閑話13 タンバヤ鉄工所 ~鉄砲開発の立ち上げ~

 中世において農具、生活用品から武具までの鉄製品を生み出す鍛冶屋、特に武具職人は高貴な存在だった。


 だが、フリードリヒは、ドワーフたちとの技術協力を取り付けたこともあり、中世期の鍛冶屋にとどまらない本格的な製鉄と金属加工を行う鉄工所を作ろうとしていた。


 砂鉄取りの少女から大量の上質な砂鉄を手に入れたこともあり、当面は日本式のたたら製鉄から始める予定だが、近代的な製鉄への移行も予定している。

 また、長期的には鉄砲の製造も視野に入れている。もちろん火縄銃などといわず、薬莢をつかった近代的な鉄砲だ。


 タンバヤ商会の事業も順調であり、投資する資金は潤沢にあった。


 技術開発の統括は理系ゾンビのフィリーネ・ショーペンハウアーに統括を任せることにする。

 フィリーネは先日来フリードリヒの食客扱いにしており、食客用の館に住んでもらっている。


 ただ、ゾンビというのは魔力切れさえなければ食事も睡眠も必要がないので、フィリーネはほとんど職場に入り浸りであり、ほとんど館には戻っていないようではあるが…。


 フィリーネは技術開発についてフリードリヒ議論をするのが生きがいになっていた。それもそうだろう、何しろ時代を数百年も先取りするような技術なのだから。ただ、「先進的な技術開発の議論をしてときめかない技術者などどうかしている」と思うのは現代の感覚だ。


 科学技術の発達が社会の変革をリードしていくことになるのは産業革命以降であり、そのルーツを遡ってもルネサンス期までだろう。

 そういう意味では科学技術が社会を変革するなどという発想は中世期には全くないし、かえって過去にあった技術が失伝している場合もあり、科学技術的には後退している面もあった。


 ローマ時代に使用されたローマン・コンクリートがいい例であり、失伝したあと近代のコンクリートが発明される18世紀まで待つ必要があったのである。

 この時代においては化学という概念はまだない。技術開発は錬金術の副産物として発見・発明されることが多かった。


 フリードリヒがドワーフたちに送ったウィスキー=蒸留酒も15世紀頃に錬金術士が技術を確立したものであり、生命の水アクアヴィテと呼ばれる。フリードリヒは、その技術を200年ほど先取りしたのである。


 錬金術の技術は十字軍の遠征に伴い、11世紀末になってアラビア世界からもたらされた。ヨーロッパは当時としては科学技術後進国だったのである。

 伝説的神人ヘルメス・トリスメギストスが著したとされる「エメラルドタブレット」が信じられ、万物に宿る霊を進化させる生命の息吹を凝固させ、賢者の石とする技術を探していた。


 だが、フリードリが生きる13世紀頃はまだ錬金術の草創期といってよく、本格的な発達はルネサンスを待たなければならない。


 フリードリヒは、鉄工所については、まずは徹底した分業制を導入するつもりだった。

 これは生産効率を上げるということはもちろんだが、工程を分割することで、各々の作業を担当する職人では全体像をわからなくすることにより、技術の漏洩を防ぐ狙いもある。


 鉄鋼技術、中でも武器の作成技術は軍事機密でもあり、技術の開示先は慎重にコントロールする必要がある。


 フリードリヒは、石鹸などの日用品の製造技術については、特許制度を整えることを通じて、いずれ社会に広めていくことを考えていたが、時代の最先端で、かつ、軍事技術でもある鉄工については、そうはいかないのである。


 また、作業については、初歩的な旋盤やドリルなどの工作機械も順次開発整備していくつもりである。


 フリードリヒは、フィリーネと新しく立ち上げる鉄工所のビジョンについて話し合う。

 分業制や工作機械の整備については、理解してもらえたが、フィリーネから指摘される。


「工作機械を整備していくにしても、職人には一定の鍛冶スキルは求められるわ。特に職人をとりまとめる親方の人材は重要ね」


 フリードリヒもそのことは認識しており、商会を通じて人を探させてはいた。だが、職人にはそれぞれにギルドがあり、鍛冶屋も例外ではない。

 かといって、他の親方(マイスター)を引っ張ってくるのも難しい。


 では、職人を新たに親方にするのはどうかというと、任命はギルドの親方衆が行うので親方が増えることを嫌われる可能性もある。また、腕試しの技術審査も通らなければならない。

