第57話 天使ラジエルの書 ~悪魔使役~

 ここは天界。


 今日もガブリエルは苦々しい表情でミカエルを見ていた。

 ミカエルは相変わらず天界からフリードリヒの様子をうかがっている。


「ガブリエル。どうしよう。あやつが人族の娘と結婚してしまった。それに愛妾あいしょうもたくさん…」

「それがどうされました。たかだか人族の結婚ごとき気にされますな」


 ガブリエルの言葉は届かない。ミカエルは放心状態のようだ。

「しっかりしてください。ミカエル様!」


    ◆


 フリードリヒには以前から考えていることがあった。

 以前ダークナイトを暗黒騎士団ドンクレリッターに加えた時に引き合いに出したソロモン王のことだ。


 ソロモン王は72の幹部級の悪魔を使役しえきしていたという。

 伝承によればソロモン王の指輪を用いていたという説が有力だが、あるいは天使ラジエルの書で学んだという異説もある。


 天使ラジエルの書とは、神の秘密の知識を司る天使ラジエルによって書かれた書で、天地創造にまつわる神秘の全てが記されているという。


 この本は神が最初に創った人間アダムに与えられ、その子のエノク、ノアへと引き継がれ、やがてソロモン王が手に入れたとされる。


 実は、その写本とされるものが現存してはいるのだが、実に胡散臭うさんくさい。学者肌のフリードリヒとしては、ここはぜひ本物を見てみたいと常々考えていた。


 ──ミカエルに頼んだら見せてくれないかな。


 天使への伝手つてなどミカエルくらいしかない。最上級の天使なら何とかしてくれるのではないかという楽観主義のもと、ダメ元で訪ねてみることにする。


 早速、幽体離脱をして天界へ向かう。


『パール。肉体の見張りを頼むぞ』

御意ぎょい


    ◆


 その頃、天界では…


 ミカエルはあせっていた。

「ガブリエル。どうしよう。あやつがやってくる!」

「人族ごときにあわててどうします。いつもどおりの威厳を示せばいいのです」


「そ、それもそうだな…」


 やがてフリードリヒがやってきた。

「これはミカエル様。もしかして待っていてくださったのですか?」

「そ、そのようははずなかろう。其方そなたから会いにくるとは何の用件か?」


「実はミカエル様にお願いがございまして…天使ラジエルの書を閲覧させていただけないでしょうか?」

「それはやぶさかではないが、条件がある」


「条件とは?」

「また私に会いに来てくれぬか?」


「そのようなことであれば、いくらでも」

「それは重畳ちょうじょう


 そこにガブリエルが割って入った。

「ミカエル様。天使ラジエルの書はこの上ない天界の宝です。このような得体のしれない者に見せるなどもってのほかです!」

「別に寄こせと言っているのではなく、閲覧と言っているのだ。見せたからと言って減るものでもなかろう」


「しかしですね…」

(恋は盲目というが、まさにそれだな)とガブリエルは思った。


「それに全知全能の神はすべてをご存知のはず。問題なかろう」


 ──これは手のほどこしようがないな。それに本当に神が望まないならばこのような展開にはならぬはず。神は何を考えておられるのか?


