Magic of Courage
冬水涙
プロローグ
第1話 モノクロ世界の終焉
それはずっと、モノクロの世界だった。
どんよりとした雲が一面に広がる空から、ポツポツと雨が降ってきた。かけていた眼鏡をとった僕は空を見上げ、ゆっくりと目を閉じる。降ってきた雨粒が顔に当たった感覚を……持たなかった。
そう、ここは視覚以外の五感が奪われた世界。唯一機能している視覚も、既に色感がほぼ無くなっていて、僕の目には白と黒の世界が映っている。
そんな世界で、こうして雨に打たれる経験を何度も繰り返してきた。
今日もまた、この世界の流れに身をまかせるだけ。
いつもと同じ光景に、いつもと同じ内容。代わり映えしないこの世界は、一見平和に見えてとても残酷だ。そう思うのも、この後自分の身に降りかかる悲劇を知っているから。
ゆっくりと目を開ける。
その瞬間を待っていたかのように、雨粒が目の中へと入った。
痛っ。
僕は咄嗟に目を閉じた。目の中で一滴の雨粒が涙と混じり合う。そして容量を超えた分だけ、目頭から涙となって零れ落ちていく。
正常な状態に戻るために出る涙。いつもならこうして涙が出る理由なんて考えない。涙は自然と出るもので、悲しい時や痛みを堪える時。そしてあくびをした時に出るものだから。
でも僕は涙が出た理由を考えている。それは今自分がいる場所では起こらないはずのことが起こったからだ。
だってここは痛みを一切感じない世界。
それなのに僕は、確かに痛みを感じた。
どうして。何故。
沸々と浮かび上がってくる疑問を一旦棚に上げ、ゆっくりと目を開けた。
瞬間、目の前の光景が一変する。
今までモノクロだったこの世界が、カラフルに染まっていたのだ。
僕は何度も目を擦り、手に持っていた眼鏡をかけなおしてから周囲を見渡す。しかしモノクロの世界の痕跡は、最早何処にも残っていなかった。
降りしきる雨が身体に当たる感覚が確かにある。時折吹く強風が、雨音と一緒に葉擦れの音を運んでくる。そう、もはやこの世界は現実と変わらない世界に変貌を遂げていた。
突然訪れた世界の変化に僕は戸惑いを隠せなかった。でもそんな僕の気持ちなど考慮してくれるわけもなく、この世界も現実と同じように時は流れていく。
正面から誰かが歩いてくるのが見えた。白を基調としたドレスに、腰まで伸びた真っ直ぐな金髪。
僕は彼女の姿を見る度にいつも思っていた。まるでどこかの国の王女様みたいだと。
でも今日は思うだけではない。カラフルに染まった世界で見る彼女は、まさに王女様そのものだった。後ろに見える洋風のお城が、その思いをより強くする。
そんな世界で僕は初めて自分の中に生まれる欲に気づく。
今までは何もできず、ただ見ていることしかできなかった。だけど今なら彼女に話しかけることができる。彼女の声を聞くことができるはずだ。
僕は彼女の方へと歩き出す。彼女もようやく僕の存在に気づいた。
互いの一歩が距離を一気に縮めていく。そしてあっという間に、僕と彼女は会話ができる距離まで近づいた。
「き、君は?」
「アリアスの王女、イリスです。あなたは?」
「僕は、磨石。
「ヒカル……あなたはアリアスを救うために来てくれた。そうですよね?」
問いの意味が分からなかった。今日初めてイリスと言葉を交わしたはずなのに。まるで僕がアリアスを救うと約束をしたような言い回しだ。
僕は思う。もしかしたら、イリスは僕の知らないことを知っているのかもしれない。
「あ、あのっ――」
「――危ない!」
突然、イリスに肩を押された僕は尻餅をついた。瞬間、脳裏によぎる一抹の不安が僕の身体を震わせる。
ああ、いつもと同じ展開だ。
僕の目の前には、いつの間にか黒いマントを身に纏った男が立っていた。
「まったく。目障りなガキが出てきたもんだな」
男はニヒルな笑みを浮かべると、手のひらを僕へと向けて言った。
「お前は邪魔者だ。とっとと消えな」
男の手から漆黒の煙が噴出される。その煙が円を描き、徐々に大きな黒い球を形成していく。
「逃げて、ヒカル!」
イリスの声が聞こえる。でも、僕は逃げることができなかった。膝が笑って、まるで自分の足とは思えないほど自由が利かない。
それは僕がこの後の展開を知っているから。この世界の結末を何度も見てきたからなのかもしれない。
この男が放つ黒い球体の中に取り込まれた僕は、意識が遠のいていき、そして現実世界へと帰還する。それがこの世界の終わり方。
モノクロの世界。
この世界はとても残酷だ。でも所詮は僕の中にある幻想でしかないのだ。たとえこの世界がカラフルになったところで、何かが大きく変わるわけではない。
記憶通り、男が放った黒い球体へと僕の身体はあっさり取り込まれた。その事象に逆らうことなく、僕はゆっくりと目を閉じ、静かに世界の終わりを待つ。
これでいいんだ。これで。
何もしないまま流れに身を任せることで、僕は目覚めることができるのだから。
意識は徐々に薄れていき、いつもと同じように現実へと……。
――繋がった。
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