第45話 ブービーヌの戦い(2) ~フランスの大勝利とヴェルフ家の凋落~

 オットー軍は退却した後、陣を整え敵の追撃を待った。

 しかし、待てども敵はいっこうに現れない。


 フリードリヒも相手が待ち構えるところへ攻め込む気など全くなかったので、そのまま放置しておいた。


 オットー軍はそのまま夕刻まで警戒態勢をとっていたが、日が暮れたので、その日はこの場で野営するになった。

 しかし、夜襲の危険があるため、見張りを立てておかねばならない。見張りでない者も夜襲への不安でなかなか熟睡ができなかった。


 翌朝。オットーは追撃がないとみて行軍を開始した。


 しばらく進むと数十騎のペガサス騎兵が現れ、上空から弓を射かけてきた。再び本格的な追撃を警戒する兵士たち。

 しかし、ペガサス騎兵は直ぐに飛び去ってしまった。


 ペガサス騎兵の攻撃は散発的に続き、オットー軍の兵士は気の休まる時がなかった。

 行軍もペガサス騎兵を警戒しながらのため、遅々として進まない。


 そのまま夕刻となり、オットー軍は野営した。


 今度は数十騎のバイコーン騎兵が現れ弓を射かけてくる。寝ていた兵士もたたき起こされ、反撃の体制をとる兵士たち。

 しかし、バイコーン騎兵は直ぐに走り去ってしまった。


 夜中中このようなことが散発的に続き、オットー軍はほとんど眠ることができなかった。


 これは全てフリードリヒの講じた嫌がらせだった。

 ずっと緊張を強いられた兵士たちはいざという時に本領を発揮できない。念には念を入れ、これをねらったのだ。


    ◆


 イングランド王ジョンはギエンヌから侵攻してポワチエ、アンジューを回復したが、オットーⅣ世の進軍が遅れた間に、フィリップⅡ世が王太子ルイを南部に派遣したため、ギエンヌに撤退してしまった。

 これにより南北からの挟撃の構想はついえてしまう。


 残るフランス北部の連合軍はフィリップⅡ世が自ら軍勢を率いて当たることにした。

 フィリップⅡ世は連合軍の追走を受けながら決戦を先延ばしにしていた。


 しかし、これはフィリップⅡ世の作戦だった。

 寄せ集めの軍隊である連合軍は、統一的な行軍をすることができず、かなり長い距離に引き延ばされた状態になっていた。


 戦いの前日、フィリップⅡ世は、自軍に有利な場所であるブービーヌでの会戦を決意し、万全の陣形をしいた。


 これに対し連合軍は戦場に到着した軍勢から逐次投入するという最もやってはならない戦術をとってしまったのである。


 結果、最初に到着したフランドル伯の軍から順次各個撃破されフランス軍の大勝利となった。

 特にオットー軍は、フリードリヒの嫌がらせの影響で疲労困憊こんぱいしており、使い物にならなかった。


 フランドル伯フェラン始めとする多くの貴族と騎士が捕虜となった。

 オットーはなんとか難を逃れたが、本拠地であるブラウンシュヴァイクへの撤退を余儀なくされた。


 この敗戦により、ローマ王=皇帝を巡るオットーの敗北が決定づけられた。

 以降、オットーはブラウンシュヴァイクにこもほどなくして死去した。


 フリードリヒは、杖にまたがり、上空からブービーヌでの戦いを見ていた。いざという時は陰ながら魔法でフランス軍を支援しようというつもりだったが、フランス軍の見事な戦いぶりに出番はなかった。


    ◆


 フリードリヒはアウクスブルクへと戻り、シュバーベン公にブービーヌの戦いの顛末てんまつを報告していた。


「そうかフランスの大勝利か…」


 今のところフランスとの関係は良好であるが、これによりイングランドに痛めつけられていたフランスが息を吹き返し、勢力を拡大するとすれば、隣国の神聖帝国としてはあまり面白くない。