「天使ラジエルよ。これに!」

 とミカエルが命ずるとすぐにラジエルがあらわれた。


「ご苦労。そこな人族にラジエルの書を見せてやってくれぬか」

「えっ。ラジエルの書を!? しかしあれは天界の宝で…」


「見せるだけと言っておる。私の命令が聞けぬのか?」

「ははっ。承知いたしました」


 ラジエルは渋々とラジエルの書を取り出した。


 サファイアでできているなどという伝説もあったが、実際は羊皮紙のようなものでできた古い書物だった。

 思ったほど厚さもない。これに天地創造の秘密が全て詰まっているとはにわかには信じられない。


 しかし、書物からは何か神秘的な力を感じることは事実だ。


 フリードリヒが差し出されたラジエルの書に触れた瞬間、目がくらむような感覚に襲われた。

 膨大な知識がフリードリヒの頭の中に流れ込んでくる。


 だが、それも一瞬のことだったらしい。


「どうした?」

「あまりの感動にひたっておりました。では拝見いたします」


 フリードリヒは受け取ったラジエルの書を速読していく。

 あまりの速さにミカエルは言った。

其方そなた本当にその速さで読んでいるのか?」

「いえ。覚えられるはずはありませんから、どのようなことが書いてあるか斜め読みしているだけです」


 それは嘘である。フリードリヒは速読の技術でラジエルの書の中身を完璧に記憶していく。

 が、厚くない書物なので程なくして読み終わってしまった。


 それによって分かったことがある。

 書物に触れた瞬間に流れ込んできた知識の方がはるかに膨大だということだ。実際に書かれているのは概要サマリーに過ぎず、これだけでは悪魔の使役しえきなどできない。

 しかし、さきほど流れ込んできた知識を使えば…


「ありがとうございました。天使ラジエルの書に触れることができたことは一生の思い出にします」

 と言いながらフリードリヒはラジエルの書をラジエルに返却した。


「ふん。人族に天使語が理解できるはずもなかろう」

 ラジエルはさげすみの目でフリードリヒを見つめる。

 実は、触れた時に流れ込んだ知識によって読むことができていたのであった。


 それに対し「それはもちろんでございます。雰囲気だけ味わわせてもらいました」ととぼけるフリードリヒ。


「人族の見栄みえというものはしょうもないものだな」

「恐縮です」


 ミカエルが声をかけてきた。

「どうであった?」

「これでもう充分に満足いたしました。本当にありがとうございます」


「うむ。ならばよい。約束のことを忘れるなよ」

「承知いたしました」


    ◆


 フリードリヒは一刻も早く得た知識を試してみたくて地上へと急いだ。


 肉体へと戻ると、アウクスブルク郊外の人気のない荒れ地へとテレポーテーションで移動した。

 念のためオスクリタを連れて来ている。


あるじ様。何をするの?」

「悪魔を召喚して使役しえきするのだ」


「それは…かつてソロモン王にしかできなかったこと…まさか」

「ああ。天使ラジエルの書を読んだ」


「さすがはあるじ様」


 ソロモン王が使役しえきしていた72の悪魔の有名どころは、ベルゼブブ、ベリアル、アスモデウス、バエル、レビアタンなど大物ぞろいだ。


 まずは、筆頭格のベルゼブブを召喚してみる。


 地獄において、権力と邪悪さでサタンに次ぐと言われ、実力ではサタンをしのぐとも言われる魔王である。

 また、蝿騎士団フリーゲリッターという騎士団を作っており、そこには死の君主エウリノームなど悪魔の名士が参加しているとされる。


 召喚陣があらわれ黒い霧が渦巻くと、巨大なはえの姿をした悪魔があらわれた。


 悪魔は「我を召喚したのは誰か?」と機嫌の悪そうな声を発している。

 しかし、フリードリヒの姿を見るなり驚愕きょうがくした。


「ソロモン…」

 そういうなり絶句している。


 ──どういうことだ?


「ソロモン。転生しておったのか?」

「私はそのような名前ではない。フリードリヒだ」


「いや。その姿形といい、たましいの波動といい、ソロモンに間違いない。

 そういえば人族は転生すると前世の記憶を失うのであったな」


「私の何世代か前の前世がソロモン王だというのか?」

「ああ。でなければ我を召喚できるはずがない」


「…………」

 にわかには信じがたい話ではあるが、ベルゼブブの言うことにも一理ある。

 しかし、フリードリヒに前世より前の記憶がない以上、確かめようがない。


「それにそこにいるのはオプスクーリタスか?」

「今の名前はオスクリタよ」


「なんと。闇の上位精霊まで眷属けんぞくにしておるのか…」


「まあな。それよりも、『また』といってよいのかわからぬが、私のしもべとなって働いてもらいたい」

「いやだと言っても、また無理やり従わせるのだろう。是非もない」

 言っている言葉の割には機嫌が悪そうでもない。


「そう言ってもらえると助かる。

 まずは運河づくりを手伝ってもらいたいのだが…」


「それならばベリアルが適任だろう。あいつは様々な労働に使われておったからな」

「わかった」


 そう言うとフリードリヒはベリアルを召喚する。


 召喚陣があらわれ黒い霧が渦巻くと、燃え上がる戦車に乗り、美しい天使の姿をした悪魔があらわれた。


 ベリアルは、堕天した力天使りきてんしで、人間を裏切りと無謀と嘘に導く者、ルシファーの次に作られた天使ともいわれる。彼の配下には52万2千2百80人の悪魔がいる。


 ベリアルも召喚されるなり驚いた。

「おまえは…ソロモン!」


 ──もういいや。面倒くさい。


「そうだ。私は転生してよみがえったのだ。また、私のために働いてもらうぞ」

「くっ。仕方がない」


「きさまにはアイダ―運河の建設を手伝ってもらう。いいな!」

「承知した」


 その日以来、夜になると謎の人影が現れ、運河の工事を手伝ってくれるようになった。これによってアイダ―運河の工事は一気に進捗しんちょくし、3月後には完成するに至る。


 次も有名どころでアスモデウスを召喚してみよう。


 召喚陣があらわれ黒い霧が渦巻くと、ドラゴンに乗り、牡牛と人間と牡羊の三つの顔を持ち、雄鶏の足に蛇の尾をもった王様の姿の悪魔があらわれた。

 地獄の王たちの中でも上位階級に属し、72の軍団を統率しているともいわれる有力者である。


 アスモデウスも反応は同じだった。

「なんと。ソロモンではないか」

「ああ。久しぶりだな」


「またこき使うつもりか?」

「きさまには私の領主館でも立ててもらおうか」


「しょうがない。引き受けた」


 フリードリヒには、以前から召喚してみたい悪魔がいた。

 アビゴール又はエリゴスと呼ばれる悪魔だ。


 アビゴールは、戦況の行く末や敵の兵員の移動先を見通し、助言してくれる悪魔である。軍人であれば、この上もない味方である。また、地獄の公爵で配下に60の軍団を率いている。


