第21話・冷血病の正体
二人の足音が廊下を近づいて来る。今ではその歩き方の癖で、シルヴァンとリカルドだとわかる。
少女のようにそわそわしている私を、呪術師の男は半分呆れたような笑いを浮かべて見ている。
扉が開いた。
「アリアンナ!」
「ああ、シルヴァン、よかった、逢えて……」
私は冷気と共に室内に足を踏み入れた銀の髪のひとに歩み寄る。私のように表情を動かしてはいないけれど、会えて喜んでくれているのが伝わる。
でも……。
「シルヴァン」
最後に別れた時より、かれは一層凍てたように感じた。陶器のように生気がないと感じていたけれど、今はまるで氷の彫刻のようだ。触れたらこちらまで凍てつきそうな……でも、それでも、かれは歩いて私の傍に来て、私の顔を見つめた。そのアイスブルーの瞳は完全に凍ってはいない。微かな笑み……あの、子ども達と遊んだ時に浮かんだものの、残渣が見え隠れしているように思えた。
「アリアンナ。もう、会えないかと思っていた」
「まあ、そんなことある訳ないじゃない。私はどこにも行かないもの……」
何でもないようにそう言って、私は笑って見せた。ああ、でも、私がどこにも行かなくたって、かれがいってしまうかも……知れない。もう、二度と会えないところへ。夏を越せないという言葉が、かれの様子に重なって一気に現実味を増したように感じてしまう。
「シルヴァン。私ね」
慌ただしく別れて、私はかれに何の気持ちも伝えていない。焦る気持ちが、他の人の存在を忘れさせて、私は言葉を紡ごうとした。
けれど。
「ああ! こりゃ驚いた! まだ生きてたのか!」
別の男の声が私の言葉を遮った。若い呪術師は、興奮した様子でシルヴァンに近付いた。
「あなた……? どうしたの、何か知ってるの?」
そうだ、と私は心に希望の灯火をともす。早すぎる別れを回避できるかも知れない救い手を見つけたのだった!
「すげえ。絶対ただの噂だと思ってたのに、この目で見られるなんて!」
「噂ってなに? 知ってるのね、このひとの病のこと。ああ、治して、おねがい!」
「アリアンナ、リカルド。だれなんだ、この男は?」
「旅の呪術師だよ。黙って連れて来てすまない。けど、アリアンナの願いなんだ。もちろん僕も願っている」
「呪術師……」
シルヴァンは戸惑っているようだった。
「呪術師なんか呼んでも無駄だ。この男は帰らせてくれ。俺はアリアンナに会う為に来たんだ」
「無駄かどうか、試してみないとわからないわ。治ったら、いくらでも会えるのよ」
シルヴァンに触れると、まるで氷に触れたように手が痛んだけれど、それでも私はかれの腕をしっかりとつかんだ。そして呪術師に向かって、
「わかることを教えて! ねえ、かれを治せるんでしょ?」
と、祈りを込めて叫んだ。
でも……呪術師は首を横に振って、
「俺の力じゃ無理だよ」
とあっさりと言うのだった。
「そ……んな。ねえ、じゃあどうすればいいの。あなた以外の誰かなら治せるの? 知ってる事を教えて!」
「治せる奴はもう死んじまった。つまりな、お嬢さん、この術を解く事が出来るのは、施術した本人だけだ。だが、そいつはとっくに死んでるんだ」
「――」
「だから言ったろう、無駄だ、と」
シルヴァンは呪術師の無情な宣告にも、他人事のように平然としている。そうか……知ってたんだ。かれも、父も。
「まあ、依頼金も貰ったし、俺にわかる事は話してやるぜ。なあ、氷の旦那、後で身体を診せてくんないか? 結晶の状態を知りたいんだ」
「断る」
「伝説級なんだよ、この状態は! 調べさせてくれよ。少しくらいなら緩められるかも知れねえし、頼むよ」
「断る」
「とにかく、あなたが知ってる事を話して! 伝説、ってどういうこと?」
私はやりとりを遮って呪術師に言った。
「血止めの氷結晶が、10年も身体の中にあるなんて未だかつてない、って事だ」
「血止め?」
「ああ。そもそも、氷結晶自体、相当力の強い呪術師でないと使えない。必要ない時は抑えておかないと周りまで凍っちまうからな。で、俺がむかし師匠に聞いた話はこうだ。10年前、大陸中の呪術師の間で名を知られる、すげえ力のある呪術師がいた。そいつがたまたま、この国のお偉いさんの別荘地辺りの村にいた所、あるお貴族さまから依頼があった。出血多量で死んじまいそうな少年がいて、ちゃんとした医者のところへ運ぶまでもちそうにない、応急処置でもいいから助けてくれ、と」
呪術師を手配した貴族。それは、もしかして、父……?
