第105話 ジルの大冒険(2) ~初めての黒の森探検~

 ジルはナンツィヒに戻るとブリュンヒルデに黒の森シュバルツバルトの話をした。


黒の森シュバルツバルトの話なら聞いたことがあるわ。お父様が冒険者時代に通っていた森ね。そんなすごい場所だったのね。なんだか私も行ってみたくなっちゃった』

『でも、強力な魔獣や妖怪がいるから危ないって』


『お父様も一番最初はパールしか連れていなかったって言っていたわ。森の浅いところなら大丈夫なんじゃないかしら』

『でも、ちゃんとした大人に付いていかないと危ないよ』


『お父様もお忙しいし、そんなことを言っていたらいつになるかわからないわ』

『いや、しかし…』


『そうだ。リーンハルトを連れていきましょう。彼なら強いから安心よ』

『リーンハルトだって子供じゃないか。子供だけなんて無理だよ』


『大丈夫よ。じゃあ。リーンハルトを呼んでくるね』


    ◆


 リーンハルトは今日もアダルベルトと剣の訓練をしようと部屋を出たところ、突然誰かに背後を取られた。


「誰だっ!」

「しーっ。大きな声を出さないで」

 ブリュンヒルデが小声でささやく。


「ヒルデ様?」

「これから黒の森シュバルツバルトへいくわよ。付いてきなさい」


「これから? しかし、これからアダルベルト様と剣の訓練が…」

「そんなのお腹が痛いとか適当なことを言って断りなさいよ」


「しかし…ですね…」

「私とアダルベルトのどっちが大事なの?」ときつい目でにらむブリュンヒルデ。


「はーっ。わかりました…」


 リーンハルトはアダルベルトのところへ行くと、正直にブリュンヒルデ姫の世話があるので訓練ができないと告げた。


 ふと見ると物陰からブリュンヒルデが様子をうかがっている。


 ──姫様。何かたくらんでいるな…


 だが、アダルベルトも第2騎士団長になってから何かと忙しい。

 折よくマリーとすれ違ったので、2人をこっそりと見守るよう頼んだ。


「わかりましたわ。ブリュンヒルデも何を考えているのやら…」


    ◆


「ヒルデ様。アダルベルト様の許可を得てきました」

「気づかれなかったわよね」


「何をですか?」

黒の森シュバルツバルトへ行くことよ」


「それは話していません」

「ならいいわ」


 するとちょうどそこへジルがやってきて、ブリュンヒルデの足に頭をこすりつけている。


「じゃあ。ジルといっしょに行くわよ」

「えっ。その猫といっしょですか?」


「そうよ。黒の森シュバルツバルトのことはジルが教えてくれたの」

 と言うとブリュンヒルデたちは物陰へ移動した。


「ジルの言うとおり黒の森シュバルツバルトは危ないところだから、いきなり行くのは危ないと思うの。まずはバーデン=バーデンの町へ行っていろいろ調べてみましょう」

「さすがヒルデ様。それがいいと思います」


「じゃあ。リーンハルト。目をつぶって」

「えっ!」


「いいから。早く」

「はい」


 リーンハルトは素直に目をつぶった。

「もういいわよ」というブリュンヒルデの声に目を開けると、知らない町へ来ていた。

 もちろんブリュンヒルデがテレポーテーションしたのだが、リーンハルトには何が起きたか全くわからなかった。


「これはいったい…」

「細かいことは気にしないで、魔法みたいなものよ。

 さあ、冒険者ギルドはどこかしら」


「私が聞いて参ります」

 リーンハルトは通行人に冒険者ギルドの場所を訪ねた。


「こちらのようです」とブリュンヒルデをリーンハルトが先導する。腕にはジルを抱いていた。


黒の森シュバルツバルトの一番わかりやすい地図を買ってきてちょうだい」

「かしこまりました」


 テキパキとマメに用事をこなすリーンハルトはまるでブリュンヒルデの舎弟のようだ。


「買ってまいりました」

「ありがとう」


 早速ブリュンヒルデはリーンハルトといっしょに地図を見た。

「魔獣の分布まで書いてあるわ。いい地図を選んでくれたわね」


 リーンハルトは照れて赤くなっている。


「じゃあ。ここの入り口からまずは森の浅いところを探索してみましょう」

「はい」


 まずは、一角ラビットのむれに遭遇した。

 動きが素早いので近づいて剣で仕留めるのは難しそうだ。


「ヒルデ様。すみません。弓を持ってくればよかったですね」

「じゃあ。私が魔法でやってみるわ。

 水よ来たれ。氷の矢。アイスアロー!」

 ブリュンヒルデは無詠唱の練習中で完全には会得えとくしていなかった。


 氷の矢は見事に命中した。

 傷ついた一角ラビットをリーンハルトが素早く仕留める。


 しかし、素早く動く一角ラビットに矢を当てるのは難しく、その後は2回に1回くらいしか命中しない。


 意地になったブリュンヒルデはどんどん森の奥まで一角ラビットを追っていく。

「ヒルデ様。あまり奥まで入っては危険です!」

 とヒルデに呼びかけたリーンハルトの顔を土の轢弾がかすめた。


 ソイル・モールのむれあらわれたのだ。


『リーンハルトが危ないわよ』とジルに指摘され、ブリュンヒルデはようやく状況を認識した。


 こうなったら少し本気で行くしかない。

「リーンハルト。下がりなさい。

 炎よ来たれ。火炎の矢ぶすま。レインオブファイア!」


 炎の矢の雨がソイル・モールを襲う。

 何匹かが仕留められ、かなわないと見たソイル・モールのむれは逃げて行った。


「ふう。なんとかなったわね」

「ヒルデ様。森の浅いところでこれなのです。やはり黒の森シュバルツバルトは危険です」


「わかったわ。でもそろそろ昼だから昼食を食べてからに撤退しましょう」

「昼食ですか?」


「さっき仕留めた一角ラビットがあるじゃない。あれを食べるのよ」

「しかし、料理法などを私は知りませんが…」

「とりあえず皮を剣でいで丸焼きにすればいいんじゃない?」


 ──姫様。そんな大雑把な…


「わかりました。やるだけやってみます」


 リーンハルトは苦労しながら一角ラビットの皮をぐと木にくくり付け、焚火たきびで焼いていく。


「もっと近くで焼いたら早くできるんじゃないの」

「いえ。それだと表面だけ焦げて中に火が通りません。遠火でじっくり焼く必要があります」


「へえ。そんなものなの。あなたに任せるわ」


 しばらくして、焼き上がり。二人で食してみる。

 が、不味い。血抜きもしていないし、調味料も香辛料もつけていないから肉の臭みが鼻を突く。


 だが、ジルは気に入ったらしく、ガツガツと肉にむさぼりついている。猫は生に近い方がおいしいのだろう。


 2人でようやく一匹を平らげた。これで満腹とはいかないが、おかわりをする気にはなれない。


「まあ。最初はこんなものよ」

 とブリュンヒルデが負け惜しみを言った。


 と、その時、周囲をビッグウルフの群に囲まれていることに気づいた。


 そういえば、先ほど仕留めたソイル・モールの死体を放置したままだった。その血の臭いにつられてきたのだろう。

 森の中ではこういうことに神経を使わないと命取りになるのである。


「炎よ来たれ。高熱の火球。ファイアーボール!」

 ブリュンヒルデはビッグウルフを魔法で牽制するとビッグウルフはすくんだ。


 その機を逃さず、ブリュンヒルデは逃げることにする。

「リーンハルト。逃げるわよ!」


 包囲に穴の開いたところを全速力で駆け抜けて、2人は逃げて行く。

 が、ビッグウルフの方もしつこつ2人を追いかけてく。


 ブリュンヒルデは時折ファイアーボールをビッグウルフに向けて放ち、牽制けんせいしながら逃げて行く。

 狼のしつこさというのは定評があるとこであり、なかなかあきらめてくれない。


 それから何時間か逃げ続け、薄暗くなった頃、ようやくビッグウルフの気配はなくなった。


「ふう。しつこいやつらだったわね」

「とにかく生きているだけでも良しとしましょう」


「待って。ジルがいないわ」

 逃げるので精いっぱいでジルのことは念頭になかった。

 今ごろ心細い思いをしているだろう。


 ──ジル。ごめんね。


 そこに最悪の敵があらわれた。

 サーベルタイガーである。しかいもつがいのようで2匹いる。


 サーベルタイガーはいきなり襲ってきた。

「炎よ来たれ。高熱の火球。ファイアーボール!」

 とあわてて詠唱したが、サーベルタイガーには致命傷を与えられず、ひるまず襲ってくる。


 ブリュンヒルデは両手に剣を抜くと集中し半眼となりサーベルタイガーを迎え撃つ。だが相手が一枚上手だった。

 そしてサーベルタイガーの爪がブリュンヒルデの顔を切り裂くかと覚悟した時、鋭い風切り音とともにサーベルタイガーの首がポトリと落ちた。


 この太刀筋は…

「お父様…じゃなかった。マリーお姉さま」

 ブリュンヒルデはマリーに抱きつこうとするが、「リーンハルトの方が先だ」とマリーはリーンハルトを助けに行った。

 リーンハルトは腕に傷を負いながらも善戦していた。

 そこにマリーが割って入るとサーベルタイガーの首がポトリと落ちた。


「マリー様。さすがです」


 マリーは無詠唱でヒールを発動するとリーンハルトの腕を治療した。


「ありがとうございます」


 するとブリュンヒルデが思い出したように叫んでいる。

「マリーお姉さま。ジルがいないの。途中ではぐれちゃって…」


 ブリュンヒルデの目からは大粒の涙がポロポロと流れ落ちている。


「わかった。ジルは私が責任を持って保護する。ブリュンヒルデたちは安全な場所で待機しておいてくれ」

 と言うとマリーは歩き出した。


 しばらく歩くと、美しい川が流れる川べりに着いた。


「おい。一つ目いるか!」


 呼びかけると白い煙がわき上がり、中からさえない感じのおじさんが現れた。目は大き目な一つ目が中央についているが、それ以外の見た目は人族と変わらない。


「これは親分じゃなくて妹御いもうとごの方でしたか。私をお呼びとは珍しいことですな」

「しばらくこの子たちを保護していてくれないか。兄上の娘とその舎弟なのだ」


「ならば我が兄弟も同然。この一つ目。責任を持って面倒を見ましょうぞ」

「頼む」


 その直後、テレポーテーションしたマリーの姿が消えた。


    ◆


 ジルはブリュンヒルデたちとはぐれた後、様々な肉食の魔獣たちに追いかけられて逃げ回っていた。獲物としては丁度手ごろな大きさなのだろう。


 そしてブリュンヒルデたちの臭いを見失っていた。もはや自分がどこにいるのかも見当がつかない。


「にゃお~ん」と悲しい鳴き声を上げるが誰も答えてくれない。


 ──こんなことなら黒の森シュバルツバルトなんかに来るんじゃなかった…


 そんなことを考え始めた時、ジルの前に突然人影があらわれた。

 これはあの人…じゃなかった。女だ。ああ。あの人の妹か。

 それで安心したジルは狂ったようにマリーの足に頭をこすりつける。


「よしよし。怖かったんだね。もう大丈夫だよ」

 マリーもテレパシーが使えるのでジルにも意味が理解できた。


『ありがとうございます』

 ジルは心からお礼を言った。


    ◆


 残されたブリュンヒルデが川を見てみると奇妙な模様の仮面を付けた少女が川に入って何かをしている。どうも低級な妖怪のようだ。


「何をしているの?」とブリュンヒルデは聞いてみた。

「お兄ちゃんのために砂鉄をとっているの」


「お兄ちゃん?」

「フリードリヒっていうのよ」


 ──お父様ったら、こんな幼女の妖怪まで…


「ああ。それは私のお父様だわ」

「あなたお兄ちゃんの娘なの?」


「そうよ」

「じゃあ。ちょうどいいわ。砂鉄がたまってきたからお兄ちゃんのところに持っていって」


「お安いご用よ。

 リーンハルト。砂鉄をマジックバッグに詰めてちょうだい」

「承知しました」

 リーンハルトはテキパキと砂鉄をマジックバッグに詰めていく。


 その時、マリーがジルを連れて戻ってきた。


「ジル!」

「にゃ~ん」

 ジルはマリーの腕から飛び出るとブリュンヒルデの胸に飛び込んだ。


『怖い思いをさせてごめんね』

『でも、マリー様のおかでげ助かったわ。気にしないで』


 そこにフリードリヒがテレポーテーションでやってきた。

 事情はマリーからテレパシーで聞いている。


「マリーから事情は聴いている。今回のことは感心しないな」

「ごめんな…さい」

 ブリュンヒルデの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「今度からはこういうところはちゃんと大人が監督している時に来ること。いいね」

「はい…」


 ブリュンヒルデは感極まってフリードリヒに抱きつくと大声をだして泣き始めた。


「よしよし。気が済むまで泣くがいいさ…」

 フリードリヒはブリュンヒルデの頭を優しくでる。


「マリーも今回はご苦労だったな」

「どこで助けに入ろうか迷いましたけど、なかなかの大冒険だったですよ。見ていて面白かったです。」


「はっはっはっ。マリーも人が悪いな」

「多分お兄様に似たのですわ」


 しかし、子供の時のこういう経験というのも大事だ。

 なまじお城の中でばかり生まれ育ってしまって深窓の令嬢なんかになってもつまらないからな。


 これはこれで良い経験になったのかもしれない…

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