 アビゴールを召喚すると、召喚陣があらわれ黒い霧が渦巻くと、槍と軍旗としゃくを持った立派な騎士の姿をした悪魔があらわれた。


「きさまがアビゴールか?」

「そうだ。おまえはソロモンの生まれ変わりだな」


「そうだ。きさまには私の騎士団の参謀をやってもらいたい」

「断るのは無理なようだな。それに戦争をやらせてもらえるのなら、喜んで引き受けよう」


「それは頼もしい」


 そこで終わりにしようと思ったところで、勝手に召喚陣があらわれ、黒い霧が渦巻くと、ドラゴンにまたがり、右手に毒蛇を握りしめた、三日月の角を持った美しい女神の姿をした悪魔があらわれた。


「おまえは誰だ。私は召喚していないぞ」

「わらわはアスタロト」


 アスタロトは、怠惰と不精を推奨する悪魔であり、珍しく女性である。40の軍団を指揮する地獄の大公爵で西方を支配する者とも称される。


「それが何をしに来た?」

「面白そうなことをやっているから見にきたのさ…なんて言っても信じないだろうね。

 いい男のにおいがしたから来てみたのさ」


 アスタロトは美しかった、油断するとつい見とれてしまいそうになる。


愛妾あいしょうならば間に合っている」

「そう言わずにさ。必ずあんたの役に立つから…ね」


 アスタロトはフリードリヒにしなだれかかってくる。

 口からは毒の息を吐くはずなのだが、それもなく、女のいいにおいいがして頭がくらくらする。


「勝手にしろ!」

「そうこなくっちゃ」


 横ではオスクリタがブツブツ言っている。

「また…ライバルが…増えた…」


 結局、屋敷に愛妾あいしょうがまた一人増えたのだった。


 さすがにそれ以上の悪魔はやってこなかったので、フリードリヒはオスクリタを連れて屋敷に戻った。


    ◆


 その翌日は休〇日だった。

 さすがに毎日では体が持たないので、何日かに一度は休みを入れていたのだ。


 フリードリヒが床に入って寝入ろうとしていた時、気配がしたので目を開けてみた。


「ミカエル様。どうして…」

「おぬしが約束を守らぬから来てやったぞ」


 ──約束って…昨日の今日じゃないか。毎日とは約束していないぞ。


「それでな。おぬしは約束を守ってくれそうにないから、ここにやっかいになることにした。よいな」

「よいな…って、熾天使してんしとしてのお仕事はどうするのですか?」


「わらわ程の者になると神と同様にアバターを飛ばせるのじゃ。だから問題ない」

「はあ。そうですか…」


「ここにいてどうするのですか?」

愛妾あいしょうとやらにしてくれればよい」


愛妾あいしょうの意味、わかってます?」

「愛してもらえるのじゃろ」


 ──簡単に言えばそうなのだが…やっぱりわかっていない。


「とりあえず了解しました」


 あとは少しずつ教えていけばいいだろう。


 そこで、部屋の暗がりに男がひっそりと立っているのに気がついた。


「ガブリエル! おまえもか?」

「ミカエル様を一人で地上になど置いておけるはずがないだろう」


 ──まあ。それもそうだな…


「わかった。お前はミカエル様の従者ということでここに置いてやる」


    ◆


 翌日。

 やはりひと悶着もんちゃくあった。


 一昨日、妖艶な美女がやって来たと思ったら、翌日にこれまた超絶美女の登場である。


 ベアトリスがブチ切れた。

「フリードリヒ様。どういうことですか?」

「ミヒャエルは重要な取引先の商家の娘でな。断り切れなかったのだ。だから、従者もついて来ているだろう」


「そこは男らしく断ってくださいよー」

 ベアトリスがフリードリヒの肩を激しくする。


「マグダレーネさんはどうなのですか?」

 さすがに悪魔の名前は使えないので、アスタロトはマグダレーネという名前にしていた。


「マグダレーネは遠い親戚でな。最近身内が流行はやり病で皆なくなってしまったので私を頼ってきたのだ」

「だったら別に愛妾あいしょうである必要はないじゃないですか」


「いや…それはだな…親戚をメイドという訳には…」


 そこでグレーテルが助け舟を出してくれた。

「まあまあ皆さん。フリードリヒ様は放っておいても女が寄ってくる体質なのです。

 こんなことでいちいち動揺していてはフリードリヒ様の妻や愛妾あいしょうはやっていられませんよ」

「それはまあ…わかるけど…」


 そこでなんとなく収まってくれた。


 ──それにしてもどこまで続くんだ。この女人地獄は…

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