旅は道連れ -代償-

 クレイスは魔力の全てを注いでサヴィロイの村まで戻ってきた。上空から彼女の家近辺を見下ろすとそこかしこに干乾びた死体が転がっている。

(やはりそうか・・・)

あの短剣でどうやったら大量の血を抜き取れたのかをずっと考えていたクレイスは後悔の念で胸が締め付けられる。

彼女が生きているのかを確かめるのが怖かったが考えれば今まで神父が娘に手をかける事はなかったのだ。だとすればやはりルサナより村の犠牲者が問題か。

現在この村でどれくらいの生存者がいるのかわからないがそれでも僅かに希望が持てると勢いよくその扉を開けて中を確かめてみる。

「・・・・・ルサナ?いる?」

だが家の中は既にもぬけの殻となっていた。ここにいないとなるとウラーヘヴと一緒に行動しているのかもしれない。

室内の全てを確認しながらクレイスはこれまでの考えをまとめ始める。


イルフォシアも言っていたようにバルバロッサの名はその実力と共に知れ渡っている。彼がこの村の捜査に当たるとなればウラーヘヴも相当焦ったのは間違いないだろう。

なので事件が解決したかに見せかける為あえてあの場面で短剣を振り回したのではないだろうか。

村全体が解決だと判断すれば4将筆頭に頼る事も無く、クレイスとイルフォシアもそのまま村から再出発出来る。


クレイスですら簡単に倒せそうだったウラーヘヴの素人くさい動きと干乾びた死体の説明、これらを自分の中で落とし込むにはこれが一番しっくりする考え方だ。


再度上空に舞い上がると生き残りを、特にルサナとウラーヘヴがいないか真剣に探し始める。しかし目に留まるのは皮と骨になった村人達だけだ。

(もしかしてもう村を離れたのかもしれないな・・・)

自分達が出立してから3日が経っている。今倒れている村人達もいつ殺されたかはわからない為そんな考えが脳裏を過ぎるがそれでも。

「ルサナー!!いたら返事してーっ!!」

娘を護り続けていた父が凶悪な殺人鬼だった。その思考や性格がどこまで神父と似ているのかはわからないが一度は自身と似た境遇の彼女に心を許したのだ。

ウラーヘヴを説得すれば何とかなるのか?いや、彼は既に取り返しのつかない数の人間を手にかけている。深入りする事無くルサナだけを取り戻すべきかもしれない。




村中をくまなく探し回るも周囲の民家から立ち上る黒煙が既に細く消えかかっていた為完全に見失ったと判断したクレイス。

力なくうな垂れてこの惨状を『シャリーゼ』に伝えにいかねば、と気持ちを切り替えた時。


「・・・ク、クレイス様?」


振り向けば三日前と変わらない、相変わらず少しおどおどとした仕草でルサナがゆっくりと姿を現してくれた。






 「ルサナ!無事だったんだね?!」

嬉しくて彼女の方へと全力で駆けて近づこうとすると本人は再会を望んでいなかったらしい。

「ど、どうして戻って来たの・・・!!」

怯える少女は見慣れない短剣を手に激しく拒絶し始める。1ヶ月ほどの付き合いだが2人は似たところがあった為それなりに心を開きあっていたはずだ。

なのにこの態度は・・・考えてすぐに答えが出た。恐らく近くでウラーヘヴがこちらを監視しているのだろう。突如現れた邪魔者の命を消す為に。

察したクレイスは素早く長剣を抜いて水の盾も展開する。あの時見た彼の動きは素人を演じていたはずなので全く参考にならないのだ。

その中でも注意すべきは体内から血を奪う方法だろう。

あれからずっとその方法を考えていたが全く想像がつかなかったので余計に警戒を高めていく。料理で獣の血を抜くのとはわけが違うのだ。

しかも傷跡は首筋と脇の下に近い胸だった。そんな所を細い短剣で突き刺したとしても血が全て流れ出る事は絶対にない。

肝となるその2箇所を護ろうと脇を締めて水の盾を構え続けるがいくら待っても周囲から強い殺気や闘気らしきものが向けられることは無かった。


(・・・あれ?)


不思議に思うがそもそもクレイスは強者ではない。多少腕に覚えがある程度でそれらを全て察する事が出来ると考えない方がよい。

確かに上空から見回っていた時に生存者らしき人影は確認できなかった。ならば周囲に人はいないのだろうか?いや、油断しては駄目だ!と葛藤を数度繰り返す。

何度も怪我を負ってその都度悲しそうにするイルフォシアの顔はもう見たくないのだ。


ばささっ!


覚悟と回想を済ませた瞬間、突如上空から金の髪と真っ白な翼をはためかせてイルフォシアが姿を現したので心を読まれたかではないかとたじろいでしまう。

「・・・やはり貴女が犯人でしたか。」

???

それから彼女はまるでルサナが殺人鬼だと言わんばかりの視線を向けて厳しく言い放ったのでクレイスはすぐに察すると彼女の勘違いを正すべく口を挟む。

「イルフォシア様。何故ルサナが犯人なのです?彼女は父に脅されて、利用されて今僕達の前に立っているんですよ?」

自分の中で出した結論を元に擁護すると今度ははっきりと分かる。

翼を顕現した背中から明らかな怒気が向けられてきたのを心はしっかりと受け取ったのだ。しかしこの誤解は解いておかないと後で悲劇になりかねない。

「クレイス様、いい加減に目を覚ましてください。この村の生き残りは恐らく彼女だけ。彼女以外にこの惨劇を演出する事は出来ないのですよ?」

だが彼女の方もその理由とルサナが犯人であるという根拠を教えてくれる。

そう、イルフォシアもシアヌークからこの村に辿り着いた後クレイスとルサナの探しながら村全体を見回っていたのだ。

そしてそこから導き出した結論がルサナを疑うという事らしい。普段のクレイスなら彼女の言にはほぼ無条件で肯定するが今日だけは違う。


「犠牲者達は皆首筋と胸に刺し傷がありました。先日捕まえたウラーヘヴ様なら身体的にも犯行が可能でしょうが、イルフォシア様よりも背丈が低く力も弱いルサナには無理です。現在生き残っているという理由だけでこれらの証拠に目を瞑るのはやめて下さい!」