「それでその呪術師は、そのガキの傷口に、血止めの氷結晶を埋め込んだ。傷口から流れる血を凍らせて止めて、失血状態にならないようにする為だ。高度な呪術だが、前例がない訳じゃない。医者のところに連れてったら結晶を溶かして、医者が傷口を縫えば助かるかも知れん、ということだな。だが、ガキを運ぶ一行に同行していたその呪術師は、道中で事故に遭って死んじまったそうだ。他人を救っててめえが事故であっさり死ぬとか馬鹿馬鹿しいことだが、とにかく、そのせいでガキの体内の氷結晶は、もう誰にもどうしようもないという事になった。それで、そのガキは命は助かったものの、傷口に埋め込まれた氷結晶の呪力で、何年もかかって生きながら凍っていく羽目になったと。これが、呪術師仲間では有名な噂だよ。いやあ、まさかそいつに会えるなんてなあ!」
「嬉しそうに言わないで!」
ぴしゃりとそう言ったものの、私の頭の中は暴風が吹き荒れているようだった。
『冷血病』の正体は、これでわかった。呪術との関わりもわかった。父が、ユーグ・ラトゥーリエを呪術などに晒した理由も。
ユーグ少年は大怪我をして、医師の手当てが間に合いそうになかった。だから、僅かな望みに賭けたのだ。
でも。何故、ラトゥーリエ公爵の一人息子がそんなことに? それに、本当に、術者が死んでしまっているから、もう望みはないの……?
「かれ……どうなるの。そうだ、温めて結晶を溶かせないかしら? これまでも、暖かい所で傷口が開いていたんだわ!」
「ああ、あんたの男なんだっけ。悪いが、どうしようもないよ。温めて弱めたって結晶が完全に消える事はない。傷が開いて痛い思いをするだけさ。まあ、10年も生きただけよかったと思ってくれ。この感じじゃ、程なく心の臓まで凍って、そうなったら、生きちゃいられないだろう」
「そんな……」
10年と言ったって、私がかれと過ごして、愛するようになってからの時間はとても短かったのに。
(え……)
会ってから短かった、と事実を思えば、何故だかちり、と嫌な頭痛がする。
でも、そんな事に構ってはいられない。
「シルヴァン!」
そうだ、この呪術師、本人を前にして、なんて事を言うの。私が、この男と会わせたせいで、程なく生きていられなくなる、なんて言われて……。
「いい。アリアンナ、俺は知っていた。アンベール侯から聞き出していたんだ。その呪術師は死に際に言ったそうだ。俺が全身凍るまで10年だと。もうすぐその時は来る。おまえが俺のところに来てくれて半年。それが刻限だと知っていたし、王太子の妃になるおまえとは、死ぬまでもう会う事はないだろうと思っていた。だがおまえはここに来て、俺と一緒にいてくれた。この半年、俺は10年分の幸せを得たと思っている。だから、おまえは気にするな。俺の死を悼んだりしなくていい。おまえには笑っていて欲しいんだ。なぜそう思うのかすら、感情が凍りはじめてからよくわからなくなったが……とにかくおまえに幸せに生きて欲しい。ああ……この事はまだ忘れていなかった。今日、おまえに会えて、言えてよかった……」
「シルヴァン!」
私は泣きながらかれの胸にしがみつく。リカルドと呪術師がいる事も気にせず、私は私から口づけをした。冷たさなんて感じない。だって、かれの心はこんなに温かい!
「アリアンナ」
シルヴァンは驚いているようだ。けれど私は構わず、
「あなたが! あなたがいなくなって、どうして私が幸せに生きられると思うの。何もかも失った私がたったひとつ得たもの、失ったすべてより大事なあなた、私はあなたを愛してる! あなたの全部を凍らせたり、しないわ! だって、あなたの心は、優しさは、まだ凍ってないもの!」
「おおー、いいねえ」
私の激情に棹差すような間延びした男の声がする。呪術師は、私の様子をにやにやして見ていて、そのまま言葉を繋げた。
「お嬢さん、呪術はな、心の力がもとなんだよ。お嬢さんにも色々事情があるようだが、それでもそんな風に強い気持ちを持てるなんて、お嬢さんは呪術師の資質があるかもなあ」
「うるさいわ! そんなこと、いまさら!」
「いやいや、何も今から呪術師の修行をしろなんて言ってる訳じゃないさ。ただ……もしも、もしもだ、まあ無理だと思うけど、あんたらの心の力が、死んだ呪術師の術の力に勝つような事があれば、なんとかなるかも?」
「……えっ?」
「まあ人間なんて綺麗な事言っても薄暗い部分もいっぱいだし、むしろ呪術はその薄暗い部分を糧にしてる訳なんでね、今言ったのは、ただの俺の思い付きだ。でもまあ……もしなんとかなったりしたら、俺が術を磨けるように、そのこと、知らせてほしいなあ、なんてな」
そんな言葉を残して、呪術師は出て行こうとする。
「ま、待って! もっと教えて!」
「もうこれ以上言えることはねえな。氷の旦那は調べさせてくれねえみたいだから、長居したって仕方ねえし。もし俺になんか報告したい事が出来たら、俺が今いる酒場の親父に言伝を頼んでくれればいいからな」
報告したい事。『なんとかなる』こと? シルヴァンが生き延びること?
私に、出来る事があるんだろうか。呪術師の背中を見送りながら、私は心の整理に努めていた。
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