愛すべきは -強すぎた力-
「お前達は一体どこをほっつき歩いてたのだっ?!」
帰ると早速キールガリから大目玉を食らった。朝からサルジュに連れられて北方の山に向かい、そこでお茶をしてから帰り際にはウンディーネとひと悶着あったので時間は既に夕方だ。
一応戦場を離れる前に一言伝えていたとはいえ詳しい事情もわからぬまま雲隠れしていたのは事実であり叱られても当然なのだが。
「申し訳ございませんキールガリ様。しかしながらクスィーヴ様から仰せつかった任務は完遂しております。まさかとは思いますが他国の人間をこれ以降も戦に利用しようなどとお考えではありませんよね?」
姉の分まで王女として働いてきたイルフォシアが謝罪とは名ばかりの反論をすらすらと並べ立てると彼も押し黙ってしまう。
だがクレイスとしてはもう少しこう、角の立たない言い回しで伝えれば良いのになぁと思わずにはいられなかった。
「あの魔女が消えたおかげで今日はかなり前線を圧し返せました。本当にありがとうございます。」
息子のほうは相変わらず紳士的な対応だ。2人を足して割れば丁度良い性格になりそうなのに、なんて思えるのはクレイスがそれだけ強くなった証かもしれない。
それにしても親子というのは大抵どこかしら似るはずだが自身も含めて周りは誰も似ていないなぁと考えながら晩餐を戴いているとフェブニサが意外な事を提案し始めた。
「魔術というのは戦においてどれほど有用なのでしょう?もしよろしければ明日それを『ラムハット』軍相手に見せていただけませんか?」
つい先程イルフォシアが自分達を他国の戦に巻き込むなと遠回しに伝えていたはずなのに意図が通じていなかったのか?クレイスは隣に座るイルフォシアと不思議そうに顔を見合わせていたがどうやらそうでもないらしい。
「その話はさっきイルフォシアがお断りしたはずなの。私も人間に危害を加えるつもりはないし明日にはここを発つの。」
己が魔族だという事を包み隠さず明かした後のウンディーネは普段通りの彼女に戻っていた。自分の気持ちに嘘をついてる様子もないし本当に人間への敵対行動を取るつもりはないのだろう。
「それは残念です。ただあちらの魔女には一月近く煮え湯を飲まされ続けていたので出来ればこちらとしても一矢報いたい、と考えていたもので。いえ、貴方方に本格的な参戦を求めている訳ではありません。ほんの少し、『ラムハット』の連中にも我らと同じ煮え湯を飲ませてやりたいなぁと。一撃程度で結構です。いかがでしょう?」
フェブニサは父のように直情的な発言こそしないものの、やはりクレイスらの戦力を少しは活用したいという事なのだろう。
彼の言い分もわからなくもないし実際自分達は何の活躍も出来ていないのだ。であれば彼の希望通り一撃くらいは魔術を使ってみてもいいのかもしれない。
「わかりました。じゃあ明日は僕が1回だけ魔術を使ってみます。」
この時は軽くしか考えていなかった。3人の少女もそれぞれが心境を表情に浮かべてはいたものの反対する素振りはみせなかったのでこれで良いのだと考えていた。
しかし労せず手に入れた強大すぎる力を未だ理解していなかったクレイスはすぐに後悔する事になる。
昨日と違って今朝の布陣は随分と前に圧し出されていた。上空から見た感じだと規模も数千単位で優勢になっている感じだ。
サルジュの魔術によって優勢を保っていた分、彼女の力がなくなった事で士気と低下と混乱が生じたのだろう。
「ではクレイス様。開戦したらぱぱっと蹴散らして下さい。今のクレイス様であれば十分お役目を果たせます。」
「そうですそうです!それが終わったらこんな血生臭い場所からはさっさとおさばらです!でないと私の理性が・・・いえ、何でもありません!」
「・・・あんまり気負い過ぎないでね?」
一番自分の力を理解してくれているであろうウンディーネが少し心配そうな表情を浮かべていたのは気になったが今の自分なら戦場でもきっちり成果を残せるはずだ。
「うん。僕もクスィーヴ様やジェリアさんとゆっくりお話ししたいしね。」
ルサナが血に過敏なのも考慮すると長居すべきではない。ただサルジュがまた訪問するような事を言っていたので彼女への伝言だけは頼んでおかなければならないだろう。
敵方の魔術師はおらず上空という一方的な利を得ているクレイスは仕事を終えた後について色々と思考を巡らせていた。この時点で大いに油断があった彼を誰かが咎めるべきだったのかもしれない。
だが少女3人は彼の力を十分に理解していた為多少の油断があっても不覚は取らないだろうと高を括っていたのだ。少なくとも命を落とすような状況には陥らないだろうと。
ぶうぉぉぉおぉぉおおおおん!!
銅鑼とは違う、大きな低音の笛が周囲に鳴り響くと早速地上では両軍が前進を始める。どうやら『ラムハット』ではそれを使って軍勢に合図を送っているらしい。
大きな軍勢が殺気を放って動き出す様は上空にいても腹部が震えて熱くなっていくのを感じる。この時緊張を限界まで高めていたクレイスに油断は消え去っていた。
計画としては水球や水槍などは使わず水竜巻を2本、軍勢のど真ん中に発生させて混乱を狙う。直接的な攻撃は首を突っ込み過ぎるからという理由でその魔術を選んでみたのだが・・・
両軍が後列から弓矢を飛ばしつつ大盾部隊が横に展開しながら衝突が始まった。その瞬間クレイスは敵軍の左右に普段と変わらず、それでいて特に暴れさせるつもりもない水竜巻を展開する。
想定では周囲が驚いて足を止めたり気が逸れるだろうと考えていた。その隙を突いて『ジョーロン』の軍勢が大攻勢に出る。これで役目は果たせるだろうと。キールガリやフェブニサも満足がいくだろうとそう考えていたのだ。
ずぞぞぞぞぞぞっずずずずぞぞぞぞぞぞぞっ!!!!
