愛すべきは -魔術師として-

 少年の異変に気が付いたのは海の巨大蛇を討伐した後だ。

元々水の魔術を使いこなしてはいたもののあれ以降クレイスの魔力保有量は格段に上がっていた。何せ海水の竜巻を3本も顕現させてみせたのだ。火球や水球で換算してもいったいどれほどの魔力を消費しているのか見当もつかない。

更に人外とも思える魔術の顕現化にも舌を巻く。自身が20年近く修練を重ねてきた展開力、解放速度を超えるものを既に身に着けていた彼はあの戦いを超えてからは想像もつかない力を手にしていたのだ。

故に毎日の立ち合い稽古はこちらも全てを出し尽くす。

技量はともかく魔術の基本能力が2つとも大きな差で負けているのだ。クレイスが未だによく理解していない為こちらも黙ってはいるもののこれを覆すには持てる知識の全てを使わねば到底敵わない。


ぼぼぼっ!!


火球が肩口に3発ほど当たって今日の立ち合い稽古も何とか形にはなったもののクレイスは痛痒に顔を歪める事なく残念そうに地上へ降りていく。

実際彼は戦士として最も重要な資質、痛みに強いというものも兼ね備えていた。バルバロッサの技術に任せた攻撃程度ではもはや痛みすら与えられないのかもしれない。


(・・・私は何という少年に関わってしまったのか・・・)


自身も魔術一筋で生きてきた為、とんでもない逸材を相手に腕を磨ける喜びはある。だが将来『ネ=ウィン』に大きな壁として立ちはだかるであろう少年を鍛えてしまっている事実も心に引っかかっていた。

しかし彼を母国へ連れ帰るという任務は頭の中から完全に消え失せており、代わりに弟子でもあるノーヴァラットにもクレイスとの立ち合いをさせてやりたいな、などと考える始末だ。

加えて海路を終えてからは海中に突き落とすという強引な修業方法もなくなった為連日彼との稽古に励んではいたのだが時折向けられるイルフォシアの視線には内心びくびくしていた。

彼女は見た目以上に強者であり天族という自分達とは一線を画す存在だ。もしかして彼我の差をとうに見抜いているのでは?と思うと目を合わす事は出来ない。




それでもクレイスらと旅を続けていた。


そんなある日、『孤高』である『悪鬼』ワーディライから聞きたくなかった名前が出てきたので思わず素っ頓狂な声を上げるバルバロッサ。

クレイスやイルフォシアが驚いたような、それでいて少しおかしそうな表情をしていたが今は構っていられない。

(・・・まさか・・・いや、やはり生きていたのか・・・)

彼女の最後を見届けたもののあの強さや異常性を考慮すると果たしてあれで幕を引いた事になるのか?というのはずっと頭の片隅に残っていた。

死体の処理も指示していたがその後の報告は受けておらず気掛かりではあったが、まさか海を渡ってきているとは驚きだ。


(・・・いや、驚いている場合ではないな。)


前回はクレイスが妙な力を使ってルサナを捻じ伏せたから収拾がついたものの今回もそれが働くとは限らない。

出来る限り自身は裏方に回ろうと思いつつも、もしまたクレイスがここで勝ち残ればいよいよ手が付けられなくなるという危惧も頭をよぎる。

ならば早めに優秀な目を摘み取るか?クレイスを盾にして上手く葬れば後顧の憂いはなくなるだろう。だがルサナという少女、何故かクレイスを気に入っている様子だったしもし彼が亡くなれば収拾がつかなくなるかもしれない。

そもそもイルフォシアの目もあるのだ。ここで見殺しにすれば彼女もどんな行動に出るかわからないし、少なくとも『ネ=ウィン』との婚姻話は絶対通らなくなるだろう。となれば仕方ない。ここはまた共闘するしか道はないか。

(・・・『血を求めし者』が穏便に来訪するなど考えられん。クレイスにはもっと技術面の指導を・・・)

自身の中の葛藤と失望に言い訳をしつつ、バルバロッサは翌日から座学の方向で力を注いでいくようになる。






 「御前試合ですか?」

ルサナの気配を感じないまま1週間が過ぎた頃、『ダブラム』国王がクレイスとバルバロッサの魔術稽古を見たいと命じてきた。

最近実践方式での稽古を行っていなかったせいかクレイスは目を輝かせてこちらの様子を伺っているが冗談ではない。

「・・・お断りすべきです。今はルサナの件もあります故。」

乾いた手ぬぐいが水を吸い取るかのように知識を吸収していくクレイスは既に自身の手が届かぬ高みにいる。ましてや王の御前だと最悪どちらかが死ぬまで戦わされる可能性もある。

