閑話10 死なない女 ~八百比丘尼~

 カロリーナが物心ついた時、既に北の海の漁師兼海賊の奴隷だった。


 両親はわからない。奴隷の中には大人の女奴隷もいてカロリーナの面倒を見てくれたが、それも必要最低限で、とても親代わりといえる代物ではなかった。


 食事はいつも粗末でまとめて給仕されたので、奴隷同士での取り合いだった。

 畢竟、子供のカロリーナは食べ残しの残飯もどきということになっていた。


 ある日の食事も残り物の奇妙な形をした魚だった。

 しかし、その魚を食べた夜。カロリーナの全身を激痛が走り悶え苦しんだ。誰も助けてくれる者もおらず、挙句の果てに苦しむ呻き声がうるさいと奴隷小屋を追い出されてしまった。


 外の草原で苦痛に苛まれるうちに気を失ったらしく、意識が戻ったのは、翌日の日が高く上ってからだった。あれほど苦しんだというのに気分は爽快だった。

 すぐに奴隷仲間に見つかり、病み上がりだというのに仕事をさせられた。


 奴隷としてのつらい日々が続き、カロリーナの体つきが女らしくなると、海賊たちに代わる代わる夜の相手をさせられた。女児を生かしておく理由は結局それが目的だったのだろう。


 カロリーナが成人を迎える年頃になった時、海賊同士の抗争があり、海賊の集団は全滅した。

 カロリーナもこれに巻き込まれ、敵の海賊に切りつけられて致命傷を負ったかに見えたが、翌日の日が高く上った頃、意識を取り戻した。服は血まみれだったが、負ったはずの傷はなぜか治っていた。


 カロリーナは海賊のアジト以外の場所に行ったことがなかったので、生きる場所を求めて彷徨った。文字どおりあてのない旅だ。

 食べる物など当然になく、朝露を少量口にするだけだった。


 1週間ほど経った時、カロリーナは小さな漁村にたどり着いた。が、人のいる場所に来られた安心感から気を失って倒れてしまった。


 次に意識が戻った時、粗末な家のベッドの上だった。そばに30歳を少し超えたくらいに見える夫婦と思しき男女が控えていた。

 女の方が声をかける。


「あんた。大丈夫かい」

「はい。もしかして助けていただいたのですか。ありがとうございます」

「あんたが村の入口でぶっ倒れていたからびっくりしたよ。しかも服は血で汚れているし。怪我は大丈夫なのかい」

「おかげさまで、大丈夫です」


「あんた。名前は?」

「カロリーナです」

「何であんなところで倒れていたんだい?」

「それは…」

 カロリーナは、漁師兼海賊の下で無理やり働かされていたこと、海賊の抗争があって命からがら逃げてきたことを話した。


「それは辛かっただろう。行く当てはあるのかい」

「いえ。私、自分の両親のことすら覚えていなくて…」


 それを聞くと、男女はカロリーナに聞こえないよう小声で話し合っていたが、結論が出ると女の方が「なら、しばらくはうちで面倒見てやるよ。」と何事でもないように言った。

 カロリーナは見ず知らずの夫婦の世話になることに少し引け目を感じたので、「ありがとうございます。では、少しの間だけ…。」と答えた。


 後から知ったところによると、この夫婦はカロリーナと同じ年頃の女の子を病気で亡くしたばかりで、カロリーナのことを他人事と思えなかったらしい。


 夫婦の名は、夫がデニス、妻がレギーナといった。

 夫婦の仕事は漁村で捕れた魚を干物にし、夫が行商することだった。


 カロリーナは、レギーナとともに、捕れた魚を捌き、干物を作る仕事を毎日黙々と手伝った。

「少しの間だけ」と言っていたカロリーナも、気がつくと2年の月日が経ち、カロリーナはデニス夫婦の事実上の養子のようになっていた。カロリーナの方も夫婦を養父母として慕うようになっていた。


