第556話
『違います! 今のはモーネが自分から当たりに行ってます!』
ヨンさんが大きく手を広げ、舞い降りてきたドラゴンの審判さんに抗議の声を上げる。何を言っているか詳しい内容は分からないが彼女はモーネさんを追走する形で走っていた。つまり、一番見易い位置にいた事になる。身贔屓を差し引けば、恐らく最も正しく状況を把握している存在と言えよう。
「下がりなさい! キックは笛を鳴らしてから」
しかしそれは何の慰めにもならないし、ジャッジが変わる事にも繋がらない。ドラゴンさんは前足で側にいたノートリアスの選手に笛を示し、羽根を広げて壁までの距離を計るとピッチに稲妻のブレスを吐いた。
『ヨン、壁に入ってー!』
バニシングスプレー代わりに引かれた焦げ跡に向かいながら、シャマーさんがヨンさんへ声をかける。恐らく壁に加わるよう、呼びかけているのだろう。キャプテンの声と事態に気づいた長身FWは諦めてそちらへ向かった。
『はあ、参ったぞー』
ニャイアーコーチがため息を吐きながらも堂々とした態度で、限界まで前に出て行く。事態を把握したのはヨンさんだけでなくベンチもだった。
「悪い位置でありますね……」
「時間もです」
ナリンさんも立ち姿は変わらないが、声に不安の色が濃かった。他のコーチ陣もみな、声と見た目が一致しない状態だ。
「ユイノさんの習熟度はどんな感じです?」
「モーネ相手ではかなり部が悪いであります……」
聞くまでもない事だが、答えはやはり予想した通りだった。今日のGKはFWから転向したユイノさんだ。ここまでみっちりとニャイアーコーチにしごかれ、そこそこ経験を積みGKとして成長してきた。元々の身体能力や身長、FWとして磨いてきた足下のスキルを生かしてかなり理想のGK――ゴールを守り高いラインの裏をスピードでカバーし、パスでビルドアップにも貢献できる――への道程を順調に歩んでいる。
しかし彼女に足りないものは経験で、特にセットプレーの守備についてはまだまだ足りない所だらけであった。しかもFK時の壁の作り方というのは最もGKの経験に頼る部分でもある。
『ユイノー! そうだ、それで良いぞ!』
不安げに壁に指示を出すユイノさんを、ニャイアーコーチが必死に励ましている。他のみんなもそうだ。不安はユイノさんと同じくらい感じている。だが彼女を勇気づける為、それを決して表には出そうとしない。
「ナリンさん、俺は先にロッカーへ行ってます」
「ええっ!? はい、分かったであります」
俺はそう告げて、ベンチを後にした。コーチ陣の思いやりには涙ぐましいものがあるし、ユイノさんの努力やモーネさんのミスに期待したい気持ちもある。
だがこのFKを止めるのは無理だろう。場所はPAの外1mくらい中央、風は向かい風。時間はアディショナルタイムに入った所で、運良く決まらなくてもそこで前半終了の笛が鳴ってカウンターを行う時間もない。
そして相手はモーネさん。エルフの名手が持つFKの精度は良く知っている。これは勝ち目がない。となると俺に必要なのは奇跡を祈って念を送る事ではなく、一刻も早く後半への準備をする事だ。
1名少ない状態で1-0から1-1へ追いつかれた場合についての、だ。
「もしもーし! 入って良いかな?」
俺は更衣室のドアを何度かノックして中へ呼びかけた。室内には退場処置を受けたエルエル、彼女のケアを任されたマイラさん、そして更に追加で慰めるよう命を受けたリーシャさんがいる筈である。
そう、慰め役が2名。普通に被ってしまった訳だ。リーシャさんを差し向ける際に
「先にマイラさんも行ってるから、交代してベンチに帰ってくるよう伝えて」
と言えばベストだったが、そこまで気が回らなかった。というか失念していた。
でマイラさんは帰ってきてないので当然まだいる筈である。
「は? もう来た? 別にいいわよー」
返答するこの声はリーシャさんだ。声に疑念の色が籠もっているのは、俺が来たのが早過ぎたからだろう。ロッカーにも魔法のモニターがあるので試合は観ることができるのだ。退場した選手の性格によっては観たり観なかったりだが。
「エルエルはどんな感じで……うわっ!」
エルエルは観る方だったんだ……と思いながら部屋へ入った俺の視界に、上半身下着姿のリーシャさんの背中がまず飛び込んできた。
「ちょっ! まだダメだったじゃないですか!」
俺は慌てて室内に背を向け叫ぶ。
「何が?」
「上! ちゃんと着て下さい!」
前半早々にお役御免となったFWへ俺は叫ぶ。彼女はスポブラ姿を観られても恥ずかしくないタイプなのだ……ってこれハーピィ戦でもあった光景だよね! 再現するの早過ぎ! もっと間を空けるもんだろ!
「監督にゃん? 良い所へ来てくれたのね!」
騒ぐ俺たちにマイラさんか声がかかる。
「え? 何かありました?」
「ちょっとエルエルの話が要領を得ないのにゃん……」
「リーシャさんはともかくマイラさんでもですか!?」
「はぁ!?」
振り向いた俺の口から咄嗟に本音が出てしまい、リーシャさんがトレーニングウェアの上を着る手を止めこちらを睨む。ごめんごめん、早く着て! とジェスチャーを送って俺はマイラさんとエルエルの側へ進んだ。
「どうしよう? 俺がもう一回、聞いても良いかな?」
エルエルはロッカーの端のベンチに座り、その前にしゃがみ込んだマイラさんが彼女の右手を握っていた。俺はその逆、左側の空いた所へ座る。
「はい! あいつ、ちょっとヒドいんです
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