バルバロッサは断固拒否の構えを示したのだが珍しくワーディライは申し訳なさそうに後頭部を手で押さえつつ焦る様子を見せている。

「う、うーむ。わしもそう言って断ったのじゃが国王が強く所望していてな・・・拾ってもらった恩もある為これ以上の反論が出来んかった・・・行ってちょっと戦ってすぐ帰ってくるという話で何とかならんか?」

詳しい話は知らないがワーディライは片腕と同時に生きる気力も失っていたらしい。それを拾い上げたのが現『ダブラム』国王メラーヴィ=ザ=ファ=ヒーヴァ=ダブラムだという。

小柄で人懐っこい彼は国民からも愛され『ダブラム』という地はほとんど争いが起きない国だったらしいが1年ほど前に突如北伐の行軍が始まった。

港を擁していた小国『ユリアン』公国は一瞬で蹂躙され、その勢いは砂漠の大国『フォンディーナ』に迫ったが大将軍ヴァッツの力によって跳ね返された事で一先ずの鎮静化には成功している。

「私も反対です。折角静かに暮らしていたのにわざわざここにいますよ、なんて喧伝する必要はありません。よろしければ私が断ってきましょうか?」

イルフォシアは芯が強い少女なので時折その言動には度肝を抜かれるがそれはワーディライも同じようだ。

「い、いやいや!何もお前が行かんでも・・・ううむ。わかった。もう一度だけ断ってみよう。しかし再度要請されれば今度は折れてくれんか?」

本当に頭が上がらないんだな、と不思議に思っていたが考えてみれば本来国に仕える将軍とはこういうものなのかもしれない。

こうして話がまとまったのは昼食を終えた午後過ぎであり、


「やっほー。きちゃった?!」


その夜非常に背丈の低く丸い顔の国王がワーディライの屋敷に姿を見せた事で周囲を驚かせていた。

「こ、国王様?!なぜここに?!」

隻腕の将軍が目玉を飛び出しながら驚くも肝心の国王はあっけらかんとした様子で不敵な笑みを浮かべつつそれに答え始める。

「だってワーディライが全然言う事聞いてくれないんだもん。だからお前の言い分を考慮してわざわざ足を運んだんだ。もう断らせはしないぞ?」

丸顔と低身長のせいで詳しい年齢は読めないが少なくとも口調が痛々しい。国王なのであればもう少し毅然とした立ち居振る舞いをするべきだろう。

自国の皇帝と比べたバルバロッサが少し訝し気な表情を浮かべるもこちらの心情などお構いなしに話はどんどんと進んでいく。

「というわけで今からやろう!食後の運動ってやつさ!」

闘技者2人の意見を全く聞く事無く国王がそう決定するとワーディライは頭を抱えつつ項垂れた。どうやら彼にはどうにもできないらしい。


「初めまして国王様。私は『トリスト』王国第二王女イルフォシア=シン=ヴラウセッツァーと申します。」


となればやはり出てきたか。挨拶も早々に非常に不機嫌な様子を隠そうともしないイルフォシアがつかつかと前に出てくると早速反論をぶち当てた。

「現在クレイス様はその御命を狙われているのですよ?なのにわざわざこの国で派手に行動させる意味がわかりません。私は強く反対致します。」

「・・・私も同意です。現在彼を狙う少女は我々ですら手に余るような怪物。もしあれを呼び込んでしまえば国が傾きかねませんぞ?」

決して誇張ではない。己の首を落としても尚生きて海を渡って来たのだ。情緒も不安定で決して飼い慣らせるような存在ではないだろう。

バルバロッサは彼女の意見を後押しする形で諫言してみるとワーディライも驚く様子を見せつつも深く頷いてくれた。これで少しは諦めがつくか?と思ったのだがこの小柄な国王には微塵も響かなかったらしい。