ところがクレイスの展開した水竜巻の直径はゆうに3間(約5.4m)を超えている。高さも自分達がいる位置ほどまで競りあがっておりそれが凄まじい勢いで螺旋を描いているのだ。
地上では小さな悲鳴が幾重にも重なって『ラムハット』の兵士たちがそれに飲み込まれるとあっという間に上空へ放り出されて成す術もないまま地上へ激しく落ちていく。兜鎧に身を纏っている彼らは小さな岩石並みの質量を持っており敵味方関係なく降り注ぐ戦場はみるみる凄惨な光景へと変化していく。
「魔術というのは凄いですね・・・これならキールガリ様も十分納得されるでしょう。」
「うわ~・・・血がいっぱい・・・こほん。クレイス様、もう去りましょう!」
「・・・・・」
2人の声が耳に届いたクレイスはやっとそれを収束させると真っ白な顔色のまま震えを感じながらキールガリの館へと戻る。
あまりにも一方的な魔術による攻撃、いや、これは虐殺だろう。魔術を戦に用いればほとんどの場合有利を取れるのは兵卒として参戦した時に痛感していたが今回放った魔術は強力すぎたのだ。
自身の力を未だしっかりと理解していなかったクレイスは思っていた以上の戦果を挙げた事に嬉しさなど微塵も感じる事無く、想像を超える惨状を作り上げてしまった事を深く深く後悔して圧し潰されそうになっていた。
「やっほー!!早速遊びに来たよー!!」
激しい後悔に苛まれる中、元気いっぱいのサルジュがいきなり窓から飛び込んでくるもこちらの様子がおかしい事に気が付くとすぐに大人の表情へと切り替わる。
「どうしたの?またウンディーネとケンカでもした?」
「「「・・・・・」」」
長椅子の真ん中に腰掛けて深く俯いているクレイスの両隣にはイルフォシアとルサナが、前にはウンディーネが見守る形で傍にいてくれたのだが未だ言葉が出てこない。
見かねたサルジュもこちらの前まで歩いてくると初めて彼女が訪ねてきた事を知ったクレイスは顔を上げて小さな声で挨拶を交わした。
「何々?昨日あれだけ元気だったのにどうしちゃったの?お姉さんに言ってごらん?」
見た目が一番幼い少女に励まされて少しの違和感を覚えたが彼女はウンディーネより遥かに年上で魔術に対しての造詣も深そうだ。
「・・・今朝、『ラムハット』の軍勢に対して魔術を使ったんです。それでその、僕が思っていた以上に多数の犠牲者が出てしまって・・・」
「そんな事で悩まれてたのですか?!」
やっと言葉として絞り出せた悩みを聞いてイルフォシアが驚いて声を上げる。彼女は物心ついた時から国務に携わっていた。
戦場に出ては仲間を鼓舞し自ら長刀を振るって戦ってきたのだから敵の命を奪う事には踏ん切りがついているのだろう。この時は単純にそう考えていた。
「・・・イルフォシア。その言い方はあんまりなの。元々魔術を使う私達は人間に危害を加えないように教えられてきているの。クレイスは魔術のきっかけとして私の魔力を大量に吸収したからもしかするとその辺りが関係しているかも・・・」
「そういえばそんな事言ってたわね。ウンディーネ、ちょっと詳しく説明してもらえる?」
腕を組んだサルジュに促されてウンディーネはガハバとの闘いで大きな手傷を負った事、その時魔力を補おうとクレイスの中へ飛び込んだ事、回復した後眠りから覚める為にクレイスへ魔力を注ぎ込んだ事を説明する。
「うーん・・・まず魔族が人間の中に入れるなんて聞いた事ないからその中で起きた出来事についても何も言えないわね。というか貴女、それをちゃんとバーン様に報告した?してないでしょ?あーあ、また叱られちゃうわよ~?」
年長者の少女は思考を放棄すると魔界の王であり『バーン教』の教祖でもある名前を出してウンディーネをからかう。だが彼女も困った表情を浮かべるだけで今はクレイスの様子が気掛かりらしく必要以上の言い訳もしなかった。
ばぁん!!
「クレイスっ!!貴様また戦場から勝手に抜け出しおって・・・って?!ぇぇ・・・な、何で・・・ございましょうか?」
いきなり部屋に入って来たキールガリの怒りは最もだ。しかし今はクレイスを見守る強者4人が控えていた為お夥しい殺気と闘気を向けられた領主はとても小さな声量で言葉を改める。
だが彼が乱入してくれたおかげで気持ちを少し切り替える事は出来た。己が深く考えずに戦場で余計な事をしてしまったと謝罪をするとそのままクスィーヴの待つ王都へ引き上げようとする。
「待て待て。君は何を言っているのだ?」
するとキールガリもイルフォシアらの強烈な気配に中てられて冷静さを取り戻したのか、声色も口調も随分落ち着いたものになるとこちらを引き留めて机に座らせた。
「王都に戻るのはいつでも出来るだろう。それよりもまずは私から謝罪させてくれ。どうにも有事になるとつい荒々しい自分が表に出てしまってな。」
いつの間にか場に溶け込んでいるサルジュを少し不思議そうに見つめたが彼女も来客の1人だと認めたのだろう。召使いに人数分のお茶と軽食を用意するとキールガリは紳士的な対応で頭を下げた。
「君の魔術には脱帽だよ。お蔭で戦場も大勢を決した。あそこまで崩れてしまえばもう立て直しもきかないだろうし明日には協定や条約まで話を進められるだろう。本当に感謝する。」
次いで今日の戦果を大いに喜びながらも感謝を口にするキールガリは先程までとは別人のようだ。イルフォシアやルサナも厳しく当たって来た事は水に流したのか、クレイスが褒め称えられている事が嬉しいのか満面の笑みを浮かべて顔を見合っている。
ただ本人だけが納得していない。戦果はともかく自身が想定していた魔術の動きではなかった事と、それにより多数の犠牲者が出てしまった事がどうしても心に引っかかって素直に喜べないのだ。
「・・・少し話してたけどやっぱり人間を沢山殺してしまったのが辛い・・・の?」
ウンディーネだけはさっきからこちらの心境に近い意見を出してくれる。確かにそれはある。あるのだが自身も『アデルハイド』の王子であり『トリスト』では2度に渡って兵卒として戦にも参加している。
国を護る為に人を殺す事に躊躇などした覚えはない。そもそも戦場でそんな事を考えている余裕などない。やらなければ自分の命を失うのだ。それは十分に理解していた筈だ。
戦場での働きとして自身の行動に問題はなかったはずだ。なのに何故こんなに動揺しているのか・・・・・
「それが先程言っていた余計な事に繋がるのかね?・・・・・ふむ、クレイス君。君の話を詳しく聞きたいな。」
その豹変ぶりに周囲が目を丸くしていたのを気にすることなく、すっかり優しい中年の顔になったキールガリは静かに促す。だが何を話せばよいのか・・・
「『ジョーロン』に初めて来た時の話でもいいし、魔術をどうやって手に入れたかも気になるな。今は亡命中なんだって?だったらその話でもいい。」
「そ、そうですね・・・・・じゃあ・・・」
開戦が早かった為時刻はまだ昼前だ。もしかして気を紛らわす為にそんな話題を振ったのかもと感じながらもクレイスはその日、日が落ちるまで自身の思い出話を延々と語り続けていた。
それでも周囲は退屈な素振りを見せる事無く、ルサナなどは自身の知らないクレイスを垣間見れたと大喜びだ。
やがて昨日の話に差し掛かり、サルジュの紹介を終えた所で一呼吸置くとキールガリに軽く頭を下げた。かなり長い時間付き合って貰ったお礼と気が紛れたお礼を込めたつもりだったが何故か彼の表情は険しい。
(・・・あれ?僕何か悪い事言ったかな?)
