芽生え -生まれてきた理由-

 セヴァは西の大陸、『ジョーロン』から北にある真っ白な山脈の頂上付近まで来ていた。

万年雪が積もっており天候も変わりやすく人間が足を踏み入れるには危険すぎる場所だが特定の種族からすればとても居心地が良い。

氷の系統を持つ彼女も例外ではなく、吹雪など物ともせず最も高い山の頂を目指す。

やがて雪雲を抜けて太陽の光が辺りを照らし始めるとそこには数多の船が幾層にも積み上げられた異様な光景が目に飛び込んできた。

しかしそれらを見ても特に驚くことがないセヴァは更に飛んでいくと一番上にあった船の甲板に無理矢理後から付けられたであろう扉の前に降り立つ。


こんこん。


「・・・どちら様?」

「私じゃ。」

氷漬けになっている扉を軽く叩くと中からは幼さの残る声が聞こえてきた。

秘境と呼ぶに相応しいこの山頂の存在と住んでいる人物をよく知っているセヴァは名乗る事無く声だけを返す。


がががちゃ!!


凍り付いていた外開きの扉を強引にこじ開けた本人が顔をひょいと覗かせてセヴァの姿を捉えると、

「おかえりセヴァちゃん!!」

白に近い水色の長い髪を持ち彼女よりも年下に見える少女は喜色満面で彼女に抱きついてきた。

服装はセヴァが身を包んでいる物と形は同じでこちらは色が白い。雪山に立てば保護色となって非常に視認しにくいと思われる格好だ。

船内を歩く2人は年の離れた姉妹のように見えたが、

「母上。早速だが1つ尋ねたい事がある。『七神』とは何じゃ?」

「んもう!セヴァちゃんってばせっかちなんだから!久しぶりの親子再会なんだしまずはお茶からでしょ?!」

人間の外見で判断すれば恐らく15歳前後にしか見えない少女は母上と呼ぶセヴァに可愛く怒る仕草を見せる。

「10年くらい前にも来ただろう。まぁ急いではいないから構わないが。」

娘はやれやれといった表情だがまんざらでもないらしい。居住用の船の全ては無造作に積み重ねられている為内装の所々に水平となる床板がこれもまた無造作に作られている。

その中の1つ、食卓が置いてある床板にふわりと飛び移るとセヴァは懐から小さな皮袋を取り出して上に置いた。

「前に持ってきた品種よりこっちのほうが美味しい作物が出来ると思う。また試してみてくれ。」

「やったー!娘の愛がたっぷり篭った種!!是非堪能させてもらうね!」

妙な言い回しをする母に苦笑しながらも2人は氷漬けの船内で温かいお茶の時間を楽しんだ。


セヴァの母サルジュは魔族であり地元の人間からは雪女という名で広く知られている。


過去に人間と恋に落ちて娘を授かりはしたものの伴侶は当の昔に亡くなり、それ以降儚い種族との交流を絶っていた。

船を積み重ねた異様な居住も人間を畏怖させる為に作った物だが同時に彼女の遊び心も多分に含まれている。

例えば階下の船内では土や水を使って食料を栽培したり家畜を育てたり魚を養殖したりと、長い寿命を利用してやりたい放題だ。


「で、『七神』だっけ?私も噂程度にしか聞いてないけど混成種が人間の世界にちょっかいを出す集団みたいね。」

お茶と焼き菓子を食べながら久しぶりの話し相手であり娘であるセヴァに自身の知識を話し始める。

「うむ。もしかして1000年前に起きた大戦争もあいつらが関わっているのではないかと思ってな。母上なら知っておるのではと。」

「そうね。彼らが暗躍していたのは間違いないと思うわ。人間も天魔も恨んでるっていうし。でも何で急に『七神』の事を?」

魔族と魔人族である母娘は基本的に人間と親しくなろうとは思っていない。住む時間が違うのだ。だが、

「私は今土地神としてある地に根を下ろして生活しておる。もしまた大戦争などが起こされたら大事な場所を失ってしまうかもしれんのでな。」

「へー。セヴァちゃんが人間と接点のある暮らしを選んでいたなんて意外。」

「茶化さないでくれ。とにかくその『七神』の一員だという魔人族らしき男から話を聞いてな・・・もし私がその組織を潰したいと言ったら母上の手を貸してもらえるか?」

真剣な表情で母の顔を真っ直ぐに見つめるセヴァ。それまでは少女のように振舞っていたサルジュも娘の本気を感じたのか雰囲気を一変すると、


「・・・私とお父さんの我儘で生まれてしまった魔人セヴァ。貴方は魔族や人間を恨んでいないの?」


言いたい事はわかる。魔族の血が入ったせいで寿命が人のそれとはかけ離れている魔人族セヴァ。人生に絶望や怨恨こそ抱かなかったものの退屈だと感じたのは一度や二度ではない。

