第252話

『畜生! ぜんぶびちゃびちゃじゃねえか!』

 サンダー監督は逆サイドまで見渡してその危機的状況に気づいた。そう、その為に用意された手拭いは全て完膚無きまでに濡らされているのである。

 俺、治療の際にオークベンチ前で派手にこけたマイラさん、逆サイドの砂被り席で下僕……もとい、ファンに水を運ばせたリーシャさんの手によって。

『卑怯者!』

「自分の服でも脱いで渡せばどうっすか?」

 俺は自らジャケットを脱いでジェスチャーでアドバイスを送った。さきほど確認したが、状況に気づいてロッカールームへ布類を取りに行ったスタッフはいないようだった。ならば後は自分の服しかないのではないか?

『なっ! アタシが恥ずかしがるかとでも思ったか!』

 サンダー監督は俺の意図その1に気づいて上着を引きちぎった。うわ、すげえプロレスラーハルク・ホーガンかよ!

「ピピー!」

 すぐさま笛が鳴り、審判さんがイエローカードを手に舞い降りてきた。脱衣による警告か? いや違う。

「遅延行為。オーク代表4番、イエロー二枚目で……退場です」

『なん……だと!?』

 イエローカード、そしってレッドカードが提示されペイトーン選手がスタン・ハンセンのウエスタンラリアットを喰らった若手のように顔を覆って倒れた。スタンドが一気に沸き、サンダー監督や他オーク代表選手たちが抗議に詰め寄る。

「(よっしゃ!)」

 俺は羽織り直すジャケットの陰で見えないように――見つかるとカードの対象になったりするからね――ガッツポーズをした。これが俺の意図その2だ。

 もともとロングスローはやたらに時間を喰う。それで例の実質のプレイ時間――かなり久しぶりのおさらいだ。アクチュアルプレイングタイムってやつだね!――がかなり減らされる。これは審判さんにもDSDK的にも心象があまり良くない。

 その上で乾いた手拭いを探して右往左往したり、監督同士のやりあいに見とれていたりしてなかなかプレイを再開しなかったりしたらどうだ? 遅延行為の反則を取られても仕方ないだろう。

 じゃあ相手チームの手拭いを濡らすのはどうなんだ? という話だが、これには恐らくまだ明確な規定は無い。ロングスローだってその為に布を用意するのだって恐らくこの世界の皆が初めて目にするものだろうし、それに水をかける行為も同上だろう。

 しかもマイラさんのは事故だしグランドに水を撒くのは合法だ。最悪、反則が取られても俺が被れば良い。

 濡れたままで投げれば失投の恐れがあり、乾いた何かを探せば遅延行為の可能性がある。ロングスロー戦法を使わないなら何も怖くないので安全に試合を締める。オーク代表が何を選んでも俺はそれにつけ込むつもりだった。

「負けぬ理由は自分が作り、勝てる理由は相手が作る……だな」

 正直に言うとオーク代表が前半に秘策を使用した段階で、俺は勝利を確信していたのだ。


 キャプテンの退場、セットプレーから3失点、封じられたロングスロー……。さすがにオーク代表の燃える闘魂も鎮火した。そしてその状況を十二分に利用し与えられたスペースを堪能する一人の女がいた。

 レイさんだ。この若きファンタジスタに対して、ファウルを恐れたオークDFたちは完全に後手に回った。

 彼女たちが近づけばボールをワンタッチで離し、距離をおいて様子を伺えばスルスルとドリブルで危険なエリアへ進入する。『2名FWがいる時のTOP下』と『びびって強く当たってこないDF』と『守備は免除』という攻撃的なMFなら誰もが羨むような環境において、レイさんは宣言通り収穫のタイミングを迎えていた。

 2アシスト2得点。そこからレイさんが計上した記録がそれだ。完璧なスルーパスでリストさんのゴールを演出し、ポリンさんとのコンビプレイで右サイドを切り裂いてヨンさんのヘディングゴールをアシスト。アイラさんのシュートをGKが弾いた所に詰め、ポリンさんのセンタリングをダイレクトボレーで叩き込んだ。

 試合終了時のスコアは7-1。圧倒的だった。終わってみれば

「この試合のキーポイントになる」

としていたセットプレー(3得点)よりも流れの中でレイさん絡みで上げた得点(4得点)の方が多いくらいだ。

「こりゃ『ナイトエルフ頼みのクソサッカー』て言われるかなあ」

 むしろ望むところだけれど。俺は独り言を言い苦笑しながら試合終了の笛を聞いた。


『マッチイズオーバー! みなさん、両チームへ拍手をー!』

 左右不均等な形で選手達が並び、審判さんの合図で観客へ頭を下げた。

「ナリンさん、行きましょうか?」

「あ、はいであります!」

 俺は予想外の圧勝にやや放心状態のナリンさんを連れてサンダー監督の方へ向かう。

「お疲れさまでした」

『おう!』

 互いに労いの声をかけ握手を交わす。さっきまでは激高していたサンダー監督だが、この試合結果を見て逆に冷静になっていたようだ。

『まさかあんな方法でロングスローを防ぐとはな』

「えっと……あ! ペイトーンさん!」

 レッドカードを貰った選手は本来であればベンチにいられないが、試合終了となって戻ってきたのだろう。俺はペイトーン選手を介して会話を交わす。

「今後は布を駕籠に入れるとか、予備をベンチに置いておくとかした方が良いですよ。あと投げ手もペイトーン選手じゃなく、SBの方が良い。それもできれば両サイドで」

 そこまで言ってしばらく待つ。なにせ言葉は

『俺→ナリンさん→ペイトーン選手→サンダー監督』

という複雑な経路を辿るからだ。

『おいおい! そんな事を敵に言ってしまって良いのか? それとも……それも何かの罠か?』

 今度は逆ルートで翻訳。

「ははっ、違いますよ。オーク代表に他のチームを倒して欲しいからです。あと次にやる時は……ウチはもっと完成度を上げて強くなっていますから」

 そう言って再び翻訳を待つ。なんと言うかすごく面倒くさい。しばらくして言葉の意味を聞いたサンダー監督は豪快に笑って俺の背中を叩いた。

『はっはっは! 参ったなあ、監督としての器でも負けてしまった! このままじゃ申し訳ないからこちらからも何か贈らないとな! よし! 料理人は一人じゃなくて二人、贈る事にしよう! いいか?』

「ええ、それで良いですよ! じゃあ!」

 そろそろ選手達と一緒にピッチを周回してお客様に挨拶をしたい。たぶん、

『2連敗はしないぞ?』

って意味で指を二本立てたサンダー監督に頷いて、俺は翻訳を待たずに歩き出した。

 なにせ公式試合初勝利だ。思う存分、祝うとしよう。


 かくして――俺がそれを知るのは申す少し先になるのだが――アローズはオーク代表から勝ち点3を獲得した訳だが、同時にハニートラップを2名も受け取る事になってしまうのであった……。

 


第十四章:完

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