多少立ち直っていたクレイスは静かな空間で誰かが声を上げるのを待っていたのだが皆もキールガリの雰囲気を察しているのかそちらに顔を向けている。
「・・・そうか。君は面白い人生を歩んでいるな。極端な人生というか。」
意味を悪く受け取ってしまったイルフォシアとルサナがまた妙な殺気や闘気を発したのでキールガリはすぐにそれらを手で制する。堂々とした振る舞いに感心したが次の発言はクレイスを更に驚かせた。
「私が分析した結果だと君が気落ちしてしまった原因は『覚悟』とみる。詳しく聞きたいかね?」
「は、はい!!」
今までの話からそんな流れになるとは思わなかった。クレイスが立ち上がって元気に答えると彼も優しい表情に戻しながら静かに語り出した。
「君の話を聞いていて気になった点は突然強力な『魔術』を手に入れた所だ。ウンディーネ君のお蔭らしいが、ここでまず歪みが生じているな。」
名前を出されて歪みとまで言われるとあの明るくて元気なウンディーネが少し寂しそうな表情で俯いたのでいきなり心が乱される。
「あ、あの!ウンディーネは悪くありませんよ!彼女は僕の為に・・・っ」
「わかっている。彼女を責めるつもりで言ったのではない。この歪みというのは身の丈に応じていない力を得たクレイス君に言っているんだ。」
「ぇっ・・・」
自分の事だったのか。気恥ずかしさで思わず赤面してしまうがそれもキールガリには些細な事のようだ。
「君は自身の強さを超える力を得てしまった。ここでいう強さとは心の強さだ。これをしっかり持っていないと人は力を誤った方向へ向けてしまう。分かりやすい例だと賊と呼ばれる連中だな。」
そう言われてすぐに思い出したのはガゼルの顔だ。彼も山賊として10年以上行動していたが今は故国の王として働いているのだからキールガリのいう誤りから正しい道に戻ったと捉えるべきか?
「そこから君は魔術の力を更に強めていった。その間も心を置き去りにして・・・いや、こればかりは仕方がないのかもしれない。何せ気づくきっかけがなかったのだから。」
「・・・・・」
これには反論しようか悩んだ。魔術とは武術と違って精神の鍛練でもあるのだ。その最中にある程度心も鍛えられているはずだと。
だが黙っていてよかった。キールガリのいう心というのはまた少し意味合いが違うらしいのだ。
「良いかねクレイス君。君が何故先の戦で強大な魔術を展開して動揺したのか?それは自身の魔術によって人が死ぬという想定をしていないからだ。」
「「「「えーーー?」」」」
結論に何故か周囲の少女達がとても不満そうな声を漏らす。完全に乗り遅れたクレイスはその様子を見守っていたのだがまずはイルフォシアが口火を切った。
「クレイス様の魔術はサルジュ様ですら一目置く程強力なはず。その話は昨日もしていましたし海で戦った巨大蛇も彼の魔術があったからこそ討伐出来たのです。それなのにクレイス様がその威力を知らないなんて事あるはずがないでしょう?」
「うんうん!私もクレイス様がバルバロッサ様と立ち合い稽古をしていた時に思った!あの人以上に強い魔術を使ってるなーって!!魔術を全然知らない私が見てもわかってるのにクレイス様がわからない訳ないじゃない!」
(そ、そうなの?!)
てっきりバルバロッサがこちらに気を使って手加減していたものだとばかり思っていたのにいつの間にか力関係が逆転していたのか?初めて聞かされた事実に思わず声を上げそうになったがまだ魔族の2人が声を上げていない。
「私達魔族の魔術は基本的に人間へ向けたりしないんだけど、それでも脆弱な彼らにならこれくらいで死ぬかもっていうのはわかるの。クレイスも私から魔術を得たんだしそれくらいはわかる・・・よね?」
ウンディーネが不安そうに尋ねてきたので思わず目を逸らす。
「なるほど。キールガリの言った事が少しだけわかってきた気がする。」
見かねたサルジュが最後にそう締めると皆が再びキールガリの方に注目した。その流れを温かく見守っていた彼は居住まいを正すと再び口を開く。
「うむ。クレイス君、君は魔術を手に入れてから戦場でその力を振るった事は今までなかった。戦ってきた相手は常に強者のみだ。それ故魔術の恐ろしさを学ぶ機会がなかったのだろう。」
「・・・・・」
言われてみればそうだ。魔術で立ち向かった相手は何故か尽く強者ばかりで今回初めて戦場で使ったのだ。しかもこれで人間を殺した経験もなかった。いつの間にか当たり前のように使いこなせていた魔術だが全てが今日初めての出来事だったのだ。
皆も納得したのか黙り込んでいる中、キールガリの話はまだまだ続く。
「強者が振るう力には多大な責任が伴う。君はその生い立ちからまだまだ心の成長が伴っていなかったのも原因だろう。これからは自身が放つ魔術の力とその犠牲を胸にしっかりと刻んで戦いに臨めば良い。それが『覚悟』という話さ。」
動揺の原因こそわかったものの、さりげなく強者と謡われた僅かな喜びは心が未熟だと教えられた衝撃に吹き飛ばされる。同時に考えれば考える程納得していく。
今まで自分が戦ってきた相手は本当に強かった。自身の魔術がまともに当たった記憶も数えるほどしかなく、それが致命傷になった記憶などない。
だから本当の威力がわからなかったのだ。水竜巻の魔術があんなにも人を簡単に吹き飛ばせる事実もそうだがこうなってくると自分の扱える魔術を洗いざらい見直した方が良い。
そしてそれらを使う事への『覚悟』。己の扱う魔術とは沢山の命を奪ってしまう手段なのだとクレイスは改めて心に刻み込む。
「ありがとうございます。これから自分が何をすべきかよく理解出来ました。」
先程までとは違い、非常に納得した表情を浮かべていたクレイスを見て周囲も安堵の表情だ。
「うんうん。君は『ジョーロン』を2度も救ってくれた英雄だ。そんな君が落ち込んでいるのを黙って見過ごせないからね。」
とても朗らかに笑いかけてくれるキールガリだがこちらも先程までと違ってまるで別人のようだ。出来れば有事でもこのままでいて欲しい気はするが、考えてみると国の存亡に関わる一大事の最中にこれだと気が引き締まらないかもしれない。
であればあの豹変ぶりにも納得がいく。今日一日で様々な経験と学びを手に入れたクレイスはその夜盛大な祝勝会を心行くまで楽しんだ。
その夜。立ち直りはしたものの今度は己の持つ魔術について考え始めると高揚感からは目が冴えてくる。
キールガリの言う通り降って湧いた力に修業の成果も重なっていつの間にか自身の想像を遥かに超える力となっていたらしい。
(・・・これで少しはカズキ達に近づけたのかな?)