少女の面影は跡形もなく消え去り、雪女と呼ばれるに相応しい全てを射抜き凍らせてしまう視線をセヴァに突き刺して答えを待っている母。

それにしても父はよくこの女性と結ばれたなぁと心の中で感心しながら、

「恨んでいたらここには来んし土地神などと呼ばれはせん。それに・・・」

温かい気持ちを胸にさらりと答えてお茶を一口飲む娘。少しだけ間を置いてから静かに呼吸を整えると大事な事を伝える。


「母上と父上の愛で生まれたのが私じゃ。間違っても今後我儘などという言葉を使うのはよしておくれ。」


凛々しい娘の姿と発言を受けてまた少女の雰囲気に戻したサルジュは激しく感動してみるみる涙目になっていく。

「セヴァちゃん・・・大きくなって・・・わかった。私もこっちの大陸を中心に調べてあげる。」

「ありがとう母上。」

娘が礼を言いながら母の涙を拭うと彼女は喜びを爆発させながら愛娘の胸に飛び込んでいった。






 イルフォシアやスラヴォフィルが去った後、改めてクレイス達は『シャリーゼ』へ馬車を走らせる。

馬車の中が狭いといってウンディーネが時々飛び出しては目立つ容姿で空を飛ぶ事以外は順調に進む一向。10日後には懐かしい景色とアビュージャの診療所が見えてきた。

(何か・・・おかしな感覚だな。)

自身は1回しか来たことが無いのに懐かしさを覚えるのは間違いなくサーマの影響だろう。思わず涙が溢れそうなのをぐっと堪えながら4人は馬車を降りると診療所の中へ入って行く。

まずは再会の挨拶と喜びの声を交わし合うと続いては3人の紹介を。それから、

「サーマは亡くなりました。本当に残念です。」

感情を押し殺しているのか、ショウはまるで初めて出会った時のような抑揚の少ない声色でアビュージャに報告する。

老婆もまるで孫娘のように接していたのでこの訃報で相当気落ちするだろうと思われていたが、

「知っているよ。知っていたさ。」

落ち着き払いながら意外な返答をしてきたので4人は驚きの表情を浮かべていた。特にショウは、

「それは・・・どういった意味でしょう?」

ヴァッツ、正確には『闇を統べる者』の力で『七神』の館から助け出されたのは1カ月以上も前になる。ということは既に『トリスト』から誰かが伝令を送っていててもおかしくはない。

クレイスが昏睡状態に陥っていた件もあったのでこれは相当後手に回ってしまったのでは?と誰もが感じたのだが、

「あの後セヴァ様がジェローラ様に命じられてね。サーマの詳しい身辺調査が始まったのさ。」


元々サーマはとある夫婦の1人娘として城下町で暮らしていた事。

その夫婦は生計を立てる為にジェローラから土地を借りて農作物を作っていた事。

栗毛の可愛らしい少女ならジェローラはしっかりと覚えていた事。夫婦は既に亡くなっていてアビュージャの下にいたサーマは偽者だったと判断された事等。


「「そんな事はない!」の!」

黙って聞いていたクレイスとウンディーネは偽者という言葉に反応して同時に声を荒げるが、一瞬驚いただけでアビュージャは寂しい笑顔を零す。

「サーマはその!まずジェローラ様にちゃんと覚えてもらっていた事を凄く喜ぶと思います!ね?!」

「そうなのそうなの!!それに私も知らなかったんだけど私がサーマの体に入っていた時は髪の色が変わっていたらしいの!!

間違いなく私はサーマと一緒に暮らしていたの!!」

2人は2人が共有する記憶と思い出を胸に感情のまま言葉を続けるがアビュージャの表情が晴れる事はなく、

「そうかいそうかい。」

興味のなさそうな返事、いや、これはサーマの死から立ち直れていないが故の気落ちした状態なのだろう。

恐らくこの少年少女達は自分を励まそう、慰めようとしてくれているのだ、とそういった受け取り方をしている。

実際その気持ちも多分に含まれているのだが診療所で働いていた姿ですら偽物と断定されるのは流石に悲しくて悔しい。

そしてそんな3人を見ていてもカズキはともかくショウもただ黙って見守るだけだ。


これでいいのか?こんな不完全な終わり方でいいのか??


