第5話
そして案の定、私はその雑誌の存在をすっかり忘れて大人になった。それが今、まさかの私の手元に戻ってきた。
「何がそんなに気に入ったの? 未華子のページ?」
未華子のとりまきにいたぐらいだから、彼女のことが好きだった……とまではいかなくても、ちょっとしたファンだったとか。
怜雄くんは、小さく首を横に振った。
「いや、他のページです。あの……ガーリーコーデ特集っていうところがあって」
ここ、と見せられたページは、確かにガーリーファッションの紹介ページだった。
花柄やフリルがあしらわれた服に身を包んだモデルたちがポーズを取っている。
「初めてちゃんとこういうページ見たから、可愛いなってびっくりしたんです。自分が着たいとは思わないけど、見ているだけなら永遠に楽しいっていうか」
「あー、わかるかも。私も、可愛すぎて着るのはちょっとって思うけど、見てるだけなら好き」
なんとなく感覚を共有できたような気がして、同意する声もはずむ。未華子だったら「可愛い~」とか言って躊躇なくこういう服を着てしまうのだろう。そして、その姿が最高に可愛くて似合うのだ。
私は、違う。可愛いものは好きだけど、自分がそういうものを持っても似合っていない気がしてむずむずする。結局シンプルで地味なファッションのほうが落ち着く。
怜雄くんは男性だから、私の感じるむずむずとは少し違う感覚かもしれないけれど、少なくともガーリーへの距離感は私と同じように少し遠い気がした。
「俺、これ見て女の子のファッションの虜になっちゃって。なんだかんだで今、アパレル業界で仕事してるんです。て言っても、女性向けの服じゃなくて、子供服メーカーなんですけど」
大学生のときに就活でガーリー系のメーカーも応募したけど、全部落とされました。明るく近況を話す彼を見ていると、私のはずんだ気分は急速に落ちる。
やっぱり彼と同じ感覚ではないのかも。少なくとも彼は、この雑誌をきっかけに服に関わる仕事に就いている。
「理加子さんは? 今何してるんですか?」
「あー、私はー……今、無職。大学出てから就職したけど、少し前に辞めました」
情けなくて、語尾が小さくなってしまう。仕事そのものは好きだったけど、職場の人間関係がつらくて仕方がなかった。そんなことを話しても、今もしっかりと働いている目の前のこの人には、言い訳にしか聞こえないに違いない。
「俺の友だちにも仕事辞めたやつ何人かいますよ。残業多すぎだったり、人間関係が最悪だったり。理加子さんもそんな感じですか?」
「うん、まあ。同僚とあんまり馴染めなかった、みたいな」
「そっかー、じゃあ今、人生の休憩期間ですね」
私が小さく頷くと、彼はそれ以上何も言わなかった。
お互い、友だちだったわけでも、ファミレスのとき以外の共通の思い出があるわけでもない。話題が見つからなくて、それぞれの飲み物が空になるまで無言だった。
だけど無言の時間もそんなに悪くなかった。心地よい静かな空間を二人で過ごしている。そんな感覚。
喫茶店を出てから、そういえばと疑問に思ったことがあって私は怜雄くんに話しかけた。
「結局、高校はどこに進学したの?」
「迷ってた、県外の私立のほうの学校です。サッカー部に入って、レギュラーにはなれなかったけど三年生の夏には何回か試合に出られてゴールも決めました。良い思い出になりました。理加子さん、ありがとう」
「え、何が?」
お礼を言われて思わず訊き返してしまう。
「だってあのとき、相談に乗ってくれたから。頑張ってるほうがかっこいいって言ってくれたじゃないすか」
「あ~。適当に言っただけだったのに」
「マジか、ひでえ。あの一言で俺の進路が左右されたってのに」
大げさに頭を抱える姿に、私は声をあげて笑った。
「じゃあ、雑誌。どうもありがとう」
「はい。あの……また会えますか?」
目が点になる。これっきりだと思っていたのに、また私に会いたいのか。
