想いは呪文と共に

一飛 由

第1話 本の山に埋もれて

 そこに立っているだけで思わず咳き込んでしまいそうな、歴史を感じさせる厚く古めかしい装丁の古書を、趣深い木製机の両側に高く積み上げながら、その中央の座に着いている癖の強いショートヘアの髪形をした、それらの図書を常用愛読するとみるにはいささか違和を覚えるセーラー服姿の小柄な少女は、手にした本のページをめくる。

 本の薄さや脆さをそのまま体現したような、紙をめくるパラリという音が少女の手元から上がり、本と歴史の匂いが充満した魔法書庫内に響き渡った。

 その物音に反応してか、少女の背後から不意に、齢が一回りは上と思われる女性の声が掛けられる。

「じゃあ、次は……ミヤザワの系譜の呪文をいってみましょうか」

 声の主は、確認するように身体を乗り出し、明らかにサイズの合っていない大き目の黒ぶち眼鏡を持ち上げながら、少女の手元にある見開きの頁を確認した後、再び距離を取るように離れた。

 見た目にも明らかに少女よりも年上の女性は、灰色のスーツを身に着けた服装や童顔でありながらもうっすらとメイクを載せた顔立ち、そして立ち居振る舞いからも、少女よりも上位の立場にある存在であることがうかがい知ることができる。

 対して少女は、はいと小さく返事をすると、やや緊張した面持ちで、自らの手に余りそうなサイズの書物に記された文言を音読し始める。

「大いなる海より賜りしは、己が術にして世界の術――」

 一言一句、違うことのないよう細心の注意を払いながら、少女は仰々しい言葉の羅列を連ねていく。

 瞬間、目には見えないものの、場の雰囲気がわずかに変化し、これより何かが起こりそうな気配が広がっていく中、女性も固唾をのんで、その行く末を見守る。

 しかし、その間は数秒と保つことはなかった。

「……すいません、ダメみたいです」

 続きを唱えられると思われた、長い呪文の冒頭部。

 それを口にすることなく、少女は申し訳なさそうな顔と共に背後を振り返り、女性の顔を見る。

 いつしか魔法書庫の雰囲気も、平穏さを押し固めたかのような空気感に上塗りされ、すっかり落ち着きを取り戻しており、それが伝搬したかのように、女性も自らの頬に手を当てながら、幾分落胆した表情で答える。

「そう……予想はしていたこととはいえ、こうも見つからないとなると、さすがに見落としも視野に入れておかないといけないのかしらね」

「すいません、志乃しの先生……私の為に貴重な時間を使ってもらっちゃって……」

 気まずさからか、少女は完全に後ろに向き直ると、うつむき気味に言葉を絞り出す。

 すると、先生と呼ばれた女性――橘川きつかわ志乃は黒髪のボブカットを揺らしながら、優しくそれを否定した。

「これも先生の仕事だから気にしなくて大丈夫よ。それに花音かのんちゃんの方が授業についていくのが大変なわけなんだし――」

 志乃はそう言うと、花音と呼んだ少女の肩をつかんで、目線を合わせ、柔和な笑顔を浮かべてみせる。

「――大丈夫。私が責任を持って卒業までに系譜を見つけるから。だから、根気よく探し続けていきましょう?」

 慈愛をそのまま落とし込んだような志乃の微笑みを受け、少女――御厨みくり花音は気分の落ち込みを誤魔化すようにうなずき、頭を下げた。

「ありがとうございます。志乃先生。どれだけ先になるかはわからないけど、どうかよろしくお願いします」

 深く頭を下げる花音に、志乃は小さくうなずくと、再び落ちてきた黒ぶちの眼鏡をかけ直しながら、そっと立ち上がり距離を取る。

 そして自らの手元に視線を向け、細いベルトの腕時計を見やり時間を確認すると、若干慌てた様子で、悲鳴にも似た驚きの声を上げた。

「もうこんな時間……早く教室に戻らないと次の授業に間に合わないわね。花音ちゃん、魔法書はそのままでいいから、早く。片づけは後で先生がやっておくから」

「えっ? はい、す、すいません……。それじゃあ、失礼します」

 志乃の勢いに背中を押されるように、花音はすっくと立ち上がると、セーラー服のスカートとスカーフを泳がせながら、あれよあれよという間に、魔法書庫の一室を後にしたのだった。

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