 これらをクリアするのはなかなか難しそうだ。


    ◆


 タンクレートは7歳の時にバーデン=バーデンの町へとやってきた。コネも何もないタンクレートだったが、運よく若い鍛冶屋の親方ラルスの見習いとなることができた。紹介状も何もなかったが、タンクレートが年齢の割に腕力があることを気に入ったらしい。


 タンクレートが必死に見習いとしての仕事に打ち込み、もうすぐ14歳で成人を迎え職人として認められようかとした頃、ヴェロニアという少女が彼を頼ってやってきた。タンクレートはヴェロニアと同郷の人狼だったのだ。


 タンクレートはヴェロニアにギルド登録の手続きやメンバー探しなどの世話をしてやった。歳は多少離れているが、同郷の妹分みたいなものだ。頼られて悪い気はしない。


 16歳になった時、森の里が人族に襲われ全滅した。この世で同郷はヴェロニアだけになってしまった。ヴェロニアのことが気にかかったが、気丈にもタンクレートに頼らず、1人で生きていくことを決めたようだ。

 ──ヴェロニアは陰で見守ってやることにしよう。

 タンクレートはそう決めた。


 タンクレートが18歳になったとき、持ち前の腕力の強さに加え、センスの良さもあって、職人の中ではトップクラスの腕前となっていた。


 職人には、親方になる前に職人の兄弟団に入り、旅に出て他の親方の下で腕を磨くという習慣がある。

 親方ラルスの勧めもあり、タンクレートは修業の旅に出た。修行の旅は職にあぶれることも多いが、シュバーベン大公国の首都アウクスブルグの町でなんとか職にありつくことができた。


 そしてタンクレートがもうすぐ20歳になろうとしている今、バーデン=バーデンの町へ戻ってきた。


 一方、親方のラルスは迷っていた。

 タンクレートは腕も申し分ないし、性格も生真面目で、後輩の面倒見もよい。できれば自分の娘でも娶らせて後を継がせてもよいが、自分はまだ30歳半ば。まだ引退するには早い。


 では、自分が40歳を過ぎるまで待たせるか。いや、自分も20歳そこそこで親方になったではないか。

 ただ、新たに親方になるのはたいへんだ。ギルドの親方衆に任命してもらう必要もあるし、その前に技術審査もある。何より親方の就任披露の宴を催すための大金もいる。その金が用意できないために親方就任を諦める者も多い。

 ──タンクレートはどう思っているのであろうか?