働き盛りの男達は皆30前後の立派な大人達だった。それに彼女が避難先の村人達を虐殺する理由も見当がつかない。

どうもイルフォシアはルサナの事が絡むと落ち着きが無くなるというか彼女らしくなくなる。なので余計な事を言わずに先程導き出した自身の答えだけを強く言い放ったのだ。

彼女は聡明だ。きっとわかってくれるという確かな自信もあった。のだが・・・


「クレイス様!!貴方こそ目を背けすぎでしょうっ?!」


泣きそうな表情でこちらに振り向いて叫んできたイルフォシア。と同時に何よりも早くクレイスはそれを感じ取った。

禍々しい気配、殺気というには少し狂気が強すぎる。

間違いなくルサナから放たれた赤い閃光に左手で展開していた水の盾をかざして一歩踏み込むと右手は長剣から手を離しながらイルフォシアの手首を引く。

この時のクレイスはバルバロッサとの戦いが身に焼き付いていたからそう行動したのだ。強者相手だと水の盾は貫かれる可能性があるのだと。


さくっ・・・・・


その予感は的中した。まるで何にも阻まれる事なく赤い刃らしきものがイルフォシアの二の腕を掠ったのだ。

彼女を護るつもりがまた傷を負わせてしまったのか・・・と落胆が襲うも、とにかく致命傷にはならずに済んだのだという安心感も心を満たす。

しかしそれら2つの感情とイルフォシアが疑いをかけた相手の行動がクレイスの目に更なる異様を焼き付けて驚かせるのだった。






 ほんの少しだ。二の腕をほんの少し掠っただけでイルフォシアが力なく崩れ落ちていくので慌ててその体を受け止める。

ただ、その原因には検討がついていた。僅かな傷跡から強大な赤い液体が塊となってルサラの持つ赤い刃の短剣へ吸い込まれていくのをクレイスの双眸が捉えていたのだ。

(色からすると血・・・らしく見えたけどまさか・・・あの塊全部が?)

自身の出した答えに半信半疑だったが、あれだけ激高していたイルフォシアの体は冷たくなっており表情も目も死んだように青白くなって自分の腕の中でぐったりしているのが疑いようの無い証拠だろう。


「な、何で・・・?」


何故イルフォシアがこんな事に・・・何故ルサナから禍々しい殺気と赤い刃が向けられているのだ・・・

自分の導き出した答えに絶対の自信を持っていた慢心からか。イルフォシアの言うように何か大事な物から目を背けていたからか。今までに無い後悔、2年前の夜襲を受けた時以上の絶望にクレイス本人が心身を停止して生を拒絶し始める。

「・・・に、げて・・・お、お願い・・・」

だがたどたどしくこちらに何かを訴えてくるルサナの声が彼の生存本能に火をつけると無意識にイルフォシアを抱いたまま左手の魔術を剣へと切り替える。

「・・・ルサナ・・・君が本当に殺人鬼なの?」


《そうよ。私が皆を殺したの。『血を求めし者』である私がね。》


?!

声質はルサナのものだが言葉使いや声量が全く違う。見れば彼女の茶色い髪は黒く染まって伸びていき、口を大きく歪めた笑みを浮かべている。

瞳の色も赤く染まってまるで『緑紅』の力を解放している時のリリーみたいだ・・・いや、その目はもっと濁っている。これは彼女と比べると失礼すぎた。

「ルサナ?!君は一体?!」

ここで冷静さを取り戻せたのにはいくつか理由があった。その大きな要因がヴァッツだ。今のルサナはまるで『闇を統べる者』が現れている時の彼によく似ている。

あくまで直感だったがそう判断出来たからこそクレイスは自身の大切な娘の命を繋ぎとめる事が出来たのだ。

思えば彼は自身の意思とは無関係に動いている人間を何人も見てきた。ビャクトルから始まり、サーマもそれに近い。『東の大森林』での防衛戦も敵はガハバの術にかけられた傀儡達だった。

ちょっと前までこちらに逃げるよう訴えかけていたルサナがいきなり凶刃を放ってきて更に言動がおかしいのだ。イルフォシアがここまで読み取れていたのかはわからないが今なら断言出来る。


《へぇ?貴方見かけより豪胆なのね。私の姿を見ても怯えなかった人間は覚えが無いわ?》


『血を求めし者』とやらがこちらを褒めるような発言をしてくるがクレイスにはヴァッツという友人がいるのだ。今更1人の体に2人以上の意思があっても姿が多少変わっても驚くはずもない。

「『血を求めし者』・・・ルサナを返して下さい!」

《うう~ん・・・いいや。駄目ね。これは私とルサナの契約なのよ。いくら貴方がルサナのお気に入りだとしても聞き届けられないわね。》

良い返事ではなかったが話し合いを出来るくらいの人格は備わっているらしい。なのでクレイスは最終目的の前にどうしても確認しておきたい事を先に尋ねる。

「その契約のせいでルサナはこの村の人達を襲っていたのですか?!」

《うむ。血がないと満足に戦えないからね。》

不気味に黒髪を揺らしながら口元を歪めて笑い出すと、今度はクレイスですら見慣れていない光景が目に飛び込んできた。

イルフォシアより小柄だった少女の手足はみるみる伸びて行き、腰や胸あたりも急激に成長していくではないか。一瞬で大人に成長していくルサナを前に流石のクレイスも言葉を失う。

《ルサナは貴方を殺したくないらしいが私としては目撃者を生かしておくつもりはない。よってこれは私からの慈悲だ。今までの人間と違いお前には戦う権利を与えてやろう!》

相手がそう言い終わった瞬間クレイスはイルフォシアを抱えたまま中空へと距離を取り、更に追撃が来ないように水の矢を飛ばすが彼女の持つ赤い刃はこちらの魔術以上に形を変えて襲ってくる。

(今こそ彼女を護り通さないと!!)

冷たさこそ感じるものの彼女がまだ死んだと決まった訳ではない。蛇のように刀身をしならせて伸びてくる赤い刃をかわそうとクレイスは更に高度を上げて飛ぶ。


びしゃっ!!!!


