第9話・冷血公爵の理由

 冬が過ぎて春になった。北部なので、私の知っている王都の暖かな春とは少し違うけれども、雪は殆ど降らなくなったし、厚手の外套なしでも外へ出られるようになった。

 でも、天気の良い日、シルヴァンは庭に出なくなってしまった。春の訪れを、陽の光の温かさを今生きて感じる事が出来るのがこんなにありがたいと思うなんて、昨年の春には想像もしなかった。この喜びを命をくれたシルヴァンと共有したいと思うのに、彼は寒い所が落ち着くのだと言う。


「でも、そんなに閉じこもっていては治るものも治らないのではないかしら。暑いのが苦手でも、少しずつ慣らしていってみてはどうかしら」


 私は侍女のマリーにそう言ってみたけれど、


「それは最初は皆そう思いまして色々お勧めしたのですけれど、本当に無理なんですよ。お医者様も、過ごしやすいようになさるのが一番身体に良いようだと仰ってますし」


 と残念そうに言われてしまった。


「悔しいわ。彼は何も悪くないのに、あんなだから冷血公爵なんて言われて」


 私はリカルドと話すようになって、ようやく、シルヴァンが何故冷血公爵と呼ばれ始めたのかを知った。


「王都の温暖な気候はユーグの身体に悪いので、僕は時折彼の為に情報を集める目的で出向くのだけれど」


 数度会ううちに私はリカルドと打ち解けて話せるようになった。勿論、男性として特に意識する訳ではない。彼の方は女性慣れしているようだけれど、私は元婚約者のジュリアン王子から受けた心の傷が癒えず、一生結婚も恋愛もしないつもりでいる。

 私たちの共通の話題はシルヴァンについてだ。話していると、彼が本当に利害関係など抜きでシルヴァンの事を兄弟のように大事に思っているのがわかるので、彼に親しみを覚える事が出来たとも言える。

 リカルドは私が彼をシルヴァンと呼んでいるのを知って面白がった。


「懐かしい呼び名だ。冷血公爵よりずっと気が利いてるな」

「彼が自分で提案したのよ。髪の色が銀色に変わり始めた頃に村の子どもにそう呼ばれたからって」

「え」


 どうしてだか、私の答えにリカルドの表情に影が差す。


「そうか。忘れてしまったのかな……」

「忘れたって、何を?」

「その呼び名は、もともと、髪の色のせいじゃなかったんだよ。ユーグのご両親も健在だった頃、彼と僕と数人の友人たちはよく、丘の下のシャモーヌ村へ遊びに行っていてね。10歳くらいだったかな。ユーグは子どもたちと遊んでやるのが好きで……誕生日を迎えた子に、銀貨に似せた菓子をやって喜ばせたりしていたんだ。銀色の鬘まで作ってさ。それで、御領主さまのご子息だなんてわからない幼い子に、妖精の名前で呼ばれていたんだ。それが最初なんだよ」

「まあ。そんな思い出を忘れる訳ないわ。説明するのが気恥ずかしかったのではないかしら」

「いや……最近あいつ昔のことを忘れがちで……」


 そう言いかけてリカルドは言葉を切る。


「忘れるってどうして?」

「いや何でもないよ」

「誤魔化さないで! なんなの。もしかして、彼の病気と関係が?」


 相変わらず、私は、重要と思える事を何も教えて貰えていない。シルヴァンの幼馴染なら色々知っている筈だ、と私は思い至り、絶対に聞き出そうと気構える。リカルドは溜息をついた。


「参ったな。あなたを心配させるような事は何も言うなと言われているのだけど」

「もう充分心配しているわ。だって普通じゃないもの。あなた知っているの? 彼の病気はなんなの?」

「それは……医師にもはっきりわからないそうなんだけど……ユーグは自分で、『冷血病』と呼んでいるんだ」

「なにそれ! 聞いた事ないわ、そんなの」

「ユーグが自分でつけた名前だからね。ユーグの身体は冷たい。それは、血が冷たいかららしいんだ」

「なにそれ……聞いた事ないわ……そんなの」


 私はばかみたいに同じ答えを返してしまった。


「僕にもよくわからない。だけど、10年程前から段々とそうなって、それで彼は館に引き籠っているんだよ。冷血公爵なんてあだ名、そもそもは、ユーグが自嘲して冷血病だと言ったのが、違う意味で広まってしまったからなんだ。彼が冷血な行いをした事なんて一度もないよ。優しくて明るくていい奴だから」


 『優しい』はともかく、『明るい』はまったく想像出来ないけれど、冷血公爵の由来がそんな事だったなんて、と私は驚いた。


「まあ! 王都では誰もが、ラトゥーリエ公爵は冷血な人柄だと思っているわよ! 領民を殺したなんて言う人までいるんだから! そんな誤解、どうして早く解いてしまわないの?!」

