第569話

 相手を背後からホールドしながら身体をコントロールする時、もっとも注意すべきはバランスだ。自分の両足で腰を固めつつ、両腕を脇の下に差したり首を抱えたりして上下左右、穴のないように掴み続けなければならない。

 しかしレイさんは俺の股間という絶好の餌――冷静に考えるととんでもない事を言っているが今は冷静になる時じゃない!――におびき寄せられ、あろうことか両手とも下半身へ向けてしまった。

「ダメですレイさん! ……なんてね!」

 俺は一瞬、形だけ彼女の手を掴んで抵抗するフリをしてすぐ左腕を大きく後ろに回し、まず脇の下に彼女の頭を抱えた。

「えっ!?」

 次に驚くレイさんの頭頂部を右手で抑え、自分の身体を回転させつつ下へ押しやる。

「大きな動物の首に手をかけテー、よいっしょって登る時のイメージダヨー」

と教えてくれたのはタッキさんだ。

「はい、残念~」

 こうして俺はレイさんの拘束を逃れ、むしろ逆に上から押さえ込むような形になった。いま彼女の顔は俺の大胸筋付近にあり、首の後ろに回して腕で俺に押しつければ例のマザーズ・ミルクという窒息技になるのだが、もちろん俺はそこまでしない。

「えっ!? ショーキチにいさん、なんか堅いもんが……」

「いつまでも女性陣に寝技を喰らう俺じゃないんだよね! さあ、おふざけはこれくらいにしよう」

 俺はそう言いながらレイさんの肩を叩いた。

「(脱出法を教えてくれたタッキさんと、練習につきあってくれたスワッグに感謝だな)」

 そして心の中でそう呟きながら立ち上がる。ゴルルグ族戦の後、シャマーさんツンカさんと立て続けに引き倒され押し倒された俺は、ちゃんと暇な時間にタッキさんに教わって技術を修得していたのである。

 あとタッキさんの言う『大きな動物の首』に手頃なものが無かったので、そこはあのグリフォンに協力頂いた。彼にもお礼を言わなければ。

「(さっき当たってた堅くて太いもんって……ショキチにいさんの!?)」

「あれ? なんだこりゃ?」

 と、立ち上がった俺の足下に何かが落ちた。流石に目が暗闇に慣れてきたので、さっと拾い上げる。

「あ、副審さんが使う旗か」

 それは間違いなく旗だった。半分くらいの所に布を巻き付けてある木の棒だ。思ったよりも太く重い。

「あーリザードマンって手が大きくて水掻きもあるからかな? んでボタンは無い……と」

 俺はその物体を軽く調べる。地球では樹脂とステンレスパイプ等で作られ、プロ用なら主審さんに信号を送る装置とボタンまでついていたりするのだが、もちろんこの異世界にそんな素材は無い。あくまでも普通の木材と布の様だ。

「もみ合いの時に棚から落ちたか? 踏んだら危ないし片づけよう」

「(昔、カイをお風呂に入れてやった時に見たことあるけど、あんなに大きなかった……。アレを受け入れるには、準備が要るわ……)」

 俺がそれを棚へ戻し振り向くと、レイさんもいつの間にか立ち上がり、ジャケットのベント――ポルトガルの監督名ではない。背中側の中央の一番下のことだ――を掴んでこちらを見上げていた。

「どうしました?」

「ショーキチにいさんって……」

「はい?」

「実は男らしかったんやぁ……」

「はぁ」

 暗い備品倉庫にいるナイトエルフの表情はよく分からないが、そう言うレイさんは少しショックを受けている様だった。もしかしたら力ずくで脱出した俺の身体捌きに、何かマッチョなものを感じたのかもしれない。

「あ、今のは状況的にちょっと荒々しくなっただけで、普段の俺はもうちょっとスマートですよ?」

 高校や大学の同級生にいた友人の運動部マッチョどもは、だいたい女子から評判が悪かった。基本的には

「うるせえ女の為に筋肉つけてるんじゃねえよ!」

という野郎たちの肩を持ちたいが、一方で怖がる女子たちの気持ちも想像できなくもない。

 なので

「でも……怖がらせたならごめんなさい。気をつけます」

と頭を下げる。

「ううん、謝らんでええよ。ウチも徐々になれてくから、また見せてな!」

 レイさんはそう言って、明らかに分かるほど元気を出して言った。また見せる? なんだろう、彼女も柔術や格闘技に興味があるのかな?

「まあ、タイミングが合えば。じゃあ、出ましょうか」

「うんよろしゅう」

 そう言って俺たちは備品倉庫を出た。この時の約束が後に大きな意味をもつようになるのだが、その時点の俺には知る由もなかった……。


 その後、レイさんもクールダウン終わりの他の選手達とさりげなく合流し、チームは特に問題なくスタジアムを後にした。

 例によって明日は丸一日オフであるし、ここはホームだ。船に乗って一緒にクラブハウスまで帰る選手もいるが、このまま王都へ繰り出し遊んだり実家や友人宅へ向かう選手も多い。

「しっかり休んで! 明後日の練習には遅刻しないように!」

 俺は関係者出入り口でそう声をかけ、何名かの選手達とはそこで別れ、何名かの選手と一緒にエルヴィレッジへ向かう事にした。

 選手には先ほどのように言ったが、俺は今この時点から次の試合へ向けて頭がいっぱいだった。

 何せ次節の対戦相手はサッカードウ最強チーム、猫人族フェリダエだ。しかもアウェイ。俺には考える事が山積みであった。

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