突如、何度も聞いた覚えのある炸裂音がいきなり耳に届くとクレイスはその音の方向へ顔を向けた。

そこには何十もの魔術師を従えたあの根暗な大魔術師が地上にいる『血を求めし者』に自身の魔術を撃ち放った後それを強く睨み付けていたのだった。






 「バ、バルバロッサ様!!どうしてここへ?!」

「・・・そんな事はどうでもいい。クレイス、イルフォシア様はご無事なのか?」

その質問で全てを理解したクレイスは慌てて彼女の口元に手をかざす。が、呼吸をしているかどうかはわからなった。

こうなると落ち着かせていた頭が最悪の事態を思い浮かべ始める。左手に展開していた慣れない水の剣を解くと両手でその体を抱きしめるように自身の顔に近づけると胸に思い切り耳を押し当てる。


・・・とくん・・・とくん・・・


思っていた以上に力強い鼓動が聞こえたので思わず満面の笑みを向けるとバルバロッサも珍しく力強い笑顔を浮かべて頷いている。

『ネ=ウィン』の皇子が見初めた王女がこんな所で亡くなったとなれば彼も示しがつかないのだろう。だからクレイスごと助けに入ったという訳だ。

《貴様がバルバロッサ・・・強さは噂以上だな。》

「・・・お前は・・・お前の事もどうでもいいな。イルフォシア様に手傷を負わせた。殺す理由としては十分だろう。」

4将筆頭は村の事情やルサナの人物像などはお構いなしに両手を真横に広げると後方で待機していた魔術師団が一斉に陣形を整えていく。

バルバロッサのいう事はもっともなのだが相手はよく知る人物なのだ。出来れば殺さずに捕えてほしい・・・と声に出しかけた瞬間。


どぅんっ!!


激しい地響きが音となって伝わり上空にいた人間達の肌をひりつかせる。村の壊滅とイルフォシアの負傷、クレイスの甘すぎる考えはこの2つの事実を前に発言する事すら許されなくなっていたのだ。

またあの凶刃が襲ってくる。これ以上イルフォシアに傷を負わせるわけにはいかない。

一瞬で自身の甘さを捨てたクレイスは戦いを完全に放棄してバルバロッサ部隊の上後方に向かって飛んでいく。

今の自分ではあの『血を求めし者』にはどうやっても勝てそうに無い。ならばここは4将筆頭の力に甘えよう。そしてバルバロッサですらルサナを止める事が出来ない場合は彼らを見捨てて逃げよう。

そもそも彼らは敵対勢力『ネ=ウィン』の軍人であり今もクレイスの身柄を狙っている連中なのだ。遠慮はいらないはずだ。


だがクレイスの邪な考えをよそにバルバロッサ率いる魔術師団は勢いよく飛んでくる『血を求めし者』の攻撃に当たらないよう全員が素早く距離を取って陣形を調整し直すと、バルバロッサが無言で放ち始めた火球に合わせて皆が一斉に彼女へ向かって同じような火球を撃ち放った。

見れば彼らは4将筆頭の後方に、まるで王女姉妹の翼みたいな形で陣形を作っている。そしてバルバロッサの動きに合わせて彼らも陣形を変化させ続けているのだ。

直接戦ったのが彼だけだった為、他の魔術師などの存在は無きに等しいと勝手に解釈していたクレイスはその統率された動きに思わず見とれる。

しかし敵も只者ではない。未だその正体はよくわかっていないが手に持つ赤い凶刃。あの攻撃が当たれば体内から大量の血を失ってしまうらしい。

更にあの凶刃は伸縮自在で間合いが読めない為、近接で相手にしようとなると相当骨が折れるだろう。そう、近接ならば行く末はわからなかった。


ぼぼぼぼぼっ!!!


バルバロッサの火球にあわせて撃ち出される数十の魔術が彼女の体にいくつも当たる。負傷といった意味ではあまり効いていないようだがそれでも『血を求めし者』の動きは止まり、赤い刃を満足に振り回せずにいたのだ。

《おのれぇ・・・弱者共が。姑息な手しか使えぬのかっ?!》

先程クレイスと対峙していた時とは違って随分余裕のない言葉使いが現れてくる。『血を求めし者』は間違いなく焦っていた。

そんな隙を4将筆頭が見過ごすはずもなく、


びしゃんっ!!!!


火球とは違う閃光がほとばしる魔術は瞬く間に彼女の体を貫いた。






 その威力はクレイスも十分知っていた。あれは水の盾越しにでも十分な傷を負わせてくる程強力なのだ。

『血を求めし者』はそれを直接食らった事で大きく体勢を崩して完全に動きを止める。そこに魔術師団達が先程までとは違う大きな火球を倍以上の数で撃ち放ったのだから驚いた。

恐らく今までは武術でいう牽制だったのだろう。そして大将であるバルバロッサの一撃が致命傷を負わせた事で一気に決着をつけにいったのだ。

元々空での動きがやや緩慢だった『血を求めし者』はみるみるうちに地上へと落ちていき、クレイスが心の中で決着を見出していたその時。


びしゃんっっ!!!


彼女が地上に落ちた瞬間、いや、再度上空へ飛び上がろうとしていたのだろう。着地と同時にその両足でまた力強く地面を蹴ろうとした瞬間にバルバロッサが今まで見たこともない激しい閃光を地面に落とした。

当然のように周囲の魔術師達もその着弾を見越して火球を撃ち放っていた為、相当な負傷を負ったらしい『血を求めし者』は身動きすることすら許されず全ての魔術をその身で受けきる。

土煙で多少視界が悪くなるも片膝を付き、面は俯いていてその表情はわからない。気が付けば高度を下げてバルバロッサに近づいていたクレイス。

「・・・邪魔だ。上で待っていろ。」

勝手に勝敗は決したと判断していたクレイスに厳しい口調で追い返してきたので思わずたじろいだ。

「な、何故ですか?もう相手は何も出来ないでしょう?」

今までの彼ならばおずおずと引き下がっていたかもしれないが不思議と不機嫌が相まった感情は自然と疑問を口にする。

これ以上やったらルサナが死んでしまう・・・という部分も含めてどうしても尋ねずにはいられなかったのだ。

するとバルバロッサも面倒臭そうに舌打ちを返してきた。

「・・・いいかクレイス。あいつは私が最大魔力で放った雷を受けても動いているのだ。あの動きすらも擬態だと疑え。」

そう言われてカズキが以前教えてくれた事がそのまま脳裏に蘇る。

確か彼も言っていた。真剣勝負の最中に最も恐ろしいのは己の油断だと。そしてそれはこういった状況時に起こるのだとも。

「・・・『残心』・・・ですね?」

「・・・ほう?知っているなら話は早い。下がっていろ。」

魔術師とはいえ彼らは『ネ=ウィン』の軍人だ。恐らく兵科に関わらず大事な教えは会得しているのだろうと少し感心しながらも引き下がるクレイス。

この場面、一番大事なのはイルフォシアの命なのはいわれるまでも無く理解している。


だがそれでもルサナが殺されるのを黙って見過ごすなんて真似が自分に出来るのだろうか?