思わず彼に詰め寄りたい気持ちにすら駆られるが、

「御婆様。他にも積もる話が沢山あります。今日は皆でご馳走を頂きましょう。」

赤毛の少年は何故か笑顔でそう提案していた。




彼の事だ。何か考えがあるのかと思っていたのだが食材もこの村のものばかりで特に高級と呼ばれる味の良い物を集めた訳ではない。

「クレイス。お願いがあります。」

しかし先程食卓を囲んで見守りに入っていたショウとは違い、とても真剣な眼差しでこちらに頭を下げてきたので大いに驚く。

そして話を聞けばなるほどと納得がいくものだった。クレイスは自分の中で一番信用出来る調理の腕前とサーマの記憶を辿って今晩のご飯を用意していた。


「ん?これは・・・懐かしい匂いだねぇ?」


はっきりと記憶にあったので下手な小細工はいらなかった。

サーマが半年ほど炊事場を任されていた時に作った料理の中からアビュージャが好きだったものをいくつか選んで完成させただけだ。

それでも老婆は匂いにつられてふらふらと食卓の椅子に座ると簡単に祈りを捧げてからそれを口に運ぶ。

4人が固唾をのんで見守る中、

「・・・・・あれ?サーマ・・・ここにサーマがいるのかい?」

「ええ。彼女はいます。今も私達の傍に。」

さっきはずっと黙っていたショウが力強く答えてアビュージャの肩に手を置いて微笑む。

すると感情の堰が一気に切れたのか。老婆の皺だらけになった瞼の奥から大粒の涙が滝のように溢れ出てきて何度も何度も頷いている。


言葉では伝わらなかった彼女の存在。その軌跡。


ショウとアビュージャにしかわからない3人で過ごした記憶を確かな物にした老婆は悲しみと嬉しさに挟まれながらサーマの作った料理を喜んで平らげていった。






 とても騒がしい晩餐の翌朝、クレイスは少し迷ったがここでもサーマが作っていた物と同じ料理を作った。

昨夜はショウもアビュージャも涙を流し、涙を浮かべながら喜んで食べていたのだがこれを続けるとまた未練が生まれるかもしれない。

彼はずっとここに留まる訳にはいかないのでせめて自分がいる間はこの料理を届けたいと、そう思ったのだ。

しかし起きてきた老婆が手と顔を洗い食卓についてそれを一口食べたら動かなくなってしまう。

(あれ?味付け間違えたかな?)

手順を思い返しながらどこに失敗があったのかを探り出そうとしていたクレイスだったが、

「・・・・・不思議だねぇ。何でサーマと接点のない少年が同じ味で作れるのか。」

彼女は思い出の味を堪能しつつ思考は別の方向に向いていた。これは昨夜も説明はしているのだが彼女の脳内ではまだ理解が追い付いていないらしい。

「ふーん。まぁいいさ。今日はジェローラ様の御館へ向かうんだろ?しっかり話を聞いておいで。」

だが何となく受け入れていたアビュージャはそれを美味しそうに食べながらクレイスに優しい笑顔でそう答えるのだった。




診療所から馬車で1時間ほど走ると広大な農地が広がる道に入った。

話は聞いていたがこれが1人の所有物だというのだから実業家というのは相当な金と名声と、そして権力を持っているのだろう。

「『シャリーゼ』が世界で一番栄えていた理由の1つですから。」

ショウの解説を聞きながら古びた館の前にたどり着いた4人は早速馬車から降りていくと、

「ショウ!!無事じゃったか!!!」

小柄で高齢ながら足腰のしっかりとした老人がとても嬉しそうに声を上げて走って来た。

「ただいま戻りました。」

こちらは落ち着いた様子でそう答えるのだがジェローラの方は勢いそのままに飛びついている。

「あのおじいちゃん本当に元気なの。」

彼女も知っている老人はこちらの存在を全く気にすることなく昨夜と似たような話から入っていくのだが、

「サーマは残念じゃったのぅ。しかし・・・言っている事はおかしいかもしれんが聞いてくれ。そこにいる青い髪の女の子が何となくサーマの姿に被るんじゃ。わしの目がどうかしとるんかの?」

