◆32.これが伯爵令嬢の正体なんですけど。
グラフィアス王都は未曽有の大混乱に陥っていた。
結界は破壊され、沼地から発生した魔獣の侵攻によって、都市部は壊滅的な打撃を受ける。
空からはワイバーンの大群、地上からは大型ボアの群れ。
それに加えて散発的にゴブリンやコボルトが略奪を行い、それらモンスターの一部は王宮内にまで達していた。
「おいおい……やべえぞ。いよいよこの宮殿内にも魔獣が入り込んで来やがった。このままだとマジで国がもたないんじゃないか」
「まずいよな。今は騎士隊が何とか踏ん張ってるけど、どいつも疲労はピークに達してる。一部でも崩れたら、そこから一気に形成が傾くぞ」
「俺たち宮廷魔術師もそろそろ治療の任務から前線に回されそうだが……どうする?」
「どうするって……そんなの決まってるだろ」
「何で国と心中しなきゃならねーんだよ。ここいらがバックレ時だ、俺は抜けさせてもらうぜ」
「だよな。命あっての物種だ。馬鹿どもに付き合う義理はねえ」
そんな無責任な会話をしているのは、以前カイトを罵倒した元同僚である宮廷魔術師たち。
彼ら三人は負傷者救助の任も投げ出し、今は宮殿内の魔獣に荒らされた区域を徘徊していた。
ただ、国を捨てる算段をしつつも、彼らはまだ逃げ出そうとはしない。
その理由は、一言で言うなら火事場泥棒。つまり、避難が済んで人がいなくなった城の倉庫から金目のものを盗み出し、それから国を去ろうという魂胆なのである。
「……ったく……シケてんな。高そうなものはだいたい移動させられた後かよ」
「まあそう言うな。物があるだけマシってもんだ」
「そうそう、魔法書なんかは貴族の奴らも価値がわからねーみたいだし、それをいただいて……って、うおっ!?」
そして、三人が最奥の倉庫をのぞきに入った時。彼らは物陰に潜む一人の人間と鉢合わせる。
「──誰ですっ!?」
「あ、あんたは確か……パルヒュム伯爵令嬢の、フローラ……様」
「あなた方、その装束は……王宮に勤める魔術師ですね。後方支援の任を放って、ここで何をしているのですか」
「い、いえ、俺たちは別に……その」
「見回りといいますか……そ、そう! 医療物資が足りなくなったので、探しに来たんですよ!」
「フローラ様こそ、こんなところで何を……あ!」
嘘の言い訳をする魔術師たちだが、フローラの視線が彼らの手にした財貨へ向くと、慌ててそれらを後ろに隠す。
「……その手に持っているもののどこが医療物資なのですか。ああ、そう……この混乱に乗じて盗みに入っていたのですね? なんとあさましい……」
だが、フローラは蔑む表情を彼らに向けつつも、続く言葉をどこか興味なさげに言った。
「……いいでしょう。今は下賤の輩に構っている暇はありません。見なかったことにしてあげるから、さっさとここから出て行きなさい」
てっきり咎められるものと思いきや、令嬢は三人にあっさりと道を開けてしまう。
その妙な言動に、魔術師たちは思わず顔を見合わせた。
性根の卑しい彼らは都合のいい言葉を鵜呑みにするほど素直な人間ではなかった。
自分たちがフローラの立場だったらと考えた時、このまま見逃すはずがない、おそらく報告されるだろうという結論にたどり着く。
男たちは無言でうなずき合う。
そして、逃げ道をふさぐように素早く動くと、フローラの左右の腕を掴んだ。
「なっ……何をするのです!」
「見逃してやると言われて、そのまま信じる馬鹿はいねえよ、お嬢様」
「どうせこの国はもう駄目だ。あんたも一緒に連れて行ってやるよ。ただし、奴隷商のところにだがな」
「髪の艶もいいし、宝石よりもいい金になるぜ。恨むんなら、この場に居合わせた間の悪さを恨むんだな」
下劣な本性をもはや隠そうともせず、彼らはフローラを連れて行こうとする。
しかし、彼女はため息をつき、どこか気だるげにつぶやいた。
男たちの悪意など、まるで些細なことであるかのように。
「ああ……本当に嫌になるわね」
次の瞬間、男の手による拘束が断ち切られる。
──ブチッ
「えっ」
まるで赤子の手をひねるように軽々とそれは行われた。
少女とは思えない力に一瞬言葉を失った魔術師は、その数秒後、真横に吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
──ドガッ
「──おごっ」
そのまま崩れ落ち、ピクリとも動かなくなる男の体。
「なっ、どうなっ──ごふっ」
続く反対側の二人目も同じように逆側へ飛ばされ、鮮血が大きく飛び散った。
「……は?」
そして、最後の一人は何が起こったかわからず、口を半開きにしたまま目の前のフローラを見た。
そのフローラの身体は、魔力の光とともに姿形がみるみるうちに変わってゆく。
長かった髪は吸い上げられるように短くなり。
骨格は盛り上がり、背丈は男たちを超すくらいの長身に。
伯爵令嬢のドレスは霧のように搔き消えて、その内側からはどこに隠れていたのか男物の軍服があらわれる。
「見逃してあげるって言ったのに……どうして自分たちから命を捨てようとするのかしら。あなたたち、頭が沸いてるの?」
それはグラフィアスのものではない、異国の軍装。
口調はそのままだが、声は射殺すように低く。
目もとのほくろや髪質、髪の色、それらの表面的な特徴がわずかに残るのみで、フローラは完全に成人男性の姿へと変貌していた。
「お、お前、その体っ……お、男……?」
「驚かせちゃったかしら? 私はね、こういうところに潜入しやすいよう身体を改造されてるの。ちょっと魔力を身体に流せば、女の子でも男の子でも、思いのままの姿になれるのよ」
そう言いながらするりと近づき、魔術師の首に手をかける。
彼女──否、彼の身体からは高密度の魔力が充満しており、男の全力を持ってさえ振りほどくことができなかった。
「まぁ、私としては、この姿のままで『フローラ』としても良かったんだけどねぇ。ほら、私って元が良いでしょう? だから性別関係なく、何でも似合っちゃうわけよ」
片手で男を持ち上げながら、ケタケタと笑う。
まるで世間話でもするかのように軽い口調だが、口もとより上、目は笑っていない。
「ばっ、化け物っ……」
「あら、失礼ね」
次の瞬間、腕に込めた力が強まり、ボキリと鈍い音がする。
絶命し、糸の切れた人形のようにだらりと垂れ下がる魔術師。
そしてフローラは興味なさげに、男の亡骸をその場に投げ捨てた。
「さて、これで一応、私の任務は完了したわけだけど……これからどうしたものかしらね」
やれやれと所在なさげにため息をつく。
直後、入口の方からガタンと物音がする。
フローラは悠然とそちらへ向かい、一人の青年を視界に入れた。
彼女を探しに来たその人影は、倉庫内で起きた一部始終を見てしまっていたが、恐怖のあまり腰を抜かしてそこから逃げ出すことすら出来ずにいた。
伯爵令嬢の皮を被った暗殺者は、抑揚のない声で彼に言う。
「タイミングの悪いことでお気の毒さまね。でも、見られてしまったからには、あなたにも死んでもらわなくちゃならないわ。悪く思わないでよ、王子様」
扉のすぐ外にいた王太子ヨハンは、見下ろすフローラに「ひいぃ」と声を裏返らせた。
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