面倒だなあという気持ちと嬉しさがないまぜになって胸の奥にくすぶる。だけど断る理由も見当たらず、とりあえず首を縦に振るしかない。
「連絡くれれば。それでお互いの予定が合えば」
しぶしぶといった雰囲気が伝わってしまっているかもしれない。けれど、彼はそんなことお構いなしに表情をパッと明るくした。
「じゃあ今度はランチ誘います!」
なんか、おしゃれなイタリアンとか連れていかれそう。ていうかこの人と二人でご飯食べて楽しいのかな。さっきだって無言だったじゃん。心の片隅で冷めた自分がそうつぶやいたのは、彼には内緒だ。
怜雄くんと別れて帰宅すると、未華子はリビングにいなかった。
日曜日だし、どこかに出かけたのかな、と思っていると、彼女の部屋のドアに張り紙が。
お姉ちゃんへ。ライブ配信中につき、急に入ってこないでね。
スマホにメッセージでも残しておけばいいのに、えらい古風な伝言だな。もちろん、生配信に乱入なんて笑えないから、ドアは開けない。
子どもの頃は、入ってきてほしくないときにこうやってドアによく張り紙をしていた。ほんの少し、懐かしさがこみ上げてくる。
帰り道にコンビニで買ってきたカルピスをグラスに注いで、ソファに座る。スマホを触ってインスタを開くと、確かに「かんざきみかこ」のアカウントがライブ中になっていた。
未華子は私が動画や配信を見ることを別に嫌がったりしない。だから見ていることがばれてもいい。ライブ配信に参加してみると、出勤のときよりも緩く髪をおだんごに結んだ未華子の顔が映し出された。
メイクだけはばっちりしているけれど、服装は完全に部屋着でくつろぎモードなのがアンバランスだ。
彼女は鼻歌を歌いながらリアルタイムで届くコメントを読んでいる。
『えーと、英語の勉強のコツ教えてください……ええ? 私、別に英語できないよ? なんで私に質問してきたのさ? でもまあ、あれじゃないかなー、声出して音読するとか、書き取り練習を頑張るとか、反復練習がいいんじゃない? 私は適当に勉強してきたからダメダメだけど、お姉ちゃんはそういうことをしてた気がする。私と違って姉はできる人なんです』
嘘をつけ。学生時代のTOEICの点数、あんたのほうが高いだろうが。ただ、未華子が適当に勉強していたというのは頷ける。彼女は感覚で語学が理解できるタイプなのだ。勉強方法なんかを質問しても、大して当てにならないだろう。
『お姉さんいるんですか? みかこさんと似てますか? お姉さんもきっと美人さんなんでしょうね。うん、似てますよ~。眉毛と目の位置とか特に。私は読モとか経験してきたけど、姉は目立つことが苦手な人なので、顔出し的なことはしてないですね。でも素の顔が私よりもすごい綺麗だから、メイクとかばっちりすれば芸能人にも勝てると思う』
未華子の回答を聞きながら、泣きそうになる。
そう思っているのは未華子だけだ。きっとこのコメントを書いた人たちは、私を見れば失望するのだろう。なんだよ地味じゃんって。
画面の中の未華子が、大きな瞳を瞬きさせて次のコメントを読んでいる。
私は未華子みたいに聞いていて元気が出る可愛い声も、誰かを楽しくさせられるような話術も、ない。それから華やかなオーラも。隣に並んで比べてみれば、私のほうが何か残念だと思われてしまうのは一目瞭然。世の中、顔だけじゃないのだ。美人であるうえに、さらに好かれる要素が必要なのだ。
だけど私の妹は、お世辞じゃなくて本当に自分と姉が似ていると思っていて、姉が美人かと問われれば躊躇いなく美人だと答えているのだ。それだけで姉も自分と同じくらい人に愛される素質を持っていると信じて疑わないのだ。それくらいは見ていればわかる。
胸の奥で、あの「嫌い」の感情が徐々に蘇る。バカみたいだ。この妹は本当にバカだ。
そんなに無邪気に私を褒めないで。みじめになるから。
彼女のそういうところがどうしようもなく、ムカつく。
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