それを聞いたウンディーネは気恥ずかしそうに、それでいてとても嬉しそうに笑っていた。


館の中に通された4人はサーマの死とその存在について報告するよりもまずジェローラの話を聞くことから始まる。

「セヴァ様も心配されておったからな。後で祠にも報告に参ろう。驚いたか?あれから突貫で建て直したんじゃよ。」

サーマとウンディーネが少しの時間だが土地神と接触した記憶はあった。更に彼女が怪我を負った時に一緒だったショウが攫われたというのも聞き覚えがある。

しかし、


「まさか貴方の口からもその名が出てくるとは。セヴァとは一体何者ですか?」


心底呆れかえったような表情をするショウに事情をよく知らないカズキですら何かを感じ取ったのか妙な顔つきで彼を見ている。

「・・・お前、何を言っておるんじゃ?あの日一緒に祠へ出かけたじゃろ?その時アンによく似たセヴァという魔人族の御方がおられたじゃろ?」

「・・・・・」

その辺りはクレイスも初めて聞くのであとは2人だけの話になる。しかしショウは全く身に覚えがないといった表情で小首を傾げていた。

「・・・これはレドラ様が仰っていたのですが、人はあまりに激しい衝撃を受けると記憶が飛んでしまう事がままある、との事です。

正直どうやって攫われたかも覚えていないのでこの推論が正しいのでしょうね。」

「なんと・・・」

ジェローラはとても驚いてはいたがサーマの死以外は全て元通りになったのだ。

セヴァという人物とアン女王がどれくらい似ていたかはサーマの記憶を辿ってもよくわからなかったが特に問題ないのでは?と感じてしまうクレイス。

ウンディーネも似たような印象だったのか、そのやり取りには全く興味を示さず腰巻の位置を直したりしている。

「・・・ではわしがアンの父親だという話は覚えておるか?」

「ぇええええっ?!?!」

ここでやっと激しく驚いたショウと付き添いの2人。

「あの時の記憶すら失っておるのか・・・ならば仕方ないか。」

二度目の告白だったにも関わらず初めて聞かされたかのような反応をする少年を見てやっと納得したジェローラはショウが攫われた日の事を細かく説明し始めた。




だが聞き終えても実際セヴァがどのような人物でどれくらいアン女王に似ていて2人がどんなやり取りをしたかまではわからず仕舞いで、

「うーん・・・ジェローラ様が代々この土地を信仰深く守って来られたお話やアン王女のお父様だというのは十分理解出来ました。

しかし私がそのセヴァという人物に大きく肩入れする理由がどうにも・・・」

腕を組んだまま唸り込んでしまうショウにジェローラも諦めがついたのか、

「まぁ良い。孫のように思っていたお前がこうやって無事に戻ってきてくれたのだ。今はそれだけでも有難い事じゃ。」

話を終えると4人は彼に連れられてセヴァの祠とやらを確認しに向かった。






 攫われた場所を見てみると何かしら思い出すかもしれない。それと現在留守にしているセヴァがそろそろ帰ってきているかもしれない。

2つの思惑からジェローラは無理矢理にでも彼を連れて行きたかったらしいが、

「大丈夫です。ちゃんとついて行きますから。」

何度も後ろを振り返って一々ショウの姿を確認するので中々先に進まない。

しかし少し歩いただけでも地肌が所々に露出していたり折れた木々の根っこがあちこちに見受けられる事から大きな戦闘があったのだと容易に想像出来る。

やがて植物がなにも生えていない、綺麗に整地された場所の中央にぽつんと立派な祠が見えてきた。

「ここじゃ。ここに土地神様を奉っておった。」

「ふむ・・・。」

皆がそれぞれ周囲を見渡したり歩いたりするがとにかく周囲には何もない。いや、無くなったのだろう。

ジェローラもそれを見守りながら祠の前に跪いて祈りを捧げている。

サーマの記憶から一度だけ見た覚えがあるセヴァはまだ不在のままらしい。

個人的にはいきなりショウの記憶が戻ったからといって何か変わるとも思えなかったが身分は違えど同じ『トリスト』での生活が始まったのだ。

記憶が戻る事で何か彼の心情に大きな変化が生まれてしまうのならいっそこのままでいいじゃないか、とさえ感じていたクレイス。


「・・・何か嫌な気分にはなりますね。失った記憶がそう訴えてくるのでしょうか?」


本人はここで攫われたらしいのでその意味は十分理解出来る。ならば何か強い衝撃を受けたせいで記憶は一部失われているかもしれないと言っていたのもこの場所での出来事か?

「大丈夫?気分が悪いのならさっさと引き上げるの。」

ウンディーネも心配そうに彼を気遣っている。ジェローラも孫のように可愛い少年の気持ちを汲んで、

「そうじゃな。セヴァ様もおられないようだし館へ帰ろうか。」

皆が引き返そうと話がまとまった時。


ぴりっ・・・・・!!


