第334話
「みんな長距離馬車移動、お疲れ様!」
「この宿には温泉がある。部屋に荷物を置いたら夕食前に一度、浸かりに入って固まった身体をほぐすと良い」
「夜のミーティングは夕食をとりながらじゃぞ!」
宿舎の前に馬車が横付けされた。先頭を切って降車したナリンさん、ザックコーチ、ジノリコーチが後に続く選手たちに声をかける。
「改めて見ても良い所だな……」
前回ウォルスを訪問した際に仮契約し押さえていた宿は街外れの渓谷に位置する静かな旅館だった。
『ゴブ院温泉 檻場館(おりばかん) やすらぎの里』
という大きな看板が掲げられた母屋は石と砂だらけのウォルスには珍しい木製の家屋で、山に寄り添うように連なり何階まであるのかも分からない複雑な建築になっている。
その脇にぶら下がる様に立つ階段を伝って山の影に温泉があり、当然下からは全くのぞき込む事はできないが、上からは谷間に流れる小川とウォルスの中心部の遠景が望める絶景だ。
サッカードウ好きのゴブリンの街に違わずグランドも完備しており、部屋の一つからはその様子も余すことなく見下ろせる。
そして何よりも……ここは騒がしい街から遠く離れており、貸し切りにした今は遙か下の敷地入り口を封鎖するだけで、無遠慮なギャラリーもマスコミもスパイもシャットアウトする事ができるのだ!
「素晴らしい宿を見つけたものですね!」
普段、公務で慌ただしい日々を送っているダリオさんがナリンさんに賞賛の言葉を贈る。姫様にはゆっくりして頂きたい……。
「いえいえ。ただ館内の移動で上り下りが多く、少し選手の足への負担になりますが……」
「なあに、鬼軍曹マガトの階段に比べれば可愛いもんですよ」
「なんだ、それは?」
足の負担、という言葉を聞きつけてザックコーチ――あちらの馬車の中ではラビンさんとのことを散々、イジられたらしい――が話に加わった。「練習、特にフィジカルトレーニングが厳しい事で有名なマガトって監督がいましてね。練習場に傾斜の激しい階段と坂を作って選手に走らせるんですよ。プロでも失神するほどの強度でね。確かヴォルフスブルグってチームでは……そうそう、こんな狼がマスコットのってうわぁ!」
意気揚々と説明を行っていた俺のすぐ横に、顔だけで俺の上半身はありそうな巨大な灰色狼がいつの間にか忍び寄っていた!
「うわっ! でか!」
「おう、ようきたなワレ!」
巨大狼だけでも驚きだが、その背にはしわくちゃのゴブリンのお婆さんが鎮座し、恐らく営業用スマイル的なものを浮かべてこちらを睨んでいた。
「あら、女将! お世話になります」
「かまワン。お前ら、ゴブリンと違って綺麗に使いよるでナ! こちらも大歓迎じゃワイ!」
その老女が旅館の女将さんだった。以前、仮契約で会った際は屋内にいて当然、狼になど乗っていなかったので目線の高さが違う。ナリンさんが驚く俺の代わりに俺達とその女性を交互に紹介する。
「ウム! ワシは狼に乗った女将アン、こちらは相棒のヴォルフィなんだナ!」
女将がそう言うとヴォルフィ君がニヤリと笑い牙を見せながら頭を下げた。
狼に乗った女将!? い、今のは笑う所なんだろうか……? と俺が悩む間にもコーチ陣もそれぞれ名乗り、最後にナリンさんに促され選手全員が
「「お願いしーます!」」
と声を合わせた。
「ま、まあエルフにとってのグリフォンとかゴブリンにとっての灰色狼とか当たり前なんかな?」
俺は自分を納得させるかのように一人呟く。確かに移動中も何度かこのセットは目にしている。整備されていない鉱山の街だ、馬なんかよりよほど合理的なんだろう。
「何か質問はあるカ?」
と、最後に女将が口を開いた。あ、これはさっきのがギャグか聞くチャンスだ!
「はい、しつもーん!」
しかし俺が手を挙げる前にシャマーさんが朗らかに声をあげた。一応、彼女はキャプテンだし選手の代表だ。質問は彼女に譲ろう。
「どうゾ」
「お風呂は混浴ですかー?」
んな訳あるか!
「もちろんダ! なにせウチは子宝の湯で有名だからナ!」
混浴なんかい! あと前半と後半の繋がりオカシいから!
「「おおーっ!」」
おおーっ、じゃねえよ!
「だってさ! ショーちゃん!」
シャマーさんが目を輝かせて俺に話を振る。
「いやショーちゃんじゃなくて監督、ね? 言っておくけど俺とザックコーチは内風呂のある部屋を取っているからそこにしか入らないし」
ザックコーチは新婚さんだし俺はBSSの絡みで頭を悩ませているし。別に混浴でなくても何か間違いが起こりそうな、いや、間違いを起こしそうなエルフがいる状態で、大浴場を利用するつもりは無かった。
「ええ!? つまんなーい」
「でもよ、アレはあるんだろう? 金を払って手に入れたカードを差し込んだら、ちょっと大人なアレが観れる魔法装置!」
悔しそうに口を尖らせるシャマーさんの肩に手を乗せ、今度はティアさんが問う。
「ティアさんそんな装置あるわけないでしょ!」
「ナリンの要望で外したんだナ!」
いやあるんかい!
「その節はお手数をおかけしました」
ナリンさんはそう言って頭を下げる。いやこれは超ファインプレーですよ!
「良いって事ヨ! じゃあ案内するゾ!」
女将はそう言うとヴォルフィ君の顔を優しく叩き、灰色狼はひょい、ひょいと斜面を駆け上がっていった。なるほど、小鬼ゴブリンにとってこの地形は俺達以上に辛いもんな。狼に乗るのは必然だ。
「さあさあ、さっさと部屋にいくのじゃ! ゴブリン如きがどれほど温泉を分かっておるのか、お手並み拝見じゃぞ!」
ジノリコーチがそう言って皆を急かせる。同じ鉱山の種族として、ゴブリンとドワーフはライバル状態だ。一刻も早く湯質を確かめたいのだろう。
「そうですね、行きましょう」
「ところで『コダカラ』とは何なのじゃ?」
「えっと、それは……あっ! 俺の部屋は割と上の方だった! お先に失礼します!」
サッカードウの戦術に関しては天才的なドワーフは、それ以外に関しては幼女のレベルだ。俺はとても説明できる気がせず、逃げる様に割り当てられた自分の部屋へ向かった。
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