海月の飛ぶ頃

くつひもさん

1.

 遠くから『鯨』の遠吠えが聞こえる。今日も成層圏の反響機構は良好に動作しているらしい。缶コーヒーを片手に、ビルの群れを見上げる。

 この時間だというのに、『水泡』の行き来する音は止むことを知らない。旧時代の遺物だ、だの、エネルギーの無駄遣いだ、だのと、政府はBD501型移動補助スーツへの乗り換えを奨励しているが、思惑通りにはなっていないようである。

 スーツの価格がそれなりに高いこともあるが、そもそも『水泡』を単なる移動手段という意味以上の想いを持って使い続けている人間も、一定以上存在するのだ。その一人であった俺の友人曰く、趣がある、らしい。そんなものなのだろうか。

 コロリ、コロリ……カラリ、カラリ……布一枚隔てた向こうでボルトが転がるような音がする。『水泡』の立てる、不安定で不均一な音。この音で彼の顔を思い出す事を趣と呼ぶのなら、そういうものなのだろう。遠く、街の灯りを反射する『水泡』が二、三と浮かんでいくのが見えた。

 ――そうして見上げた視線の先を『海月』が漂っていく。

 あれが何なのか、誰にもわかっていない。生物なのか、前時代の遺物なのか、はたまた生命工学の賜物なのか、どのデータベースを覗いても一致する情報が存在しない。この世界に於けるバグのようなもの、と言う者も居る。誰も予期しない、誰も望んでいない、而していつの間にか存在していた、それ。

 彼らは何故、中空を巡回するように飛ぶのだろう。脳の思考でも、電子的なプログラムでもない、何に従って行動しているのかもわからない。それでもずっと、切れかけのネオンのように弱く光りながら、何かを探し求めるようにして中空を彷徨い続けている。

 あんなふうになりたい、と友人は常々口にしていた。あんなふう、というのが何を指すのか、俺は知らない。宙を飛びたかったのか、何も考えたくなかったのか、それともずっと何かを探し続けていたかったのか。友人も言わなかったし、俺も訊こうとはしなかった。

 俺が彼の友人であるならば、それを尋ねなかったのは友人としての機能が上手く働いていなかった、ということなのではないか。首の奥、ジリジリと音が響いて、そんな演算の結果が羅列される。今となっては尋ねようもない。

 メンテナンスのされない腕が軋んだ音を立てる。まばたきが必要ない瞼を閉じる。空気が必要ない気管で深呼吸の真似をしてみる。

 今日も『海月』は気紛れに俺の上を通り過ぎていくだけだった。

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