尋常ではない痛みが首筋を襲い、慌てて周囲を警戒するクレイス。

今までこんな経験はなかったので何かしらの攻撃を受けたのだと錯覚し、右手でうなじを探ってしまうほどだった。

だが異変を感じたのは彼だけではなかったらしくカズキやウンディーネも臨戦態勢に入り、ショウだけは皆の様子を見てから警戒に入る感じだった。

「えっと・・・何か攻撃された?」

未知の体験に誰に言うでもなく答えを求めるとカズキが嬉しそうに、

「お?そこまで感じたか?これは殺気だよ。」

過去のクレイスは真正面に立つ事で視覚、嗅覚や聴覚などを頼りに威圧感や恐怖、そして殺気を何となくは感じとれていた。

しかし現在、生まれて初めて本能という勘だけでそれを機敏に捉えた事は師である戦闘狂としては喜ばしい知らせだったらしい。

「な、何じゃ?何かおるのか?!」

ジェローラだけは少年達の動きにただただ慌てるだけだったが、

「クレイスとショウは爺さんの傍にいとけ。隙があれば館まで逃げるんだ。」

未だイフリータの力が戻らないショウと足手纏いに近いクレイスを護衛として実業家を逃がすようカズキが速やかに指示を出す。


辺りを静寂が包む中、


「本当にここに戻ってくるとは、お主は何を考えておるのかよくわからんのう。」

皺枯れた声が上の方から聞こえてきた。ただ、見上げてみても雲と空しか確認できず声の主の姿はない。

「その声は確か・・・アジューズと呼ばれる方でしたね。」

「アジューズ?『七神』か?」

「はい。見た目はかなり老齢の男です。」

ショウとの短いやり取りで確認をするカズキ、それを聞いていたクレイスも黙って頷く。

「って事は敵なの。ショウを攫ったのも貴方なの?!」

ウンディーネに至っては彼とイフリータに相当強い想いがある為、今回の元凶であるアジューズという老人へ強く叫んていた。

「いかにも。しかしその様子だと未だに記憶は混濁しておるようじゃな。」

敵もこちらの状態を確認したようで上空から一気に降りてくると離れた距離に着地した。

「我らの館からどうやって逃げたのかも聞きたいしフェレーヴァももう一度お前と話したいと言っておるでな。黙って攫われれば手荒な真似はせんがどうする?」

よほど自信があるのか黒い外套を被った老人は1人で堂々と皆の前に姿を現す。


だがクレイスはその行動よりも彼から溢れ出る魔力らしきものがしっかりと視認出来る自分自身に1人静かに驚いていた。






 過酷な環境で鍛えてきたから身に着いたのだろうか?

カズキの傍にいるウンディーネからも水を感じる魔力が体の中からゆらゆらと放出されているのがはっきりと見て取れる。

「ヴァッツを敵と見なす勢力に話す口は持ち合わせておりません。早く尻尾をまいて逃げないとカズキに叩っ斬られますよ?」

冷静に買い言葉を返すショウ、しかしカズキの名を持ち出す所から自身の力不足はしっかりと認識しているようだ。

気になってそちらに目を向けるとやはり彼からは魔力らしいものがほとんど視認出来ない。

(これは・・・いや、考えるのは後だ。)

分かっている事は相手が魔術を、しかも相当な魔術を使えるという事だがそれが視認出来るだけでもかなり違ってくる。

ただアジューズと呼ばれる老人のそれには鮮やかさが感じられない。ウンディーネとは明らかに質が違うらしい。


「ふむ。では交渉決裂じゃな。悪いが邪魔な者達には死んでもらうぞ?」

疑問で頭がいっぱいのクレイスを他所にアジューズは数の不利など物ともせず魔術を展開し始めると氷の塊をいくつも生成した後こちらに撃ち放った。

カズキは一振りだけ佩いていた刀を素早く抜いてそれを叩き落し、ウンディーネも水槍で相殺しながら距離を一気に詰めていく。

しかし彼の姿は既になく、再び空へ移動していたアジューズは前衛2人の後方に大きな氷壁を落とすとこちらに向かって突っ込んで来た。


まずは厄介な2人を自身に引き付けてから後方を遮断し時間を稼ぐ。とても分かりやすく真っ当な戦術に感心するがこのままでは自分達が危ない。


ショウが流れるように懐から小剣を取り出すとクレイスも慌てて長剣を抜き、左手に大盾を・・・

「あっ?!」

いつもの安心できる装備がない事に気が付いた瞬間思わず小さな悲鳴に近い声を上げてしまう。思えば『トリスト』の兵卒になって以来半年以上ずっと扱っていた大盾は正に戦場の相棒だった。

