第393話

「オシムヘンですか?」

 俺はナリンさんの口からナイジェリア代表FWの名が出た事に驚き、思わず聞き返した。

「いいえ、『推し変』です。自分もステフさんから聞いた知識ですが」

 水鏡の中のナリンさんは苦笑しながら、自分の記憶を辿るようにどこか上方を見上げ続ける。

「自分が一番、応援している対象を変えてしまう事らしいです」

「ああ、『推し』を『変更』で『推し変』と」

 俺とナリンさんは今、魔法の水鏡で俺の自宅とグレートワームの宿舎を繋いでリモート会議中だった。と言っても相手方の水鏡はゴルルグ族提供の装置でありまず盗聴されている事に違いなく込み入った話はできない。故に話題は世間話や各々の体調近況に限られ、その流れでパリスさんがレイさんに熱い想いを打ち明けた話になったのだ。

「はい。パリスはチーム内に『推し』の選手を作る子でここ2年はガニアでしたが、その前はボナザでさらに前はアリスンだったかと」

 ナリンさんはCBの相方、ベテランGK、そして今はアローズにいない、かつてのスターFWの名を順番に挙げた。

「なんかポジションが毎回、変わってませんか?」

「ええ。そこがパリスのこだわりらしいです。FWからFW、といった横の変化は避けたいと」

 んー分かるような分からんような。ただ同じポジション同士はスタメン争いのライバルでもあるし、ファンの移動があるとギクシャクするかも? みたいな気遣いがあるのかもしれない。

「それで、告白を受けたレイさんはどうだったのですか?」

 少し考え込んでいた俺にナリンさんが楽しそうに訊ねた。

「まあまあ、慌ててましたね。女性ファンそのものは学校にもいるらしいですが、身近な年上にいるのは予想外だったようで」

 俺はパリスさんに迫られた時のレイさんを思い出してニヤニヤと笑った。なーんだ、

「自分の事が好きなデイエルフの男子がとる態度は分かる」

とか言ってたけど、自分に熱い気持ちを持ったデイエルフの女性の事は分かっていなかったんだな、と。

「レイさんの事ですから試合でのプレイに影響は無いと思いますが、練習では少しぎこちなくなるかもしれませんね」

 正直この状況を楽しんでいる俺と違い、ナリンさんはコーチとして真面目に語った。

「いやそこはもっと絡ませないと。そもそも、レイさんと一緒にいられる事の少なさが、良くなかったからというのもありますから」

 ゴルルグ族の蛇の目が聞いているかもしれない魔法の通信で、今回の拉致事件のことを言う訳にはいかない。俺は大雑把に背景への解説をした。

「そうなんですか?」

「ええ。あの後、互いに腹を割って少し話しました」

 その話し合いの中で、パリスさんは俺への不満――つまりレイさんとあまり一緒にプレイさせて貰えない事――が造反の理由の一つと言った。

「しかしそれは……。選手は練習でこそアピールすべきではないですか……」

「そうですけどね。まあそもそもその練習の中でもあまり組めなかったって事もありますし」

 ナリンさんの言うことは100%正論である。試合に出たい、誰かと組んで良いプレイを見せたい。そう思うなら練習を全力でやって監督やコーチ陣を納得させるべきである。

「そこは互いに非があったということで」

 一方で、組織というのは正論だけで動けるものでもない。ロッカールーム内の政治力とか関係性、バックにいるスポンサー等もしばしば影響を与えてくる。もちろん、俺はそういうのを排除しようとしているが、まだまだ気を配るポイントが足りなかったようだ。

「とりあえず不問にしまして。パリスさんは負傷があるし、レイさんは混乱しているし、どちらも休養して貰ってます」

 ここは嘘である。レイさんが帯同しない真の理由はアウェイだからだ。レイさんとポリンさんについては、学業や身体の成長に差し障りがあるかもしれないので基本ホーム限定の出場にしている。

 いずれ、そのシンプルな法則がバレてしまうだろう。だがそれまでは他のチームを悩ませたい。

「なるほど。ではそのようにプランを変更します」

 ナリンさんもその三味線に上手く乗る。

「はい。その代わりにリストさんとクエンさんはもう向かってますので」

「え? ショーキチ殿が引率してではないのですか?」

 俺があの、サッカードウは問題ないが普段の挙動は不安な2名を単独で行かせた事にナリンさんは驚きの声を上げた。

「俺は次のハーピィ戦への仕込みがもう少しありますし、リストさんもクエンさんもグレートワームは初めてじゃないらしいので」

 ここは本当。そもそもナイトエルフはゴルルグ族と居住区が近く、密かに交流戦も行われている。だから彼女らにとっては顔馴染みなのだ。

「そうですか……。寂しいですね」

「いや彼女らが行けば賑やかになりますよ!」

 少し暗い顔になったナリンさんに俺は明るく告げる。

「あ、いえ、失礼しました。それでは、到着をお待ちしています」

 ふと、ナリンさんが何かに気づいたかのように表情を変え、頭を下げて魔法の通信を切った。

「あれ? ナリンさん? ゴルルグ族さんに何か言われたのかな?」

 俺は暗くなった魔法の水鏡から視線を移動しつつ、彼女に問う。

「ショーちゃん、今のは分からないとー」

 さっきまで魔法装置に当てていた手で自分の額を叩きながら、シャマーさんはそう呟いた。

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