第13話・悪役令嬢は赤い花の夢をみる

 その晩、私は夢を見た。

 黒髪の貴公子と、赤い花を髪に飾った令嬢の夢だ。


『ユーグさま』


 と令嬢は花に触れながら貴公子を呼んだ。何しろ夢なので、顔も年恰好もわからない。でも、貴族の男女だという事はわかった。私はただぼんやりと、どこか日の当たる庭園のような所にいるふたりを見ているだけだ。


『よく似合ってるよ』


 貴公子は快活に笑って言った。段々とその顔が見えて来る。艶やかな黒髪とスカイブルーの瞳を持ち、人懐こい感じの笑みを浮かべている――幾分年若く、髪の色と表情のせいで受ける印象はまるきり異なるけれど、それが誰なのかわかった。シルヴァン……いや、ユーグ・ラトゥーリエだ。


―――


 ひとというのは不思議なもので、心の中にある様々な思いの欠片をびっくりするような形に繋ぎ合わせて、それを夢に見る事がある。行った事もない場所の風景を見たり、会った事もない人と友人のように話したり。あまり夢など見ないという人も知っているけれど、私はこれまでにも色んな夢を見たものだ。王太子の婚約者として、何不自由なく幸せに暮らしていた頃は、楽しく華やかな夢を見た。話に聞いただけの隣国の王宮の舞踏会で踊っていたり、或いは、子どもじみた事には空を飛ぶ馬車に乗って国中を旅したり……。

 そんな夢の中で、いつも傍にいて優しく微笑みかけてくれたのは、ジュリアン王子だった。その頃私は彼に残忍な本性が隠されているなど夢にも思っていなかったし、私の甘い恋人は否も応もなく定められた婚約者以外のひととは想像も出来なかった。夢の中のジュリアンは、今思えば本物よりずっと私の気持ちを解ってくれて、蕩けるように優しかった。本物も、あの頃は私に向かって声を荒げたりする事は一切なかったものの、時折急に不機嫌になって私を慌てさせたりした。

 そんな夢は今は遠いものとなり、思い出すだけで苦い。全ては少女時代の私の幻想で、あの男は僅かも私を愛してなどいなかったのだから。

 身の上が暗転してからというもの、横になって目を瞑るのも恐ろしいくらい、苦しい夢ばかり見ていた時もある。華やかな暮らしから一転、自分と父の処刑決定の知らせに怯えながら一人ぼっちで薄暗い牢屋で過ごした日々……。愛する父が首を刎ねられる夢を何度も見て自分の叫び声で目を覚まし、そしてそれは現実になった。その後見た夢は、続いて自分も首を刎ねられて、父の首と並べて城門に晒される……。斬りおとされた自分の首を持って、それをイザベラに突きつける夢も見た。でもイザベラは、笑いながら私の血塗れの髪を掴んで、ボールのように私の首を投げた……。

 いまはもう、そんな夢は殆ど見ない。命を救われ、静かで穏やかで変化のない、風変わりな公爵との生活を送り、段々と夢も安定してきていた。時折、父がまだ存命で、二人で語らいながらお茶を飲んでいる夢を見て、目覚めてそっと涙するくらいで。疲れ果てた私は、恐ろしいことには関わらず余生を送りたいという気持ちに囚われて、忌まわしい過去を忘れたかったのかも知れない。復讐を胸に抱いたときもあったのに、村の子どもと遊んでいると、何が大事なのかわからなくなってしまう時がある。

 ジュリアンやイザベラを好きなようにさせておいていい訳はない――でも私は、死んだ事にして身を隠しているしかない。私が何かすれば、助けてくれた人たちに迷惑をかけてしまう。そんな思いが、自分の心の炎に蓋をしていたのかも知れない。

 それはともかく、私は、レジーヌの話を聞いて赤い花の女性について色々と考えを巡らせながら眠った。だから、どこの誰かもわからないその女性が夢に出て来る、なんておかしな体験をしたのだと思う。


―――


『ユーグさま、私、赤が好きですわ。暖かな暖炉の炎の色ですわ』

『うん、僕もだ。元気が出て来る気がするな』

『ここにはたくさんの色のお花があって、どれも綺麗なんですけれども』


 ふたりは庭園をそぞろ歩きながらのんびりした会話をしている。私は、赤い花の女性は、あのぶっきらぼうなシルヴァンの相手が出来るのだから年上で落ち着いた感じなのだ、と勝手に想像していたけれど、夢の中の女性はまだ少女、シルヴァンより年下のように感じた。

 シルヴァン――いや、この夢の中の貴公子は、私の知っている銀の髪の冷血公爵と同一人物の筈だけれど、シルヴァンと呼ぶ要素はどこにもない。ユーグと呼ぶしかない。髪は持って生まれた黒で、瞳には生気が漲っていて表情は柔らかい。会った事のない令嬢の方は姿も声も曖昧だけれど、ユーグの方は夢なのにくっきりとした姿だ。シルヴァンの髪が黒くて朗らかだったら……とても想像できないと思っていたけれど、どうやら私は無意識にその姿を鮮明に心の中に描写出来たらしい。