大した力を持っていないにも関わらずすぐにこうやって首を突っ込もうとするから怪我が絶えないのだ。だからイルフォシアにもよく叱られるのだ。

(・・・・・)

かといってこのまま本当に見殺してしまうと自分が自分ではなくなってしまう気がする。だったら悩む必要はないはずだ。


(・・・イルフォシア様、ごめんなさい。僕はまた無理をしてしまうかもしれません。)


未だに目を覚ます事無く自身の両腕の中にいる少女に心の中で謝りを入れると覚悟を決めたクレイスはバルバロッサ率いる魔術師団と『血を求めし者』の動向をしっかりと見極めるべく静かに呼吸を整えた。






 しかしクレイスが思っていた以上の時間が流れてもお互いに動きはなく、自分の飛空が魔力切れを起こさないかやや心配になってきた頃。

遂にバルバロッサがほんの少しだけ高度を下げ始めた。と、同時に周囲の魔術師団も寸分違わぬ動きで合わせているのだからこれが戦闘国家『ネ=ウィン』が生み出す練兵の賜物なのだろうと心底感心する。

だが目を奪われてばかりもいられない。何かが起こった場合クレイスは止めに入ると決めたのだ。彼らに気が付かれるかもしれないが合わせて自身も高度を落としつつ微かに動いている『血を求めし者』を観察していると。

「クレイス様。これ以上は危険です。」

不意に魔術師の1人から声をかけられたので思いっきり驚いた。

てっきり自分の考えを読まれたのかという後ろ暗さが大きく作用した結果だったが見ればいつの間に指揮したのか、バルバロッサ1人だけが静かに高度を落として行き、周囲の魔術師は陣形を維持したままいつでも魔術を放てるように地上に向けて両手をかざしている。

流石に押し通る訳にもいかずその距離から2人の行方を見守るクレイス。しかし本当にバルバロッサは慎重に行動している。

そしてその慎重すぎる故の行動がとある2人の思考にある仮説を生み出す事になってしまう。


(・・・相手はまだ間違いなく生きている。でも動く気配はないのだからそのまま魔術で止めを刺せばいいのに・・・なんでそれをやらないのだろう?)


と、不意に赤い凶刃が彼女の体と同時に動き始めた。周囲が火球を生み出すもバルバロッサは一瞬だけ下降を止めてから観察、そして下降を再開した事でまだその時ではないのだろうと皆がその状態を維持しつつ2人を見守る。

そんな中クレイスだけは違和感を募らせていき、その勘から自分も下降を試みるも先程の魔術師が再度止める為に魔術を収束してこちらの前を塞ぐように移動してきたのだが。


どばきゃっ!!!!!!


聞いた事のないような轟音と共に地上で蠢いていた『血を求めし者』が一気に飛び上がってきた。

やはり擬態だった。だがそんな事より想像を遥かに超える速度でこちらに向かってきたのだからクレイスと魔術師は驚く暇も与えてもらえず、その凶刃が2人の体を今斬り刻もうとした瞬間。


がきぃぃぃんんん・・・・っ!!!!


至近距離で何かとんでもない力同士がぶつかった音がまたも2人に驚く間を与えずその鼓膜にだけ暴音となって突き刺さった。

《なっ?!貴様・・・?!》

そして最後に『血を求めし者』の驚愕する声。やっとその状況を目で追えた2人が見たものは真っ白な翼を顕現したイルフォシアがいつもの長刀を手に彼女の赤い凶刃を受けきっている姿だった。

「イ、イルフォシア様?!」

大事に両手で抱えていたはずの彼女がいつの間にかその中から息を吹き返し、クレイスと魔術師を護る為に凛々しく復活した事でバルバロッサも急いで陣形を整えるべく上昇して魔術師団と合流する。

しかしその隣でイルフォシアの姿をまじまじと見入っていたクレイスは未だ彼女が万全ではないと悟るとすぐに自身も魔術を展開し始めた。


「いけませんクレイス様。この者は貴方達が思っている以上の存在。下手をすれば血を奪われて余計な犠牲を増やす事になります。」


力なくこちらに呼びかけてくれるのがまた痛々しく感じたので思わず表情と言葉に詰まる。

そんな事を言われても今のイルフォシアを1人で戦わせるなど絶対に無理だ。心がそれを許すわけがない。

「・・・では退却いたしますか?後詰めは我らが致します。」

満足に戦えそうもないのをバルバロッサも悟ったのか。敵を目の前に堂々と提案しているがこれは彼女を思ってだけの発言ではない。


恐らく先程の猛攻で魔術師団達も相当な魔力を消費しているのだ。


だから止めを刺すのにも慎重に慎重を重ねていた。でなければあの行動に説明が付かない。これはクレイスにも似た経験があったから思い当たる事が出来たのだ。

「いいえ。何としてでもここでこの者を処理します。」

《ほう?手負いの天族如きがこの私に随分な大口を叩くじゃないか。折角おいしそうな血を絶望という前菜と一緒にたらふく戴こうと演じていたのも台無しにされたんだ。お前にだけは死の恐怖をたっぷりと味あわせてやるよ?》

駄目だ。

バルバロッサ率いる魔術師団の魔術をあれだけその身に受けたにも関わらずクレイスの目で追えない程の動きでこちらに襲い掛かってきた事実からも『血を求めし者』はクレイス達が思っている以上の存在だと断言出来る。

これを相手だと逃げる事すら難しいか?どうする?どうすればいいんだ?


(・・・こんな時ヴァッツがいれば・・・)


心の中でつぶやくもその内容があまりにも自分勝手で身勝手でもあり、思わず失笑してしまいそうになったその時。


【ほう?これはまた珍しい存在だな。】


自身の首元から今ではとても頼もしく感じる低い声がその耳に届いてきた。






 彼の声は非常によく通るので周囲がこちらに視線を向けてくる。本人にはわからなかったがこの時『闇を統べる者』はクレイスの頭の横に出来た影から顔を覗かせていて少し不気味に見えたらしい。

《・・・貴方は?》

お互いに刃を交えたままの状態だったが『血を求めし者』もその異様な存在に何かを感じ取ったのか眼前のイルフォシアから堂々と顔を逸らすとこちらを口調を改めてこちらを睨み付けてきた。

【私は『闇を統べる者』だ。クレイスが危うい立場だったのでヴァッツに断りを入れて様子を見に来たのだ。】

相変わらずよくわからない存在だがそんな事も出来るのか?というかそれなら今のヴァッツはただの少年に成り下がっているという事だろうか?

こうなると周囲は口を挟みにくくなる。彼が絶対の存在である事は知っているし、クレイスの危機に駆けつけたとあればここは彼がその力を振るうのだろうという期待もあった。

《・・・見た感じだと血は奪えなさそうね。貴方も同じような存在ならわかるでしょ?今は食事の最中なの。邪魔しないでもらえる?》




【同じような存在か。フフフ・・・ふはははははは!!!】




突如『闇を統べる者』が耳元で、しかもあの地の底から響いてくるような恐ろしい声で大笑いし始めたので一番の被害を被ったクレイスは顔を歪めつつ空から落ちないように気を張っていた。

その豹変っぷりには誰もが驚いたらしく、集まっていた視線には畏怖と驚愕が見て取れる。

《何がおかしいの?》

【ふはははは・・・いやすまぬ。感情を持つとどうにも自分を抑えられなくてな。残念だがここにいる者達を見殺しにすればヴァッツにも申し訳が立たぬ。お前には消えてもらうとして・・・ふむ。】

余裕のある話し方と周囲の命を全て助けるような発言に心の底から安堵したのはクレイスだけではないはずだ。

だが彼には何か考えがあるのか。少し含みを残したままお互いが無言になった事でしばしの静寂が降りる。


【クレイスよ。良い機会だ。お前に強さとやらを教えてやろう。】


不意に名前を呼ばれた挙句、自身が今最も欲している物を教えてくれるという内容の発言に目を丸くして固まってしまう。

「『闇を統べる者』様。クレイス様に余計な事を吹き込まないで下さい。」

最初に彼らの会話に介入出来たのはやはりイルフォシアだった。未だ『血を求めし者』の凶刃を抑えつつ必死で力を込めているのか体が小刻みに震えているのが一番近い距離にいたクレイスにははっきりと見える。

しかしクレイスは強くなりたいのだ。なのに面と向かって余計な事と言われると少し寂しくもあり傷も付く。

【ふむ。では早々にその者を沈めてしまうか。】

「ま、待って下さい!僕は強さを教えてほしい!お願いします!!」

『闇を統べる者』の感情は非常に淡白な為、そう断言してしまえば有無も言わさずこの場を収めてしまうだろう。

彼が一体どうやって自分に強さを教えてくれるのか興味で頭がいっぱいだったクレイスはイルフォシアの白い目にたじろぐ事なく慌てて懇願する。




【よかろう。ではお前があの『血を求めし者』を見事討ち取るが良い。】




・・・・・

その発言には名指しされた『血を求めし者』ですら驚愕の表情を浮かべていた。

今いる中で一番の弱者であるクレイスに一番の強者を討ち取れと。うん?一体どうやって?強さを教えてくれるというのはとんでもない無茶振りを実行させる事なのだろうか?

周囲も同じような感情だったのだろう。魔術師達の表情には少しの落胆と同情が見え隠れしている頃。

《つまり私の相手はその少年って事でいいのね?》

【うむ。私が擁するクレイスに万が一勝てたらお前を見逃してやろう。】

その発言を聞いた『血を求めし者』はみるみる表情を憤怒のものへと変化させるとイルフォシアの長刀を思いっきり弾き飛ばしてまずは彼女の血を奪うべくそちらに赤の凶刃を振り下ろした。






 ・・・・・あれ?

気が付けば目の前には『血を求めし者』が鬼のような形相でこちらを睨み付けている。ルサナの面影など全く無くなっており悲しい気持ちに包まれながらも不思議に思ったクレイスはやっと自身の現状を理解した。

自分の右手にはいつに間にか真っ黒な靄の塊が剣の形となって収まっており、彼女の凶刃をそれで難なく受け止めていたのだ。背後には体勢を崩しながらも驚いているイルフォシアの視線を感じるのは決して自惚れではない。


【・・・どうした?十分に戦えるだけの力を与えているはずだ。早くその『血を求めし者』とやらを倒すが良い。】


周囲の疑問に『闇を統べる者』がさらりと答える。そこでやっとあの赤い凶刃を受けきっているにも関わらず体や腕への負担がほとんど感じられない事に気が付く。

決して力が漲ってくるといった訳ではないが、かといって彼女の攻撃にそれほど脅威を感じなくなった為自分の心に大きな余裕が生まれたのも間違いないだろう。

《へぇ?それが貴方の力なのね?ますます私とそっくりじゃない!》

『血を求めし者』はその表情とは裏腹にとても楽しそうな台詞を憤怒交じりの声で叫ぶとこちらに向かって更なる追撃を連ねてくる。

一瞬いつもの盾を展開しようとするがあれは彼女の刃には通用しない。よくわからないまま赤い剣閃をはじき返そうと右手にあった黒い剣らしきもので再度それを受け止めてみた。


と、そこで次々と不思議な感覚への疑問が浮かび上がった。


まず今戦っている相手は自分の目で捉えられる事が出来ないほど速く動ける存在のはずだ。なのにその剣閃を見て、読んで、それを的確に受け流し、弾き返せている。

一応自分の体だという感覚はあるものの特別な力が自分に与えられたという感覚は一切なく、むしろ相手が弱くなったのでは?としか思えない。

何十合もの剣を交えた後、ついに『血を求めし者』が息切れを見せたので周囲もクレイスも勝利の兆しに心が緩むが相手はそれを見逃すような弱者ではない。


さぃんっ・・・


先程イルフォシアが受けたのと同じくらいの掠り傷を腹に負ってしまい、クレイスを含めて全員が悲痛な表情に変化した、のだが。

【それが油断という奴だ。戦う人間の最も恐れるべき概念らしいぞ。この場でしっかりと刻んでおくが良い。】

『闇を統べる者』が普段通りの口調で教えてくれた後、自身の体から大量の血が塊となって『血を求めし者』へと吸い込まれていく。とはならなかった。


《・・・ば、馬鹿な?!私の攻撃を受けたのに・・・何故?!》


これには周囲の感情以上に彼女の方がそれを爆発させて叫んでいた。

【私の力を使っているからな。お前に万が一も勝ち目は無いのだ。少し気の毒な事をしたかもしれん。再びの非礼を詫びよう。】

悪びれた様子のない本日二度目の謝罪など彼女の耳には届いていないようだ。しかしここまで圧倒的有利な立場を与えられると逆にクレイスが出来る事は何なのだろうと困り果てる。だが諦めかけていた望みに手が届くのではないかと気が付くと迷う事無く声を張り上げた。


「もう貴方に成す術はありません!どうか降伏してルサナを開放してください!!」


彼女は本来の自分では太刀打ち出来ない存在であり、イルフォシアですら戦うことを躊躇した程の相手だ。

そんな『血を求めし者』を今追い詰めている。ならばここしかない。『闇を統べる者』の力を得ている今こそルサナを取り戻す最後の機会なのだ。

《・・・うふふふふ。お前はそこまでルサナの事が大切なのか。この短い期間によくそこまで惚れ込んだな?》

「・・・・・え?」

惚れ込む?ルサナに?考えた事もなかった答えについさっき注意されたばかりの油断が生じてしまう。そしてそれを見逃さないのがまた強者だ。

クレイスから血を奪うのが不可能だと悟った彼女は自身の後ろにいたイルフォシア目掛けてその赤い凶刃を細長く突き出してきた。

変幻自在のそれは威力や見栄えなどを捨てて針のような形で襲い掛かっていったが今のクレイスにはしっかりと見て取れる。


ばきんっ!


黒い靄の剣で思いっきり叩き付けるとそれは難なく折れたが、破片の尖端が意思を持っているかのように未だイルフォシアの身に向かっていたのでクレイスは『闇を統べる者』から与えられた力を信じてそれを掴み取った。

《おのれ・・・おのれぇぇぇっ!!!》

万策尽きたのか破れかぶれか。折れた赤い針状のものはまたも凶刃へと姿を戻して『血を求めし者』が襲い掛かってきた。

クレイスもそれに応じるがこのままではいくら経っても彼女が降参する事はないだろう。ならば・・・


今まで防御しかしていなかったクレイスはついに彼女の身に傷をつける覚悟を決めると不慣れな蹴りを放ち始める。


それは面白いほど彼女の体に突き刺さり、強さの差がありすぎた事に今更ながら畏怖してしまう。

(こ、これは・・・手加減しないと本当にルサナが死んじゃう・・・!!)

いくらかの蹴りを加減を交えつつ放ち続けること六撃目。遂に『血を求めし者』が空を飛んでいられなくなるほど消耗したのか力なく地面に落ちるとそのまま動かなくなってしまった。






 (やった・・・やってしまった・・・のか?)

先程と違ってぴくりとも動かなくなったので殺してしまったのではと心配になった。クレイスは慌てて近づこうとするも『残心』がそれを抑え止める。

ゆっくりと降りて、先程のバルバロッサを手本に少しずつ距離を縮めていく。傍から見ていた時は随分慎重なんだなと感じていたがいざ自分が当事者となったら彼以上に時間がかかっていたのだから驚きだ。

ただ、今はクレイスが戦力的にも相当有利な立場な為、『血を求めし者』の表情がしっかりと見える距離まで近づくと再び声を掛け始める。

「もう十分でしょう?『血を求めし者』、ルサナを返して下さい。出来る事ならルサナの体から離れ去って下さい。」

お互いの剣が届く距離になっても彼女が行動を起こすことは無く、仰向けに倒れたままこちらを静かに見上げているのは既に彼女自身も勝敗を認めていたからかもしれない。

しかし戦う意思を失ったからといって『血を求めし者』がこちらの要求を受け入れるかは別で、ゆっくりと体を起こしながら立ち上がるとこちらに強い視線を向けてくる。


《・・・どちらも出来んな。私はルサナと血の契約を交わしている。ルサナの血の全てが私なのだ。》


「血の全てが・・・?」

言われても理解が追いつかず不思議そうな顔を浮かべていると目の前にいた『血を求めし者』の体が急激に縮んでいった、と同時に糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちる。

髪の毛もルサナの色に戻っていたのでクレイスは早足で近づいていくと黒い靄の剣を地面に突き刺してその体を起こして声をかけた。

「ルサナ?!大丈夫?!」

「・・・ク、クレイス様・・・に、逃げて・・・」

未だにそう訴えてくる少女にどう答えればいいのかわからない。そもそもルサナはきちんと『血を求めし者』を認識しているのだろうか?それはどこまで?血の契約とは一体?

聞きたい事は沢山あったが今の彼女はクレイスから受けた攻撃で体中がいうことをきかないらしく、大地に両手をついて無理矢理上半身だけを起こしているような感じだ。

その様子を空から眺めていた面々もやっと脅威が収まったと判断したのかそれぞれが地上に降りてきて2人を囲み出す。


「クレイス様、『闇を統べる者』様、『血を求めし者』がまだ生きているのならすぐに止めを。」


イルフォシアが代表してそう発言した内容にバルバロッサや魔術師団達も力強く頷いて同意していた。しかし強さを手にした今のクレイスには彼らの行動が何一つ理解出来ない。いや、理解は出来ていたのだがそれを認める気にはなれなかっただけだ。

「あの?どういう意味でしょうか?勝敗は決しましたし『血を求めし者』は姿をくらましました。ここにいるのはルサナです。イルフォシア様もご一緒にまずは手当てを・・・」


「・・・お前は何を言っている?」


今度はバルバロッサが今まで見せた事のない強い怒りを内包した視線と強い口調を突きつけてくる。

「・・・その女が『血を求めし者』と関わりを持っている。これは間違いないのだ。そして村人のほとんどを惨殺し、我が国の兵士も100人が殺された。そのような罪人に手当てだと?寝言も寝て言え。」

4将筆頭の発言に魔術師団からも憤怒と軽蔑の感情を乗せた視線が一斉に向けられる。『ネ=ウィン』の兵士達はどうでもいいが村人達の犠牲は覆される事はないだろう。

しかし、それでもクレイスは諦めない。

何か理由があるはずなのだ。『血を求めし者』が言っていた血の契約。恐らくそれが全ての元凶のはずだ。

自分に似た境遇の彼女に親近感を覚えていたクレイスはあくまでルサナは犠牲者であり彼女は悪くないという考えから抜け出せない。

しまいには未だ自分の身に宿る『闇を統べる者』の力を借りてしゃがみこんでいるルサナの前に立ってイルフォシアやバルバロッサと相対する形を取ってしまう。


それにはイルフォシアも非常に驚いた後、大いなる怒りと、そして悲しみの眼差しをこちらに向けてきていた。


もう後には引けない。自分の一番大切な娘にこんな表情をさせてしまってまでルサナを護る事を選んでしまったクレイス。

今は仕方が無い。でも後で冷静になって、落ち着いて話し合えば何とかなるはずだ。そんな甘い打算が脳裏で思考の邪魔をする最中、ルサナの行動にいち早く気が付いたのはイルフォシアだった。

「クレイス様っ?!ルサナがっ?!」

見ればバルバロッサも慌てて駆け寄るという魔術師らしからぬ動きを見せていたので何事かとクレイスは振り向いてルサナを見る。

まさかまた『血を求めし者』が?


だがそこには赤い大きな宝石がはめ込まれていた短剣で自身の腹を深く突き刺してうずくまるルサナの姿が目に飛び込んできた。






 ルサナは重罪人であり身勝手な自決などを許すわけにはいかない。

無抵抗になった途端全ての現実から逃避する手段を取った彼女はバルバロッサ率いる魔術師団の医学に詳しい人間によって応急手当が行われる。

幸い今すぐ死ぬような事はないらしいがそれでも臓物を大きく損傷していて数日もてば良い方だそうだ。


「・・・少し前だが我が国にセンフィスという男がいた。あいつも重罪人にうつつを抜かして国を裏切った。」


手当てを待つ中、落ち込んで座り込むクレイスとその隣についてくれていたイルフォシアの前に立ったバルバロッサが静かに口を開き始めた。

「・・・あいつは小人だった。志も位も低い愚物だった。だがお前は違う。王族であり国を率いる者だ。いや、元王族だったか。」

こちらを見下ろす形ではあったが威圧感や怒りなどはなく、元々物静かな男が淡々と語る口調は妙に聞き心地がよい。

今までのバルバロッサの行動から隣にいたイルフォシアが激しく噛み付きそうな気もしていたがそんな様子も見せないまま、彼の話は続いていく。

「・・・お前があの少女に何を見出したのかは知らん。だがあいつが原因で村人が100人以上も殺されている。もしこれが『アデルハイド』で起きた事件だったとしてもお前はあいつを無罪だと言い張るのか?」

「・・・・・」


「・・・国の上に立つ者は常に公平な裁きを行わなくてはならぬ。時には己の感情を押し殺してでもな。でなければ国民は納得せんぞ?」


クレイスは俯いたままだったが全てを話し終わったらしいバルバロッサは静かにその場を立ち去る。

本当は最後にルサナの顔を見ておきたい。しかし隣のイルフォシアがずっとくっついたまま体を預けてくるので動けない。いや、動きたくない。ルサナがあんな行動に出てしまった以上クレイスが下手を打つと彼女の覚悟に泥を塗ってしまいかねないのだ。


彼女も自分の責任だというのは十分理解していたのだろう。だから最後まで庇おうとしたクレイスにもう迷惑をかけまいと自刃を選んだのだ。


今は何故バルバロッサがそんな事を言っていたのかを考える余裕もなく、かといってルサナにしてあげられる事も何もない。

『血を求めし者』が言っていた契約がどうこう等も頭の中には残っておらず、以前借りていた家の中で2人が座り込んでいるとバルバロッサと魔術師団が挨拶もそこそこに南東の空へ飛び去っていく。

彼女の命はあとわずかだ。それまでに『シャリーゼ』と『ネ=ウィン』で話をつけてしまわねばならないのだろう。




いつの間にか日も暮れて、『闇を統べる者』も随分前から一言も話さないところを見るとヴァッツの下へ帰ったのか。

あたりが薄暗くなってきたのでイルフォシアに寝室へ向かうように小さな声でささやくクレイス。


しかし彼女からの返事はなく、先程からずっと同じ姿勢でこちらに体を預けている。


・・・・・

何気なくその頭から額にかけてそっと手を沿わせてみると、やっと彼女の体が冷たくなっており、意識を失っていた事に気が付いたクレイスは慌てて抱きかかえると急いで寝具へと運ぶのだった。






 (何でもっと早く気が付かなかったんだ!!!)

自分の事ばかり考えていたクレイスは激しい後悔からルサナのような自傷衝動に駆られながらも急いで火を熾すと湯を沸かしつつ食事の準備もする。

彼は『トリスト』を出るときからずっと兵卒の格好をしていたのだが腰の巾着にも念の為と常に携帯食をしまいこんでいたのがここで役に立つとは思わなかった。

だが今のイルフォシアが目を覚ます気配はなく、しかし考えてみれば日中での戦いで『血を求めし者』から大量の血液を奪われていたのだ。むしろあの時意識を取り戻してクレイスを護ってくれた事自体が奇跡に近い。


(・・・・・いや、奇跡なんかじゃない!)


恐らくクレイスを護ろうという強い想いがあの時のイルフォシアに強い力を与えたのだろう。


なのに自分は・・・・・彼女の想いに気が付く事もなく・・・・・ずっと傍にいてくれていたのに・・・・・こんな状態になっても黙ってついててくれていたイルフォシアになんという仕打ちをしてしまったのだ。


部屋を温かくはしたもののイルフォシアが一向に目を覚ます気配がないと判断すると素早く作り上げた湯に戻したお粥を火から離しておく。

そして自身の鎧を脱ぎ捨てて肌着になり、彼女の寝具の上から更に2枚の毛布を重ねるとその横に体を沈めて優しく腕を回して抱き付いた。

と、イルフォシアの衣類が冬物だった為想像以上に分厚い事に気が付いたクレイスは迷わず脱ぎ捨てた自分の衣服を手繰り寄せて短剣を取り出すとそれを切り裂く。

血を失ってまるで透けてしまいそうな真っ青の柔肌が目に留まるも照れている場合ではない。急いでその体を抱きしめながら寝具の中に2人で潜り込んだ。

まだ年が明けて2月に入ったばかり。日中はもちろん真夜中になると気温は相当下がるのだ。クレイスは出来る限り部屋を暖めて、自身の体温で彼女に暖を与えようと躍起になる。


そしてふと思い出す。


そういえば二年ほど前にも同じような事があったな、と。


あの時はクレイスがビャクトルとの戦いで大怪我を負ってしまい、更に大量の血を失っていた・・・ああ!!