 当のタンクレートは、親方になる大望は抱いていなかった。只々仕事が好きで、慣れ親しんだ親方の下で働き、これまでの恩を返したい。それだけだった。


 ラルスに娘との結婚をほのめかされたこともある。が、自分は人狼の身で人族との結婚は憚られる。あえて興味がない振りを装った。


    ◆


「新設予定の鉄工所の親方ですが、候補が1人見つかりました」

 フリードリヒがタンバヤ商会に立ち寄った時、ハンスに声をかけられた。

 候補はラルスという中堅どころの鍛冶屋の高弟で名をタンクレートという。


 ラルスはタンバヤ商会が贔屓ひいきにしている鍛冶屋の一つだということなので、ハンスとともに訪問し、商会としての意向を打診してみることになった。

 相手は貴族ではないが、変なところで臍を曲げられても困るので、先触れを出しておいて、訪問は明日にすることにする。


 訪問してみると、ラルスとタンクレートが緊張した面持ちで待ち構えていた。

 フリードリヒはタンバヤ商会が資金を出して新しく鉄工所を設立すること、親方にはタンクレートが候補として挙がっていることを語った。


 ラルスにしてみれば、渡りに船だった。もし就任披露の宴の費用まで商会が出してくれるのなら、これほど美味しい話はない。


「就任披露の宴の費用はそちら持ちなのでしょうな」

「もちろんです」

「ならば…」とラルスが言いかけたところでタンクレートが口を挟む。

「待ってください。親方、俺は親方への恩を返しきれていません」


 これに対し、ラルスはタンクレートの腕や面倒見の良さを買っており、もともと独立させることを考えていたが、費用面でためらいがあっただけだと答える。


「それに、恩を返すというのなら、一日も早くお前が一人前の親方になることが俺の望みだ」


 これにはタンクレートも反論ができず、覚悟を決めたようだ。

「覚悟はきまったようですな。だが、こちらとしては念のためタンクレート殿の腕前を見せてもらいたい」とフリードリヒは話を進める。


 早速作業場に場所を移し、腕前を披露することになった。

 タンクレートの前には、鉄と銀の塊が置かれている。

 ──ミスリルか。金属魔法が使えるということだな。


 タンクレートは手際よくミスリルの西洋式の両刃の直刀を成形していく。なるほど。噂どおりの見事な腕前だ。


「これで後は砥ぎ士に砥いでもらえば完成です」


 フリードリヒはミスリルの直刀を手渡されたので、じっくりと鑑定してみる。

 合金の混ざり具合にむらがないし、成形された形にも一切の歪みがない。


「これは見事なものだ。文句をつけようがない」


 両者が合意し、タンクレートを親方にすべく、ギルドの親方衆の説得を始めることにする。


 同時にタンバヤ商会としても親方衆に根回しをする。商会は大口の顧客でもあるから、親方衆も簡単には拒否できないだろう。

 それに、フリードリヒは、もとより鉄製品全般を新設の鉄工所で取り扱うつもりはない。あくまでも技術的に高度なものを扱うことを前提にしていたので、日用品や従来品の武器はいままでどおり親方衆から調達する予定だ。その話も忘れずに付け加えておいた。

 そのかいあって、親方衆の同意は意外と簡単に得ることができた。


 既に鉄工所の上屋は完成しており、鍛冶屋としての最低限の設備も整っている。

 工作機械については、方向性はフィリーネに示してあるので、後はタンクレートと相談しながら進めてもらえればいい。ただ、タンクレートは、そのような課題を突き付けられて驚くだろうが…。


 鉄工所にはドワーフ族から派遣されてくる技術者も参加することをタンクレートに話したら驚き、感動していた。ドワーフ族の秘伝が学べるかもしれないのだから無理もない。

 ドワーフ族の期待どおり、鉄工所には魔法顧問として金精霊のグルナートにも参加してもらう。あまり一度に驚愕の事実を伝えて引かれててしまうのも困るので、これはオープンまで伝えないでおこう。


 そして就任披露の宴の日がやってきた。

 親方連中を始め鍛冶屋の関係者や主だった取引先の面々が集まっている。節約のため招待客を絞るようなことは一切しなかった。


 緊張の面持ちでタンクレートが挨拶のスピーチをし、一通り祝いの言葉を受けたあたりでフリードリヒは気づいた。

 招待客に紛れて凄い勢いで料理を平らげている少女がいる。よく見るとヴェロニアではないか。招待した覚えはないので、料理目当てで来たに違いない。


 注意しようとしたところ、ヴェロニアは何かに気づいたらしく、タンクレートのところへ真っ直ぐ向かっていく。

「おい。兄貴じゃねえか。新しい親方って兄貴のことだったのか。おめでとう」

「ヴェロニアなのか。冒険者のお前がなぜこんなところにいる?」

「今日はうちの旦那が立ち上げた鍛冶屋の披露パーティーだからな」


「うちの旦那って、お前結婚したのか?」

「そういう訳じゃないが、一緒には棲んでるから似たようなもんだな。」

「まさかフリードリヒ様と?白銀のアレクはどうした?」

「だから、フリードリヒ様がその白銀のアレクなんだよ。でもこれは秘密だから誰にも言うなよ」

「えっ。そうなのか。とにかく、お前が幸せそうでよかった。」


 その後も談笑を続ける2人にフリードリヒは口を挟まないことにした。

 ──タンクレートが例の人狼の兄貴だったとは…。

 フリードリヒはもはや今更なのでこだわらないが、人族の職人連中はいい顔をしないだろう。タンクレートは今までも人族のなかでやってきているので大丈夫ではあろうが、留意しておく必要はある。