『王宮の庭園には各地から集められた見事な花が競うように咲き誇っている。だけど僕はこうした自然に近い花園の方が安らげる。領地の方には生憎、花の種類が限られているんだが』

『ユーグさまはお花がお好きですよね』

『……きみにだから話しているんだ。男が花が好きだなど侮られてしまう』

『まあ。ユーグさまを侮るだなんて。皆、ユーグさまを尊敬しています』

『表の態度なんて当てにならないさ。僕の立場は不安定なものだ。叔父夫妻なんかも、僕に取り入る裏で財産を少しでもかすめ取ることしか考えていない』

『そんな、悲しい事を言わないでください。ユーグさまのご親類が、そんなこと。レジーヌのご両親でしょう』

『あ、ああ、そうだな、ごめん。きみにこんな話。うん、疑いを持つのは良くないな』


 少女の声は沈み、ユーグは焦ったように彼女を慰める。揺れ動く表情。彼女を大事にしているんだなとわかる。

 いっぽう、少女の方は子どもっぽくて何となく苛々させられる。ユーグは国王の甥でラトゥーリエ家の跡取りなのだから色々事情があるだろうに、理想論を押し付けているように思える。けれどユーグは少女の顔を曇らせないように話を合わせている。

 ――叔父夫妻? レジーヌの両親?


『おまえの親が領地を管理? は、ユーグがそんな事させると思うか』


 レジーヌに対する、吐き捨てるような口調のリカルドの言葉――。ああそうか、リカルドが悪い印象を持っているようだから、それが夢の中に出て来たのだろう、と私はぼんやり思う。

 少女の様子はよくわからないけれど、どこか私に似ているところがあるのだろうか? 赤い花が好きな少女。赤い花が嫌いな私。はっきりした差はそれだけだ。


『さあそろそろ館へ戻ろう。夕刻の風は身体を冷やすよ』

『まあ、もうそんな時間? こんどはいつご一緒出来ますか?』

『明後日かな。何かしたい遊びはある?』


 無邪気に甘えるような少女になんとはなしに私は苛立つ。自分の夢の中の登場人物に苛立つなんておかしな話だけれど。

 でも、ユーグはあくまでも少女の希望を叶えてあげたい風で。


『ユーグさま。今日頂いたお花も素敵なのですが……お願いをしてもいいですか?』

『もちろん』

『マリーに聞いたのだけれど、森の奥の滝の傍に、すごく珍しいお花がたくさん咲いているそうなの』

『赤い花?』

『ええ。ふわふわした花びらが幾重にも巻いているんですって。そしてすごく良い香りがするそうなの。私、そのお花を見に行きたい』

『きみの父上がいいと仰れば、一緒に出かけようか。きっとその花も似合うだろうね』

『うれしい!』


 ――そして、場面は暗転した。


『ユーグさま、ユーグさま!!』


 血だ。赤い色だ。私の嫌いな色。なにが起こっているのかはわからない。でもユーグは血を流して……。


『逃げ……て。はやく!』

『いや! ユーグさまを置いていけないわ!』

『いま、きみを護ることが出来るのは僕だけだ。絶対、護るから』

『だって! 私のせいなのに! 私が護衛を置いて来てしまったから!』

『そんなのどうでもいいよ。きみを死なせない……きみが生きてくれるのが僕の望みだから』


 ああ、と私は叫びそうになる。あれは、シルヴァンが私にくれた言葉。


『おまえを死なせない!』

『おまえが生きてくれるのが俺の望み』

『絶対、護るから』


 やっぱり……やっぱりあれは、会って間もない私にではなく、赤い花の少女の為のことばだったのか、と強い衝撃を受けた。


『どうして! ユーグさま!』

『きみが、僕に生きる温かさを教えてくれたひとだから。きみは僕の命そのもの、僕の――』


 赤い液体が視界を覆うように飛び散り、そして夢は醒めた。


―――


「お嬢様。アリアンナさま! どうなさったのです?!」

「あ――マリー」


 私が夢を見て泣いているので、マリーが心配して声をかけてくれた。


「いいえ……夢なの。ただの夢よ」

「でも、ご様子がふつうではないですわ。バロー先生をお呼びしなくていいんですか?」

「大袈裟ね。もう、大丈夫よ。ごめんなさい」


 夢だから、平気だから、と言いながらも、私はあれがただの夢ではない、という気がしてきていた。

 そして、私は、赤い花の少女に対して負の感情でいっぱいだった。なにが起こったの――彼女のせいでシルヴァンの身に大変な事が起こった? そして、それでもシルヴァンは、今は傍にいない少女のことを思っているの? 彼女はいま、どこにいるのだろうか。

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