「だったらそれを呼び込んで2人で倒せばいいじゃん!いいねいいね!!楽しくなってきたね!!」

何もわかっていない小男が躍り始める様子を見せたので思わず蹴り飛ばそうかとも考えたがこうなっては仕方がない。

ずっと黙って様子を見ていたクレイスに手招きすると彼は静かに耳打ちしてこの厄介な国王をさっさと追い返す方法を提案した。






 悪知恵を働かせたバルバロッサの提案は1つだけだ。

「・・・我々が戦うには荒天の中でなくてはなりません。でなければ全力が出し切れない。それでもよければ今すぐ立ち会いますが?」

お互いが雷と水を使うという部分に無理矢理こじつけて天気の都合を条件に入れたのだ。

聞けばこの地は天候が荒れる時期というのも決まっているらしい。それが9月だという。であればまだ猶予は4か月近くあり、それまでに興味を失ってくれることを祈るだけだ。

「・・・何ならまた旅に出るのもいいだろう。」

「は、はぁ・・・・・」

座学の途中にそんなやり取りをするもクレイスは最近魔術を使った実践から離れているのが不満らしい。

「・・・お前はわかりやすいな。ではこうしよう。ルサナの件がしっかりと片付いたら立ち合い稽古を再開だ。それまでは知識を吸収しろ。」

そうやって言い聞かせると少年は気合を入れて勉学に励みだした。その様子を見守りながら自分もいよいよ覚悟を決めねばと決意を新たにする。


既に地力では大きく差がついているのだ。もはや力ずくで彼を母国へ連れ帰るのは不可能に近い。


であれば目一杯その能力を伸ばしてやろう。そして自分自身が納得のいく決着をつける。今のバルバロッサは目標をそこに定めて動いていた。




それからしばらくは平穏な毎日が続き、魔術での実践から離れていたクレイスがワーディライとの立会い稽古をはじめた頃。ついにそれは動き出す。




「ほほう?!いい天気になってきたではないか?!」

まさかルサナより先に天候が動くとは夢にも思わなかった。聞いた話だとごくごく稀に春の嵐と呼ばれる荒天が訪れるらしいがそれにしても運がない。

ワーディライの屋敷に来て以降、ずっと部屋に篭っていた国王メラーヴィが小躍りしつつ皆の前に現れるとクレイス以外は渋い表情を浮かべて顔を見合わせていた。

「さぁさぁ!!東の大陸に轟く『ネ=ウィン』の4将筆頭バルバロッサ!!その強さを存分に見せ付けておくれ!!何ならこの若造を殺してしまっても良いぞ?!」

なるほど。彼の情報は随分古いものらしい。といっても2人の力関係が逆転しているのを知っている者などバルバロッサ本人とイルフォシアくらいだろう。

それよりも問題すぎる発言にイルフォシアが怒気を巻き起こしているのに気が付いていないのか流しているのか国王の上機嫌は留まるところを知らない。

「・・・やれやれ。仕方が無い。クレイス、久しぶりの立会い稽古だ。容赦はせんぞ?」

不言実行というのも強者たる所以だろう。バルバロッサが切り替えて気合を入れるとクレイスの双眸にも強い光が宿る。

ワーディライだけはやっと国王の要望が通った事で一息ついていた様子だがこの日の御前試合は更なる不確定要素が加わる事で想像以上の死闘へと変わっていく事になった。






 かなりの強風が吹き荒れる中、横から打ち付けるような大雨と時折走る稲光が空をぱっと照らし出す。

別の角度から捉えればこの悪天候、視界も悪くなるのでルサナからの隠れ蓑という意味では丁度いいのかもしれない。

「お二人ともあまり無理はなさらず。あんな小男の意見など放っておいて普段通りの稽古でよろしいですからね?」

立会人を買って出たイルフォシアはそう告げてくれるが己にとってはクレイスと戦う最後の機会になるだろう。彼女には申し訳ないがここはその小男の意見通り、殺す勢いで立ち向かう事を選んだバルバロッサは今までと違い明確な殺意を開放した。

それを止めようとした第二王女をよそにクレイスも一瞬驚きはしたものの満足そうな笑みを浮かべているのは久方ぶりの魔術による立会いを渇望していたからか。

「うむっ!!では双方始めるがよいっ!!」

戸惑うイルフォシアを遮るように国王が元気良く開始の合図を送ると2人は一瞬で上空に飛び上がると早速バルバロッサが牽制の火球を展開、射出を始めた。

対するクレイスもこちらの手の内を知っている為その見せ球を上下左右に動きながら難なくかわすと水球、水槍で反撃を目論んだ。

なので今までとは違う一手。完全に相手の息の手を止める為の秘策を仕掛けるべくバルバロッサは隠し球である水槍を展開して見せるとクレイスは目に見えて驚く。


だが猿真似では太刀打ち出来ない。火球よりも魔力消費と展開力が必要な為クレイスが放つようなものは作り出せなかった。なのでその威力と規模を抑えつつ射出速度に振り切っての使用だ。


そして狙いはその動きを止める事。老獪というにはまだ若いがそれでも経験から相手を一瞬でも縛り付ける事に成功したバルバロッサはその隙を見逃さない。


びしゃんっっ!!!!


