第22話 アルベルトゥス・マグヌスと乙女人形 ~錬金術士と機械人形~

 錬金術の技術は十字軍の遠征に伴い、11世紀末になってアラビア世界からもたらされた。ヨーロッパは当時としては科学技術後進国だったのである。


 伝説的神人ヘルメス・トリスメギストスが著したとされる「エメラルドタブレット」が錬金術師たちに信じられ、万物に宿る霊を進化させる生命の息吹を凝固させ、賢者の石とする技術を誰もが探していた。


 だが、フリードリが生きる13世紀頃はまだ錬金術の草創期といってよく、本格的な発達はルネサンス期を待たなければならない。


 やがて錬金術は教会によって禁じられ、やがて地下活動へと潜ることになるが、草創期においては錬金術士の中心は聖職者や大学アカデミーの学者などだった。この時代の有識者といえばそれらの者しかいなかったのである。


 賢者の石はともかく、錬金術師たちは、その活動を行う中で有用な物質を発見し、科学技術の発達に貢献した。


 もっとも有名なのは火薬であり、ヨーロッパにおいてはイングランドのロジャー・ベーコンが13世紀に発見したと言われている。

 ウィスキー=蒸留酒も15世紀頃に錬金術士が技術を確立したものであり、アクアヴィテ(生命の水)と呼ばれる。


 フリードリヒは、既にこれらの技術を先取りし、製造していた。


    ◆


 草創期の高名な錬金術師としてアルベルトゥス・マグヌスがいる。


 彼は神聖帝国のシュバーベン地方の貴族の出身で、イタリアのパドヴァ大学で哲学、自然科学、医学を学び、カトリックのドミニコ修道会に加わる。その後、パリやベルリンの大学で教授となり、現在はケルンで研究生活に邁進まいしんしているという。


 アルベルトゥス・マグヌスは、研究生活の中で、科学技術を駆使し、多くの錬金術師が生成に成功したという「金」が偽物であることをあばいていった。


 神聖帝国の北西部に位置するケルンは、ライン川の河畔に位置しており、古代以来陸上、水上交通の要衝である。

 ケルン大司教座が置かれ、宗教都市としても発展した。ドミニコ修道会がおいた神学大学ではアルベルトゥス・マグヌスも講義し、スコラ学最大の神学者となるトマス・アクィナスなどが学んだ。


 スコラ学とは、古典の権威を通して学ぶという従来の修道院で伝統的にとられていた学問のスタイルに対し、問題から理性的に理論的な答えを導き出す学問の技法や思考の過程をさす。

 アルベルトゥス・マグヌスはスコラ学の第一人者でもあった。


 そんな科学技術的思考の持ち主であるアルベルトゥス・マグヌスに、同じ神聖帝国の人間として会ってみたいとフリードリヒはかねがね考えていた。


    ◆


 フリードリヒのところへ待ちに待った手紙が来た。かねてよりアルベルトゥス・マグヌスに会見を申し込む手紙を出していたのだが、会ってもよいという返事が来たのだ。


 まだ学園の生徒に過ぎないフリードリヒに高名な学者が会ってくれるという幸運に歓喜する。


 学園の授業を休み、ケルンの町へ向かう。ケルンの町は、産業も盛んでとても活気のある町だった。その一角にあるアルベルトゥス・マグヌスの邸宅へ手紙で指定された日時に向かう。


 邸宅へ着くと、門番にゴーレムが配置されているのが目についた。前世の伝承でもアルベルトゥス・マグヌスがゴーレムを用いていたということは聞いたことがある。


 ゴーレムは、ユダヤ教の秘儀カバラによって生命を吹き込まれた土人形である。


 こちらは戦闘力も弱そうだし、既にタロスを入手していたのであまり興味を引かれなかった。


 そのままゴーレムの横を素通りするが何の反応もなかった。敵として認識していないということか?