自身の昔話をした影響か、妙に物思いに耽ってしまうクレイスは強者と呼ばれる人物達を思い浮かべてはその心を思い返してみる。
クンシェオルトは非常に堅物といった印象だったが何より『誇り』を強く感じた。
バルバロッサは魔術に対する拘りが凄まじかった。あれも心の表れだったのだろう。例えるなら『執着』か『執念』あたりか?
カズキに関してはただ戦いたいといった想いが強い気がする。まさに『闘争心』と呼ぶにふさわしい。
他にもワーディライやスラヴォフィル、イルフォシアやアルヴィーヌだってそうだ。人とはかけ離れた強さを持っていて必ずそれに負けない心を持っているはずだ。
こんこんこん
扉が静かに叩かれるとクレイスには誰がやってきたかすぐにわかった。この控えめながら強い気持ちの篭った音はイルフォシアだろう。時間は深夜を過ぎてたものの自身も眠っていなかったのですぐに出迎えて中に通す。
「ごめんなさい。お休みの所を起こしてしまって・・・」
「うううん。僕も考え事をしてたから大丈夫だよ。」
落ち込んでいるようではないが何か悩み事を抱えているのか。これも彼女ばかり見てきたクレイスには表情の僅かな変化で察する事が出来るようになっていた。
2人が机に向かい合う形で座るとやや俯き加減だったイルフォシアは静かに口を開いて尋ねだす。
「クレイス様。お昼に話されていたキールガリ様の御言葉、貴方はどう捉えられましたか?」
「うん。とっても勉強になったよ。僕も強くなりたいって気持ちはあったんだけどその力に対しては深く考えた事がなかったし。」
「・・・私もそうです。自分の力で人を斬り伏せる事に動揺や後悔など感じたことはありません。」
「そうだよね。イルフォシアなら最初から強い心を持ってるから・・・」
「違います。私は相手の命を奪う事に何かを感じたことは無いと言っているのです。」
(・・・あれ?)
何やらかみ合っていない気がする。見ればとても不安そうな眼差しでこちらを伺っているイルフォシア。悩みの話だとは思っていたが今の流れで何を悩む事があるのだろう?
「・・・ウンディーネにも驚かれていましたが私はやはり天族なのですね。相手の強さに関係なく人の命を奪っても何も感じません。むしろ高揚感さえ覚えているかも・・・私には心というものがないのでしょうか?」
天族というのは戦いを好む種族だとは聞いていた。だがそれで心がない存在だと判断するのは早計な気もする。現に普段の彼女はとても豊かな表情と言動でクレイスの心を満たしてくれているし、これ程愛おしい存在に心が無いなんて事はあり得ないはずだ。
それでもクレイスは考えた。今は自身の愛を語る場面ではない。彼女の悩みを紐解くための場面なのだ。
「イルフォシア。僕は普段から君の一挙一動に色んな感動を覚えている。怒ったり笑ったり拗ねたりしている君を全部知っている。そんな君に心がないなんてあり得ない。相手の命を奪う場面に関してはそれだけ必死だってことだと思うよ。僕も歩兵として戦場に赴いた時にはそんな事考えもしなかったし。」
半ば己の愛を混ぜ込んでしまったが自身の経験から導き出した答えだ。これが悩みの解決にどれほど効果があるのかわからないがクレイスは自信を持って優しく答えると美しくも可愛い表情を作ってはこちらを見つめてくる。
「クレイス様はお優しい・・・ですね。」
見た所だと憂いは霧散したようだ。だが入れ替わるように何やら雌の匂いが強くなった気もする。何度かそれを嗅いだ経験はあるがこの匂いは本能を非常に刺激されるのでクレイスは気持ちが昂る前に退室を促そうと席を立った瞬間。
ぴしんっ!!!!!
イルフォシアが窓に背を向けて座っていた為それを目視出来たのはクレイスだけだった。だがあまりにも一瞬の出来事でそれが何なのかは理解出来ず、ただ本能を掻き立てられていたお蔭で反応出来たのは間違いない。
それでも相手が悪かった。その上こちらも加減がわからなかった。館の外から外放たれた斬撃は外壁とクレイスが展開した水の巨大盾を軽々と通って2人の体に深く大きな傷を走らせる。
刹那の一撃だがそれを体で受けたクレイスは展開していた水の巨大盾に更なる魔力を注いで防御を固める。
イルフォシアの背中にも大きな傷が走っているもののすぐに長刀を顕現させると振り向いて構えを取った。不意を突かれた2人の傷は致命傷に近い。
それでも水竜巻で壁に大きな穴を開けつつ敵の正体と反撃も試みるが相手の姿は残像くらいしか捉えられなかった。
がきんっっんっっ!!!!
気が付けば真ん前にイルフォシアが立ち敵からの斬撃を凌いでいたが背中に走った痛々しい傷がクレイスの心をかき乱す。顕現させた翼も朱に染まっていて力が入らないのか2人は重なって後方へと吹っ飛んだ。
「くぅっ・・・」
自身の胸にすっぽりと納まる彼女から苦悶の声が漏れてきた事でクレイスも水竜巻を真横に展開すると前後左右の壁をぶち抜いた。退路を確保するとイルフォシアの体を抱きかかえつつまずは外へと飛び出す事を選んだのだ。
雲が多く非常に視界は悪いが壁に囲まれた狭い部屋よりは戦いやすいだろう。更にその姿を捉えられていないクレイスは次に全方向に無数の水球を展開してどこかにいるであろう敵を探り始めた。自身から半径10間(約10,8m)を超えて水球を敷き詰める事でこちらに攻撃を仕掛けてきたらすぐに気が付けるはずだ。
びしゅっがっきぃぃがががっ!!!!
だが相手は想像以上の手練れらしい。方角が分かった時にはすでに懐深くまで入られておりクレイスの能力では闇雲に防御魔術を展開するのが精一杯だった。
代わりにイルフォシアが反撃を放つも傷のせいで力が出し切れておらず相手の刃と接触するたびに体が大きく流れている。いや、よく見ると何度もその体に刃を受けているではないか。
「っこのぉっ!!!」
半ば勘頼りに水槍を放ってみても手ごたえはなく彼女の血が飛沫となって自身の顔にかかった時、クレイスは攻撃を諦めて全ての魔力を使うと2人を覆う巨大な水球を展開した。
その密度に全ての魔力を注ぎ込んだのだ。これで防げなければどうしようもない。
ざんっざざんっざざざざざんっ!!!!
なのに相手の斬撃はいとも簡単に刃を通してくる。一体どんな猛者が襲い掛かって来てるというのだ?
