ。

 完成したゴーレムは、喋ることができない以外は、人と何ら変わらない能力を持っていた。そればかりか、口の中の護符の力で自由に姿を消す能力を備えていた。


 ゴーレムはどうやら腕っぷしの強い用心棒という訳ではなく、姿を消して諜報ちょうほう活動を行い、ユダヤ人を害しようとする者の動きを探っているようだった。


    ◆


 フリードリヒはレーウェがゴーレムを作る様子を千里眼クレヤボヤンスでずっと見ていた。


「なるほど…」


 あんなに人間に近いゴーレムが作れるとは驚きだ。儀式そのものもあるが、どうやらゴーレムを作る泥に秘密がありそうだな…


 さて、どうやって探り出したものか…


    ◆


 ユダヤ教の戒律は厳しい。

 レーウェはゴーレムが安息日を侵すのを恐れ、金曜日の夕方には口の中の護符を取り除き、動けなくするようにしていた。


 この日も屋根裏部屋でレーウェが護符を外すとゴーレムは動かなくなった。

 それを見届けたレーウェが立ち去ると、入れ替わりに人影が浮かび上がった。フリードリヒがテレポーテーションしてきたのである。


 フリードリヒは、ゴーレムに触れるとサイコメトリー(物体の残留思念を読み取る能力)で泥の出所でどころを探っていく。


「なるほど…」

 フリードリヒは思わずつぶやいた。


 泥は、嘆きの壁に触れている一角の粘土質の土をこねたものだった。


 嘆きの壁は、紀元前20年頃ユダヤ王国のヘロデ大王が改築した神殿の西壁である。70年にユダヤ人による反乱があり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧された際、神殿は破壊され西壁のみが残った。

 以来、残された聖遺物としてユダヤ教徒の祈りの対象となってきた。


 長い間、多くのユダヤ教徒が祈りを捧げ、浄化された貴重な土という訳だ。


 エルサレムは以前にロンギヌスの槍を取りに行ったから場所はわかっている。

 フリードリヒは、深夜、テレポーテーションでエルサレムの嘆きの壁を訪れると、人型1体分の土を誰の目に触れることもなく持ち帰った。


 さて、夜が明けないうちに作業を済ませてしまおう。


 フリードリヒは土をこね始めた。

 土魔法を使って、混じっている石などの交雑物を取り除き、土のキメを細かくしていく。こういうところで手を抜けないのがフリードリヒだ。


 そして丁寧に人型を作ると儀式を始めた。

 儀式は3人でやっていたが、とりあえずアバターを2体出して代用する。


 そして夜明け近くになってゴーレムが出来上がったのだが…

 そこにはとんでもない美少女が立っていた。


 ──なぜ俺が作ると女なんだ!


「ご主人様。命を吹き込んでいただき、ありがとうございます」

 おまけに、きれいなドイツ語までしゃべっている。


「作っておいて言うのもなんだが、気分はどうだ。おかしなところはないか?」

「気分はとても爽快そうかいです。おかしなところはありません。完璧です」


「そうか…」

「早速で恐縮なのですが、名前をいただけますでしょうか」


「それもそうだな…クラリッサでどうだ?」

「いい名前です。ありがとうございます」


    ◆


 クラリッサの能力は未知数だったので、しばらくの間、フリードリヒ付きのメイドとして様子を見ることにする。


 ヴェロニアとベアトリスがひそひそ話をしている。

「しばらく納まっていたと思ったのに…また悪い癖が…」

「こればっかりはどうしようもねえな。女の方から寄ってくるからなあ」


 2人に気づいたクラリッサが寄ってきた。

「ヴェロニア様とベアトリス様ですね。新しくフリードリヒ様付きのメイドとなりましたクラリッサでございます。よろしくお願いいたします」


「あなたどこから来たの?」

「ご主人様に作っていただきました」

「人間を作るって…神様じゃあるまいし…」


「お2人はご主人様の能力がすごいことをご存知ないのですか?」

「そりゃあ知ってるけどさ…」


「作ったって。もしかして隠し子じゃあ…」

「あんなに大きな子供がいるはずないだろ! いったい何歳のときの子供だよ!」


「あっ。そうか…」


「じゃあ……ん?」

 2人は益々わからなくなってしまった。


    ◆


 いろいろ試してみたところ、クラリッサは力が人並みではあるものの、ボディはとんでもなく丈夫なことがわかった。

 剣で少し切りつけたくらいでは傷もつかない。


 魔法を教えてみたら土魔法が使えることも分かった。


 性格はとても素直で少し天然なところはあるが、誰とでも屈託なく会話する。


 考えた末、息子のジークフリート付きのメイド兼ボディーガードとすることにした。


 その結果を見届けた妻・愛妾あいしょうたちは皆がそろって大きな安堵あんどのため息をついた。

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