閃光と同時に激しい音が轟くと彼の両手から真横に雷が放たれる。目視で捉えた時には既にその攻撃はクレイスの胸元へと突き刺さっている。

雷の魔術は『ネ=ウィン』の東にある雷峰と呼ばれる場所で10年修業することでようやく手に入れた正に伝家の宝刀だ。

威力もさることながら光と同じ速度で相手を貫くこの魔術。多大な魔力と錬成時間を必要とする弱点をバルバロッサは魔力の展開経路を2つ以上作り出す事で補ったのだ。


ただし彼の魔力量はクレイスのそれには及ばない。


確かに胸元へは当たったが本人は痛みよりもただただ悔しそうな表情でこちらを見つめてくる。


(・・・いくら技巧でも無力化出来ねば意味がない・・・か)


「そこまでっ!!!勝者バルバロッサ様!!!」

この日己の無力さを痛感したバルバロッサはクレイス以上の無念を抱きながらも今後来るであろう彼の時代を想像するとほんの少しだけ心が晴れやかになっていった。




「やっぱりクレイス様はここにおられたのね?!」




しかしその心も聞きたくなかった声により現実の天気と同じ模様へと一瞬で変化してしまう。






 ちらりと視界に捉えた小男はこちらの状況など知る由もないのだろう。2人の戦いを見れたことに地上ではしゃぎまわっている。

対して上空ではクレイスとイルフォシアが身構えつつバルバロッサの後方に意識を向けているのはそこに本当の敵が存在しているからだ。

(・・・全く、最後の最後でやらかしてしまったな・・・)

元々自分の性格が不器用なのは知っている。が、まさかこの悪天候の中ルサナに見つかってしまうとは。

いや、本来ならその可能性を考慮してもっと低空か地上限定で戦う事も出来た。なのにお互いが勢い良く上空へと飛び上がってしまったのは2人が全てをぶつけたかった為なのだ。

誤魔化し無く本気で立ち会いたかった。それが叶ったのだから後悔など以ての外だろう。

であればこの次にやる事は1つしかない。


バルバロッサが静かに振り向きつつ距離を取ろうと試みたが思いの他ルサナとの距離は近い。それこそ彼女が赤い血で出来た刃を顕現すれば体を一瞬で貫かれそうな程に。


クレイスとの立会いに必死で全く気が回らなかった自己責任ではあるがこいつの凶刃に倒れるくらいならクレイスの魔術で滅びたかった・・・

半ば諦めの心境で傍から離れるべく後方に移動し始めるとそれが合図となったのか、ルサナが目を真っ赤に染めて右手から赤い刃を作り出した。


ぎゃりりっ!!!!


刹那で眼前に飛び込んできたイルフォシアが同じくいつの間に顕現させたのか。いつもの長刀を手にルサナへと斬りかかっている。

その瞬間生を掴み取ったと確信したバルバロッサが瞬時に魔術を展開するとクレイスもそれにあわせて水球を撃ち放った。

「ちょっと?!クレイス様、私よ?!ルサナよ!!あれだけ優しくしてくれたのにお忘れなの?!」

その辺りの事情がバルバロッサにはわからないが、もし自身の知らない場所でイルフォシア以上に愛情を注いでいたりしたのであれば彼女が何故海を渡ってまでクレイスの下にやってきたのかは理解出来る。

「・・・おいクレイス。貴様イルフォシア様を差し置いて別の女に手を出していたのか?」

「そ、そんな訳ないでしょう?!僕の心はイルフォシア様だけしか愛せません!!」

おお。そこまで言うか。予想を遥かに超える答えを受けてバルバロッサは軽く感動を覚えるも名指しで愛を告げられたイルフォシアは悪天候の中でも赤面しているのがわかるし振られた形になったルサナは逆の意味で顔を真っ赤にしている。


「・・・・・クレイス様・・・・・私を、私の心を弄んだのぉぉおおおオオオッ?!」


まだ13歳とかそこいらの年齢だろう?体の関係も持っていないはずなのに何をほざいているんだ?