 そんなある日。

 デニスがカロリーナの婿になってもいいという男を探し出してきた。

 名をマテューといい、7人兄弟の3男で年頃はカロリーナと同じ。要は体のいい口減らしのようだ。

 カロリーナは恩のあるデニスの決めた人ならばとその結婚を受けることにした。


 マテューは10人並みの容姿で取り立てて才能のない男だった。

 一方、カロリーナの方はかなりの美人で働き者であったので、マテューの方が夢中になった。

 夫婦仲は悪くなかったが、不幸なことに、カロリーナには子ができなかった。

 マテューとの仲は次第に疎遠になり、10年もするとマテューは外に愛人を作って出ていってしまった。


 また、3人での生活が戻ってきた。

 カロリーナが30に近くなるとデニスの足腰が弱り、行商に行くことが難しくなった。

 代わりにカロリーナが行商に行くことにする。


「すまないねえ。女の一人旅は気をつけなよ」とレギーナが心配する。

「大丈夫です。こう見えて、私は強いんです」と強がるカロリーナ。


 が、実際はそう簡単にはいかない。

 不埒な男に襲われたりすることも度々だったが、カロリーナが家に戻っても、そのことを口にすることはなかった。


 そして更に何年か過ぎた。

 村人がカロリーナのことを噂し始めた。

 カロリーナは20歳を過ぎたころから少しも老けることがなかったのだ。若々しい中年も中にはいるが、カロリーナはそのレベルではない。中にはカロリーナは妖の類なのではないかと言う者まで出始めた。


 それでもカロリーナは、行商をしながら年老いた養父母を養い続けた。

 最初にデニスが逝き、レギーナもあとわずかの命となった。

「カロリーナ。すまないねえ。本当の親でもないのに苦労をかけて」

「いえ。拾ってもらった恩はまだ返し切れていません。少しでも長生きしてもらわないと」

 レギーナも間もなく逝った。

 そして、カロリーナは村を出奔し、再びあてのない旅へと旅立った。


 素性のしれない独り身の女が生計を立てることは難しく、自然と体を売るようになった。

 しかし、体が老けることのないカロリーナは1か所に長期間とどまると不審に思われるため、定期的に町から町へとさすらう日々が続く。


 そして百年が過ぎた頃、カロリーナはある領主からのお触書を目にした。

 そこには、「食べると不老不死となれる人魚の肉を献上したものには褒美を与える」と書かれていた。

 カロリーナは愕然とした。


 今となっては確かめようがないが、子供の頃に食べたあの奇妙な魚は人魚の子供だったのではないか。そうでないとすれば、老けないこの体の説明がつかない。

 カロリーナは死ねない体となってしまったのだ。不老不死となった喜びなどは全く湧いてこない。カロリーナは死ねないことを呪った。


 そのうちキリスト教が布教され始めた。

 更に時が過ぎるとキリスト教信者の間に聖地を巡礼する習慣が生まれ、巡礼者のための設備なども整備されはじめた。

 各地を彷徨う運命にあるカロリーナにとっては、これを利用しない手はない。

 カロリーナは長年にわたり溜め込んだ金銭を教会に寄付し、形ばかりの修道女になると巡礼の名目で旅をすることにした。キリスト教徒は巡礼者に親切で旅は快適になった。


 一方、魔獣討伐などを行う冒険者という職業も世間では一般的になってきていた。

 女の一人旅は危険が伴う。カロリーナは剣を購入すると冒険者の後をつけ、見よう見まねで武技を身に着けていった。いわゆる見稽古である。

 上達のスピードは遅々としたものだったが、カロリーナには有り余る時間がある。

 長い長い積み重ねの結果、カロリーナの武技はいつしか上級者の域に達していた。


 こうしてカロリーナは、冒険者として金をかせぎ、顔を見知られる頃を見計らって、巡礼者として別な町へ移動するという生活を続けていた。


 そうこうしているうちに、カロリーナは800歳を超えた。


 今、カロリーナは、神聖帝国のシュトゥットガルトの町を出て、バーデン=バーデンの町へと向かっていた。魔獣が多くいるという黒の森で狩をするためである。

 そんなカロリーナの前に10人ほどの盗賊が現れた。

 女の一人旅とみていいカモだと思ったのだろう。

 カロリーナは、剣を抜き身構えた。


    ◆


 フリードリヒのパーティはシュトゥットガルトの町へ向かって旅をしていた。最近は「白銀のアレク」の名前もバーデン=バーデンの町のみならず、領内では有名になってきており、この度指名依頼があったのだ。