 邸宅のドアをノックしてみるが、返事がない。鍵もかかっていないので、失礼してドアを開けて中に入ってみる。


「こんにちは」という女性の声がする。


 身長140cmくらいの少女がそこに立っていた。

 真っ赤なゴシックドレスを着た人形のような美しい顔立ちの少女だ…………というか、人形だ。


 そういえばアルベルトゥス・マグヌスには「こんにちは」と挨拶あいさつをする機械人形も持っていたという伝承もあった。


「こんにちは」と人形が再び挨拶をした。


 しょうがないので、人形に話しかけてみる。


「こんにちは。マグヌス博士はご在宅かな?」


 意味を理解したのか、人形は奥の部屋へ入っていった。

 歩き方にもぎこちなさが全くない。まるで人間のようだ。これはこれで興味深い。


 そこにマグヌス博士とおぼしき人物がやってきた。歳の頃は40くらいか。一目見て聡明そうな人物だとわかった。


「これは待たせてすまない。私がアルベルトゥス・マグヌスだ」

「フリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンにございます。本日は貴重な機会をいただき心から感謝いたします」


「それで今日は何の話に来たのかね?」

「スコラ学や錬金術の話などをお聞かせ願えないかと」


「なんだ。君も錬金術で金を作って一攫千金を夢見る口かね?」

「いえ。今の技術で金を作れないことはわかり切っていますから」


「なにっ!」

「金はそもそも元素の一つですから。今の科学技術では元素から他の元素を生み出すことはできません」


 金などの重金属は超新星爆発という途轍とてつもなく過酷な環境下で生成されたものだ。この環境を現在の技術で再現できるはずがない。


「2元素説や3元素説もあるが、今の主流は火・風・水・土の4元素説が主流だ。それが間違っているというのかね?」

「諸説ありますが、元素は安定して存在できるもので118あると言われています。金はその一つですね」


「なんと118も!」

「逆に火・風・水・土はどれも元素ではありません。火は物質が燃焼する際の熱が光として見えているだけで、そもそも物質ではありません。空気はいくつかの気体の混合物でその流れが風ですね。水は水素と酸素の化合物です。土に至っては様々な鉱物や有機物が交雑したものでとても元素とは言えません」


「君に言い分があるのはわかるが、根拠は示せるのかね?」

「そうですね。水は単純な化合物ですから、これで実験してみましょう」


 そう言うと物体取り寄せアポートで機材を取り寄せ、水を電気分解してみせた。


「確かに水が減っているのはわかる。こちらは何も見えないが水素と酸素だというのかね?」

「そうです。水素と酸素はどちらも元素の一つになります。例えばこちらの酸素は物質を燃焼させる性質を持っています」


 そう言うとフリードリヒは木の燃えさしを酸素の中に入れた。すると再び激しく燃え始める。マグヌス博士は驚きの目で見つめている。


「水素の方も実験は可能ですが、こちらは爆発の危険がありますのでやめておきます。ちなみに、水素を燃やすと酸素と反応して水ができます」

「そ、そうか…水に戻るのか」


 それから延々と博士との議論が始まった。フリードリヒの専門は量子力学なので素粒子の話もしたかったのだが、とりとめがなくなってしまうし、この時代では実験も不可能なのであきらめた。


 議論は白熱し、それから3日が過ぎた。


 その中でフリードリヒは、人間の固定観念をくつがえすことの難しさを痛感した。電気分解の実験にしても、博士だから理解してくれたが、これが教会の人間だったら、悪魔の技といってフリードリヒを異端認定したかもしれない。


 それから気になったのが、博士に何かを隠そうとしている素振りが見られたことだ。何なのかは判然としなかったが、気にはなった。


 フリードリヒはあまり長期に学園を休むのも気が引けたので、いったん暇乞いをして、再訪することを約束する。


 そして博士宅を再訪してみると…

 博士宅には誰もおらず、家の中が物色されていた。書類の類が散乱していたので何かの情報を得たかったのか?