思わず声に出して突っ込みたかったが逆上したルサナの怒りはまるで荒天を表すかのように激しい叫び声をあげるとその背中から6本の赤い刃、いや、紐か鞭のようにしなやかなものが生えてきたではないか。

いよいよ人間離れし始めた彼女を前に3人は臨戦態勢を取るも6本の刃は真っ先に近距離にいるイルフォシアへと襲い掛かる。

だが天族は伊達ではない。上下左右と後方からその身を貫かんと放たれたそれらの動きを瞬時に判断すると右手の刃を払いのけた後とんでもない速度でルサナの後方に回り込んで反撃を試みた。

しかし6本の刃は瞬時に縮んで本体付近に戻ると防御態勢に入ってそれを受けきってしまう。本来の手足も相まってまるで蜘蛛のような姿へと変貌を遂げた彼女は心なしか顔までもが異形のように醜く歪んで見えた。






 考えてみれば以前のルサナは空を飛べなかったはずだ。なのに今では人間と大きく離れた形態まで手に入れてイルフォシアと刃を交えている。

何とか助太刀をしようとバルバロッサも機を窺うが相手の手数は7本まで増えており下手な横槍は手痛い反撃を受けかねない。

だが彼には1つだけ策があった。それがクレイスだ。

「・・・何をボーっとしている。お前の大切なお方が危機に晒されているのだぞ。その身を挺してでも御護りするのだ!」

こちらは機を窺うというより知人であるルサナに攻撃をするかどうかで迷っていた様相だったので思い切り背中を叩いて発破をかける。

彼女の様子から姿形は変貌していてもクレイスへの心は残っているらしい。ならば彼を参戦させる事でその気を逸らせればと考えたのだ。

未だ迷いがあるらしいが大切な人間の危機と言われれば動かざるを得ない。覚悟を決めたクレイスも多少の手心が見えるものの水球を展開してルサナの側面から放つと相手の動きに陰りが見えた。

(・・・今ならいけるか。)

バルバロッサは気配を殺しながら静かに上空へと上がっていくとルサナの真上に陣取る。イルフォシアへの激しい攻めとクレイスには遠慮しがちな動き、この2つの要素から彼女は刃こそ振り回してはいたものの体幹の動きは非常に緩慢であった。

つまり体の中心はほとんど動いておらず狙いやすい。放つなら今しかないだろう。

両手を真下へかざして残りの魔力を雷の魔術に注ぎ込む。先ほどの立会いと違って一撃の威力に特化させる為時間をかけて錬度を上げるとこちらを気取ったのか、紅い目をしたルサナが顔を向けて睨みつけてきた。

「上で何かしている・・・・・?目障りねっ?!」

背中から生えた一本が天をも貫く勢いでこちらに迫ってくるとバルバロッサも全力でそれに応える。


っびしゃんっ!!!


荒天のせいもあってか普段以上に強い雷が彼の手から落ちると赤い凶刃を勢い良く真っ二つに割りながら彼女の胴体へ着弾した。

「っがっ!!」

短い悲鳴と共にその動きが完全に止まる。中途半端な気持ちで参戦していたクレイスはそれを見て思わず手を伸ばしていたが天族であるイルフォシアは違う。


ざしゅっ!!!


一瞬の隙を突いてルサナの左肩口から斜交いの右腰部まで斬り下ろすと『血を求めし者』は真っ二つに割れて地上へと落ちていった。


「バルバロッサ様。ご助力感謝致します。」

呆然としているクレイスをよそにイルフォシアは王女らしく、そして戦士らしい振る舞いをみせてきたのでバルバロッサも軽く頷いてそれに答えたがどうしても危惧される点があったのですぐに告げる。

「・・・こちらこそ、イルフォシア様のお力添えがなければあれは倒せませんでした。しかし油断なさらないように。あの少女は首を落としても尚平然と我々の前に姿を現したのです。あの状態でも襲ってくる可能性があります。」

「「えっ?!」」

少し離れた場所のクレイスからは驚きと希望を感じる声が、そしてイルフォシアからは驚きと恐怖に満ちた声が届けられると案の定、地上から6本の凶刃がこちらに向かって伸びてきた。