    ◆


 黒の森のドワーフ族では、フリードリヒの訪問の後、誰を技術者として派遣するかで喧々諤々の大議論となっていた。

 最終的には、さすがにミスリルくらいは鍛えられる必要があるだろうと、ミスリルを鍛えるスキル(金属魔法)を持っている5人の若者をベテラン職人が技術審査し選考することとなった。


 フリードリヒがドワーフ族の住処を訪れた時に入口で難癖をつけたホルストも5人のうちの1人に選ばれた。


 ホルストは、あの経験があって以来、ドワーフ族プライドは一切捨てる覚悟を決めていた。一からやり直すくらいの覚悟がないとフリードリヒのやり方にはついていけないと実感したからだ。


 5人は技術審査のために、それぞれの自信作をベテラン職人に見せた。ベテラン職人たちはあれこれ批評しあっている。

 最後がホルストの番だった。ホルストが作ったのは、フリードリヒが作ったミスリルの片刃剣と全く同じ型のものだった。


 ホルストはあれから暇さえあればフリードリヒが作った刀を観察・研究し、日々新たな発見を得ていた。

 ──あれは偶然に出来の良い物ができたわけではない。すべてが計算しつくされている。

 それからホルストはフリードリヒが作った刀の模造品を作り続けた。しかし、作るたびに力量の差が大きいことを実感し、ゴールはちっとも見えない。


 ホルストがベテラン職人たちに渡した刀も最新作であるが、満足のいくものではなかった。

「ほう。これはあの小僧が作った刀と同じ型のものか」とまずは親方が興味を示した。

 ベテラン職人は順番に刀を見分していく。

そのたびに、「ほう」とか「なるほど」とか言った声が聞こえる。

 ベテラン職人たちは小声で相談し、親方が総括を語った。


「細かいことはいろいろとあるが、ここまで小僧が作った刀に近づけるとはたいしたものだ。俺でもここまで作り込むのは難しい」

 どうやらホルストを派遣することでベテラン職人は一致したらしい。


 ホルストは一瞬ホッとしたが、これからフリードリヒの高度な要求に応えねばならない日々が続くと思うと身の引き締まる思いだった。これから、ドワーフ族の面子にかけて頑張らねばならない。


    ◆


 営業開始の前日、フリードリヒはフィリーネ、タンクレート、ホルストを前に、これからの鉄工所のビジョンを語った。

 たたら製鉄については、まだ想像の範疇だったようだが、金属魔法をグルナート(メッタルム)に監修させること、工作機械を使った分業や近代的な製鉄の話になるとタンクレート、ホルストさすがに驚きを隠せないようすだった。