 それにしては燃やされている書類もある。燃え残っていたものも少数あるが内容は判別できない。ただ、最後に「R.C.」という署名があるのがわかった。


「R.C.?」とフリードリヒが呟いていると後ろから声がした。


「それは薔薇十字団ローゼンクロイツァーの署名よ」


 振り返ると例の「こんにちは」と言っていた人形だった。


 ──普通にしゃべれたのか!


「君はこの状況がどういうことかわかるか?」

薔薇十字団ローゼンクロイツァーの連中が襲ってきたのよ。でも博士は事前に察知して逃げられたわ」


「それは不幸中の幸いだな」

「しかたがなくて、連中はめぼしい研究成果を持ち去っていったみたい」


「しかし、博士と薔薇十字団ローゼンクロイツァーにどういう関係が?まさか構成員ということはあるまい」

「連中に脅迫されて何かを研究させられていたみたい。私もその成果の一つね。諜報活動か何かに使おうとしていたんでしょうね」


「君も!」

「連中、私のことを薔薇乙女ローゼンメトヒェンと呼んでいたわ。おそらく暗号名ね」


 薔薇十字団ローゼンクロイツァーの名前は前世でも聞いたことがある。確か17世紀頃から活動していた秘密結社だ。「完全にして普遍なる知識」を得ることを目的とし、人間や社会の変革を目指す魔術的組織だったと記憶している。


 開祖の名は「クリスチャン・ローゼンクロイツ」というできすぎた名前の男だったはず。しかし本当に実在したのかは怪しい。


 その薔薇十字団ローゼンクロイツァーが今活動しているということは、前世との歴史のズレということか、あるいは始まりは早くて単に名前が知られるようになったのが17世紀ということなのだろうか?


 いずれにしても、博士への対応を見る限り、まともな連中ではないらしい。


「それで、君はどうする?博士の行方はわからないのだろう?」

「あなたが保護してくれると助かるわ」


 ここに置いていく訳にはいかないし、しょうがないか。


「わかった。我が家へ連れていこう」

「ありがとう。じゃあ、名前をつけてくれる?」


「マティルデでどうだ?」

「それでいいわ」


    ◆


 マティルデを連れて帰るとひと悶着あった。


 まず「主様。おいたわしい」とネライダに同情される。


「どういうことだ?」


「人族や亜人では飽き足らず、ついにそんなものにまで手を出すとは、呆れるぜ」とヴェロニアに突っ込まれる。


「『手を出す』って、マティルデにはそんな機能はないぞ。そうだろう?」

「もちろん本番はできないけど、触りごごちはそれなりに作ってあるわよ……って、何を言わせるのよ!」


 マティルデから頬に平手打ちを喰らってしまう。


「ということは…本番一歩手前までならできると…」とベアトリスが呟く。


「私がいくら好色といっても、そんな目的で人形に手を出すほど不自由はしていない!」


「あら。ついに自分から好色と認めましたわね。それに不自由していないとはどういうことですの?」とローザに更に突っ込まれる。


 それから女子連中の尋問が始まり、ついにリャナンシーやグレーテルのことをしゃべらされてしまった。


「でも、リャナンシーとは本番はしていないからな」

「でも抜いてもらっているのでしょう?」とベアトリス。


「それを言うなら………も…」


 そこで危機を察したローザがフォローしてくれる。


「ま、まあ。この辺で勘弁してあげましょうよ。お貴族様にあてがい女がいるというのは珍しいことではないし…」


「でも、いつかけじめはつけてもらいますからね」とベアトリス。


 結構しつこいやつだ。


 それにしても終始無言でこちらをにらんでいるヘルミーネが不気味だ。


    ◆


 部屋に戻り一段落したフリードリヒは薔薇十字団ローゼンクロイツァーのことを考える。


 とにかく、放置しておいてよい組織とは思えない。


 フリードリヒは、取り急ぎタンバヤ商会の情報部門に、薔薇十字団ローゼンクロイツァーのことを探るよう指示を出したのだった。

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