 この世界の旅は、徒歩が基本である。貴婦人などは馬車を使ったが、道の状態が極めて悪く、乗り心地は最低だった。


 フリードリヒは千里眼千里眼クレヤボヤンスで道行く先を何気なく探っていると、女性が盗賊に襲われているのが見えた。女性は健気にも剣で抵抗しているようである。

「この先で女性が盗賊に襲われている。助けにいくぞ」

 当然、パーティメンバーからは否やはなかった。テレポーテーションで現場へ飛ぶ。


 到着すると既に5人の盗賊が切り殺されていた。「殺すことはないではないか」と一瞬思ったが、1対多では無理もないと思い直す。


 残りの5人もフリードリヒたちに瞬時に無力化され、拘束された。

 女性は見た目20歳過ぎくらいのかなりの美人で、服装からして巡礼者のようだが、武装しているのは珍しい。


 フリードリヒは女性に話しかける。

「お怪我はありませんか?」

「大丈夫です。助けていただきありがとうございます」

「武技には自信があるようですが、女性の一人旅は危険ですよ」

「ご心配いただき感謝いたします。しかし、私が死ぬようなことがあっても、それは神の思し召しですから」

 いかにもキリスト教徒的な言い草だが、無謀にも程がある。


「これからどちらへ向かわれるのですか?」

「バーデン=バーデンの町へ」

「それでは誰かを供につけましょう。ヴェロニア。行ってくれるか」

「ちぇっ。何でいつもあたいなんだよ」

「その物騒な武器を見せびらかしながら行けば、そうそう襲ってくるものもいないだろう」

「旦那がそう言うならしかたねえ」


「これは恐れ入ります。でも、本当によろしいのでしょうか」

「私たちも一仕事終わったらバーデン=バーデンの町へ帰るのです。こちらはメンバーが多いですから、1人くらい欠けても仕事に支障はありません」

「それではお言葉に甘えさせていただきます。私はカロリーナと申します」

「フリードリヒだ」

「それではフリードリヒ様。失礼させていただきます」

「では、気を付けて」


 カロリーナとヴェロニアはバーデン=バーデンの町へと向かう。

 フリードリヒたちは、盗賊をシュトゥットガルトの町の警吏に渡すべく、ひったてていく。

 シュトゥットガルトでのクエストは特段の問題なく終わり、フリードリヒたちはバーデン=バーデンの町へと戻った。


    ◆


 町へと戻った数日後。

 フリードリヒ一行はいつもどおり黒の森で狩をしていた。

 千里眼クレヤボヤンスで辺りを探ると、女が1人で20頭のビッグウルフと戦っている。見ると先日道すがら助けたカロリーナではないか。強いといっても、無謀にも程がある。自殺願望でもあるのだろうか。


 「カロリーナが困っているようだ。助けに行く。」

 皆少し驚いた顔をしていたが、異を唱える者はいなかった。


 テレポーテーションで現場へと向かう。

 現場では3頭ほどのビッグウルフが倒されていた。さすがに人族よりは手ごわいらしい。カロリーナもかなりの手傷を負っているようだ。

「カロリーナ。後は私たちに任せて下がっていろ」

「また、あなたたちなの」

 カロリーナは驚いていたが、おとなしく言うことを聞いた。


「さあ。みんな殺るぞ」

 最近はメンバーの修練のため様子見することが多かったフリードリヒも今回は本気だったこともあり、程なくしてビッグウルフの群れは全滅した。


 フリードリヒはカロリーナの様子を確かめるべく話しかける。

「カロリーナ殿。怪我はどうだ」

「大丈夫よ。たいした怪我じゃない」

 みるとカロリーナの服はかなりの血で汚れている。それからすると相当な深手のはずなのだが、傷はほとんど治りかけている。凄まじい回復力だ。

 カロリーナの様子もおかしい。何かを隠すようにじっと下を見てうつむいている。


 フリードリヒは違和感を覚え、カロリーナの手を引くと、メンバーに声の届かないところまで連れてく。

「旦那、変なことしようとしているのか?」ヴェロニアがおかしな心配をしてくる。

「そんなわけがないだろう。内密な話があるだけだ」

 カロリーナは観念したとばかりに諦めてついてきた。


「カロリーナ。君は何なんだ。治癒力の異常な早さといい、気配の異常さといい、人族のようだが、そうでないようにも思える」

「…………」

 カロリーナは答えない。

「責めているわけではないんだ。私は亜人を差別しない。仮に君が闇の者だとしても討伐したりはしない。約束する。信じてくれ」

「わかったわ」カロリーナはついに観念した。

 そして、自分が人魚の肉を食べて不老不死となったこと、冒険者として長年活動するうちに武技を身につけたこと、既に800年以上生きており、もはや生に執着はまったくないことなどを語った。


「なるほど。人魚に関する伝承は本当だったということか」

「そうよ。ただ、食べた人が全員不老不死となるかはわからない。私は食べた後死ぬほど苦しい思いをした。あれに耐えられない人は死んでしまうかもしれない」

「なるほど。そうかもしれないな」

「しかし、不老不死といっても。首を完全に断ち切られたり、脳みそをぐちゃぐちゃにされたりといった即死級の傷は耐えられないようにも思えるが」

「そうかも……というか。そうあって欲しいわ」


「試してみるか?」

 フリードリヒが意地悪くそういうと、カロリーナ少し顔色を変えた。口では執着しないとは言っても、やはり死ぬ瞬間にはためらいがあるのだろう。

「悪い。もちろん冗談だ。私としては、君のような美しい女性がこの世からいなくなることは痛恨の極みだ」

「まあ。お世辞はあまり上手じゃないのね」

 カロリーナは少しだけ微笑んだ。

 フリードリヒとしては、このまま放置という選択は避けたかった。カロリーナが本当に死んでしまいそうだ。目の届くところには置いておきたいところだ。


 しばし思案する。

 もうパーティメンバーは飽和状態だ。これ以上は増やせない。

 では、ヨーロッパの風習ではないが、思い切って食客を囲うというのはどうだ。

 食客しょっかくは、主人が才能のある人物を客として遇して養う代わりに、有事の際には主人を助けるという風習で、中国の戦国時代に広まった。斉の孟嘗君もうしょうくんなどが有名である。

 端的に言えばフリードリヒ個人の私兵とも言える。


 フリードリヒは商会を通じて相当な収入があるから食客の100や200を養うのは造作もない。

 また、フリードリヒは社会的地位にはあまりこだわりはないが、親しい者が増えるにつれ、これらの者を守っていくためには社会的な力が必要とも考え始めていた。

 この世界はまだまだ武力がものをいう世界である。神聖帝国の皇帝にしても、選帝侯による選挙という形をとってはいるものの、実際には武力を背景とした実力のある者が選ばれている。

 現皇帝のヴェルフ家にしても、代々皇帝を輩出していたシュタウフェン家から武力を背景に帝位をもぎとったといって過言ではない。


 そういう意味で、私兵とはいえ武力というものは力の源泉たりうるものなのだ。

 よし、カロリーナに確認だ。

「カロリーナ。私の食客になるというのはどうだ」

「しょっかく?」

「私が君を客人として養う。その見返りとして有事の際は君が私を助ける。そういう関係のことだ」

「そうね。あなたには秘密がバレているし、10年間くらいなら問題ないけど、あまり長くなると周りから私が疑われてしまうわ」

「それはおそらく大丈夫だ。実は私の周りには君と同じ老けない系の者がうじゃうじゃいるのだ。これは秘密だがな」

「えっ」と驚き硬直するカロリーナ。


 彼女自身、自分を異物だと思っていたが、それが普通な世界があるというのか。そんな世界があるのなら、そここそ自分の居場所なのではないか。

「そうなのね。なら、ぜひ私を食客にして欲しいわ」

 こうしてカロリーナはフリードリヒの食客第1号となった。


 ゾンビのフィリーネやバンシーでカリスマ店員のコルネリアも待遇が中途半端だからこの際食客扱いにしてしまおう。なにも武力だけが才能というわけではない。カタリーナ(デュラハン)はコルネリアとセットで引っ越しになるだろう。

 食客の面倒はシルキーのキヌコに見てもらうのがいい。そろそろドジっ娘も卒業しているころだろう。


 あと屋敷は城の中は義母上たちに嫌われそうだから、町の空き地を確保して防御力を強化した武家屋敷的なものを作ろう。金ならたんまりある。


 そうとなると、いろいろと構想が膨らむフリードリヒであった。

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