 また、鉄砲については、全く想像がつかないらしく、ポカンとした顔で聞いていた。


 ということで、出発したタンバヤ鉄工所であったが、しばらくは修繕や従来品の販売を中心とし、最新技術は秘匿して技術開発をメインに据える方針だった。

 職人も足りなくなると予想されるので、修行の旅をしている鍛冶職人などをターゲットにタンクレートが技術審査や面接をして雇うことにした。


 とにかく、やるべきことは山のようにある。

 タンバヤ鉄工所の従業員は希望に燃えていた。


    ◆


 タンバヤ鉄工所が営業を開始して数日後、1人の女性が訪ねてきた。

「こんにちは。タンクレートさんはいますか」

 知り合いが来ていると仕事場から呼び出されたタンクレートは驚愕した。

「お嬢さん!なんでここに?」

「あなたの仕事が手伝いたくて…。お父様があまり頑固なものだから家を出てきちゃった」

 と娘は笑顔で語る。


 フィリーネが訪ねる。

「この方は?」

「私が師事したラルス親方のお嬢さんのヘレーナさんです」

 フィリーネは何事でもないように「じゃあ仕事もわかっているだろうし、男ばかりの職場にも花があっていいんじゃない」と簡単に言う。


「実は…それだけではなくてですね…」

「わかっているじゃない。結婚してちょうだい。私、もう行くところがないの」

「ですから、それは難しいと申し上げたじゃないですか」

「難しいであって、できないじゃないのよね。もし私のことが嫌いならはっきり言ってちょうだい。私、煮え切らない男は許せないの」


 フィリーネは、タンクレートが7歳で見習いを始めてから、その仕事ぶりや人柄をずっと見ており、密かに思いを寄せていた。

 タンクレートが修行の旅に出ている間も待ち続け、ようやく帰ってきたと思ったら、他の鍛冶屋に持っていかれてしまい、気持ちのやり場を失ってしまった。

 それで思い余っての背水の陣の行動をとったということらしい。


 フィリーネの気持ちもよくわかるタンクレートは覚悟を決めた。

 他の者に話を聞かれないよう、別室にフィリーネを誘うと、自分が人狼であることを素直に告白した。

 侮蔑の言葉が返ってくると思っていたタンクレートだったが、フィリーネは唐突に問うてきた。


「人狼と人族の間に子供はできるの?」

「たぶんできると思います」

「その子はどうなるの?」

「人狼の血は半分になりますから、おそらく狼に変化(へんげ)はできないでしょう。そういう意味では少し腕力の強い人族に見えると思います。」

「なら何の問題もないわ」

 タンクレートは考え直すように必死に説得する。


 しかし、「あなたのことは小さいころから見てきた私が一番知っているわ。あなたは人に害をなすような存在ではない。人族の盗賊なんかの方がよっぽど怖いわ」と言われるに至り、ついにタンクレートも折れた。

 事実、タンクレートは、鍛冶屋見習いとなった7歳の頃以降、一度も狼に変化(へんげ)したことはなかった。


 別室から戻ると鉄工所の職員一同の注目が2人に集まった。

 フィリーネが微笑すると、拍手と歓声が沸き起こる。

 フィリーネは嬉しくなり、タンクレートに抱きつくとキスをした。恥ずかしいタンクレートだったが、さすがにこれは拒否できない。


 その日の夕刻、フリードリヒが鉄工所に顔を見せたので、タンクレートは結婚のことを報告した。

 フリードリヒは小声で問うてきた。

「お前が人狼であることは話したのか?」

 驚いた顔をしていると「私は白銀のアレクだぞ」と言われた。

 おそらくヴェロニアのことも人狼と知ったうえで仲間にしているのだろう。なんと懐の深い御仁だろうとタンクレートは思った。

「フィリーネにはきちんと話しました。」

「それは良かった」


 翌日、ラルス親方に報告に行った。

 親方は娘の家出がよほどショックだったらしく、すぐに許してくれた。

「たまには家にも顔を出してくれよ」ということばが少し寂しげだった。


 結婚式を教会で行い、披露宴は盛大に行われた。費用はフリードリヒが祝儀だといって半額を出してくれた。

 そして従業員用の宿舎には世帯用があるから移ってくれと言われた。

 フリードリヒにしてみれば、機密保持のため、鉄工所の従業員は終身雇用を前提としていたので、福利厚生も抜かりなくしていただけなのだが、タンクレートはいたく感激していた。