 負けてもダメだが、勝ちすぎても面白くないというのは難しいところだ。


「数的には連合軍が有利だったのですが、とにかくフランス王の戦略が見事でした」


「そこは寄せ集め軍隊の難しさということか…」

おのれの強さを過信し、抜け駆けをして戦功を求める気持ちはわからなくはないのですが、結果をかえりみない行動は短慮に過ぎます」


「近衛騎士団は別として、我が神聖帝国軍も大公国軍の寄せ集めといえばそうだからな。気をつけねばなるまい」

「おっしゃるとおりかと…」


「わかった。大儀であった」

「ははっ。では、失礼いたします」


 ──嫌味の一つも言われるかとおもったが、意外に機嫌がよかったな。


 一方、シュバーベン公フリードリヒⅡ世は、今まで小僧と馬鹿にしていたフリードリヒのことを少しずつ見直しているのであった。


    ◆


「これでヴィオランテ様のお父上の地位も安泰あんたいということですね。そうすると結婚もますます難しくなるんじゃないですか?」

 ベアトリスが意地悪そうな顔をしてフリードリヒに尋ねた。


「……………………」


「ごめんなさい。ごめんなさい。怒らせてしまいましたか?」


 ベアトリスが必死にあやまっている。単に答えあぐねていただけなのだが…


「いや。怒ってはいない」

「やっぱり怒ってますぅ。えーん。フリードリヒ様に嫌われちゃった…」


 ベアトリスが涙目になっている。怒っていないと言っているのに、面倒くさい女だな…


「ご主人様。ベアトリスをいじめちゃダメにゃ」

 ミーシャに怒られてしまった。


「ベアトリス。大丈夫よ。フリードリヒ様は口数が少ないだけで、怒っているわけじゃないから…いいかげん慣れなさいよ」

 とローザがフォローしてくれた。


「本当ですか?」

 ベアトリスが恐る恐る聞いて来る。


「ああ」


 ベアトリスは完全に納得した感じではないが、なんとか引き下がってくれた。


「あなたも観念して私たちの誰かを正妻にしてはどうなの? 地位もお金もある訳だし、何が問題だっていうの?」

 今度はローザに突っ込まれてしまった。


 ──言われてみれば、そのとおりなんだよなあ…


 この世界は重婚が認められているから、他の者と結婚したからといってヴィオランテと結婚できなくなる訳ではない。

 しかし、フリードリヒにはヴィオランテを正妻にしたいという気持ちが強く、その前の滑り止め的に他の者を正妻にするのもいかがなものかと思うのだ。

 正妻のチェンジなど、できればやりたくはない。


 それに前世の結婚観もある。さすがに15歳で結婚というのはどうかと思う。前世と同じ18歳とまでいわないが、せめて16歳になってからではと思ってしまうのだ。

 だが、前世のことなど言い訳にはできない。


「そこは前向きに考えておくよ」

「何よそれ」


 ここは話をはぐらかせておくに限ると思うフリードリヒだった。


    ◆


 それから数日後。

 侍女長のコンスタンツェがフリードリヒの部屋をノックした。


「お客様がお見えです」

「お客様?」


 心当たりがないが…


「クララ・エシケー様とおっしゃっておりますが…」

「なにっ。館に入れたのか?」


「はい。お知り合いのようでしたので…」

「わかった。今行く」


 客間に行ってみると確かにオットーⅣ世の愛妾であるクララ・エシケーだった。


「あら。お久しぶりね」

 敵対していた割には本当に知人のように話しかけてくる。


「何の用だ?」


「これはまた、つれないねえ。オットーのやつも落ちぶれちまったからさ。次のパトロンを探しているんだ」


「それがどうしてここに? 皇帝のところにでも行ったらどうだ?」

「それも考えたんだけどねえ。もっと面白そうな人がいると考え直したのさ」


「それが私ということなのか? なぜだ?」

「あたしは権力と金を持っている男が大好きなのさ」


「答えになっていないな。私は金を相応に持ってはいるが、権力の方はたいしたことはないぞ」

「別に今とは言っていないさ。あんたをそれだけのうつわだとあたしが見込んだのさ」


めても金はやらんぞ」

めてるんじゃない。本気よ」

 クララは小悪魔的な表情でフリードリヒを見つめる。


 フリードリヒはそれに魅惑され、表情を赤くした。

 これは恋愛に関する経験が段違いだ。貫禄負けといったところか。


「しかし君は人族ではないだろう?」

「そうか。あんたには正体がバレちまったんだったねえ」


 そう言うとクララは周りに人がいないことを確認し、狐に変化へんげした。

 毛の色は金色で尾は9本生えている。金毛九尾こんもうきゅうびの狐だ。


 金毛九尾こんもうきゅうびの狐は、強大な妖力の持ち主であり、その強さは全ての妖狐の中でも最強である。

 また、いん妲己だっきのように美女に変化へんげして世を乱したとも言われている。


金毛九尾こんもうきゅうびの狐…」


 突然の大物の登場にフリードリヒは当惑した。


「あら。西洋人のくせによく知っているわね」

「ああ。東洋のことは少し勉強しているんだ」


 クララが金毛九尾こんもうきゅうびの狐だとしたら野に放つのは危険すぎる。どんな悪さをするかわからない。

 しかし、自分にこいつが制御できるのか?


 それでも皇帝に寄生されるよりはずっとましだろう。

 ここは是非もない。


 クララは元の人の姿に戻ると再度訪ねた。

「どうかしら?」

「いいだろう」


「物わかりのいいひとは大好きよ」

 そういうとクララはフリードリヒに抱きつき、キスをした。


 その色香にフリードリヒはノックダウンされそうになる。

 実は元日本人のフリードリヒとしては、黒髪に相当な魅力を感じていたのだ。


 この先、惑わされずに踏ん張れるかな?

 自信が持てないフリードリヒだった。


    ◆


 結局、クララはフリードリヒの愛妾の一人になるということで落ち着いたが、もちろんその前にひと悶着もんちゃくあった。


「なんでこいつがここにいるんだよ! それに人族じゃねえだろう」ヴェロニアが怒鳴った。


 ──お前がそれを言うか。


「オットーが落ちぶれてしまったのでな。行くところがないということなので面倒を見ることになった」

「だからって、旦那である必要はないだろう!」

 ヴェロニアはまだ食いついて来る。


「ここで見放して、また薔薇十字団ローゼンクロイツァーでも頼られたら大変じゃないか」

「それは…そうかもしれないが…」

 ヴェロニアの反論もここまでのようだ。


「まったく、あなたって人がいいわね」

 ローザはあきれつつもあきらめめているようだ。


 他の女子連中も似たような感じだ。

 これでなんとか納まりがつきそうだ。


    ◆


 クララについては他の女子連中のようにおあずけという訳にはいかなかった。

 欲求不満にさせて悪事でも働かれては困るからだ。


 ただ、相手が百戦錬磨ひゃくせんれんまであるだけにどちらが相手をしてやっているのかわかったものではなかったが…

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