「僕だって、王都に行ってその名前を聞くたび、そうしたいと思ったよ。だけど、ユーグ自身が、そのままでいいと言い張るんだ。変わり者だと思われていれば、王都に出向かない理由を疑われない。本当に王都までの旅に耐えられない程身体が衰弱していると思われれば、そこからまた問題が発生するし、どうせ会いもしない人間たちからなんと噂されようと知ったことか、というのがユーグの考えなんだ。ユーグはこの涼しい土地にいれば、問題なく過ごせるのだからね」

「でも、あんなに悪い噂をそのままにしているのも問題じゃないかしら。陰で犯罪を犯しているような事をいつまでも言われていては」


 そうだ、そもそも悪い印象が先立ちすぎるから、宰相に、先王陛下暗殺の黒幕かも知れないとにおわされて、私もそのまま信じてしまったんだった。彼は確かに変わり者ではあるけれど、地位の為に暗殺を企むような人ではない、と今の私なら心から言える。


「うん……今までは、ユーグの伯父上である先王陛下が彼の事を解って下さっていたけれど、これからの事は僕も心配しているんだ。ジュリアン殿下とユーグには先王陛下との間のような信頼関係がないから」


 信頼どころか、シルヴァンは暗殺犯だと疑われている。宰相がそう思っているという事は、娘婿になるジュリアンもそうに決まっている。それを公にせずに私の父ひとりに罪を被せて処刑したのは、王族同士の争いだと思われては外聞が悪いから、という理由に過ぎないのだ。

 いまはまだ、若くして突然王位を継ぐことになったジュリアンの立場は先王陛下程強くない。だけど、宰相の娘イザベラを王妃として数年もすれば、きっとあの蛇のような男は独裁色を強めていくに違いない。そうなった時、ジュリアンがいとこを親類のよしみで好きなようにさせておこう、と考えるとは思いにくい。このままシルヴァンが結婚もせず嫡子を儲けなければ、シルヴァンを廃してもっと都合のいい人間に公爵位を与えようとさえするかも知れない。世間から悪く思われているシルヴァンが王に睨まれればまずい事になるのではないだろうか……。


「どうしたの、アリアンナ」


 私が考え込んでしまったので、リカルドは青灰色の瞳に気遣いを浮かべて私の顔を見つめている。


「いいえ、なんでもないわ。色々教えてくれてありがとう、リカルド」


 この人はきっと善い人だな、と私は思う。でもまだ、考えを全部打ち明けて相談しようと思う程ではない。


「ユーグの評判については、また近いうちに話し合ってみるよ。ユーグさえその気になってくれれば、僕の仲良しの令嬢たちから良い噂を広めてもらう事も出来るかも知れないから」


 そんな事を言ってリカルドは帰って行った。


―――


 その晩、私はシルヴァンと夕餉を共にした。一緒の部屋に長くいる時は、室内なのに外套を着ていなくては寒いので不便だ。血が冷たいだなんて……本当に温めてもよくならないのだろうか? でも10年近くもそうだというなら、お医者様も色々試してみた筈だろうし……。

 私はリカルドから冷血公爵の由来を聞いた事を話し、かつての私自身を含む王都の人間が皆ひどく彼を誤解しているのだと話した。


「リカルドに協力してもらって、誤解は解いた方がいいと思うの。あなたは悪い人ではないのに、悪く思われて嫌じゃないの?」

「別に嫌じゃない。俺は王都の全ての人間から悪い人と思われなくなるより、おまえの口から俺を悪くないと言われる事の方がずっと嬉しい」

「……あなたは悪い人じゃないって、私だけじゃなく、みんなに解って貰った方がいいわ」

「面倒だ。俺はおまえさえ解ってくれれば、『みんな』なんて要らない。伯父上だって俺の事を解って下さっていたし、アンベール侯も、リカルドも。それでべつに困っていない」

「でも、陛下も父ももういない。もっと味方を作っておいた方がいいわ」


 味方。

 けれど、口で言うのは簡単でも、本当に危機に陥った時に助けてくれる程の味方を作るのは実は困難な事だ。たくさんの親しい人がいると思っていたのに、その誰からも見捨てられた苦しみは、私が一番知っている。

 だけど、それでも、事実と違うのに悪く言われる状況はどうにかした方がいい筈だ。

 シルヴァンはワイングラスを手にしたまま、私を見つめた。テーブルの上の燭台の灯りが銀の髪を煌めかせる。


「アリアンナ。俺の事を心配してくれているのか」

「そ、それはまあ、だって恩人ですもの」

「最初は、俺を殺そうとしたというのに、変わったな」

「だってそれも誤解からだったし……本当に悪かったと今は思っているわ」

「あの時殺されずにおまえと過ごせて、俺は本当に幸せだ。アリアンナ、俺は何でもおまえの言う通りにしたい。おまえが心配してそう言ってくれるのなら、リカルドに相談してみよう」


 相変わらず、言う事が大袈裟なのだけれど、聞く耳を持ってくれたので私は嬉しかった。

 勧められて私もグラスのワインに口をつける。身体がぽうっと温まる。シルヴァンは、飲んでも酔わないのだと言っていたけれども、この温かさを教えてあげられたらいいのに……と私は思っていた。

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