第512話

 俺はここまでの短い人生でたくさんの優しい言葉を受け取った。だがその時、思い出したのは死んだ人からの悲しい言葉ばかりだっだ。


 例えば……


 俺はあの時の大きさで暗い部屋にいた。顔も思い出せない親戚が、張りつめた声で言う。

「将吉。二人に最後のお別れを言いなさい」

「ふたりじゃないです。さんにんです」

 その声に誰かの嗚咽が重なる。ふと、台の上の父親が身を起こして口を開いた。

「将吉、大人をそんな風に困らせるんじゃない」

 いや、そんな筈はなかった。やはり父親は死んだままで、台の上に横たわったままだった。

 葬式はやたらと張り切ったある親戚が取り仕切ってくれたので、殆ど記憶がない。だから安置室で両親と妹に告げた別れが、本当の意味での最後の言葉だった。


 他にも……


 彼女は俺の鼻の頭についた雪を指先で弾いて言った。

「きっちょんはウチのこと触れたら溶けてしまう粉雪やとでも思てるんとちゃう?」

「そんなタマちゃうやろ」

 俺はそう言って否定したが、触れるのが怖いのは事実だった。

「まあそれは冗談やけどさ。きっちょん彼女にすら心を開いてくれへんところあるやん? それって誰も信じてへんってことやで」

「彼女って、他人事みたいに……」

 俺の初めての彼女は当然、別の高校の子で一緒に過ごせるのは登下校の道が重なる一部のルートだけだった。

「心の一部じゃなくて全部を見せてくれたら、体の一部をウチの中へ入れてあげてもええんやけど?」

「女の子が下ネタ言うなや!」

 それが彼女との最後の会話だった事は、友人にも彼女の両親にも打ち明けられていない。きっとこの言葉を墓場まで持って行く事になる。


 他にも……他にも……



 暗い静かな闇の中で今は亡き人々の言葉を思い出していた俺は、唐突に明るく騒がしいスタジアムへ意識を戻された。

「あれ? ここは……? 俺はなんで泣いて……」

 気づくと俺はアリスさんに後ろから抱き締められ、トナー監督は目の前で悔しそうな顔をしてこちらを見ていた。

「まさかそんな方法で言葉の魔法を打ち破るなんて……」

「私は言葉と魔法の専門家ですからね! あ、ショーキチ先生ごめんなさいっ!」

 怒気をはらんだ声でハーピィに啖呵を切ったエルフは、しかし俺の様子に気づいて服の袖で俺の顔を拭う。

「いや、いいですよ、子供じゃないんだし! それより何が起きたんですか?」

 俺は状況が分からず戸惑いながらも彼女の腕から逃れ聞く。

「ショーキチ先生、さっきまでこのとんま監督の魔法にかかっていたんですよ! 相手の意志をねじ曲げて秘密を吐かせる悪い魔法です!」

 アリスさんはそう言ってトナー監督を睨みつけた。ああ、とんまってトナーの言い間違いね? 悪口じゃないよね?

「え!? それとんま……ホンマですか!?」

「ふん! なんでもアリにしたのはそっちでしょ!」

 驚き訊ねる俺にトナー監督は悪びれもなく応える。

「マジか……」

 いやしかしそんな事まで出来たら本当に何でもアリだしそういう事が出来ないようにスタジアムには魔法無効化のフィールドが……無かったわ。試合も終わったしイベントもあるし早々に切って貰ってたわ!

「じゃあ、俺がその、泣いていたのも?」

 俺は無意識に翻訳アミュレットを撫でながらもう一つ訊ねた。そもそもアリスさん以外の言葉が理解できているのも、魔法が無力化されずこれが機能しているからだよな。

「それは私じゃないよ!」

「すみません、それは私で……」

 トナー監督が首を横に振り、アリスさんが申し訳なさそうに手を挙げる。

「ああ、チョークスリーパーを極められたショックで? でもそれで魔法を解いてくれたんですよね? ありがとうございます」

 その空気で俺は合点が行き礼を言う。この手の締め技はなかなかキツいもので、最悪の場合は鼻水を漏らしたり吐いたりもするのだ。泣くだけならマシな方だしそれで魔法を打ち破れたなら幸いだ。

「いや、ちょっと違うかなー」

「彼女、もっとえぐい方法を使ったんだよ!」

 しかしアリスさんは首を斜めにし、トナー監督は羽根をバタバタとさせながら言う。

「そのアリスさんとやら、私の声から意識を剥がす為に君の深層意識へ入って、心に残っている強い言葉や記憶を無理矢理表へ出したんだ!」

 そして言葉の最後で羽根の切っ先をアリスさんの方へ向けた。え!? 本当にそんな事が出来るのか?

「アリスさん、トナー監督の言っている事は……」

「いや、マジっすよ。先生、宿題忘れてくるとたまにお仕置きで俺のトラウマを……おぐっ!」

 アリスさんより先にキドニー君が俺に応え、その最中にボディブローを喰らって身を二つに折った。

「あ、キドニー君!」

「みんな何をぼーっとしてるの!? テル君とビッド君が出てきたでしょ?」

 心配する俺の前で見事なボディフックの使い手が教師らしい声を出し、生徒さんたちへ指示を送った。

「おお、本当だ!」

「ちょっと前に詰めて応援します!」

 生徒さんたちも素早くそれに反応しよりピッチへ近い方へ集団で動く。折しもピッチの上にはバード天国の決勝を戦った二組、テル&ビッドとフェリダエーズが出てきている。これから拍手による投票だ。

 本来なら席の移動はあまり良くないが、もう試合は終わっているし帰っているお客様も多いし、これ以上こちらのやりとりに付き合わせるのも悪いし仕方ないだろう。それよりも!

「記憶を掘り起こす魔法が使えるんですね」

「ショーキチ先生、ごめんなさい!」

 俺が確認するとアリスさんは日本人がやるみたいに両手を合わせて頭を下げた。そうか、それで殆ど忘れているような経験と言葉を思い出していたのか。

「あのままだとショーキチ先生はチームの秘密を喋ってしまいそうで、ハーピィの声の魔力を払うには強い言葉が必要で、それには辛い記憶が一番早くて……」

 アリスさんは今日いち小さな声でゴニョゴニョと言う。聞き辛いが、理屈は分かるし可能不可能で言えば可能だと思う。シャマーさんだって散々、人の夢に入って認識や記憶をイジってくるし!

「いやいやアリスさん、謝らないで下さい。おかげで助かりました。ありがとうございます。トナー監督もナイストライでした」

 俺は一人でウンウンと頷きながら両者へそう言った。

「「えっ!? 怒らないの?」

 その言葉にドーンエルフとハーピィが異口同音に呟く。

「そりゃあまあ嫌な気持ちはありますけど。こっちが情報戦をやってるんだからトナー監督からもされるのは当然ですし。で、それを防ぐ為に部外者のアリスさんが機転を効かせてくれたのも助かりましたし」

 順が逆になってしまったが俺は彼女たちにそう説明する。撃って良いのは撃たれる覚悟があるヤツだけだ、という言葉はこちらの世界にもあるんだろうか? 銃はないけど弓や魔法はあるし闘いが身近だし、たぶん似たようなモノはあるだろう。後日、ナリンさん或いはアリスさんに聞いてみよう。

「ふう。最後まで調子を狂わされたままだなー」

「そうなんですか? 結構、見ちゃいましたけど」

 俺の言葉を聞いてトナー監督とアリスさんが今度はそれぞれに呟く。どちらも拍子抜けした様子だ。

「「じゃあ始めるよー!」」

 その空気を削くように、ジャイアントとダスクエルフの声が響いた。

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