 ルサナはクレイスを傷つけるつもりはないらしい。赤い6本の凶刃はバルバロッサとイルフォシアにだけ確たる殺意を持って襲い掛かってきている。

いくら空を自由に飛びまわれるとはいえ近接攻撃を凌ぐ能力に乏しいバルバロッサは急いで上空へと退避したがイルフォシアが全てを払いのけてくれたのでほっと胸をなでおろす。

だが魔術師である彼にでもわかる。その刃達は力を相当失っていた。むしろ体を真っ二つに斬り裂かれているのにこれだけの反撃をしてきた方に驚くべきだろう。

「クレイス様。私は彼女を完全に始末します。お辛ければどこか遠くへ避難なさってて下さい。」

手傷を負わせて戦力を半減させているとはいえイルフォシアに油断はなく、バルバロッサの言っていた事を深く理解したのかその双眸は青く光っていた。


・・・・・今度こそ幕が引くだろう。


逆に僅かな油断が生じていたバルバロッサは邪魔にならないようにとクレイスの傍へと向かったがそれでも上空で怪しい影を捉えると一瞬で気を張り詰めなおす。

いつの間にか彼の後方斜め上には自身に似た影がいるではないか。敵味方の判断もそうだが前提として空を飛べる存在は少ない。一応自身の側近を忍ばせてはいるが彼らには自分が合図をするまで姿を見せないように厳命してある。

地上のルサナはイルフォシアに任せてまずは謎の存在に声をかけて正体を掴むべきか。そう判断したバルバロッサが気持ち急いで傍へと近づいた瞬間。


すぶぁっ・・・!!!


半ば放心状態だったクレイスの背後から拳が放たれた。声をかけてからでは遅いと判断して残る魔力を振り絞り加速したバルバロッサはその勢いで彼を突き飛ばすと正体不明の相手による攻撃が自身の右胸を貫く。

「・・・お前は・・・バルバロッサだったか。まぁこれでも土産にはなるだろう。」

聞いた事の無い声だが確かな強さを感じた。現に自身の胸は風穴が開いておりもはや余命幾許もないのだ。だったらせめて名を聞きだしたい所だが声を出そうにも肺が潰れており呼吸すらままならない。

「バ、バルバロッサ様っ?!?!」

(・・・私がいなければ死んでいたぞ?!)

この少年は潜在能力こそ素晴らしいが如何せん戦いへの心構えが未熟すぎる。叱り付けようにも声が出ず、今まで口数の少なかった人生を初めて後悔したバルバロッサはむしろその過去を思い出すと軽い笑みが零れる。

「一応首は貰うぞ?でなければ仲間も納得してくれないだろうしな。」

それにしても相手の男のなんと言う物言いか。自分は戦闘国家『ネ=ウィン』の4将筆頭バルバロッサ。他国はその地位と名を聞いただけでも震えて慄く存在だというのに。


「お、お前は・・・いきなり現れて、お前は何だっ?!?!」


先ほどまでと違い容赦なく全ての魔力を開放したクレイスは激しく激高した様子で男を睨み付ける。みれば悪天候を利用しているのか海上で見せた水竜巻を5本も展開し、手には元服の儀以降見なかった水の剣まで握られていた。

「おお?クレイスという少年はヴァッツの友でありながら最も弱い存在だと聞いていたが・・・ふむ。」

これだけの魔術を前に余裕を持っている事と話す内容、黒衣の外套から判断するに奴は『七神』の関係者だろう。

それらを伝えるべく、飛んでる事すら辛くなってきたバルバロッサが側近を呼ぶために懐の炸裂弾を手に取った瞬間。彼は今までの人生で最も素晴らしい場面を目にしていた。






 水竜巻はまるで巨大な生き物のような動きを見せると一斉に黒い外套の男へと襲い掛かる。同時にクレイス本人も水の剣や水槍を放ちながら一気に懐へ潜り込んでいくのだからバルバロッサも大きな畏敬を胸に2人の戦いを食い入るように見つめる。

対する『七神』の男もそれを真正面から拳で対抗しているのだから双方共々恐ろしくも神々しい。

一体、また一体と水竜巻が消魂しい音と共に破裂していくがあれらは魔力の結晶体だ。すぐに形を整えて再度襲い掛かるだけではなく、近接戦ではクレイスが右手の剣を連続で振るっていた。

(・・・い、いかん。奴の拳を食らえばひとたまりも・・・)

先ほど自身が貫かれた為その威力は十分知っている。今ここでクレイスまでも散らす訳にはいかないのだが助言しようにも声が出ず意識も朦朧としてくる。

歯がゆく思っていたが彼もバルバロッサが思っていた以上の成長を遂げていたらしい。見れば左手には以前見た水の盾ではなく水球を纏っていた。そして相手の絶命必死な拳をその小さな水球で受け止めたのだ。

もちろん完全に受け切ることは難しかったみたいだがそれでも左手が吹き飛ぶ様子もなく、多少弾かれはしたものの見事に相手の攻撃を凌ぎ切っていた。

(・・・ク、クレイス・・・お前という少年は・・・)

恐らくあれは連日座学で教えていた魔力の応用展開だ。大きさこそ普段展開している水球と変わりないがその密度を大幅に高めているのだ。なので威力の高い相手の拳にも対応出来ているのだろう。

防御面を最小限の魔力で補いつつ攻撃面に魔力を振り切った戦い方は今の彼の激情を表しているのかもしれない。だが見ているこちらは心配で仕方が無い。

何せクレイスの近接戦闘はまだまだ大した事がないのだ。いや、一般兵卒よりは上だろうが今の相手に通用するとは思わないし思えない。


(・・・ま、まずいぞ。もう少し遠距離からの攻撃に切り替えねば手痛い反撃が・・・)


瞼も体も重くなってきたバルバロッサが必死に叫ぼうとするもそれが届く事はなく、『七神』の拳が数を増してきていよいよクレイスの防御を貫こうとした時。


「・・・ウンディーネッ!!!僕に力を貸してっ!!!!!」


突如水球を展開していた左手が眩く光るとそこに両手を添えた半人半魚の少女が姿を現したではないか。

「あれっ?!?!って、クレイス!!こいつは・・・・・危険なのっ!!!」

呼び出された本人も訳が分からなかったらしいが一瞬で状況を判断するとクレイスの左側で彼と似た魔術の数々を展開しては『七神』の男へと撃ち放っていく。

それほど余裕があった訳でもない相手はあっという間に劣勢へと追いやられると防戦一方の展開になった。こうなればあとは討ち崩されるのも時間の問題だろう。


だが一筋縄でいかないのが天人族なのだ。


敵は地面へと急降下するとその存在を忘れていたメラーヴィの襟首を掴んで後を追って来ていたクレイスへと放り投げる。

ここで国王を放置しては地面に激しく激突してしまう。バルバロッサであれば知った事ではないと追撃に入っただろうがクレイスが慌ててそれを受け止めると『七神』の男は忽然と姿を消していた。






 魔術師としての人生も幕引きを迎えている。


バルバロッサは側近達を集めると静かに筆を取り始めた。といっても継ぐ内容などそんなに多くない。

愛弟子であり恋人のノーヴァラットへ宛てた手紙とネクトニウスへ帰還出来なかった謝罪文は以前から認めてある。後は・・・・・




「2人共いい加減にしてっ!!!!!」




黒い外套の男が忽然と姿を消してからもイルフォシアとルサナがまた矛を交えようとしたのでクレイスは憤怒に任せてそれを止めると2人の少女は一瞬で闘気を引っ込めて畏まる。

いつの間にか雨風は止んで雲の合間からは光が差し込み始めている。

真っ二つに割られたはずのルサナが元通りになっているの見てほんの少しだけ羨ましく感じつつも一番傍では最も沢山の事を継げたい少年が大粒の涙を零して泣き声を上げていた。

(・・・王子であり魔術師でもある男が簡単に泣くな・・・)

それも書き記そうと筆を走らせるももはや自身が文字を書けている感覚はない。実際その紙面にはただただ薄くなった墨の線が力なく走っているだけだ。


立ち会って負ける日が来ればクレイスに自身の人生を賭けて作り上げてきた研究書を渡す。これは海を渡る前から決めていた事なので遺書として残っている。

だがまさか彼を庇って命を落とすとは夢にも思わなかった。笑えない冗談だなと心の中でぼやきつつ最後の最後で魔術師の最高峰を垣間見せてくれたクレイスには感謝しかない。

この少年は間違いなく世界の頂点に立つ。残念だがナルサスでは到底太刀打ち出来ない高みへと登りつめるだろう。

そしてその一助として関われた事こそが魔術師である自身の誉れなのかもしれない。


筆を止めて最後はクレイスの頭を初めて撫でた後、『ネ=ウィン』4将筆頭バルバロッサはその人生に大きな満足感を抱きながら静かに息を引き取っていった。

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