第71話 領主なき国(1) ~フリスラント~

 ホラント伯ウィレム・フォン・ホラントは何度目かのフリスラントの制圧に乗り出していた。

 農民軍を前に騎士たちに攻撃を命令する。

突撃せよアングリフ!」


 命令とともにランスを構えた騎士たちが突撃していく。

 しかし、ランスはもともと騎士同士の決闘用に発達したものである。一発目の攻撃をかわされ乱戦になってしまうと、ただ長くて取り回しが面倒な武器に早変わりしてしまう。


 対する農民兵は屈強な男たちで、各々おのおのがバトルアックスで武装している。

 土地は海沿いの泥濘ぬかるみで馬のスピードも出ない。

 第一撃をけられ、混戦になると騎士たちは農民兵のバトルアックスに次々と打ち取られていった。


 ──くそっ。なんということだ!


退けっ! 退却だ!」

 ホラント伯は攻撃を断念して退却を命じた。


 農民兵たちは勢いに乗って勝ちどきを上げている。


 ホラント伯は退却しながらその声を虚しく聞いていた。


    ◆


 フリスラントはホラント伯国からアイセル湖をはさんで東に広がる海岸沿いの低地にある。

 フリスラントにはゲルマン人の一部族フリース人が住んでおり、フリスク語という独自の言語を使っていた。


 フリスラントの住人は潮の干満への対策としてテルプと呼ばれる人工の盛り土の上に家屋を建てて住んでいた。

 12世紀頃から海岸線に沿った堤防の建設が進められ、13世紀初め頃にはフリスラント全体が堤防で囲まれるようになった。


 形式上、ホラント伯とユトレヒト司教の共同統治領とされるが、12世紀以降100年近く実効支配に至らず、実質的に領主が存在しない状態が続いていた。

 歴代のホラント伯はしばしばフリスラントの制圧を試みたが、完全にこの地を支配下に置くことはできずにいた。


 フリスラントは時に「領主なきフリスラント」と言われ、封建制や領主制が定着せず、住民はいずれも自由身分の農民であり、当時の西ヨーロッパでは例外的な地域となっていた。

 領主の不在が続いたことから、最も遅れた地域の一つである。


    ◆


 ホラント伯は軍務担当の臣下を呼ぶと当たり散らしていた。

「これでもう何度目だ! いったいどうすればいいというのだ!」

「我々の自力で無理ならばロートリンゲン大公を頼ってみてはどうです? せっかく縁戚えんせきになったのですから」


「それもそうだな。この際、利用できるものはとことん利用しようではないか」


 だが、フリスラントはユトレヒト司教との共同統治領である。ユトレヒト司教の意見も聞かねばならない。


 使者を送ってみたところ、ユトレヒト司教はこう言った。

「確かに。ロートリンゲンの暗黒騎士団ドンクレリッターは聖なる軍隊と聞く。この際、十字軍に準じ、聖なる軍隊をもって蛮族ばんぞくを教化するのがよろしかろう」


 フリース人は、これまでの度重なる勧誘にも動じず、キリスト教をかたくなにこばんでいるのだった。


    ◆


 フリードリヒはホラント伯とユトレヒト司教の連名の書簡を受け取った。

 それにはフリスラント討伐に力を貸して欲しいと書いてあった。


 フリードリヒは、フリスラントは領主を持たない独立不羈どくりつふきの土地柄であることくらいは知っていた。

 が、それを好ましく思うことはあっても、武力を持って無理やりに従わせることには抵抗を覚えた。


 とはいえ、このままの状況が続けば、フリスラントは発展する他の地域から置き去りにされた未開の地になってしまう。


 フリードリヒは思案する…


 そうだ。このような土地柄の場所こそ自らに統治を任せ、間接統治すればいいのではないか?

 統治に慣れていない農民でも、手助けをする人間がいれば可能なのではないだろうか。


 そのためにはロートリンゲンも統治に一枚む必要がある。


 フリードリヒは、とりあえず間接統治のことは伏せておき、ロートリンゲンも共同統治に参加させるのであれば力を貸す旨の返書を返した。


    ◆


 軍務担当の臣下がホラント伯に報告する。

「ホラント伯。ロートリンゲン大公からの返書が来ました。共同統治に参加させるのであれば力を貸すとのことです」

「う~む。さすがに無報酬で力を貸せというのは無理であったか。しかし、あの小僧も領土的野心はないと思っていたが意外だな。何を考えている?」


「ちょっと読めませぬな。

 返書にはホラント伯・ユトレヒト司教と三者で話し合いをしたいとも書いてあります。話だけでも聞いてみはいかがですか?」

「行きがかり上やむを得ないだろう。話し合いを受けよう」


    ◆


 数週間後。ホラント伯の城で三者の話し合いが行われた。


 ホラント伯が口火を切る。

「大公閣下。わざわざご足労いただき大変恐縮です」

「いや。ロートリンゲンもヘルダーラント候領がフリスラントと接しているからな。他人ごとではないのだ」


「ところでお話とは何ですかな? 私は暗黒騎士団ドンクレリッターの力をもってすれば一ひねりと考えたのですが…」

「それはもちろん可能ではあるが、武力をもって無理やりに従わせるのはああいう土地柄にはなじまないと私は考えるのだ。

 あの土地がノルマン人、すなわちヴァイキングに占領されていたときもフランク王国はノルマン人に爵位を授け、侯国を建てていたではないか。

 その前例も踏まえ、農民たちのリーダーに爵位を授けたうえで自らを治めさせ、臣従させるのだ。いわゆる間接統治というやつだな」


「その場合、キリスト教の布教の方はどうなるのですかな?」

 ユトレヒト司教が質問した。


「宗教というものはそもそも武力をもって強制するようなものではないと私は思う。

 教会を建てることを認めさせるから、まずは慈善事業などを通じてキリスト教のメリットを徐々に浸透させていくのが適当だろう」

「なるほど。それも一理ありますな」


 一方で、ホラント伯は納得がいかない顔をしている。今まで直接統治しか頭になかったから、切り替えができないのであろう。


「ホラント伯は納得がいかないようだな。

 だが、直接統治をする場合、あのような土地柄の場合は軍も駐留させる必要もあるし、統治のための文官も多数派遣する必要がある。それを維持するとなると相当な金と労力がかかるぞ。

 おそらく統治が軌道にのるまでの初期段階は税をとっても赤字だろうな。それでもホラント伯は直接統治にこだわるのか?」


 赤字と聞いてホラント伯の顔色が変わった。

 おそらく新しい土地を手に入れればその分税金でもうかると単純に考えていたのであろう。


 それは民が素直に従うような土地柄の場合に限られることがわかっていない。往々にしてそのようなことは少ないのだ。


 ホラント伯は必死に損得勘定をしている様子だったが、ようやく結論が出たようだ。


「わかりました。大公閣下のお考えに従いましょう。

 それでやつらの説得は誰がするのです?」

「それは私が行こう」


「閣下が自ら!? それは危険ですぞ」

「こう見えて私は強いぞ。それにちゃんと護衛も連れていく」


「閣下がそこまでおっしゃるならお任せします。

 ユトレヒト司教もよろしいな?」

「もちろんでございます」


    ◆


 数日後。フリードリヒは、冒険者の恰好かっこうをしてフリスラントを訪れていた。


 冒険者らしく、連れはかつてのパーティーメンバーである。

 この面子めんつで行動するのは何年ぶりであろうか。なんだか懐かしい。


 ヴェロニアが言った。

「旦那とこうやって一緒に行動するのも久しぶりだな。けど、黒の森シュバルツバルトと違って強え魔獣がいないのはつまらねえなあ」

「ああ。そうだな」


 さて、これからどうやって族長に面会するかが問題だ。

 よそ者がただ会わせろといっても無理だろう。


 ──ここはちょっとやらせで行くか…


 ちょうど折よくフリードリヒたちの前を身なりの良い少女が何人かの従者を連れて歩いている。おそらく身分の高い者だろう。


 悪いがちょっと利用させてもらおう。


 フリードリヒはアラクネを召喚した。

 アラクネは少女に蜘蛛の糸を巻き付けるとそのまま逃走していく。従者があわてて追いかけるが、八本の足に打ちのめされ気を失ってしまった。


 フリードリヒはベアトリスにヒールの魔法で従者の傷を治療させると、ほほたたいて目をまさせた。

「あの蜘蛛くもの化け物にさらわれた少女は誰だ?」

「族長の娘のリア様です。あなたは?」


 ──これはラッキーだったな…


「通りすがりの冒険者だ」

手練てだれの冒険者様とお見受けいたします。お願いです。お嬢様を助けていただけませんか。報酬ははずみますので」


「これも何かの縁だろう。わかった。引き受けよう」

「ありがとうございます」


 フリードリヒはアラクネのもとに向かった。

 場所はわかっている。少し離れた場所にある廃墟だ。


あるじ様。これでよかったのかい?」

「ああ。十分だ。助かった。ありがとう」


「じゃあ。あたしはこれで…」

 アラクネは少女に巻き付けた糸をほどくと去っていった。


 少女に外傷はない。ショックで気絶しているだけだ。

 フリードリヒが少女を抱き起すと、かるくうめきながら目を覚ました。


「あれっ。私はいったい?」

蜘蛛くもの化け物にさらわれたのだ。だが、安心しろ。化け物は追い払った」


「あ、ありがとうございます」

 少女は若い男に抱きかかえられているのに気づき、恥じらいながら礼を言った。


 少女はドイツ人とは少し違う北欧系の顔立ちをしている。歳はフリードリヒよりも一つ二つ下だろうか。なかなかの美人である。


「君の従者の者が待っている。行こう。」

 フリードリヒは少女をお姫様抱っこして従者のもとに歩いていく。


「だ、だいじょうぶです。自分で歩けます」

 少女は恥じらいながら必死に訴えている。


「万が一ということもある。しばらくは様子を見た方がいいだろう」

 フリードリヒはそう言うと、そのままお姫様抱っこを続けた。


「こ、これはお嬢様。大丈夫でございますか?」

「外傷はないようだが、ショックを受けているようだ。少し様子を見た方がいいだろう」


 フリードリヒが少女を下ろすと「大袈裟おおげさに言わないで。大丈夫だから」と言ってぴょんぴょんとねて見せた。


 ──まだ子供っぽいところもあるのだな…


「とにかくお礼をさせていただきますので、族長の屋敷までおいでください」

「わかった」

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