無ければいけない事は無いが無い事による心の不安はかなりのもので意志とは関係なく体が萎縮してしまう。

妨害で置かれた氷壁のせいでカズキの援軍が送れるのは確実でウンディーネの攻撃も味方に当たる可能性があるのでやや遠慮じみた物になるだろう。

「無理のない程度で結構です。ジェローラ様をお守り下さい。」

相手の攻撃が当たりそうな位置に自ら移動しながらショウはこちらにそう伝えてくる。目的が彼である以上自分に攻撃が来ないと踏んでの行動だろう。

だが敵は『七神』と呼ばれる組織の1人、魔人族アジューズなのだ。

イフリータの力を持たない少年の思惑などとっくに見抜かれており、中空から大きく軌道を変えてクレイスとジェローラを狙える位置に回り込んでくると、


どどどどどんっ!!!!


氷柱が矢のように降り注いできた。その数を前に老人を担いで逃げる事も自身が壁となって防ぐ事も不可能だと悟ったクレイスは死を覚悟する。


「クレイス!!!水球を出して!!!!」


迂回して横から援護に入ったウンディーネから水槍とそんな言葉が飛んできた。

水球・・・言葉に聞き覚えはある。ガハバの毒に当てられた時、意識下で彼女と話をしていた時、確かに自分でそれを展開した記憶はある。


あの時の強烈な印象。胸から強大な力を注がれて気を失いかけた記憶までも鮮明に思い出すと、


ぼしゅぼしゅぼしゅしゅぼしゅっ!!!!!


いつものように左手にある防具でそれらを凌ごうと体が動いていた。だが大盾よりもはるかに大きく分厚い水の盾が現れると氷柱を飲み込んで無力化していた。

自分の背丈の倍の高さと幅もある為相手は回り込む事すら難しいだろう。

ショウやカズキは非常に驚いていたが今はそれを気にする余裕など無く、

「貴様?!中々やるではないかっ?!」

アジューズも驚きはしていたが水の盾だけでは脅威にはならないと判断したらしい。

中空から落下の勢いも乗せて無理矢理にでもクレイスとジェローラを仕留めようと氷の魔術を展開、発射しながら突っ込んでくる。

鬼気迫る彼の姿を捉えつつ近づけさせるのは得策ではないと判断したクレイスは、


「く、来るなぁっ!!!」


右手の長剣を大きく振る。するとその切っ先から水が弧の形となって、刃となってアジューズに飛んでいった。

同時に彼の心情を具現化したのか、周りにはウンディーネが使うのと同じような水球をいくつも展開してそれらが矢のような形となって迎撃する。

近づかれたくない。守らなければならない。ジェローラも、そしてショウもだ。


必死になって繰り出した魔術の数々。

お互いが最速に近い形で接近していった為躱すのが難しかったアジューズは受け切る方向で魔術を切り替えるが彼ほどの力を以ってしてもいくつかの攻撃をその身に受けてしまう。

急旋回して距離を取り直し、体勢を整えた頃にはカズキもウンディーネもクレイスの傍で護りの構えに入っていた。






 ここに来て膠着状態に陥ったアジューズは

「ショウよ。よく聞け。1000年に一度訪れる人間達の狂乱。そしてその頂点。それらがもたらす最悪の事象を。」

中空からこちらに向かって話を始める。そこまでして彼を『七神』に引き入れたいのだろうか?

他の面々も同じような事を感じたのだろう。皆が黙ってアジューズを見上げる中、彼は静かに語り出した。


「館でも聞いたじゃろう。天族や魔族との間に生まれた我らの呪われし悠久の束縛を。」

???

クレイスには何の事だかさっぱりわからなかったが事情を知ってるショウは神妙な顔つきになっている。更に話は続き、

「何故そんな種族がいると思う?何故そんな我々が生まれてきたと思う?」

アジューズがこちらに向かって大きく問いを投げかける。そんな種族というのはセヴァや天人族の事か?


「人間の頂点に立つ者、その周囲や環境が人の領域を超える蛮行に走るからじゃ!わかるか?