「・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・っ」
流石に速度と威力は落ちているようでイルフォシアが先程よりも無理なく受け流せている。一先ず窮地を脱したらしいが彼女の消耗は呼吸に大きく表れていた。
「驚いた。魔術師にもこんな気骨の者がいるのか。」
聞き覚えのない声にクレイスは目を凝らしてその姿を捉えようとするが隣にいたイルフォシアは驚いて問い返す。
「その声は確か『七神』の・・・あの時は大変お世話になりました。まさかまた不意を突かれるとは。貴方には誇りというものが存在しないようですね?」
「ふむ。目的の為であればいらぬものに拘る必要も無いだろう?」
(また不意を突かれる・・・また?!)
その言葉を聞いたクレイスは一気に体が燃え上がる。あの時は悲しみのあまり自身も一緒に死のうとまで考えていたのだから。
今自分達を襲ってきているのはカーチフが戦っても打ち取れなかった『七神』の男、イルフォシアに致命傷を負わせてクレイスに己の無力さと絶望を植え付けた男で間違いないはずだ。
「・・・貴様がイルフォシアを・・・名を名乗れっ!!!」
普段は滅多に怒らない彼が我を忘れて怒号を発したのでイルフォシアすら少し驚いている。
「・・・私はマーレッグ。察しの通り『七神』の1人だ。お前はクレイスだな?なるほど、フェレーヴァが一目置く訳だ。」
マーレッグと名乗った男は静かに答えるとクレイスはやっとその姿を捉える事が出来た。相変わらず皆同じような黒い外套に身を包んでいるがマーレッグという男の武器は刀らしい。あれを手にする人間は須らく強者の印象があるのでそれがわかっただけでも気が引き締まる。
(皆・・・皆?あれ?1人じゃ・・・ない?)
「すまないな。殺すつもりはないのだがどうしても確認したい事があったのでね。」
雲が流れて月明りが周囲を眩く照らし始めると空には他に3人の人影がある。恐らく全員が『七神』なのだろう。
その名前からも7人はいるだろうと想定されていたがまさかその内の4人が同時に現れるなんて・・・
しかも自分達と戦っていたのはこのマーレッグという男ただ1人のはずだ。であればこの強さの人物が他に3人も控えているのか・・・
「うむ!貴様ら、ティナマをどこへやったっ?!素直に白状すれば命だけは助けてやろう!!」
それからすぐに聞いた事のある声がこちらへ強く詰問してきたが初めて聞く名前に2人はただ黙り込むしかなかった。
「クレイスっ!!イルフォシアっ!!無事なのっ?!」
あれだけ激しく騒いだのだから館にいる人間が気が付かないわけがない。ウンディーネに抱きかかえられてルサナとサルジュも駆けつけてくれたが正直戦況としては分が悪い。
特にマーレッグという男が強すぎるのだ。不意を突かれて多少傷を負ってはいたもののイルフォシアと2人で戦っていたのにクレイスは反撃する余裕などなく防御も通されてしまうありさまだ。
他の3人がどれほどの強さを保持しているのかわからないが決して弱くはないだろう。果たしてこの状況を打破できるのだろうか?
「んん?貴方はあの時のお爺ちゃん!今度は徒党を組んできたの?」
「む?!貴様はあの時の魔族か?!」
そうか。聞いた事のある声は一度ショウを拉致した老人の『七神』アジューズだ。クレイスが水の魔術を展開したきっかけでもあり彼もまた氷の魔術を使う魔人族。
普段のクレイスなら是非戦ってみたいと考えるだろうが今はそれ以上に命の危機とイルフォシアの仇を何とかしたい気持ちでいっぱいだ。
せめて自身の魔術が当たれば・・・・・・・・・・いつもそうだ。
力が欲しいと修業してみてもそれがすぐに身に付く事は無く、降って湧いた強力な魔術を手に入れたとしてもそれで相手を仕留めた記憶はない。
今朝の戦場がいかに例外的だったのかを改めて痛感するも今は己の中の生存と闘争本能が火花を散らして睨み合っている。何とかこの2つを満たせないだろうかと。
「これで役者は揃ったな?ではもう少し楽しませてもらおう。」
しかし相手は待ってくれない。やっとその姿を確認出来たマーレッグが動き出すと今度は他の『七神』達も動き出す。
対してこちらも各々が優位を取ろうと展開し始めた。だがウンディーネに抱きかかえられていたルサナはお荷物になる為こちらへと投げ飛ばされてしまう。
(・・・彼女の力があれば何とかなるかもしれない!)
イルフォシアの腰に手を回したクレイスはルサナを水球の中に吸収して受け止めるとそのまま地上へと降りていく。
以前は『闇を統べる者』の力を借りて対峙したがルサナに宿る『血を求めし者』の力は十分知っているつもりだ。であれば彼女も全力で戦えるよう場所を地上へ移した方がいいと判断したのだ。
利用してしまっている自分に少しの自己嫌悪感が生まれるもこのままでは全員の命が危うい。後で十分に謝ろうと心に決めるとクレイスはイルフォシアの腰から手を放す。
「・・・ク、クレイス様・・・」
「ごめんねイルフォシア。でも3人なら何とかなるかもしれないって・・・思ったんだけど・・・?!」
てっきりまた拗ねたり妬いたりするのかと思ったら足を地に着けた瞬間イルフォシアが崩れるように尻もちをつく。辛うじて長刀を掴んで上半身を支えているがこの時既に彼女は満身創痍だった事に今更気が付いた。
「ではいくぞ。」
(こ、ここは僕がしっかりしないと!)
こちらの事情などお構いなしにマーレッグが襲い掛かって来るのでクレイスも何とか凌ごうと魔術を試みるが先程の水球展開でふんだんにあった魔力が枯渇に近い。
がきんっっ!!
そこにルサナが背中から6本の赤い刃を放ちつつ2人の間に割って入り攻撃に参加し始める。バルバロッサと最後に立ち会ったあの日と違い、クレイスの命を護る為に全力で戦う彼女の力は凄まじかった。
なのに難なく懐へ入り込むマーレッグは一瞬でその体を胸から上下に薙ぎ落すのだから声にならない。
ずしゃんっ・・・!どしっ!
