第72話 領主なき国(2) ~風車の導入と間接統治~

 族長の屋敷に着くと、応接室らしき部屋に通された。

 そこに族長とおぼしき男と先ほどの少女がやってきた。


 フリードリヒはさすがに失礼かと思ってマスクを外していたのだが、少女はマスクを外したフリードリヒの顔を見て目を見張っている。


「わしが族長のゲラルト・ザカだ。貴殿が娘を助けてくれた冒険者か?」

「ええ。そうです」


「何かお礼がしたい。望みのものを何でも言ってくれ」

「いえ。クエストとして受けた訳ではないですから。謝礼は結構です。

 ただ、この辺りには良い宿屋がなさそうなので、しばらくこの屋敷に逗留とうりゅうさせていただけるとありがたい」


「なに。そんなことでよいのか。貴殿は欲がないのだな」

「さあ。それはどうでしょうか?」

 微妙な答えぶりに族長は怪訝けげんな顔をした。


「リア。おまえからもちゃんとお礼を言いなさい」

「はい。このたびは危ないところを助けていただき、ありがとうございました。

 あのう…。お名前をうかがってもよろしいですか?」


「フリードリヒといいます」

「フリードリヒ様ですね。もう覚えました」


 そこでヴェロニアがローザに小声で耳打ちした。

「やべえぜ。あれはもうれちまってる」

「ああ。そうだな」


 ヴェロニアとローザは鋭い目でリアを見つめているが、舞い上がっているリアは全くそのことに気づいていない。


「ここに逗留とうりゅうしていかがする?」

「クエストがあればもちろん受けますが、近くに冒険者ギルドはありますか?」


「そのようなものはない。あえて言えばわしが冒険者ギルドのマスターを兼ねている」


 ──これは相当な田舎だな…


「何か我々が受けられそうなクエストはありますか?」

「実はこの近くの大きな水路にリンドドレイクが住み着いて住民を襲っているので困っているのだ。退治できるか?」


 ──リンドドレイクとはなつかしい。


「できます」

「やつは水中に住んでいるのだぞ」


「問題ありません」

 何の気負いもなく答えるフリードリヒにゲラルトは何か不思議なものを感じた。長年の勘がこの者はただ者ではないと告げている。


「そうか。ならばお願いする」

「了解した」


    ◆


 リンドドレイクの住み着いた水路への案内はリアが行うことになった。


あるじ様。リンドドレイクとは懐かしいですね」

 ネライダが言った。


「ああ。そうだな」

「また釣り上げるのですか」


「それがいいだろう」


 前回リンドドレイクを釣り上げた鎖はタンバヤ鉄工所の倉庫に眠っていたものを物体取り寄せアポートで取り寄せた。

 案の定さび付いていたので金属魔法で修復し、今はマジックバッグの中にある。


「ところでリア嬢。牡牛を一頭調達したいのだが、なんとかならないか」

「わかりました。近所の知り合いの農家に頼んでみます」


 ちょうど年老いて食用にされる寸前の牡牛がいるので、それを分けてもらった。


 リアが質問してきた。

「牡牛で何をするのですか?」

「釣りさ」


「釣り?」

 リアは納得しかねる顔をしている。


 しばしの間歩くとリアが言った。

「このあたりがリンドドレイクの住み着いた水路です」


 川岸から川の中を千里眼クレヤボヤンスで透視しながらリンドドレイクの影がないか探っていく。


 しばらく行くと深い淵の底にそれらしき影をフリードリヒは見つけた。


「あの淵にいるな。リア嬢は危ないから離れていてくれ」

「わかりました」


 鎖を牡牛の体に絡ませると金属魔法で固定する。

 牡牛を川の方に向かせると、尻に弱いファイアーボールを放った。


 牡牛は驚いて叫びながら川へ突進し、川へはまってしまった。

 牡牛は懸命に水路を泳いでいる。


 そこへ期待どおりリンドドレイクが食いついてきた。すぐには鎖を引かず、リンドドレイクが十分に飲み込むのを待つ。


 リンドドレイクは異変を感じ、川底へと逃走を図る。鎖がどんどんと川へ引き込まれていく。


「よし。もういいだろう。皆も手伝ってくれ」


 フリードリヒはもうすぐ17歳。まだ12歳前だった前回とは強さが段違いに違う。


「今だ。思いきり鎖を引っ張れ!」

 フリードリヒはプラーナによる身体強化に加え神力も総動員して鎖を引いた。


 リンドドレイクがあっという間に引き寄せられてくる。


 やがてリンドドレイクの姿が見え、体の半分が川から出ると、リンドドレイクも覚悟を決めたらしく、フリードリヒたちに襲い掛かってきた。


 リンドドレイクはフリードリヒたちを威嚇いかくしようと口を大きく開けて咆哮ほうこうした。


 ──バカなやつ…


 次の瞬間、プドリスが極大のファイアーボールをリンドドレイクの口をめがけて放った。


 リンドドレイクは気管と肺を焼かれ呼吸困難状態になり一気に弱っている。


 フリードリヒはその機を逃さず、すばやくリンドドレイクの背中に駆け上がり、両手で思いきり1本の剣を延髄えんずいに突きさす。剣は、そのままズブリと根元までめり込んだ。


 リンドドレイクは悲鳴を上げる間もなく絶命し、倒れた。


 その様子を見ていたリアは感嘆し、思わずつぶやいた。

「す、すごい。なんて強さ…」

 その目はフリードリヒの姿に釘付けとなっていた。


 その日。リンドドレイクの討伐をゲラルトに報告すると「もう討伐したのか!」と驚いていた。


    ◆


 その後。ちまちまとしたクエストをこなしながら、フリードリヒたちはフリスラントの状況を見て回った。

 頼みもしないのにリアは付いて来る。


 フリードリヒはあちこちに水浸しとなった農地があることに気づいた。

「あれは?」

「あれは、農地が地盤沈下してしまって排水ができないのです」

 リアが説明した。


 ──なるほど…


 フリスラントは現在でいうオランダにある。

 オランダ名物と言えば風車だ。


 風車はもちろん水車と同様に粉ひきなどにも使えるが、オランダの風車の最大の目的は低地の水を排水することにある。

 オランダに風車が伝わるのはちょうど13世紀ごろなのだが、フリスラントにはまだ伝わっていないのだろう。


 フリードリヒはゲラルトの屋敷に戻ると早速風車の話をした。

「そのようなものがあるのか。ならばぜひ試してみたい」


「わかりました。大工は集められますか?」

「いや。専門の大工はいないから、手に覚えのある者を集めよう」


「わかりました」


 風車の原理は単純だから作るのはそれほど難しくない。

 フリードリヒは集められた者たちと協力して数週間がかりで風車を完成させた。


 ゲラルトを呼び。早速動かしてみる。

 折よくちょうどよい風が吹いており、見事に風車は回った。


 それによってどんどんと農地に溜まった水が排水されていく。


 ゲラルトは感激して言った。

「おおすごい。これを何基も作れば水浸しの農地が復活できる。

 フリードリヒ殿。貴殿には心から感謝する」


 ──そろそろ潮時かな…


 フリードリヒはゲラルトに内密な話があると申し入れた。

 その夜。ゲラルトの私室を訪れる。


「内密な話とは何ですかな?」

「実は族長に隠していることがありました。実は私はロートリンゲン大公の密偵も兼ねているのです」


「ただ者ではないとは思っていたがそういうことか。その密偵殿が内密な話とはなんだね?」

「大公閣下は自らが後見となってフリスラントの自治をうながすお考えです」


「今でも自治といえば自治をしているつもりだが」

「それも間違いではありませんが、フリスラントには課題が山積みです。

 風車建設もそうですし、堤防の維持・拡充も必要です。それに他国とつなぐ道路も整備して産業を発達させることも急務です」


「私は今の自給自足的な生活でも十分満足しているのだが…」

「それではフリスラントの発展が立ち遅れ、いずれは他国の食い物にされてしまします。フリスラントは他国に対抗できるだけの力を身に付けねばなりません」


「しかし自治といってもいったいどうすればいいというのだ。私には見当もつかん」

「まずは領主が必要です。私はゲラルト殿を推薦し、貴族に叙したうえで領主となってもらうつもりです」


「なんとわしをか? わしはそのような器量は持っておらぬ」

「何を言います。これまでも立派にフリスラントとまとめてきたではありませんか。

 それにゲラルト殿が領主をするに当たっては、それを手助けする人材を大公が派遣してくださいます。それでも踏ん切りがつきませんか?」


「う~む…」

 ゲラルトは考え込んでしまった。


 これは尻を蹴飛ばしてやる必要があるな


「実はホラント伯はフリスラントを武力制圧するよう大公閣下に求めておいでです。もしゲラルト殿に自治を受け入れてもらえないとなると大公閣下も武力制圧に踏み切らざるを得ません。その際は暗黒騎士団ドンクレリッターをもって一気にということになるでしょう」

「なんとあの暗黒騎士団ドンクレリッターがか…」

 フリスラントはホルシュタイン伯国からも近い。

 先の対デンマーク戦争の様子なども伝わっているのだろう。


「わかった。大公閣下の提案を受けよう」

「ありがとうございます。

 これまでの行きがかり上、形式的にはホラント伯とユトレヒト司教に臣従する形となり、幾ばくかの税を払うことにはなると思いますが、理不尽な搾取さくしゅは大公閣下がお許しになりません。そこはお任せください」


「わかった。よろしく頼む」


 これでようやく自治の話に決着がついた。

 ちょっと時間がかかってしまったからナンツィヒには早々に戻らないと残してきた妻たち、愛妾あいしょうたちの機嫌をとるのが難しくなる。


    ◆


 翌日。

 フリードリヒ一行はナンツィヒに戻ることにした。


 見送りをするゲラルトとリアに別れの挨拶あいさつをする。

「長い間お世話になりました。それでは失礼いたします」


 後ろを振り向き立ち去ろうとするフリードリヒ。

 その矢先、リアはその背中に駆け寄り、しがみつくと涙ながらに懇願こんがんした。

「フリードリヒ様。私も連れていってください。冒険の役には立たないかもしれないけれど、雑用でも何でもいたします。ですから…」


 ──あちゃー。やっぱりこうなったか…


 パーティーの女子メンバーは顔を見合わせると苦笑いした。


 ゲラルトは感銘かんめいを受けたらしくこう言った。

「フリードリヒ殿。リアもこう申しているのだ。連れていってくださらんか?」

「しかし、私にはもう既に複数の妻や愛妾あいしょうが…」


「それならば今更一人増えたところで問題あるまい。それともリアに何か不満がおありなのかな?」


 ──これは昨日の意趣返しか?


「いえ。そういう訳では…」

「ならば決まりだな。

 リア。急いで支度をしてきなさい」


 結局、ナンツィヒにはリアを伴っていくことになってしまった。


    ◆


 リアはフリードリヒとともにナンツィヒに到着した。


 ──ここがナンツィヒかあ。立派な町だな…


 フリードリヒは何だか立派なお城の中にずんずん入っていく。


 ──フリードリヒ様って密偵じゃなかったっけ。こんなに目立って大丈夫なのかな…


 すれ違う人たちは皆一様に深々と頭を下げている。


 ──えっ。密偵ってそんなに偉いの?


 すると立派な恰好かっこうをした貴族然とした人物が声をかけてきた。


「閣下。その女人にょにんはどうされました?」

「ああ。ハグマイヤー内務卿か。行きがかり上、側室にすることになった。準備をよろしく頼む」

「承知いたしました」


 ──いまフリードリヒ様のこと「閣下」って言ったよね…


 リアの頬を冷や汗が伝った。


「あのう…フリードリヒ様。今の人『閣下』って言いましたよね?」

「ああそうか。そういえばもう今更だな。私がロートリンゲン大公のフリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセン本人だ」


「ひえーっ!」とリアは思わず叫んだ。

 と同時に、フリードリヒに向かって土下座し、必死にあやまった。

「知らぬこととはいえ、これまでの無礼の数々。心からおび申し上げます。覚悟はできておりますので、もう死刑にでもなんでもしてください!」


 周りの人たちは何ごとかと2人に注目している。


「おい。めろ。頭を上げるんだ。君はもう私の側室になることが確定している。堂々としていればいいんだ」

「そう…なのですか?」


「ああ」

「もう。私本当に死刑になっちゃうかと思いました」


「いくらなんでもそれは大袈裟おおげさだな。はっはっはっ」

 珍しくフリードリヒは声を上げて笑った。


    ◆


 数日後。

 ゲラルトの受爵の日がやってきた。


 居並ぶ貴族たちの目を意識しながらゲラルトは謁見の間を緊張のおもむきで進む。


 ゲラルドが拝謁の姿勢をとると、宮中伯が口上を述べる。



「ゲラルド・ザカ。こちらへ」

「はっ」


 ゲラルドは宮中伯のところへ歩み寄る。

「このたび、ゲラルド・ザカに帝国子爵の位を授けるとともにフリスラントの統治を一任することとする」

つつしんでお受けいたします」


 続いて皇帝フリードリヒⅡ世からの言葉があった。

「この度の件。ロートリンゲン大公のたっての推薦ゆえ実現したものである。大公の顔に泥を塗らぬよう精進するように」

「ははっ」


 ゲラルドが謁見の間を退出して、ホッと一息つくと話しかけている者がいる。


「ザカ卿。無事受爵が住んで一安心ですね」

「まったく。こんなに緊張したのは生まれて初めてだわい」

 ふと顔をみると冒険者のフリードリヒではないか。


「貴殿。なんでこんなところに?」

「今までだましていてすみませんが、私はフリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセン。ロートリンゲン大公本人なのです」


 ゲラルドは口をアングリと開けて驚嘆している。

 「開いた口が塞がらない」ということわざを地でいっている。


 しばらくして、ゲラルドは正気に戻ると言った。

「これまでの無礼の数々。平にご容赦ください。

 閣下にかけていただいた言葉の数々。胸に刻み身命を賭して精進してまいります」

「まあ、最初から気合を入れすぎると後が持たないからマイペースでやるといいさ。

 前にも言ったようにロートリンゲンからは人を派遣するからせいぜいこき使ってやって欲しい」

「ははっ。感謝の念に絶えませぬ」


    ◆


 これで受爵も無事終わった。

 あとはリアとの結婚式だ。


 これは所縁ゆかりの深いユトレヒト司教の教会で行った。

 アメーリエに続き2回目だったので、もう慣れたものだ。


 妻たちや愛妾あいしょうたちは機嫌が悪かったのは事実だが、もうあきらめの境地にあるような気もする。


 リアは元々庶民なのでタラサなどと気が合うようで、良くつるんでいる。それなりになじんでいるようで安心した。

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