人は天族や魔族を犯し、そして時に食らう。イフリータという魔族が何故赤子だったお前の体に埋め込まれたかわかるか?!」


非常に力強く、そして人間に対して大きな憎しみを持ちながら言い放つ。彼がショウに最も言いたかった事なのだろう。

だが先にウンディーネの方が何かを察したのか小刻みに震えて口を開き始めた。

「・・・まさか・・・」


「魔族の娘よ。お前の想像は正しい。そうじゃ。イフリータは1000年前、その力を欲する人間達によって食い殺されたのじゃ。」


一体何を言っているのだ?そんな事がある訳がない。あまりにも荒唐無稽だと笑い飛ばしたい。

しかし彼の熱弁とウンディーネの動揺、更にショウから感じる熱い力が否定する事を許さない。


「わしとて親など知らぬ。誰かの慰みものとして使われた結果この世に生を受けた。わかるじゃろう?わしらのような種族と、そして人間の毒牙にかかる天族や魔族をこれ以上この世に誕生させてはならぬのだ。」


彼がショウを『七神』へ誘う理由がわかったのは大きな収穫だったが相手の言っている内容が事実だとすればあまりにも酷い。自身が人間であるという事に思わず目を逸らしたくなるほどに。

もしこのまま彼が自分の意志で『七神』に入る道を選んだ場合、自分は止める権利すらないのかもしれない・・・


「おいじじい。言いたい事が終わったんなら戦いを再開したいんだが構わねぇか?」


ところが落胆していたクレイスの心情など微塵も解さないカズキが水を差すどころか濁流を流し込んで話を遮って来たので皆が彼に視線を集める。

「何もわからぬ小童は黙っておれ。今わしは大事な話をしておる。」

「どこが大事だよ。戦や略奪なんていつの時代でもあるだろ。てめぇの不幸を周りに押し付けてるんじゃねぇ情けない。」

更に口が回るカズキを見て皆が目を点にする。反論も唯我独尊といった非常に彼らしい内容だ。ただしアジューズだけは怒りで顔を歪ませながら、

「ふむ。ではまず貴様の口を封じてから続きを語ろう。死ねぃ!!!」

先程とは比べ物にならない数の氷塊を展開するとつぶてのまま放ってくる。と、同時に後から氷柱も飛ばしてきた。

こちらは迂回させてクレイス達の左右から退路を塞ぐ形で打ち込まれていく。

「クレイス!!護りは任せたっ!!!ウンディーネ、行ってくれっ!!!!」

カズキが叫ぶと同時に刀を地面に素早く突き刺すと懐から棒手裏剣を掴んで勢いよく投げつける。

名前を呼ばれた魔族も悲哀の心を一旦置いてアジューズに飛んでいくと魔術展開後の隙を突いて水槍と水蛇をありったけ叩き込んだ。


しゃっ!!しゃしゃっ!!!ずずんっ!!!


氷塊で凌がれつつもいくらかは彼の体を貫いた事で喜んだのも束の間、

アジューズの氷柱がウンディーネにも刺さっていた事でお互いの動きが鈍くなる。

クレイスも彼女の心配をしている余裕はなく、3方向から放たれた魔術を凌ぐためにどうするか悩んだ挙句、


ぼしゅぼしゅぼしゅぼしゅぼしゅぼしゅしゅぼしゅしゅぼしゅっ!!!!!


全てを確実に防ぐ必要があると感じた彼は一か八かで水の盾をあと2つ展開する事を選んだ。

それは思いのほかしっかりと機能してくれたお陰でアジューズの攻撃を全て無力化する事に成功する。そこに、

「クレイスっ!!こっちに来て!!あいつを逃がさないで!!」

傷を負ったウンディーネが呼びかけてきた。こっちに来てというのはもしかして空を飛べという事か?