胸から上と下に断たれた彼女は両腕と上半身が力無く転がり落ちた。背中の刃が生えていた付け根を狙われたのだろうが酷い姿になっても動いているし未だ戦おうとしている。
そんな姿を見て、大切な仲間が傷だらけになる姿を見て己を鼓舞出来ない男がいるはずがない。
水の剣と盾代わりの水球を展開したのは残存魔力の都合からだ。それでも当たれば必ず絶命に追い込めるはず。そう信じてクレイスはまた『ジョーロン』の地で死闘に足を踏み入れる『覚悟』を決めた。
「ふむ。筋は良いな。よく修業しているのだろう。それが見て取れる太刀筋だ。」
赤子の手をひねる方がまだ楽かもしれない。そんな余裕が見て取れるマーレッグはこちらの攻撃をすいすいと躱して呟いている。
攻撃が当たらない事もそうだが全く本気になっていない様子はクレイスの心を深く傷つけていく。今までにこなしてきた修業とは何だったのかと泣きそうになる。
2年前もそうだった。
体を奪われたビャクトルと戦っていた時も満足に戦いきれなかった。もう二度とあんな事がないように力をつけようと頑張ってきたんじゃないのか?
(ぼ、僕はまた足りないのか・・・いや、まだだ!まだやれる!!)
少なくともこちらを殺す気はないらしくクレイスの振る水の剣を珍しそうに躱す様はまるで立ち合い稽古のようだ。そしてそんな油断を猛者である2人が見逃すはずがない。
満身創痍になりながらもイルフォシアとルサナはその隙を狙っていたのか同時にマーレッグへと襲い掛かる。
であれば自身もそれに合わせなければとクレイスは大きく踏み込んだのだが。
ざざざんっ!!!
既に精彩さを欠いていた2人の動きでは相手にならなかったらしい。クレイスには放ってこなかった絶命必死の攻撃が彼女達の体を容赦なく切り刻む。
「・・・ィ、イルフォシアッ!!!!ルサナッ!!!!」
ルサナは先程と同じようにまた腕と胴を薙ぎ落とされたのだが彼女の再生能力は相当高い。だがイルフォシアはそうではないのだ。
以前もマーレッグに不意を突かれた攻撃は人間であれば死んでいたであろう致命傷だった。そして今は深夜零時を過ぎており快復の力が働くまではまだまだ時間が残っているというのに。
右腕と左手の指はいくつかなくなっており主人の手から離れた長刀は激しく回転しながら地面に突き刺さる。力なく膝から崩れ落ちるのを慌てて抱きしめるも彼女の呼吸は浅くて目も虚ろだ。
「・・・ク、クレイ、ス様、逃げて・・・」
・・・そんな状態になってもこちらを気遣ってくれるのか・・・悲しくて悔しくて叫びながら泣き喚きたくなったがまだだ。まだ終わっていないのだ。
むしろ愛する人をここまで傷つけられて終われる筈がないのだ。憎悪などという生易しい感情ではない。刺し違えてでも相手を殺すなどというありきたりな感情でもない。
体や命、何なら己の存在が消失してでも必ず奴を倒すという気迫と覚悟がクレイスの心身に再度走るとゆっくりイルフォシアを寝かせた後静かに駆け出した。
「うおおおおおおおおおおおぉぉぉおぉおぉお!!!!」
反撃する意思がない相手に盾代わりの水球もいらないだろう。クレイスは水の剣に全てを注いで振り回すが当たらない。当たらない。当然だ。
気持ちだけで力量差を埋められるのなら誰も苦労して修業などしない。現実とは世知辛く、そしてよく出来ている。
ならばせめて殺して欲しい。イルフォシアがあんな状態なのに自分だけ無傷に近いなんて酷すぎる。
「参ったな。貴様は不死身か?」
だが呆れた声を掛けられたので何事かと一瞬思考が戻った。よく見れば黒い外套の奥でマーレッグは非常に驚いた表情を浮かべているではないか。
(一体何の事だ?ルサナか?)
確かに彼女は『血を求めし者』を取り込んでいる存在なので不死身に近いのかもしれない。だが今はまだ快復出来ずに地を這っている。
ぽたたっ・・・ぽたっ・・・
少しの時間だが体を止めた事で呼吸も元に戻ってきた。いつの間にか少しの冷静さも取り戻したクレイスはふと違和感に気が付いて足元を見下ろすと驚くほどの血溜まりが出来上がってきている。
それから腹部や胸部、腕や脚にかなりの刀傷が走っている事をこの時やっと気が付いた。
「アジューズには殺さず情報を聞き出せと言われていたがここまで切り刻んだのに動きが全く衰えない。クレイスか。恐ろしい男だな。」
力というのは確かに存在する。そして感情によって高まる事象も確かに存在した。
それが今冷静さを取り戻してしまったクレイスにとっては仇となったのか、みるみる体中の力が抜けていくのを感じるといつの間にか力無く両膝をついてしまっていた。
反撃に気がつけなかったのは単純に見えていなかったからだが痛みに耐えられる精神力も一因だろう。いつの間にか相当な血を流していたらしい。
2年前にも感じた事だがあまりにも血を失うと体温まで下がって極端に体の機能が衰える。そんな切り刻まれている体で動き回っていたのだ。普通の人間なら既に死んでいてもおかしくはない。
しかしクレイスの心は喜んでいた。これならイルフォシアを見送る立場にならずに済むかもしれないと。
ならばその命が尽きるまで再び体を動かすだけだ。深手を負ってはいるものの彼女は天族、日付が変わるまで死ななければ完治するだろう。
「僕が死ぬまで相手をしてやる。だからイルフォシアやルサナにはもう手を出すな。いいな?」
「・・・それは困ったな。貴様が一番利用価値の高い存在なのだ。ショウを引き込むためにも是非人質になってもらわねば。」
『七神』側ではそんな話になっているのか。であればますます思惑通りにさせる訳にはいかない。
再び心と体に熱い魂を宿し不退転の覚悟を決めたクレイスはどこから魔力を搾り出したのか。水の剣を再度展開すると立ち上がって全力で斬りかかる。
あの時のように再び奇跡が起きる気配はない。しかし最後まで諦めたくはないのだ。この強い気持ちこそが修業の一番の成果かもしれない。
ざんっっっっ!!!ざんっっっっっ!!!
突然不思議な感覚に囚われた。何故か相手の動きが止まって見えたのだ。更にその両腕が斬撃らしきもので肩から斬り落とされているではないか。
いやいや・・・これは明らかにおかしい。その両腕すら地に落ちないまま宙に浮いているように見える。そして動きの無いマーレッグの左肩から入ったクレイス渾身の水の剣は以前と違って大いに勢いよく走り、右下の腰から抜けると見事にその胴を真っ二つに叩き割っていた。
確かな手ごたえに一瞬で意識が飛びそうになる。しかしここで気を失ったりでもしたら師匠のカズキに何を言われるか分からない。
一体何が起きたのか。それを考える余裕こそなかったものの地面には間違いなく袈裟懸けに斬り落とされたマーレッグの上半身が転がっている。
2年前と違うのは明らかな異常をクレイスが感じ取れた事だ。肩から両腕を落とした斬撃。これは絶対自分がやったものではない。誰だ?まさかまたイルフォシアが?
