第192話
直後の喧噪は凄まじいものだった。歓喜の輪を形成するアローズイレブン、副審のリザードマンさんに抗議するドワーフの選手達、激しいブーイングを送る観客、観衆の中で唯一、喜びに沸き立つエルフのサポーターたち……。
中でも激しいブーイングのいくつかは、ボールパーソンのカラム君に向けられていた。酷い話だ。彼は自分の職務を遂行しただけだし、ダリオさんの|色気に騙され《鼻の下を
伸ばし》ただけでもある。そういう意味では俺と同じ被害者仲間とも言える。たぶん。
「しーっ!」
俺はカラム君の側に歩み寄り片手で彼の肩を叩きつつ、逆の手で観客に向けて指を立てそれを唇に当てた。こちらでもそのジェスチャーが通じるか分からないが「黙れ」の意味である。
返答は今までの数倍の罵声であった。と言うことは通じているな? 俺はカラム君の頭を撫でてベンチの方へ進み、そのブーイングが俺に向けられているのを確認すると今度は指を耳の穴につっこんでほじってみた。
怒声は更に大きくなった。言葉は分からないがなかなかに怖い。しかしそれを選手やカラム君が浴びるよりは何百倍も良い。
「早く戻って! 試合再開です!」
審判のドラゴンさんがそう諭す。俺へ、と言うよりはまだ抗議していたドワーフの選手達へである。そんな彼女たちも、長めのリプレイが会場の水晶球に流れ、ダリオさんのスローインに何の違反――線を踏んでいるとか静止してないとか――も無いのを目の当たりにすると、諦めてポジションへ戻って行った。
「アカリさん、風は?」
「変わりないっす」
ベンチに戻った俺はアカリさんに風の状況を尋ねた。簡単な日本語なら使えるアカリさんが短く答える。どうやら装置の稼働時間はまあまあ長いようである。
「じゃあ行きましょう。ジノリコーチ、発動で」
『ジノリコーチ! ここでかけるそうです!』
『了解じゃ!』
俺がそう伝えるとナリンさんがすぐさま通訳してベンチがバタバタと動き出した。その準備ができると同時に笛がなり、試合が再開した。
「あーもったいないなあ」
ドワーフ代表が行ったのは普通のキックオフだった。つまりゼーマンアタックを継続しなかったのである。
彼女たちがすべきだったのはもう一度、同じ攻撃をし、直接キックオフゴールを狙うとかキッカーが近くの選手に出してその選手がドリブルで持ち上がるとか、揺さぶりをかける事だった。そうすればボナザさんもさっきのように前に出て処理するのを躊躇うし、レイさんも前線に残らず守備に走る羽目になっただろう。
だがドワーフ代表は普通にボールを戻し、チーム全体でボールを保持して失点のショックから立ち直ろうとした。だがそれはこちらの戦術の餌食だった。
「まあ、ありがたいけどさ」
『行くよみんな!』
シャマーさんが号令を下し、みんなが一斉に走り出す。俺たちのゾーンプレスが練習以外で遂に、この異世界にお披露目されたのである。
『なんじゃ……これは!』
FWも含めて全員が有機的に動き、複数人でボール所持者を囲い込み、空いたスペースを埋めロングボールを封じる為にDFラインを高く上げ、視野と考える時間を奪ってボールも奪う。
『なんで……勝ってるチームがするんじゃ!?』
と、言うような目でポビッチ監督がピッチと俺を見ている……のだと思う。前も述べたが負けているチームが、ボール回しをして時間を稼ごうとする勝ってるチームをひたすら追い回す、という状況ならこの世界にもある。
だが俺たちのゾーンプレスはそんな無謀なモノではない。タイミングとリスクとスタミナと勝算を計算した、十分にコントロールされた策なのだ。
『8じゃザック君!』
『了解!』
ジノリコーチに何か言われたザックコーチが8とかかれた数字の板を選手達へ向けて掲げる。 サッキ監督がACミランで行ったゾーンプレスにせよ我々アローズのにせよ、実際の発動回数というのは印象ほどには多くない。成功――つまりボール奪取に成功して自軍ボールにした――回数に至っては更に少なくなる。正直、セットプレーみたいなものだ。
だからこそ実施する機会は緻密に計算されていた。その一つがこちらの得点直後だ。相手が失点し若干、気落ちしそれでも反撃に出ようとする時。そこにぶつけて相手の精神を折る。
それと行う地点、ボールの奪い所。その判断はシャマーさんとジノリコーチの頭脳にかかっていた。今ザックコーチが掲げたボードの「8」という数字はそれを示す符丁、暗号である。
「やった! やっぱSBか……」
プレスに直面したドワーフ代表は後ろへ、そしてサイドへとボールを逃がし圧力を回避しようとした。実は狙って追い込まれているとも知らずに。そして遂に、右SBの所で3名に囲い込まれボールを奪われたのだ。
「ヨンさん、ナイスプレスバック!」
今のプレスに参加したのはヨンさん、マイラさん、ルーナさんの三名だった。後の二者は兎も角、FWであるヨンさんは今までそれほど守備に走った経験が無かった。だが様々な個性、才能を持つ他の攻撃陣に比べて自分は何ができるか? を考えた末に彼女は「守備で走る」FWになろうとしていた。
俺に出来るのはそんな彼女の努力と方向性を認め、背中を押す事だ。だから目の前で起きている次の展開をそっちのけで、彼女に声援を送った。
『ありがとうございます!』
仕草と声のテンションで俺の言いたい事が分かったのだろう。ヨンさんも笑顔で手を振り仲間の元へ向かった。
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