第78話 王妃マルゴ ~淫乱女~

 私はマルグリット・フォン・ザクセン。

 先日、神聖帝国のロートリンゲン大公の側室となった。


 私は裕福な貴族の家に生まれ、何不自由なく育った。しかし、子供の頃からどこか満たされない飢餓感のようなものをずっと感じていた。


 私が初めて男と関係を持ったのが11歳の時。相手は従者の男だったがなかば強姦のような形だった。だが、明確に抵抗を示さなかった、あるいは示せなかった私も私だ。

 その従者と関係を続けるうち、男女の交わりによる快感によってずっと感じていた飢餓感が少しだけ満たされることに気がついた。


 そのうちに別な男が私に言い寄ってきた。どうやら従者の男が私との関係を周りに自慢話をしていたらしい。


 今度も私は明確に抵抗ができなかった。あるいは別な男ならば私の飢餓感を満たしてくれるかもしれないという期待感があったのかもしれない。


 そうこうしているうちに、あの女は誰とでもベッドをともにするといううわさが広がり、私の体目的の男が群がってきて、それが常態化してしまった。


 そのうち私の方も男との関係を持たないと不安を覚えるようになっていった。


 そんな私をお父様は責めたが私には泥沼のような悪循環をどうすることもできなかった。


 19歳の時、私は結婚した。

 私は夫となった男に少しだけ期待をした。この人なら泥沼の悪循環を解消しくれるのではないか。そして、私の飢餓感を満たしてくれるのではないかと…


 しかし、夫もまた今までの男と変わるところはなかった。

 そしてあの泥沼の悪循環が始まる。


 そのうち夫は病気で亡くなり、私は実家のグリマルディ家に戻った。


 過去に関係を持った男や新しい男がまた私のところに押し寄せてきた。これに抵抗する心をもはや私は持ち合わせていなかった。


 そしてお父様から話があった。

 今度は神聖帝国のロートリンゲン大公の嫁になれという。


 ロートリンゲン大公は多くの妻や愛妾あいしょうを抱える好色な男との評判だ。いかにも淫乱女の私にはふさわしい相手ではないか。

 私は新しい夫となる男に何も期待していなかった。


 嫁ぎ先の新天地でもまた新たな泥沼の生活が待っているだけだ。

 私は自暴自棄じぼうじきになっていた。


 そして結婚式の日…

「新婦マルグリット・グリマルディ、あなたは、フリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセンを夫とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい。誓います」


 ──なんとむなしい誓いなのだろう…


 その夜。新婚初夜を迎えた。

 だが、処女でもない私には何の感慨もない。

 新しい夫もまた私の体を荒々しく扱い、勝手に腰を振って勝手に去っていくのに決まっている。


 新しい夫は部屋にやって来るなりこう言った。

「私の妻となったからには君の体は全て私のものだ。私の許可なく勝手に使うことは許さない。いいね」


 ──何をバカなことを。私の体は私のものだ。


「おや。返事はどうした?」

「わかりました。旦那様」


「いい返事だ。ではさっそくお手入れをしよう」

「はい?」


 あの人は私を風呂場へ連れていくと髪から足のつま先に至るまで自ら洗ってくれた。まるで召使のように。

 そして宝物でも扱うようにやさしく丁寧に…丁寧に…


 その魔法のような手に私は快感を感じてしまい思わず声を上げそうになる。いくら淫乱な私でもこんなことで声を上げていたらあの人に愛想をつかされてしまう。私は必死に耐えた。


 風呂から上がるとあの人はこう言った。

「風呂上がりの肌は乾燥しやすいからね。ローションを塗ってあげよう」

「ローション?」


「お肌を保湿する乳液のことさ。使うのは初めてかい?」

「ええ」


 今度もあの人はローションを手に取ると全裸の私の肌に手ずから塗っていく、やさしく丁寧に…丁寧に…。

 今度も私は快感を感じてしまう。私は必死に耐えた。


「声を出してもいいんだよ。誰が見ている訳でもないんだから」


 夫のその言葉をきっかけに私の我慢は限界に達してしまった。

 留まることを知らず、恥ずかしい声を上げてしまう。ローションを塗っているだけだというのに…。


 それが終わり、あの人は言った。

「よし。髪も乾いてきたから、髪のお手入れもしよう」


 あの人はくしに椿油を少量付けると、ほつれた髪を傷めないように慎重にほぐしながら、やさしく髪をくしけずっていく。

 髪をとかし終わると、そっと手の甲で触れて感触を確かめているのがわかった。


 私を愛おしく思ってくれているのだろうか? いや単なる髪フェチかも…


「ごめんね。待たせてしまったね」


 あの人は私の髪を優しくでると顔を近づけてきた。

 いよいよキスするつもりだ。


 結局はこの男も同じなのだ、私の体を荒々しく扱い、勝手に腰を振って勝手に去っていく…


 だが…


    ◆


 私は星の数ほどの男とベッドをともにしているくせに、気をやるということを経験したことがなかった。

 あるいはこれが…ということは何度かあったが確信は持てなかった。


 世間では淫乱女と言われながら実は私は不感症なのではないか。それが私のコンプレックスにもなっていた。それで私は余計にむきになっていた。


 しかし、昨晩は違った。

 私は気をやるということを知った。疑う余地は微塵みじんもなかった。


 そして私がずっと感じてきた飢餓感がずいぶんと解消されていることに気づいた。この人ならばあるいは…。

 私は期待した。


 だが、あの人は毎日は来てくれない。

 あれだけの妻や愛妾あいしょうがいるのだから、順番がなかなか回ってこないのはわかっている。


 私の中の悪い虫がうずきだした。

 こうなったら他の男でも…


 私は周りの男にモーションをかけてみた。

 だが、皆が皆恐れをなして逃げて行く。


 ──いったいどういうこと?


 その様子を冷たい目で見ていた私付きのメイドが言った。

「この国に大公閣下の妻を寝取ろうなどというやからはいませんよ」


 そして以前に強姦未遂の男を懲罰のため大公自ら両足を切断した話をしてくれた。しかも、そのときは眉一つ動かさなかったという。未遂ですらそうなのだから、実際に寝取ったりしたらどんな責め苦にあうことか…。


 他の男に声をかけることをあきらめた私は、結局自分の肉欲に抵抗できずに自ら慰めた。

 私は理解していなかったのだ。「勝手に使ってはいけないよ」という言葉がどういうことを意味しているのか…


 その夜。私のローテーションでもないのにあの人はやって来た。

 その手にはロープとむちを手にしている。


 ──ドSだといううわさは冗談じゃなかったの…?


 あの人は「君は私のものを許可なく使った。言うことを聞かなかったのだからおしおきだ」と静かに言った。


 この言葉を聞いて私の自慰のことだとようやく悟った。

 しかし、なぜ知っている?


 マルグリットは知らないことだが、彼女付きのメイドは実はアスタロト配下の悪魔で、隠形おんぎょうしながら彼女をずっと見張っていたのだ。


「さあ。脱ぎなさい」とまた静かに言うあの人。

 その言葉には何か不思議な力があって、私は逆らうことができなかった。


 私は衣服を脱ぐと全裸になった。

 あの人は黙って私の手足をロープでしばった。


「そこに立ちなさい」

 壁際に立たされる。


 そして…


 どのくらい時間が経っただろうか…

 私はどこまでもあの人に従順な一人の女へと変貌へんぼうしていた。


    ◆


 翌日。私は冷静に戻っていた。

 確かにあの人がドSといううわさはあったがあれほどとは…。

 それよりも意外だったのは私自身がマゾに目覚めたことだ。


 誰がこんな展開を予想できただろうか?

 それともあの人は私のマゾの資質を見抜いていたのだろうか?


 まあいいや。今は私の心も体もあの人の所有物だ。そのことに私自身この上もなく幸福を感じている。それでいいではないか…


    ◆


 しばらくして、お父様から書簡が来た。

 また私が誰とでもベッドを共にすることを心配し、いさめる内容だった。


 私は返事を書いた。

「今は私の心も体も夫の所有物です。他の男には指一本触れさせません」


 その返事を呼んだ父は大いに驚嘆したらしい。


「ザクセン公…なんとも不思議な男だな…」


    ◆


 実は私にはもう一つ秘密がある。


 あの人が私の髪や肌のお手入れをできないときは私付きのメイドがやってくれる。

 だが、そのメイドがあの人に劣らないテクニシャンだったのだ。


 メイドにローションを塗ってもらう時、あの人に開発されていた私は我慢できず快感の声を上げてしまっていた。

 メイドはそれでもかまわずローションを塗り続けている。


 たまらくなった私はメイドと関係を持ってしまった。

 しかし、あの人のおしおきはなかった。


 ──どういうこと?


 メイドに問いただしてみると「大公閣下の了解は得ています」ということだった。

 どうやらローテーションが待ちきれないときは自慰ではなく、メイドに慰めてもらえということらしい。


 ──あの人の基準がよくわからない。


 少なくも自分以外の「男」とは関係を持つなということなのだろうか?


(心配しなくてももうそんなことはないのに)と私はあきれた。

 私をこんなにしたのは当のあの人なのに…

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