気になって彼女の方に振り向くとそこには見たことのない金髪の青年が彼女の腕を拾い上げて届けてくれていた。
真っ白な衣装もさることながらしゃがみこむ背中からも感じる厳かな威圧感。だが『七神』の仲間ではなさそうだし何よりイルフォシアを気にかけてくれている。悪い人間では断じてないだろう。
「あ、あの・・・ありがとうございます。」
気が付けばそちらに近づきつつ感謝を口に出していたクレイス。これはイルフォシアの事に対してだったのだが青年は静かに立ち上がって振り向くと優しく微笑んでいる。
後姿からでも似ていると感じてはいたが目の色や整った顔立ちまでイルフォシアにそっくりだ。それこそまるで親子と言われれば信じてしまうほどに。
「こちらこそ、よくイルフォシアを護り通してくれた。礼を言う。」
さらりと彼女の名を口にしたという事はやはり親戚か知人か・・・まさか兄妹か?完全に脅威が去ったと判断していたクレイスは思考に力を注ぎ始めたが既に体は限界を超えていた。
その全てが活動を休止すると目の前が真っ暗になってそこからは何も覚えていない。だが気が付けばまた寝具の上で目覚めたところをみるとあの急襲は見事に凌ぎ切れたのか。
「「ク、クレイス様っ?!」」
ゆっくり瞼を開けると元気なイルフォシアとルサナがこちらを覗きこんでくれている。2人共傷はすっかり快復したようで何よりだ。
そして自身の体はというと・・・うん?思った以上に辛さは感じない。戦いの最中でも傷だらけにはなっていたがそれを気にかける余裕はなかった為この時は深く考えなかった。
今はそんな事より大切な人と仲間が無事だった事が嬉しくて嬉しくてたまらない。
「きゃっ!」
「はわわっ!」
寝具の両側からこちらを覗き込んでいた2人に腕を回して思い切り抱き寄せる。そのぬくもりと柔らかさを確かに感じたクレイスはただただ安堵と感謝の気持ちで一杯だった。
「あら~?お楽しみの所邪魔しちゃったかな~?」
20分が経過していたにも関わらず2人が体を離さなかったのはクレイスの気持ちが十分に伝わっていたからだろう。
そこにサルジュとウンディーネが入って来てやっと少し状況が飲み込めてくる。
「ずるい!!私も私も~!」
だがウンディーネが空を泳いでこちらを真正面から抱きしめてきたので寝具の上はいかがわしい絵面と変わりつつあった。
「よかった!ウンディーネもサルジュさんも無事だったんですね!」
「うむ!私はバーン様にかなりの御力を与えられてるんだからあれくらい余裕余裕!相手が人間じゃないっていうのも都合よかったしね!」
聞くところによると彼女らが相手をしていた3人のうち1人はそれほど強くなかったらしくアジューズもウンディーネ1人で対抗出来ていたらしい。
そしてフェレーヴァと呼ばれる天人族が最も厄介だったそうだが固く鋭く、そして速い氷の魔術を前にお互いが一歩も引かない戦況のまま拮抗していたようなのだ。
「違う違う!あれは彼らに言いたい事があったから長引かせつつ会話を挟んでいただけ!実力は絶対私の方が上だったんだから!」
そういえば娘の頼み事とやらの為に『七神』と接触したいみたいな事を言っていた。その為にわざわざ人間の戦場にまで足を運んで訳も分からずかき回していたそうだが。
「話だとショウって子と私の娘を未だに引き抜きたいらしいのよね。嘘を言っているようには見えなったしそれ以上にティナマっていう子を探してる風だったのも気になったわ。」
ティナマ、その名前はクレイスとイルフォシアも聞いていた。正直何の事か未だにわからないが話をまとめると『七神』は3人を傘下に収めたいという事だろうか。
「それだけ聞いていると非常に深刻な人材不足で困っているといった印象だね。」
いつの間にかクレイスの寝室に現れていたキールガリが不思議そうに呟いていた。未だ女の子達を抱きしめたままだったが命が助かった今そのぬくもりを手放すつもりはなく、まずは館の破損について謝るも穏便な状態の彼は眉間に皺ひとつ作る事無く笑顔でこちらの無事を祝ってくれる。
「でも奴らが退いたのはクレイス君のお蔭だよ?君が倒したマーレッグっていうのが一番強かったらしいんだけどそれが討たれて滅茶苦茶動揺してたもん。」
「ぁ・・・・・」
「流石ですクレイス様!あれを仕留めるなんて流石すぎます!!」
「倒せたからよかったものの貴方の御怪我も相当酷かったんですからね?今後私が逃げるように訴えたら必ず逃げて下さい。いいですね?」
両脇で2人が思いの丈をぶつけてくれるがクレイスはあの時の事を思い出す。不思議な現象と不思議な金髪の青年について・・・
理由は分からないので説明が難しいのだがあの猛者を倒せたのは絶対に彼の力があったからに違いない。でなければマーレッグに自分の刃が届いた理由は説明出来ないのだ。
「あの、僕やイルフォシアのそばに誰かいませんでしたか?」
「地上では貴方達3人が満身創痍で倒れてたのとマーレッグっていう奴の死体しかなかったわよ?」
「誰か他におられたんですか?」
サルジュとルサナが不思議そうに問い返してくる所を見ると彼女らとは遭遇していないのか。
「何だい?重要な人物であれば我が軍を使って捜索しようじゃないか。」
キールガリはさらりと軍といった言葉を用いてくるがそこまでしてもらうと恐縮してしまう。それに特徴・・・
「いえ、大丈夫です。ただ・・・そうですね。イルフォシアに似た男性でした。とても凛とした雰囲気で髪の毛や瞳の色がそっくりで真っ白な衣装を着ていて・・・」
「「「「・・・・・」」」」
わりと明確に覚えていたので事細かに説明し出すと周囲の雰囲気が怪しくなってくる。それから両脇にいた少女達がその雰囲気を代弁し始めた。
「クレイス様。そんな目立つお方が現れたら流石に誰かが気が付くかと・・・」
「・・・恐らく極度の疲労と重傷の御体で無理をされたから記憶が混濁して・・・」
「えっ?!あれっ?!」
いつもいろんな形でクレイスの肩を持ってくれる2人が疑問を口にした事でこの話は自身の望んでいない形で幕を閉じる事となる。
「まさかマーレッグが討たれるとは・・・」
任務に失敗した彼らは意気消沈したまま『七神』の館に戻ると円卓を囲みながら酒を酌み交わしていた。
マーレッグが『七神』に加入してからの2000年間は人間達の中でどれほど屈強な者が現れてもそれら全てを1人で討ち取っていた為、未だに信じられないというのが皆の心境だろう。
「地面に転がってた3人も瀕死だったのにどうやって一撃を入れたんだろうね・・・」
