◇26.魔獣の大発生が起こったらしいんですけど。


「まずは危ないところを助けていただいたこと、感謝いたします」


 暗殺者を退けた次の日の朝。

 アンリエッタはそう言って深々と頭を下げた。


 聞けばあの男たちは異国のスパイだったらしい。

 王国の崩壊を企むそいつらの一味に嘘を吹き込まれ、アンリエッタは俺と交渉するためにわざわざ森へとやって来た。

 そして隙をつかれて人気ひとけのないところでグサリ──という直前で、本当に現れた俺たちに助けられたという。


(つーか……結界の破壊ってなぁ……。知らないところでやってもいない罪を増やされてたのかよ……)


 腹立ちまぎれに椅子に座った足を組み替えると、公爵令嬢は確認するように俺へと問いかけた。


「魔術師さま。再度お尋ねしますが、あなたが結界を破る術を作ったという話は事実ではないのですね」


「ああ。こちとらそんなに暇じゃないんでね。そんな下らないことのために割く時間なんてないよ」


「それを聞いて安心しました。……ですが、あなたが呪いを受けたというお話の方は……その」


「まあ、そっちは……な」


 質問にうなずき、追放された時のことを思い出して顔をしかめていると、アンリエッタは席を立って床に手をつこうとする。


「結界を維持し続けてくれたことに感謝こそすれそのような行い、聖女として申し訳なく思います。謝って済むことではないとわかっています。ですが、私にはこうするしか──」


「ちょっと待て。土下座なんていらないから立ってくれ」


 呪いを受けたことはろくでもないと思うが、そもそもこの令嬢個人に責任があるとは思っていない。

 その企みに加担したならともかく、目の前の殊勝な態度からしても、知らなかったという彼女の言葉は信じてもいいように思われた。


(あるいは……どうせ将来的には王妃になるんだから、王子の悪行は彼女も連帯すると考えるべきか……?)


 いっそのこと、この令嬢が王子をかばうのなら、一蓮托生として責める気にもなるんだが。

 そう思って王子の行いについてどう考えているか尋ねると、アンリエッタは真剣な面持ちで「許されることではないと思います」と答えた。


「それが……自分が結婚する相手でもか?」


「え、嫌ですけど……結婚なんて……。ここ最近で彼の底が知れたというか、さすがに愛想が尽きたので……」


「ぶはっ」


「え、な、何ですか?」


 率直な物言いに、思わず吹き出してしまった。

 そうだよな。あんなバカ王子と結婚するのは嫌だよなあ。


「あははははは……えーと……もう一つ聞きたいんだが、お嬢さん。あんた、呪いを解く方法とかは知らないかな」


「ごめんなさい、呪術は専門外なのでそちらの方は……」


「そうか。ならいいんだ」


 そんな感じのとりとめのない会話をしつつ、俺ははたと気付く。

 昨日のように暗殺者が聖女を狙ってきたということは、すでに事態はひっ迫しているのではないか。

 この令嬢も十分な魔力を持っていないにしろ、グラフィアスにはアンリエッタ以上の適任者はいない。

 つまり彼女が国内にいない今こそが、結界を破る好機といえるはず。


 そう思って、俺が彼女に帰国を促そうとした時、ノックもなしに一人の少年が店に飛び込んでくる。


「カイトさんっ、大変です!」


 それはエイラの弟、イアンだった。

 彼は息を切らせながら俺のところに駆け寄ると、恐怖に引きつった顔で助けを求めてきた。


「まっ、街が、魔物の大群に襲われました! モンスターが何百体も一気に押し寄せてきて……! 北のグラフィアスは結界が破られて、僕たちリッケスの街も、このままだともたないって、お、お姉ちゃんが……!」


「──何だって!?」


 その報せに俺は声を上げ、リリアや同席していたメルフィナたちも、皆一様に戦慄の表情となる。


 そして、俺の背後でガタンと音がする。

 振り向けば、アンリエッタが椅子から崩れ落ちていた。

 彼女は立ち上がることもできず、狼狽した声で「そんな、まさか……」と、その身をわななかせたのだった。

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