短編集「見える世界」

雨宮虹市

新しい朝



吐いた息が白い煙となって、空に立ち上る。

凍てつく空気から逃げるように被っていたニット帽を深く被り、ズボンのポケットに手を入れて太ももを擦り、暖を取る。

分厚い雲に覆われた薄水色の空の下、人気の無い道をひたすらに歩き続けていた。

街頭が灯る歩道の外で数十分に一度、ライトを付けた車が通り過ぎて行く。

歩道ですれ違う人は居なかったが、車道を挟んだ向かい側で犬を連れた爺さんが腰を曲げて歩いているのを見かけた。

住宅街のはずなのに、車が通る音以外は静かで、たまに通った家の窓明かりの中からカチャカチャと食器同士をぶつけたような音が微かに聞こえた気がする。

街の何処かに必ず人が存在しているはずなのに、何処か世界の終わりのような、世界の始まりのような静けさのある朝が好きだった。


坂を登ったところで、目の前の開けた視界に、水平線から淡い黄金色の光りがジリジリと海を焦がすように揺れているのが見えた。

海に向かって真っ直ぐに伸びた道を歩き続けながら、朝が生まれる瞬間を両目に焼き付ける。

この日、この時間の、朝がやってくる瞬間を眺めるのが、好きだった。


びゅう、と吹いた一陣の風が空いた首筋を撫でた。

全身に鳥肌が立つ。

足を止め、肩を竦め、脇を固くしめて、唇を噛む。


顔を上げれば、水平線から顔を出した朝日が放射状に光を放っていた。

分厚い雲は赤色に染まり、薄水色の空は黄金色に染まっている。

そんな、何処か世界の終わりのような、世界の始まりのような朝焼けの空を見るのが好きだった。


何者にもなれない喪失感に似た感覚。

まだ何者でもない強さに似た感覚。

この景色を見ると、何時だってそんな感覚に襲われる。


けれど、今日という一日はまだ始まったばかりで。

今日という自分の中には、数え切れない程の自分がまだ眠っている。

そんな自分を揺り起こすように、前へと足を踏み出して、海に向かって真っ直ぐに伸びた道を再び歩き始める。


何時辿り着けるかは、まだ分からない。

けれど、歩き続ける限り、必ず辿り着けるはずだ。

そう信じてひたすらに歩き続ける。



一羽のカモメが、美しい線を描くように朝焼けに向かって飛んで行った。






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