流石にそこまで上手くいくとは思わなかったので躊躇して彼らの戦いを見守るが、お互いが傷を負って中距離で魔術を撃ち合っている。

更に飛行速度もかなり落ちている為どちらも必死なのだろう。

「クレイス!!いけ!!いけるんだろ?!」

カズキがばちんと尻を思い切り引っ叩いて檄を飛ばしてきた。痛すぎて戦いの事よりも彼への不満が生まれるもそれは後回しだ。

行くしかない。

イルフォシアの急報を受けた時の感覚を思い出しながら何とか体を浮かせようとするクレイスは必死で、それでいて自然に魔力を展開していく。

1か月ほど前までは小石を動かす事すら苦労していたのに一体・・・いや、それを考えるのも後だ。

助力になるかどうかはわからないがここはアジューズを何としてでも討ち取る必要がある。

それだけは理解出来たクレイスは自分が思う以上に速度を上げて彼らに向かって飛んでいった。のだが・・・


~~~っ!!


あと少し距離を詰めれば自身の剣が届くかもしれないという所でいきなり失速してそのまま地面に落下していくクレイス。

「「「ええっ?!」」」

何か攻撃を受けた様子もなかったので地上で見ていた3人も驚いて声を上げると、それに気が付いたウンディーネが攻撃を中断して彼を拾い上げに全力で向かい、


がっ!!


「どうしたの?!大丈夫?!」

彼女が体を張って受け止めたので何とか地面に叩きつけられる事態は免れたものの、中空にいたはずのアジューズの姿は既に消え去っていた。






 いきなり始まった『七神』との戦い。終わってみれば手傷を負ったのはウンディーネだけだった。

そんな彼女も空を飛べるくらいには元気だったのでジェローラの館に戻るのにそれほど苦労はしなかったのだが、

「お前いつの間にあんな魔術を使えるようになったんだ?」

カズキはアジューズの事などすっかり忘れて興奮気味にクレイスを質問攻めしている。これも戦闘狂ならではの行動だろう。

「ウンディーネと同じ魔術という事は彼女と何か・・・これをイルフォシア様に伝えればどうなるのでしょう?」

しかし今日はショウまでも冗談交じりに彼の魔術を弄ってくる。

「ははは・・・・・冗談だよね?」

自分でも全く理解が追い付いていないのだがとにかく水の魔術を展開出来た事で犠牲を最小限に抑えられた。これはとても喜ばしい事だ。

ただ、飛空の術式だけはやはり自分にはまだ早かったらしく途中で力なく落ちていってしまった。ここだけは悔やんでも悔やみきれない。

『七神』の一員でありショウを引き込もうと画策するアジューズ。

冷静に考えてると彼の発言が真偽かどうかは定かではないのだが、もしまた目の前に現れて他の話をされた時ショウはどんな決断をするのだろう。

そう思うとやはりあの時自分がしっかりと空を飛び切って仕留めておきたかった。


「相手も手負いじゃが用心するに越した事はない。今夜は見張りを増やして警戒を厳しくしておこう。」


館に戻るとジェローラが早速労働者の中から屈強な者達へ呼びかけ、ウンディーネも手当てを受けると明日へ備えて皆速めに床につく。

個室を与えられたのでそれぞれが1人静かに就寝する中、クレイスは今日の出来事に興奮と疑問を強く感じて眠れないでいた。

今まで1ヶ月間も眠っていた。落ちて当然だった体力もほぼ変わらず、更にいつの間にか強力な魔術を習得していたのだ。

そして『七神』の一員であるアジューズの攻撃を完全に凌げた事。ここまでが興奮材料だ。自分の人生でこれほど高揚を覚えた記憶はなかった。

だが飛空の術式。確かにこれも初めて展開したものだったが体が浮いた瞬間大きな手ごたえを感じていた。間違いなく奴に届くと確信を持てた。

なのにいきなり失速、いや、正確には魔術が完全に使えなくなったのだ。

最初は難しい術式なのだから仕方がないと思い込んでいたがよく考えると自分の背丈の倍以上あった水の盾を3枚も展開出来ていた。

飛空の術式をきちんと教わった訳ではないがそれでも体を浮かせて標的に向かうところまではいけていたのだ。なのに何故だ?

ずっと自問自答を繰り返すクレイス。その気持ちは疑問から後悔へと形を変えながら心の中で何度も反芻する。


あの時あの男に止めを刺せていれば・・・


それが出来ていればショウの心配もなくなるし館での警戒も必要なかった。自分もここまで悔しい思いをする事はなかったはずだ。

寝具の上で仰向けになっているクレイスの目は眠る事を拒否して真っ直ぐに天井を見つめていた。

悔しくて暴れたり叫びたくなりそうな衝動すら覚えていたが落ち着くためにふと左手を垂直に持ち上げて水球を出そうとする。


・・・・・


あれ?

昼間はあれほど簡単に出せた魔術が何の反応も示さない。不思議に思いながら右手に替えたりと何度も何度も試すがやはり何も起こらない。

(・・・魔術が全く使えなくなっている?)

空を飛んでいた途中でもそうだった。使えなくなったのだ。そしてそれは今でも続いているのか?

そもそも使えるようになった所から心当たりがないので使えなくなったとしてもより心当たりはない。

アジューズとの戦いでは誰かが自分に与えてくれた一時だけの奇跡だったのかもしれない。

まだまだ知識と経験の浅かったクレイスはそう結論付けると後悔も闇の中に消えて行き、気が付けば深い眠りについていた。








同じ時間。

唯一傷を負ったウンディーネも今日の戦いについて深く考えていた。

彼女もこちらの世界に来てからそれほど間もないのであの男の発言が本当かどうかを判断するには詳しく調べる必要があるだろう。

しかし・・・・・


もし本当に友人であるイフリータが人間に食い殺されたというのなら・・・・・


この夜彼女の中に生まれた大きな猜疑心は今後クレイス達を大いに苦しめる事になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る