だから目が覚めた時にイルフォシアが寝具の中にいたのかと二年越しでその謎が解けた事に内心驚いていた。

当時はただただ気恥ずかしさで一杯だったが、『トリスト』の兵卒として文武共に学んだお陰でこの方法と重要性を理解する事が出来た。そう考えると今までの修行はいろんな意味で自身の身を助けているなぁと感謝する。

しかし浸るのは後だ。まずは彼女の体温と意識を取り戻す為にクレイスは必死で願いを込めてその体に肌を合わせる。

いつもは凛としていて、そして王女然としていて、翼を顕現させれば見る者全てが心を奪われる程の存在。

そんな彼女が今はとても小さくて気が付けば涙が溢れそうになる。


(お願いします。神様、どうか・・・イルフォシアを・・・)


国教であるバーン教の御神体に祈りを捧げる事など滅多になかったクレイスがこの夜だけはすがる物が思いつかなかった為何度も心の中で繰り返す。


翌朝彼女が目を覚まして、それに対して自分がおはようと言ってあげられたらどんなに幸せか。


ただそれだけを願ってずっとイルフォシアの体を抱き寄せていたクレイス。だが深夜0時を迎えた時、薄い光が彼女の体から発せられるとゆっくり血の気が戻ってくる。と、同時にその体は温かさが、いや、熱さが包み込んだ。

眠っていた訳ではないのだがその体温を確かに感じ始めたクレイスは自身も今日の疲れからか、一瞬で気を失うかのように深い眠りへと誘われていった。






 イルフォシアが暖を取り戻して、一緒に目を覚まして「おはよう」と言ってあげたかった・・・。


クレイスが目覚めた時には昼を回っており、隣で抱きしめていたイルフォシアの姿はどこにも見当たらなかったので慌てて飛び起きようとしたのだが。

「いいいぃっっ?!?!?」

誰が言いだしたのか。クレイスは痛みに強いという風潮があったのだがこの日、誰も居ない寝室でクレイスは生まれて初めて大きめの悲鳴を声に出した。

そしてその変な声を聞きつけて扉が勢いよく開くと、

「ク、クレイス様っ?!どうかなされましたかっ?!?!」

神に祈りが通じたのか。元気すぎる血色のイルフォシアが慌てて中に飛び込んできたので安堵を表情に浮かべたクレイス。だがそれとは別に全身が激痛に支配されているせいで体が全くいう事を聞かない。

「お、お、はよ、う・・・ごじゃ・・・」

せめて挨拶をと思って口を開けたが口角周辺はもちろん、舌にもむずがゆい痛みが、そして声を出そうとするも喉やら胸元やらが掻き毟りたくなる痛痒さに襲われて目を白黒させる。


何だ何だ?!何か攻撃でも受けたのか?!


自身の体が明らかにおかしかったクレイスはまず『血を求めし者』から受けた傷を思い出す。彼女の攻撃は受けると大量の血を奪われるので実は『闇を統べる者』がいなくなってからその効果が生まれたのではないかと。

しかし昨夜のイルフォシアのような意識を失ったり体が冷たくなる事もなかったはずだ。むしろ今の状況は全身に熱を感じて暑くすら感じる。

とにかく全身が痛い。場所によって痛み方が違えどこれは紛れも無い事実だ。そんな中でいくらかの部位が以前感じた事のあるような痛みだと気が付き始めたときその答えに行き当たる。


恐らくこれは重度の筋肉痛だろう。


排泄の為に離れに行こうとした時、その太腿から感じる痛みからそう推測したのだ。『トリスト』で兵卒として訓練を開始した翌日に起こった痛みにとても類似している。

痛みはあるのだが動けない訳ではなく、その独特の痛痒は他に例えるのが難しい。だがあの時も全身の筋肉痛で体を動かすたびにその身をよじりながら痛みに耐えていたが今回のそれは輪を10回ほど重ねかけて酷い。

全身がもれなく筋肉痛な為、瞼はもちろん双眸で何かものを見ようとしても眼球に何とも言えない痛みが走って掻き毟りたくなる。息をするにしても肋骨辺りが軋むし胸の奥から吐く息は妙に熱を帯びている。

指先は甲の部分がつっぱるような感じで匙を持つのも一苦労だ。それを見かねてすぐにイルフォシアが隣へ走ってきてまた食べさせようと手を伸ばしてくるのだが今回はいくらでも我慢出来るのでそれは丁重にお断りする。


少し残念そうだったがクレイスの隣から離れる事はなく彼が食事をするのを眺めてくるのでまた別のむず痒さに苛まれる前に話題を変えてみた。


「あ、あの・・・イルフォシア様はもうお体の方は大丈夫なのですか?」

「ええ!真夜中に全て快復致しました!それよりお料理のお味はどうですか?!以前教えてもらった通りにやってみたのですが!」

言われて思い出す。そういえば天族は死んでさえいなければ1日で快復するのだと。しかし今回は予断を許さなかったはずだ。

結果として今クレイスの前では元気にはしゃぐ彼女がいるものの、いくら天族だからとあんな状態のイルフォシアを放置などは出来るはずがない。

それよりも彼女はやたら目を輝かせてこちらの評価を心待ちにしている為、あらゆる意味で全身に気合を入れながら匙でそれを戴く。


「・・・美味しいです。さすがイルフォシア様、飲み込みが早いですね。」


「本当ですか?!そう言って頂けると腕によりをかけた甲斐があります!」

あくまで以前の料理と比べての話なので他人が何も知らずに口をつけたら相変わらず顔をしかめるだろうがそれでもクレイスからすれば驚くべき進歩だった。

本当に見違えるほど元気になったイルフォシアの可愛らしい姿に癒されつつ、用意された料理をあっという間に平らげる。

お腹が満たされた後、昨晩までは真逆の立場だったのにまた彼女のお世話になってるな・・・と思考が暗い方へと流れそうになっていたクレイス。

だが料理を褒めた事を別にしてもイルフォシアがずっと上機嫌なので今更ながら疑問に感じた。

思えばクレイスはずっとルサナの事を気にかけていたばかりに『血を求めし者』が行った残虐行為の数々にすら目を瞑っていた。

そのせいで昨日は彼女の前に立ちはだかるような真似までしてしまったのだ。あれも『闇を統べる者』の助力があった故の油断だったのかもしれない。


ルサナの手当てが行われる最中にバルバロッサから投げかけられた言葉がうっすらと蘇る。


自身は王族なのだ。今は王位継承権を失ってはいるもののショウは必ず復権させるように言っていたのだからいずれは国民を率いて生きていかねばならない・・・はずだ。

1人の命を救うために大勢の命を犠牲にして良い訳はなく、かといって1人の命を軽視するのは気が引ける。

(そういえばカズキも部隊の兵士達について何か考え込んでたな・・・)

体の中で唯一筋肉痛から免れていた頭を使って昨日の出来事からをぼーっと考えていると、


「あ、あの。クレイス様、昨夜はその・・・あ、ありがとうございました!」


突如隣に座っていたイルフォシアが顔を真っ赤にして感謝を元気よく述べた後、慌てる様子で炊事場に食器を運んでいった。

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