戦闘ではあまり役に立てていなかったセイドが最初に気が付いたものの余裕のなかったアジューズやフェレーヴァも地上での戦いに気を回す余裕はなかった為、彼の最後を見届けた者が誰もいないというのも悔やまれる。
『いつの間にか』だ。『いつの間にか』何者かの攻撃によって彼は倒れていた。
せめてクレイス辺りは攫ってくるべきだったかと後悔が過るもその『いつの間にか』の正体がわからないまま下手には動けない。
更に自分達が相手をしていた魔族2人も相当な猛者であった事もありこれ以上の犠牲を恐れた3人は一度撤退を選んだのだ。
「・・・ティナマの事を聞き出したかったのにそれも叶わず・・・わしらは一体何をしておるんじゃ・・・」
「アジューズ。そんなに自分を責めるな。むしろこれは一度剣を交えていたのにその力を見抜けなかった私の落ち度。2人とも、本当にすまなかった。」
瀕死ではあったものの地上の3人は以前も相対していた。といってもまともにぶつかり合ったのはクレイスだけでイルフォシアとルサナは勝手に戦っていたし、その時に誰かから格別強い力を感じる事もなかった。
言い訳をしても始まらないのは十分理解している。なので彼の悲痛な表情を見るに堪えなかったフェレーヴァは椅子から立ち上がると跪いて深く頭を下げたのだ。
「いいよいいよ。僕らは皆悠久の寿命に辟易してるんだ。案外マーレッグも終着点を迎えられて喜んでるんじゃないかな?」
そこにセイドが彼らしい慰め方をしてくれたおかげでアジューズも厳しい表情をやめて寂しい笑みを浮かべている。そうだ。我らの寿命は呪いに近い。
その束縛から解放されるのであれば友として祝うくらいでいいのかもしれない。
「・・・それで、これからどうする?一度ダクリバンも問い詰めてみるか?」
アジューズと一緒にティナマが戦った地を調べてすぐに感じた違和感。それは周囲が魔術によって破壊されていた点だ。
あの少年がそんな器用なものを使いこなすとは思えないしアジューズからみても周辺を破壊しつくした魔術は己を超えるかもしれないと言っていた。
恐らくティナマが戦っていた相手はヴァッツではない。
なのに何故ダクリバンはヴァッツの名前を出したのだろう?彼女が死んだと言った根拠は何だ?戦っている所を目撃すらしていないのでは?それらの確証が無いのであれば未だどこかで生きているのでは?
様々な疑問が浮かぶ度に彼への不信感が募っていく。だが3000年以上も『七神』として歩んできた仲間を疑いたくはない。
結局セイドやマーレッグも連れて4人でクレイス達への接触及び詰問。余裕があれば彼を拉致しようという話で行動を起こしたのだが蓋を開ければ大失敗に終わった。
「・・・いや、仲間を失っただけでなく疑ってしまった償いも込めてもう一度クレイスと接触を試みる。2人は帰ってくれて結構だ。」
「フェレーヴァ・・・お主死ぬ気か?」
アジューズが顔に深い皺を作って心配そうに見つめて来るが自分はそれほど殊勝な存在ではない。
「まさか。玉砕覚悟なんてマーレッグが聞いたら鼻で笑われるよ。アジューズは引き続きティナマの手がかりを探してみてくれ。」
「それじゃ僕からははい、これ。」
先程から話を聞きながらせっせと手入れしていたセイドはその剣を手渡してくる。
「おいおい。私が使うのは拳であって剣じゃないぞ?」
「知ってるよ。だからこそこれを誰かに使わせればいい。改良を加えてあるからどんな人間でもこちらの言う事を聞いてくれるようになるはずさ。」
「・・・・・ふむ。」
つまり洗脳のような形になるという事か。セイドは戦う力こそ弱いものの天族の力をこういう物に移して利用するのが上手い。
きっかけは『ユリアン教』の騎士達を見てとの事だが同じ天人族でもある自分にこの技術はない。これが個性の差なのだろう。
「ありがたく預からせてもらうよ。」
こうして彼らはマーレッグを弔った後、『七神』の新しい仲間と長の行方について調べる為にまた散り散りとなって活動を再開した。
セイラムには時を止める力だけでなく万里を見通す眼も持っている。
常に下界の、特に己の娘達の様子を見守っていたのだがこの日だけは介入する事を決意した。何故なら相手があまりにも強すぎたからだ。
最初こそ自身の手で粉々にしてやるつもりだったが満身創痍で戦う少年の鬼気迫る力に興味が沸いたので急遽計画を変更した。
(もしあの少年が倒れる事無く最後まで立ち向かうのであれば・・・その時は我が力を貸し与えよう。)
そしてクレイスは彼の思いに見事応えきった。イルフォシアの死を見届ける立場を完全に拒否し、命を含めた自身の全てを賭けた一撃に活路を見出だしたセイラムは一瞬で時を止めるとクレイスだけ動く事を許可する。
だがそれだけだと少しだけ自身の気が収まらない。なので多少の溜飲を下げる為にマーレッグの両腕だけは落としたのだが彼の少年は思いの外聡明だった。
「あ、あの・・・ありがとうございます。」
まさか時を止めている事に気が付いたのか?そんなはずはない。彼はヴァッツと違って普通の人間だ。いや、普通というには少し精神が強靭過ぎるか?
天族の中でもあそこまで手傷を負って戦おうとする者などそうはいない。そういった意味では彼を人間にしておくのは勿体ないと思うほどだ。
「こちらこそ、よくイルフォシアを護り通してくれた。礼を言う。」
問い返す選択はせず、敬意を込めて本心からそう答えると彼は力ない笑顔を漏らして倒れ込む。愛娘の為に全てを投げ打った少年を素早く抱きかかえるも彼は人間だ。もう長くはもたないだろう。
しかし日頃からイルフォシアの行動を見ていたセイラムは知っている。この娘は彼に並々ならぬ好意を抱いている事を。であれば見捨てる訳にはいかない。
今回の件も含めて実父であるセイラムはクレイスを高く評価している為彼が娘と結ばれる事に反対するつもりはなく、むしろ結ばれて欲しいとさえ願っているのだ。
(どうする?血を与えればもしかすると・・・・・)
人間は何かと吸収する生き物だというのは7000年前から知っていた。なのでセイラムの血を分け与えれば天族の力が宿って持ち直すかもしれないと考える。
だが自身も含めてこれ以上天族という存在を増やしたくなかったセイラムは躊躇した後、それを回避すべく己の指先から僅かに血を垂らすとクレイスの額に押し付けた。
直接体内に取り込みさえしなければ種族的な変化は起きないはず。あとは己の血が思惑通りに働いてくれれば。
複雑な気持ちと期待を胸に、これもお互いの試練だろうと言い聞かせたセイラムはその後誰にも認識される事無く天界へと帰っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます