動乱は醜悪ゆえに -妻と夫-

 『ジグラト』の王子ハミエルはリリーが自分の嫁に来ると信じて疑わなかった。

そんな楽観的な彼が彼女を迎えるにあたって建設したのが小さな宮だ。といっても造りは絢爛豪奢であり使用人は全て自身の愛妾達という見目麗しい空間に仕上がっている。

これをリリーに宛がえば彼女の美しさはより際立つだろうし大層喜ぶに違いない。『周囲の美しさなど君を引き立てる小道具に過ぎない』殺し文句も完璧だ。

(あとは衣装だな。リリーには何でも似合いそうだがこの世界で最も美しい衣装があればより一層輝きを放つに違いない。)

勘違いで痛々しい性格を誰一人咎める事無く彼は伸び伸びと成長してしまった。結果見事な踊りを披露する滑稽な後継者として誕生したわけだがこの時はまだ気がつけなかった。


事なかれ主義が生んだ大いなる邪悪。その芽が国の根幹へと根を張り続けていた事に。








『ジグラト』現国王サーディウォンは形骸化した王族の中で最も優れていると言われていた。

ひたすら波風を立てず、問題を起こさない臆病な性格に加えて人が良い。利用する側からすればこれ以上扱いやすい人物は歴代でもいなかったはずだ。

国に仕えているはずの為政者達は全て国内外の富豪や財閥とそれぞれ独自の人脈を築き上げており彼らの富を肥やす為だけにその権力を行使する。彼らも見返りとして為政者達に多額の金を支払う。

そのような関係が続いて150年。既に『ジグラト』国内に自国を憂う人物は数えるほどしかいなくなりその内政は『ジグラト』以外の為に整えられていた。


サーディウォンの優れている点は他にもある。それは享楽に走らないところだ。

歴代のお飾りだった国王達もそのほとんどが害にはならなかったが周囲にとっては下手な行動は目障りでしかない。国王はただ座っているだけでよいのだ。

そんな彼らを強く縛り付ける方法が酒と女だった。若き頃より酒色に溺れさせて知識や知恵を得る機会を摘み取っていく。

そうする事でお飾りの国王は人語を話すだけの愛玩動物のようになる。この状態で数十年玉座にさえ座っていてくれれば一部の人間達は安泰なのだ。

しかしこの方法だと餌代も馬鹿にはならない。いくら自分達の家や富を築き上げる為とはいえこの出費は大きかった。


そこにきて現国王サーデォウォンの慎ましやかな生活が周囲に光明を照らす。

彼は厳格な家の娘を嫁にして以降その恐妻から様々な圧力をかけられ続けて愛妾はもちろん満足に外を出歩く事すら許されなかったのだ。

お蔭で国庫から彼に使われる資金は最小限で済んだ。為政者達は願う。出来うる限り玉座に座り続けてもらわねばと。


そんな名傀儡の王妃、名はブリーラ=バンメアという。

一時期はその美しさから国の宝と謳われ、時に同世代のアン女王と比較される事もあった彼女には生来から人の心というものが存在しなかった。

サーディウォンも結婚当初こそは喜んでいたものの夫婦の営みなどはほとんど許されず妾を持つことも禁止されている。ブリーラのお腹に息子であるハミエルが宿って以降彼は女を抱いていないという。

国王がもう少し強く当たれば別の道が開けたのかもしれないが彼は事なかれ主義の中で育った生粋の腰抜けだ。

対して王妃は美しさから存分に持てはやされて育った歪な自尊心だけを持つ怪物。結果2人の子は母からは虚栄の自尊心を、父からは生粋の無能を引き継いで育っていった訳だ。

それでも周囲にとってはどうでもよかった。いや、むしろ腰抜けの無能が後継者なのだ。内心ではもろ手を挙げて喜んでいた。


これでこの国もしばらくは安泰だと。誰もがそう信じて疑わなかったのだ。






 絶壁の上にある巨大で歪な国はそよ風程度で倒壊する。そんな当たり前の事からも目を逸らしていた為政者達はある日国王の蛮行に驚いていた。

いや、蛮行とは行き過ぎな表現か。息子が作った宮の中でいたく気に入った愛妾がいたらしくそれに手をつけただけだ。

国王という立場から考えてもおかしなことではない。歴史の中には息子の嫁を愛妾にした王もいるのだ。むしろハミエルが宿って以降、実に30年近く妻と性交をしていない国王に皆が同情をしていたくらいだった。


だが恐妻はこれを許さない。


すぐに国王を問い詰めると同時に彼を捕縛、息子に件の愛妾を引き連れてくるよう厳命した後、国中の為政者達が玉座の間へと集められる。

「一体何事でしょうな?」

「本当に、ねぇ?」

一連の動きが早過ぎてこの時は呼び出された誰もが詳しい事情を知らなかったが、その中にはカーチフの妻ケディの姿もあった。

彼女は最北の交易都市ロークスからわざわざ3日ほどかけて王都にやってきたのだ。周囲にも辺境の都市から足を運んだらしい人物がちらほらと見える。

恐らく国中の責任者を召集したのだろう。しかし夫からは何も聞かされていないのでそれほど大した内容ではないはずだ。

王妃が姿を現すまではそう思っていた彼女もまた、事なかれ主義に染まっていた1人なのかもしれない。




かなりの人数が玉座の間に通されてからしばらくするとまずは王妃が姿を現す。それから後ろ手に縛られた国王が衛兵に引っ張られて姿を現した事でやっと少しの違和感を覚えた重臣達。

だがこの時点でもまだ『少し』しか違和感を感じないのだから彼らの思考力は既に死滅していると言っても良い。

それからハミエル王子がこれまた両手を縛られた女性を引っ張りながら姿を現すと王妃ブリーラがこちらに向けて語りだした。

「皆様、此度は我が夫サーディウォンが不貞を働いた事、深くお詫び申し上げます。」

ケディにはさっぱりわからなかったが中にはそれが何を意味するのかを瞬時に理解して軽く頭を振る者もいた。

「よって国王サーディウォンはその権威を剥奪、我が夫を唆した罪人には罰を与えます。」

隣のほうから囁く声が聞こえてくるとやっと国王が愛妾に手を出したのだと理解が追いつくも他国では当たり前の事である。ケディはそんなくだらない事の為に皆を集めたのか?と小さな怒りが湧き起こるも次の瞬間それは跡形もなく消え去った。


衛兵から手渡された長剣を王妃自らその手に握って愛妾の前まで歩いていくと、


ざしゅっ・・・・・


齢50を超える、しかも武術を嗜んでいるなど聞いた事のなかった彼女の剣は見事に愛妾の両脚を太腿から切断していた。


「っぎゃぁぁあああああ!!!」

どんっという音と共に床へ倒れると愛妾は突然の凶刃に襲われた痛みと混乱から泣き叫ぶ。ここでも事なかれ主義の影響か、彼女は速やかに許しを請うといった行動は取れなかった。いや、もし許しを乞うたとしてもそれは無駄だったかもしれない。

まさか自分が・・・いきなり剣で斬り付けられる・・・そんな事は日ごろぬるま湯に使っている為政者を含めて誰も思いもしないに違いない。

両手を繋がれていた縄を王子が軽く持ち上げると王妃は躊躇う事なくその両腕をも切断する。


『ネ=ウィン』との軍事同盟を結び、久しく戦禍と無縁だったここ『ジグラト』の国内で有事以上の惨劇が目の前で繰り広げられている事に理解が追いつかない重臣達。

それもそのはず、最近では軍事力や武力などは野蛮であり不要などという論調まで起こっていた始末だ。

王妃は罰と言っていたが本来罪人の刑罰は法に則り担当の人間が行うものであり、いくら王族といえこんな無法が許される訳がない・・・

自我を保つ為辛うじて自身の常識に縋りつくケディ。だが王妃の行動はここで終わらなかった。

今度は妙な異臭とともに大きな木箱が運び込まれてくると四肢を失い悶絶していた愛妾に向かってそれをぶちまける衛兵達。恐らく糞尿の類だろう。

汚物に塗れた女性を前に皆が目を背ける中、王妃はその顔を思い切り踏みつけながら静かに吐き捨てる。


「おや?誰でしょうか?こんなところに汚物を撒き散らしたのは?速やかに厠へと片付けなさい。」


血と脂がこべりついた長剣を衛兵に手渡しながらそう言うと愛妾は糞尿ごと掬って木箱に入れられる。そして何事もなく玉座の間から運び出されると耳の痛くなるような沈黙と鼻が曲がりそうな匂いだけが残った。

「不貞を働いた夫は懲罰房へ。以後この国の王位はハミエルへと移します。いいですね?」

涙と鼻水と涎という汁で顔面を満たしていた国王は表情も虚ろにただ頷いているだけだ。


突然行われた残忍な見世物に誰もが口を挟む事が出来なかったこの日以降、傀儡が着飾っていた権力は狂気の人物が握るようになっていく。






 シャルアとサファヴに気を使ってしばらく家には帰らないでおこうと決めていた事など忘れて放心状態のまま馬車を村へと走らせるケディ。

生まれて初めて目の当たりにした人とは思えぬ行為は脳裏に焼きついたまま何度も反芻された為心が静まる事はなく意識も朦朧としていた。

(あの人に・・・会いたい・・・)

こんな時カーチフがいればどれほど心強いか。彼は現在世界で最も強いと言われている男だ。例えあの王妃の狂気がこちらに向いたとしても彼が護ってさえくれれば絶対に安全だろう。

今まで『リングストン』の独裁国家や『ネ=ウィン』の苛烈な戦闘国家など極端な一極集権政治を見聞きはしてきたものの全て他人事だと勘違いしていた。

まさかいきなり自国でこのような事が起こるとは思いもよらなかった・・・いや、そういった考えこそが事なかれ主義に染まっていた証拠なのだ。

そして同時に疑問も浮かぶ。


いくら国王が愛妾に手をかけたからといってそれを理由に王妃が権威を奪うことなど可能なのだろうか?


今日行われた見せしめの刑罰はどう考えてもやりすぎだ。確かに重臣を含め彼らを恐怖で縛る事は出来るかもしれないがそれは一時のものに過ぎないはずだ。

決定権こそ国王が持ってはいたもののそれが形骸化している事くらいケディですら知っていた。内政を握っているのは他の為政者達なのだ。彼らを囲い込まねば真の権力掌握とはならない。

恐怖から逃避する為にこれからの事をずっと考えて馬車を走らせているといつの間にか夜が開け、見覚えのある場所に入っている。

馬の事を考えると休憩を挟むべきだが止まれば後ろから王妃の手が伸びてきそうな錯覚に囚われていたケディは迷わずに手綱を打った。


人馬諸共へとへとになりながら自身の家へ辿り着いた彼女は慌てて扉を開けると倒れこむように中へ入る。

「お、お母さん?!いきなりどうしたの?!」

時期が2月という事もあって農作業を休んでいた婿も家にいたらしい。2人が慌ててこちらの体を支えてくれるとやっと安心したケディはそのまま気を失うかのように眠りに着いた。




どれくらい眠ったのか。目が覚めた時にはそばに座るサファヴがこちらを心配そうに見つめていた。

「あ、お義母さん。目が覚められましたか。」

「おお。よかったよかった。帰って来たと思ったらいきなりぶっ倒れたと聞いて心配しとったんじゃぞ?」

奥の食卓からは長老の声も届いてくる。どうやら自分が慌てて帰郷した事は既に村中の噂になっているらしい。

「本当よ!お母さん周りには心配かけないでって言うのに自分の事になると見境無くなるんだから!で、どうしたの?」

娘が村長と共にこちらの寝室に入ってきて椅子に腰掛ける。見れば空が暗くなってきているもまだ時間的にはそれほど経っていないようだ。

「あのね!王妃様がご乱心でね!そのね!!」

ただ疲れからか思考は元に戻っておらず、まるで少女のような言葉使いと話す内容に3人は目を丸くしてこちらをみている。

「お母さん、まだ疲れてるのなら今日はゆっくり休んで。話の続きは明日でもいいから、ね?」

「ええっ?!で、でも・・・急がなきゃいけない気がするの!!あのね!王妃様が暴虐な行動に走ってね!国が、『ジグラト』が危ないの!あの人!カーチフはどこ?!」

心ばかり焦って上手く口が回らない。ならばせめてあの人が傍にいてくれたら・・・いてほしい。ケディの縋るような様子に困り果てたシャルアが代表して口を開く。

「お父さんは今『ネ=ウィン』に呼び出されているわ。何でも4将筆頭のバルバロッサ様がしばらく不在になるだろうからって臨時で御傍に付くよう命じられたんだって。」

この世で最も頼りになる夫とはしばらく会えそうもないらしい。普段ならお互いが立場のある身の為弁えてはいるのだが今の彼女は生まれて初めて感じた底知れぬ恐怖に心身が支配されている。


「わかりました。お義母さん、俺が今から『ネ=ウィン』に行って呼び戻してきます。だがら安心して少し休んでください。」


だが普段のケディから考えられない様子を察した婿がすぐにこちらの気持ちを汲み取ってくれた。やっと一安心したケディは娘に手を握られたままぐっすりと眠りにつく。








その頃『ネ=ウィン』には『ジグラト』から届いた召集令状という物々しい書状について会議が行われていた。






 「召集令状・・・何だ?宣戦布告か?」

冷酷で短気な皇子がまずは青筋を立てながら周囲に確認を取る。

「い、いや!こ、これは何かの間違いでは?」

側近であるビアードが機嫌をなだめようと反論するもその内容には説得力が皆無だ。

現在『ネ=ウィン』ではとても他国に送りつける内容ではない書状を前に皇帝や皇子、皇女と4将の面々が円卓を囲んで頭に血を上らせていた。

バルバロッサが留守の為代理としてカーチフがこの場に姿を現していたのも間が悪い。単純なフランドルなどはこちらを睨み付けるように視線を向ける。

「いやはや。うちの王妃は何を考えているのやら・・・」

カーチフとしてもとぼけて答える以外にはない。そもそも『ジグラト』から波風を立てるような事は今まで一切したことがないしこれから先もする事はないだろうと高を括っていた。

国王は見事な事なかれ主義の権化であり為政者の良い操り人形だった。ケディもそれを懸念してはいたものの急激な改革は甚大な犠牲が出るだろうと修正案を出せずにいたのも知っている。

最近だと曲者ではあるがナジュナメジナが協力者として数えられるようになりせめてロークスからでもと少しずつ条令などを画策していたらしいが・・・。

(王妃・・・王妃か。)

「カーチフよ。このブリーラ=バンメラという女は何なのだ?」

皇帝も差出人が気になったらしくこちらに尋ねてくるも、これにも明確な答えを持ち合わせていなかったカーチフは言葉を濁す。

「厳格な家の出らしいですが今まで目立った行動は起こしておりませんでした。私の知るところですとそうですね・・・夫をひどく束縛していたらしく愛妾を持つ事すら許さなかったとか。」

「あら?それを聞くだけでも相当危険な女性のように感じますわ。」

ナレットが黒い扇で口元を隠しながら目を鋭く光らせる。カーチフとしてはただの嫉妬程度にしか思っていなかった為意外な指摘に思わず唸る。

「兎にも角にも父上。この書状にはカーチフの名も記されている。この後すぐに用意を済ませて出立したいのですが構いませんか?」

そうなのだ。何故か自分の名が記されているから余計に風当たりが強いのだ。確かにバルバロッサが命令を受けて国を発ち1か月は経過している。

その間カーチフが4将代理という扱いで『ネ=ウィン』に呼ばれていたのも『ジグラト』の人間なら知ってはいるはずだが何故この時期に?

「うむ。今回ばかりは看過しかねる。カーチフよ、すまんが共に向かってくれ。」

「はっ。」

この最悪な場所からさっさと抜け出したかったカーチフは二つ返事で了承する。

「父上。そのブリーラという女、私も興味があります。是非ご一緒させていただいても・・・」

「ならぬ!」

すると皇女が間髪入れずに皇帝へ願い出るも同じくらいの速度で強く否定された事で珍しく拗ねた顔を見せていた。

(ナレットほどの曲者が気になる王妃か・・・これは母国の一大事なのかもしれんな。)

強さこそ天下に轟いてはいたものの彼自身にも事なかれ主義の血は流れている。もう少し考えを巡らせておけばと後ほど後悔するものの後から悔いる事しか出来ないからこその後悔なのだ。




会議が終わってから2時間後。皇子とカーチフ、そして念の為とフランドルを乗せた大きな馬車は一路西の『ジグラト』へと旅立っていった。

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