◇30.聖女をすぐに帰国させる方法はあるんですけど。
そして、街の防衛が一段落ついた後で。
皆が安堵の表情になり、互いの無事を喜びあっていたが、その中でアンリエッタだけが依然浮かない顔をしていた。
当然といえば当然だ。
彼女の『本番』はここではないのだから。
北方のグラフィアス王国こそが、この聖女が本当に守るべき場所なのだ。
今、あちらの国はどうなっているかわからない。
報告の通り結界が破られたにしろ、それだけで国が滅ぶことはないと思うが、今からアンリエッタが戻るにしても十日はかかる。
それならあるいは、彼女が帰国する意味はないのかもしれないが……だからといって、ここに留まり続けるわけにもいかない。
「お嬢さん。休みなしになるが、本当に今から馬車を呼ぶのか? あんたの体力のことを考えれば、一晩はここで休むべきだと思うんだが……」
「いえ、そういうわけには参りません。眠るのは馬車の中でもできます。すみませんが、すぐに出立の準備をさせて下さい。私のことは大丈夫ですから」
アンリエッタはそう答えながらも、ぐらりと足元をふらつかせた。
彼女の隣に立っていたリリアがそれを支える。
令嬢が「ありがとう」と言って見せるその笑みも、力なく、どこか手折れてしまいそうな儚さがあった。
(いや……どう見ても大丈夫じゃないだろ。揺れる車内で満足に寝られるとも思えない。このまま彼女を発たせたら、悪くて命に関わるぞ)
押さえつけてでも留まらせるか。それとも、出発前の食事に眠り薬でも入れてしまうか。
そんなことを考えていると、ふとリリアがメルフィナを手招きして呼びつけた。
「メルフィナさん、ちょっと……いいですか?」
「はい。いかがいたしましたか、姫巫女様」
彼女は口元を手で隠し、何やらメルフィナに耳打ちする。
「……はい。はい、持っています。もちろん、それは構いませんが……」
「……──……」
「……わかりました。それでは、私の方から婿殿にお聞きしても……」
「ええ、……──……」
(……ん? 何だ……?)
二人でこそこそと小声で話していた。
内容までは聞こえてこないが、何故か俺の方を見ながら会話している。
怪訝に思っていると、今度はメルフィナが俺に近づき、上着を開いて自らの胸元を見せてきた。
「婿殿、これを」
「って、おい。それ……」
彼女が見せたのは胸……ではなく。内ポケットに入っていた二枚の札だった。
一つは転移魔法の術札。
以前、俺とリリアがダークエルフの村に連れ去られた際に使用されたもの。
一瞬にして任意に場所を移動できる、高位の術式を封じ込めたマジックアイテムだ。
それを目にして俺はハッとなった。
そう、これがあればわざわざ馬車など使う必要はない。転移魔法によって、グラフィアスまで瞬時にアンリエッタを送ることが可能なのだ。
「メルフィナ、お前……」
「私ではない。これは、姫巫女様の……リリア様からのご提案だ」
メルフィナはそう言ってふところから札を取り出し、俺へと差し出した。
「聞けば婿殿は、あの令嬢の国の者から魔法を封じられ、国外追放の憂き目にあったそうだな。恨みしかないであろう国の者を助け、あまつさえ祖国へ送るなど、私には信じられんことだが……リリア様は、あなたが望むならこの術札を使うよう私に仰せられた」
その言葉に、俺はリリアへと振り返る。
目が合うと、彼女は無言でこちらにうなずいた。
そして、表情だけで語り掛けてくる。
「どうぞカイトさんの好きなようにして下さい」と。
その一方で、メルフィナは続けて俺に問う。
「だが、これを渡す前に……私からも一つ言わせて欲しいことがある。婿殿、あの令嬢を国へ送り届けることは……それは本当にあなたがなすべきことなのか?」
「……何だって?」
「リリア様は術札を渡すに際し、『嫌なら拒否してもいい』と私に仰られたが、そもそも私は拒むつもりなどない。ただ、それは私があなたたちを信用しているからだ。けれど婿殿、あなたの場合は違うだろう。信用に値しない国の者を助ける必要などない。今も魔力を消費して、婿殿自身も疲労の極みだろうに……。……無礼を承知で言うならば、私はこれ以上他人には関わらず、あなたこそこの町で休むべきだと思っている」
彼女は真剣な声で、俺を見据えてそう言った。
メルフィナは別段俺に恩義があるわけではない。
しかも俺は同族でもないのだから、こちらを気遣う必要などないはずだが、彼女はどうやら本心から心配してくれているらしい。
ありがたい話だ。どこで評価されたのかわからないが、光栄なことだと思う。
ただ、生真面目な彼女には申し訳ないのだが……実を言うと、俺はそれほど深く考えているわけではなかったりする。
(というか……そもそも理由なんて考えてなかったな……)
アンリエッタを助ける理由。わざわざ彼女に付き合う理由。
何も考えてなかった。
なんとなく気の毒だと思い、彼女個人には恨みもないので、その流れで国に送るような感じになっていた。それだけの話だ。
……しみじみと考えて、我ながら阿呆だな、と思ってしまった。
そうだよ、ヨハン王子とかあっちの奴らのことを言えないくらい、俺自身も考えなしじゃないか。
「ははっ。いや……本当にアホだな、俺」
「む、婿殿?」
思わず笑ってから真顔になると、メルフィナはそんな俺を見て引き気味になる。
……まあ、確かにあいつらを助ける道理なんてない。
だいたいアンリエッタを国に送っただけで、グラフィアス全土が守れるわけでもないのだ。
とはいえ、そうだとしても。
一度関わった身としては、このまま放置するのも何か違う気がしていた。
「まあ……アレだ。彼女には、街の守りを手伝ってくれた借りがあるのと……俺の寝覚めが悪いってだけの話だよ」
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