 これでますますフリードリヒに頭が上がらないタンクレートだった。


    ◆


 鉄工所の初期の立ち上げは上手くいった。

 次のステップとして、近代的な製鉄の導入も準備しなければならない。


 近代的な鋼鉄の生産は、先ず鉄鉱石・コークス(石炭を高温で蒸し焼きにしたもの)・石灰石を高炉で還元させて銑鉄を得る。

 転炉、すなわち珪石製の煉瓦を内部に張った炉に銑鉄を入れ加熱空気を送ると不純物や余分な炭素が燃焼・酸化して除去し、完成である。

 原料の鉄鉱石や石炭は辺境伯領に隣接するロートリンゲン地方で採掘できる。


 理屈としては以上であるが、これを実行に移すとなると相当な手間がかかる。プロジェクト開始まで年単位の時間を要するだろう。


 フリードリヒとしては、まずは道筋をつけておき、あとは商会のハント他のスタッフに丸投げでいいだろうと考えていた。


 この時代燃料は基本的に木炭であり、石炭は使われていない。鉄の原料も砂鉄が原料で鉄鉱石はまだ使われていない。

 したがって、石炭と鉄鉱石は手つかずの状態となっていた。


 フリードリヒは、テレポーテーションでロートリンゲン地方へ移動すると、魔法の杖に飛翔魔法をかけて上空から鑑定スキルで資源の在りかを探っていった。

 人間が空を飛んでいたら怪しがられるので、ミラージュの魔法で姿を隠しながらの作業である。


 1週間ほど飛び回り、ロートリンゲン地方の上ロタリンギア周辺の資源状況はほぼ把握できた。

 坑道を掘るのは後回しにして、まずは露天掘りで採掘できそうな場所をいくつかピックアップしておく。


 他の領地の資源を勝手に採掘するわけにはいかないので、領主に話をつけておかねばならない。

 上ロタリンギアは地方領主が事実上乱立している状況ではあるが、モゼル公国のモゼル公爵が一番の実力者で名目上の支配者でもある。まずはモゼル公に挨拶し許可をもらっておくことが望ましい。


 フリードリヒは、先触れを出すと、後日モゼル公を訪問した。

 先触れに書いたとおり、領内での石炭・鉄鉱石を採掘する許可がほしい旨説明する。


「そもそも石炭と鉄鉱石とはどういうものか。ただの石なのだろう?」

「石炭とは古代の植物が地中に埋まり石となったもので燃料に使えます。また、鉄鉱石には鉄分が含まれており、これを加工することで鉄ができます」


 モゼル侯爵は、燃料ならば木炭があるし、鉄ならば砂鉄から作ればいいと、ごく常識的な考えのようだ。ここはあえて否定的な口調は避けた。

 モゼル侯爵は、結局、石などは掘りたければ勝手にするがいいが、住民には迷惑をかけないことを約束しろということを主張した。これについては確約した。


「採掘に係る税でございますが、石100キロにつき賎貨1枚ではいかがでしょうか」

「はっはっはっ。たかだか石ごときに金を払うと申すか。酔狂なことだ。もちろんそれで構わない」


 フリードリヒは、心の中でニヤリとした。モゼル侯爵を馬鹿にする訳ではないが、この時代の人間に石炭や鉄鉱石の価値がわかるはずがない。事業が本格化して、価値がわかってきたときには後の祭りだ。

 これで最初のハードルはクリアした。


 フリードリヒは、ロジスティクスのことを考えると、採掘から製鉄過程までを現地で行い、出来上がった鉄を鉄工所まで運ぶことを考えていた。

 このための設備や人員確保は商会にやってもらおう。


    ◆


 次に考えなければならないのは、鉄砲の製造に必要な火薬の調達だ。

 これはまだ時間がかかっても良いので、商会にやってもらおう。


 初期の黒色火薬を最初に発明したのは中国だが、ヨーロッパでもちょうど今の時期、すなわち13世紀に錬金術士が開発したと言われている。


 黒色火薬の主原料は硝石、硫黄、木炭だが、硝石と硫黄については、南ヨーロッパで産出される。

 ツェーリンゲン家と良好な関係にあるシュバーベン大公はシチリア王も兼ねているので、このルートで話を進めるのがいいだろう。


 ただ、硝石については、産地が限られ、出荷が制限されると行き詰ってしまうので、糞尿が浸透した家畜小屋の土壁から硝石を得るルートも別途確保しておくことにしよう。


 最後に銃の開発だが、これはフィリーネと相談しながらコツコツやっていくつもりだ。目指すは薬莢を使ったセミオート式の銃だが、鉄工所の技術レベルが上がれば可能であろうと踏んでいる。もし実現すれば、500年近く時代を越えて第1次大戦時なみの技術となる。


 銃については、作成できる職人の数も限られるので、大量生産は難しい。

 それにフリードリヒは、これを積極的に売って死の商人になるつもりもなかった。あくまでも、隠し玉的な抑止力に使うのが目的であり、技術も可能な限り秘匿するように考えていた。


 これでおおかたの目途はついた。

 これらがすべて実現するころにはフリードリヒ自身の立場も大きく変わっているのだが、それはまた後の話である。

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