第333話

 その後の俺がどうやってアガサさんシャマーさんの面談を終えたかは記憶にない。だが本業哲学者のアガサさんと魔術師のシャマーさんだ。恐らく向こうの方が数段頭が良いので、こちらの意図を巧みに読んでさっと終わってしまったのだろう。

「大丈夫かぴよ? 情緒が破壊されたみたいな顔をしているぴい」

 気がついたら俺はステフと並んで御者台におり、馬車を引っ張るスワッグから心配そうな声をかけられていた。

「いや大丈夫……スワッグこそ一睡もせずに走ってて大変だろ? 大丈夫かい?」

「ショーキチはぜんぜん大丈夫って声してないな!」

「俺は平気だぴい! 若い頃は一晩中、若い雌馬と楽しんだ後で一睡もせずに仕事したもんだぴよ」

 俺の問いにステフが茶化しを入れスワッグが武勇伝で返す。この懐かしい感覚でようやく気を取り戻し、ある疑問を思い出し両者へ訊ねる。

「ところででツンカさんが言ってた『BSS』と『脳破壊』って何か知ってる?」

「ああ、そいつかー。ショーキチはさ、NTR或いは寝取られって知ってる?」

 何だそれ? いや、どこかで聞いた気もするな。

「何だっけ? 彼女とか奥さんがその浮気相手に奪われる……みたいな?」

「そうそれ!」

「オレは主に寝取る方だぴい!」

 ステフがパチンと指を鳴らしスワッグが不要な情報を語った。

「BSSはそれの派生でな。僕(B)の方が先(S)に好き(S)だったのに、の頭をとったやつだ。NTRとBSSの違いは、前者が彼女や妻などもう肉体関係にある恋人が間男に奪われるのに対し、後者はまだそこまでの関係ではない、告白もまだと言うか場合によっちゃ片想いで遠くから見ていただけの女性が、別の男とくっつく事をだったりするな」

「便宜上、ステフは男と女の関係で説明したけど、逆も同性同士でもある話だぴよ」

 主説明ステフ補足スワッグ。微妙にムカつくがスワッグステップのコンビネーションは抜群だ。翼君岬君を凌ぐ。

「そ、そうか。じゃあ『脳破壊』の方は?」

「NTRやBSSの作品を見て興奮するのは、大事なモノが汚されて脳細胞が破壊されているのを興奮と錯覚しているからだ……という、別に医学的な根拠がある訳でもない俗説があってな。NTRやBSSを見て脳が破壊される、の前部分をもう省略していきなり脳破壊とか言ったりするんだよ」

「脳細胞の破壊が怪しいのは言うまでもないぴよ、誰に感情移入して興奮しているかも人それぞれだからおかしな言葉ぴい!」

 そ、そうか……。しかしいろんな事を知っているな、おまえ等。

「分かった。つまりツンカさんは、えっと、自分で言うのも自意識過剰だけど、前々から俺の事を憎からず思っていて、でも手出しはしてなくて、でもこのまま何もせず、あり得ない事だけど俺が誰かとくっついたらBSSの状態になって脳破壊されてイヤだから、急に想いを表に出した……という理解で良いのかな?」

 困惑と恥ずかしさで言葉が詰まりながらも、俺は頼りになるコンビに正直な推測をぶつける。

「おー合ってるあってる。『誰かとくっつくのがあり得ない』って言ってる所だけ間違ってるけど、他はだいたい合ってる!」

 ステフは難しい問題を解いた小学生を褒める先生のように、手を叩きながら言った。ふざけんな、切れるぞ?

「本当か? さっきも言ったけどそんなそぶりは無かったぞ?」

「そこがNTRじゃなくてBSSの胆だぴい。仲間たちの関係を崩したくないとか、自分と結ばれても幸せにならないと思ったからとか、しばしば割と尊い理由で恋心を胸に秘めるぴよ。しかしその尊い行為が報われないところに文学性や悲劇性があってこころが抉られるぴい!」

 スワッグが力強く馬車を曳きながらも熱く語った。グリフォンに文学とか悲劇とか言われるとなんか腹立つな。

「俺には理解不可能な話だ……そんな話で盛り上がるなんて」

 ナイトエルフの尊み略奪隊の話を聞いた時も思ったが、つらい話やもどかしい話を好む種族ているんだな。

「そこが人間のこころの不思議だな。あ、今回はエルフだっけ? まあショーキチも勉強したくなったらこのステフ先生にどしどし聞きなさい」

 そう言ってステフはバシバシと俺の背中を叩く。くそ、楽しんでいやがるなこのエルフ!

「いつから先生になったんだよ。ん? 先生?」

 ふと、こころや先生といったワードが俺の脳内で繋がりつつあった。

「もしかして……夏目漱石の『こころ』か?」

「なんだそれ?」

 説明すると長いんだよなー、と思いながらも俺は高校の頃の授業を思い出しながらあらすじを伝える。

「……みたいな感じでこれは全員が不幸になるパターンなんだ」

「ほほう……」

「業の深い話だぴい……」

 プロの吟遊詩人、スワッグステップに語って聞かせるには恐縮の限りだったが、コンビは意外と感銘を受けたようだ。

「まあ学校の教科書に載ってる話なんだけどね」

「あ? お前の国の学校って何を教えてんの!?」

「なるほど、系統だった知識としては知らないけど心には刻まれている、て事だぴい」

「うーん……あ!」

 ステフとスワッグの言葉にどう反応したものか……と悩みつつ、俺はある事に気づいた。

「本題のBSSの話に戻るとさ! もしかしたらツンカさん以外にも潜在的驚異があるってこと?」

 正直、程度の大小や多寡はあるものの、そういうアプローチをしてきている選手は把握しているし対策も――なるべく1vs1で話さないとかプロフェッショナルな態度で接するとか――とっている。しかし今の話が真だとすると、今後はいつ誰が牙を剥くか分からないではないか!?

「まあ、そうなるな」

「ラブコメならモブがいきなり告白すると炎上モノだぴよ。でもこの場合はあり得るぴい!」

「いやいやラブコメなんて推しヒロインが主人公と結ばれないだけで燃え上がるような引火性の高い危険物だけどな!」

 俺の問いにステフとスワッグが危険なやりとりをしていたが、残念ながらそちらへツッコム余裕は無い。

 俺は間近に迫ってきたウォルスの街角で揺れる色とりどりの布を凝視しながら、この先の事に思いを馳せていた。

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